晋国の都、洛都。
後宮でのこと。
広い庭には、桃や梅の花がさきみだれていた。
この後宮もこの国も、国を統一した前皇朝の皇帝の臣下が、謀反をおこしうばったものだった。晋国は簒奪国家なのだ。
庭の中のある宮の軒下。
皇族の司馬永達が、白い寝巻き姿で寝ころがっていた。半びらきの目でぼんやりと花を見ている。手元には筆と紙、書きかけの詩、それと寝ている半裸の女をかかえていた。
庭では、信達が地面をはいつくばってなにかを探していた。ひょろひょろと背の高い彼は、永達の弟だった。
永達はこばかにするように鼻をならした。
「はやくさがせ。母上の大切な玉佩(帯ひもなどに垂らすドーナツ状の玉のかざりのこと)だぞ。にごりのない白色なのだからすぐ見つかるはずだろう」
「で、ですが兄上、こんな広い庭では……」
「はやくしないとおまえは母上だけではなく父上にも罰される」
信達はみるみる青ざめる。
彼らの父は晋国の皇帝その人だった。
皇帝は彼らの母である妃のことを寵愛していた。ゆえに母を怒らせれば皇帝にも罰せられるかもしれない。
もっともその寵愛も、母の老いとともにかつてと比べおとろえているのだが。
永達はおかしそうに笑った。
「そうしていると豚のようだ。史書に桃の木の下にいる豚太子、信と書き残してやろう」
信は信達のいみなである。
信達は頬を紅潮させた。だが言葉をぐっとのみこみ、さらに地面をはいつくばった。
永達はあくびをする。
じつは女をかかえた自分の手の中に、母親が大事にしている白い玉佩があった。
永達は玉佩で半裸の女の体をこするが、女は寝入っていて起きない。
永達はため息をついた。
「女はあきた。だきあきた。遊びあきた。気のいいことを言えば簡単にいいなりになる」
気の弱い弟でうさをはらす毎日にもあきていた。
永達は自分には風流と詩文の才があると思う。だが、詩ひとつまともにつきつめて書きあげたことが一度もない。何事もいつもきまってつまらなくなり、最後までやりとげる気力がなくなる。
「ああ退屈だ」
「殿下」
永達のもとに、武官姿の体格のいい男がやってきた。
永達は舌うちし、寝たままたずねた。
「李隊長か。なんの用だ?」
男はするどい目で永達を見すえ、仏頂面で拱手(左手で右のにぎりこぶしをつつみ、お辞儀をして相手に敬意をしめす礼儀作法のこと)した。
彼の名は李遠という。
姓が李、いみなが遠。あざなは永規だが、官職をあたえられてからそうよぶ者はほとんどいない。
大きな身体とけわしい眉間のせいで老けてみえるが、年は永達とそんなにかわらないらしい。
李遠は少し前に北の狭狗族の単于(長のこと)一族、李氏から、侍子という名の人質として送りこまれた、狭狗人の王子だった。
早々に武官の隊長という官職を与えられ、李一族の根まわしで、皇帝の寵愛が比較的深い妃の息子である永達の側近につけられた。
ちなみに姓の『李』は、おおむかし、彼の一族が前皇朝の臣下になったとき、盧人風に改名した姓であり、打倒された前皇朝の皇族の姓でもあった。
一族が『李』姓をえらんだのは、前皇朝の『李』という姓の皇族の公主(皇女のこと)が、彼らの先祖に降嫁したからというのが理由であった。
狭狗族は騎馬民族であり、体格が盧人よりがっしりとして、背が高く、雰囲気にも妙な迫力があった。
李遠の場合は冗談も通じないので、信達のように永達にだまされてあたふたすることもない。李遠は人に相対すると、するどい目つきでじっと目を見るくせがあるので、こちらのほうがなんだかあたふたしてくる。
永達はこの男が苦手だった。
「今日は鄧家の主人と郊外の荘園でおちあう約束でしょう」
「そうだったか?ことわってくれ。今日はいそがしいのだ」
「鄧家の主人は必死なようすで殿下に多額の心づけをされていた。行かねば二度ともらえなくなりますよ」
「めんどうだなぁ。だが母上の調子がすぐれなくなってから父上のこづかいもへっていることだ」
永達は手の中の白い玉佩を信達に投げつけた。玉佩は信達のひたいにあたり、信達は痛がった。
「おい豚! おまえも連れていってやる」
永達は女をおもいきりたたき、むりにおこした。
「じゃまだ。いますぐうせろ」
半裸の女は泣きわめきながら去っていった。
永達はおっくうそうにおきあがった。
「で、鄧家は私になんの用だ?」
「娘との婚姻についてとか」
「ああ。はあ。めんどうだ。あのていどの娘なら宦官で十分なのに」
永達はあくびをしながら宮の中にもどり、きがえだした。
李遠はその背をにらみつけ、拱手したこぶしをにぎりしめてふるわせた。目には憎しみの炎をたぎらせている。
思いだす。
あの日、永達のせいで死んだある女をだきかかえた。あの無念さを、あの憎しみを、わすれたことはない。
いつかかならず永達を殺す。
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