とある広大な大陸の、北部でのこと。
月蝕の夜に女児が生まれた。
日蝕の日にその妹が生まれた。
その年の月蝕と日蝕は、学者の間では不吉の象徴、あるいは世の変化の前兆とされた。
晋国は桃の花がさく季節になった。だが今年は例年より風が冷たい。
国の北部、ある街に、鄧家のやしきがあった。
広いやしきは、黄味がかった大きな塀にぐるりとかこまれていた。一目で金持ちのものとわかる。
厳格な塀の屋根から、明るい薄紅色がのぞいていた。大きな塀の内側の、背の高い桃の木の花だ。
やしきの前に一台の馬車がやってきた。中には恰幅のいい男と、その従者が乗っている。
鄧家の門の前では、うす汚れた人々がひざまずいていた。粗末な袍をまとい、冷たい風に身をふるわせている。
かれらは口々にさけんだ。
「鄧家の旦那さま。どうか食べ物をめぐんでください。うちの田畑は寒さのせいで不作つづきです。もう三日もなにも食べていません」
「鄧家はこの街で一番のお金持ちではありませんか。すこしくらいわけてくださいまし」
農民たちがどんなに声をからせても、門はかたくとざされたままだった。
恰幅のいい男は、馬車の中でそのようすをながめる。従者にむかってすこし口角をあげた。
「表門はだめだ。裏門からはいろう」
「はい。しかしあのうすぎたない連中は鄧家が自分たちを相手にすると思っているのでしょうか? あのしぶちんの家が」
従者は小馬鹿にしたようにふんと鼻をならした。
鄧家のやしきの書斎。
机に巻物がつまれ、壁ぎわの棚には大量の書物が収納されている。
恰幅のいい男が、低い卓に紙を広げた。文字がぎっしり書かれている。
男は長いヒゲをなでた。背後には従者がひかえている。
恰幅のいい男は顔をあげた。
卓をはさんだ長椅子に、よごれひとつない絹ごろもを着た鄧家の面々が座っている。主人、夫人、それから二人の姉妹。
黒髪に色白の姉は緊張した面もちをしている。
薄い髪に気の強そうな顔つきの妹は、興味がなさそうにそっぽをむいていた。
姉の歳のころは十四。妹は十三。
うまれた年月日は占いに大事だから、はっきり歳がわかる。
男は作り笑いでうなずいた。
「この日なら玄鎖お嬢さまのみあいにちょうどよい星まわりでしょう。必ず相手方から好かれると出ております」
主人、夫人はほっと息をついた。
「よかった。先方はこの日しか空いていないそうなので心配したのです」
玄鎖と呼ばれた姉は、切長のすずしげな目でおずおずと占い師の男を見た。
男はその目を見て、おもしろそうにほほえんだ。鄧家の主人に言う。
「お代を」
鄧家の主人が紙のつつみを従者にわたした。
従者は紙のつつみにちらりと視線をおとした。わざとらしく目をひらき、主人とつつみを交互に見くらべた。
主人はせきばらいをし、ふところから巾着をとりだした。
従者は巾着をうけとった。
「まいど」
「それでは」
恰幅のいい男と従者が出ていったやいなや、鄧家の主人と夫人は姉にまくしたてた。
「夜糸、いくら星まわりがいいからといって油断しないで。相手は皇族なんだから。お前はどんくさいから粗相をしないか心配だよ」
夜糸というのは玄鎖のいみな(実名、親など以外がよぶのは無礼とされている)だ。
「おまえにはわが鄧家の命運がかかっているのだ。蜱蛄族出身のわが家が盧人の皇族になれるかどうかのな。絶対に失敗はゆるされない」
蜱蛄族はこの晋国から見て北東の部族のこと。
盧人というのは晋国でもっとも多い民族。貴族や皇族や政治家もほとんどが盧人だった。
晋国に住む民も、ほとんどが盧語を話し、盧人の生活様式でくらしている。
鄧家の祖先は蜱蛄族から移民として晋国にやってきた。鄧姓は占いで決めた盧人風の姓だった。
祖先は家財を売りはらった金で戸籍と小さな荘園を買い、経営を成功させた。
子孫は祖先の財産でさらに荘園を発展させた。
ツテで盧人の小金持ちと姻戚関係をもつようにもなった。
夜糸の父も、大金持ちの盧人の娘である母親と結婚した。
「お父さまが荘園を三つも売ったんですよ。おじいさまのころからの。あの方には作った大金をはらってみあいをたのんだのですからね」
姉は背中を丸め、青白い顔でうつむいた。かぼそい声をしぼりだす。
「はい」
妹が明るくはっきりした声でがなりたてた。
「お姉さまと結婚したい人なんているわけないわ」
「こら、日利」
両親は少し怒った。だが妹はさっさと部屋から出ていってしまった。
街道を馬車が走る。
道ばたは、飢えてたおれこんでいる人々であふれかえっている。
馬車の中では、恰幅のいい男とその従者が話していた。
「お師匠さま。あのようなうそをついてよろしかったのですか? あの娘の運は今年から最悪ではないですか。あと三年ほど待った方がよいのに」
「わかっとらんな。客に都合のいいことを言い、いい気にさせるのがいい占い師というものだ。見ろ。こんな大金は真実を話せばくれなかっただろうよ」
男は得意げにふところから謝礼の金を出した。
「さすがお師匠さま。しかしあの鄧家の娘、移民にもかかわらず荘園経営で成功した大富豪の子女とは思えません。あれではいくら運がむいても皇族にみそめられることもないでしょう」
「どうだかな」
「はあ?」
「あの娘は強くめずらしい星を持っている。大地をつかさどる女神の星だ。それに勝つまで戦う武人の星もついている」
「まさか」
「顔相にも現れていた。特に目だ。しかも」
「しかも?」
「星のめぐりによれば、今後数百年に一度地上に現れる武神の星の持ち主と関わる」
「なんと」
「いや、それ以上、万事をつかさどる天帝の星かもしれぬ。その者とうまく出会えれば大業をなすだろう。たとえばこのくさりきった国をうまれかわらせる、とかな」
「人は見かけによりませんね」
「ついた星の力は開花させてみなければわからない。その力を見ぬくのが占い。これだからやめられない」
男はでっぷりと出た腹をたたき、大笑いした。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!