「どうして勝手にいなくなったか……セツメイシテクレルヨネ?キョウチャン?」
ここは多くの客で賑わうホテルの喫茶店……ではなく、俺が脱走した時に使った非常階段。で、目の前には目から完全に光を失くした東城先生。ヤンデレゲーだったらバッドエンド間違いなしのシチュだ。てっきり喫茶店に行くものだとばかり思ってたんだがな……
「一人の時間が欲しかったから抜け出した。それ以上でもそれ以下でもない」
嘘は吐いてない。常日頃お袋と行動を共にし、どこかへ行くにしても書置きの一つを残さなきゃならないあるいは東城先生達の中から誰か一人を連れて行かなきゃならない。俺だってたまには一人の時間が欲しいと思うのは至極当然だ
「それは想花さんから聞いたよ。私が聞きたいのはどうして行き先も言わずに出て行って電話にも出なかったのって事」
「そ、それはだな……」
出て行く時にどこへ行くか具体的に決めてなかった、電話は一人の時間を楽しんでる最中に鳴ったら鬱陶しいから機内モードにしていたとは口が裂けても言えない……。
「それは?それは何?言えない事でもしてたの?それとも、私達以外の女に会って来たとか?」
東城先生の濁った目が俺を捕らえる。女に縁がないのなんて一緒に住んでれば分かるだろ……
「それはない。何をしていたかは言えないというか、言いづらいんだよ」
ネカフェに行ってましたって正直に言っても怒られはしないと思う。アニメ見てましたとか言ったら怒られそうだけど。でも、茜に関する噂で今回の件に関係してるものがないか調べてましたとは……東城先生や真央を除く零達には言えても真央と茜には……言えねぇよなぁ?
「ダメ、言って。私達、恭ちゃんがいなくなってとっても心配した。もし恭ちゃんに何かあったらと思うと居ても立ってもいられなかった。恭ちゃんには何をしていたか報告する義務がある」
心配を掛けたという点では悪いと思っていても何をしていたかを言えと言われると言いづらい。ネカフェに行って金を使ってまで茜の粗探しをしてましただなんて言えるか
「そ、それは悪かった。ちょっとネカフェに行ってたんだ」
「ネカフェね……私達が泣くほど心配してた時に恭ちゃんはネカフェに行ってたんだ……パソコンなら家にあるし調べものならスマホで事足りてるのにネカフェに行ったんだ?」
「ま、まぁな。ぱ、パソコンは家に置いて来ちまったし、スマホじゃ他の連中の手前、ちょっとな」
声優に限らず人気が出るという事は多くのファンが付くって事でその分、アンチも付く。肯定的な意見は苦も無く受け入れられるけど、否定的な意見はそうじゃない。例えば声優。面が可愛いとか声がいいとかの肯定的な意見は受け入れられるけど、才能がないとか、声優辞めろと言った否定的な意見はその人の人間性によるところが大きい。人によっては鼻で笑って終わる人もいるだろうし、人によってはそれで病むといった具合に否定的な意見は受け入れられないわけじゃなくとも当人の心にそれなりのダメージを与えてしまう可能性があるのだ。だからこそ噂関係は慎重に扱わなきゃならない
「ちょっと?ちょっと何?私にも言えない事?」
「言えないんじゃなくて言いづらいんだよ。藍ちゃんが零達の前じゃ絶対に言わないって約束してくれない限りはな」
「零達の前で?いいけど、何で?」
「何でもだ!悪いが、それが約束出来ないのなら何をしていたかは教えられないし、何をされても話さない」
茜の粗探しをしてただなんてバレてみろ、どうなるか分かったもんじゃない
「零達を信用してないの?」
「信用してないわけじゃない。ただ、俺のしていた事が原因で同居人達の間に亀裂が生じたら面倒なだけだ」
今のところ大きな喧嘩とかは……ないとは言い切れないけど、比較的少ない。大喧嘩したって言ってもゴールデンウィークで俺がやらかしたくらいだしな。人間だから価値観の相違とか好き嫌いの違いから喧嘩になるのは仕方ない。でも、茜や真央の粗探しをしてたってバレて喧嘩になるのは面倒でそれは是が非でも避けたいところだ。だからこそ本人がいる前で噂を調べられなかった
「よく分からないけど、信用してないわけじゃないならいい。零達にも言わないよ」
「それならよかった。なら……」
「約束するよ。絶対に零達の前じゃ恭ちゃんが何をしていたかは言わない」
「その言葉、信じるぞ?」
「うん。妻として夫の仕事はバラさない」
妻としてってのは聞き流すとして、俺が何を調べていたか言わないでくれるならそれでいい
「なら正直に話すが、俺がネカフェでしてたのは簡単に言うと茜の粗探しだ」
「粗探し?茜に悪いところなんてあったっけ?」
東城先生の疑問は尤もだ。今のところ茜に悪いところは見当たらず、見た感じ他人から非難される事は何もしてないように見える。これは俺らから見るとそう見えるだけで実際は不明だ。俺が知りたかったのは目に見える部分じゃなく、SNSやネットの掲示板でも噂になるくらいの悪行や不祥事。
「今のところは見当たらないな」
「だったら無理に探ろうとしなくてもいいと思う」
東城先生の言う通り悪いところなんて無理に探ろうとしなくてもいい。俺だって出来る事なら探りたくはない。
「俺だって出来るならそうしてぇけど、今回はそうも言ってられないんだ」
「どういう事?」
「ネットで悪口を書かれる程度なら度合いにもよるけど、放っておいても問題はない。だが、住まいにまで実害が出ているとなると話は別だ。一人の大人が高校生のガキを頼るまでに追い詰められるってのはどう考えても異常でそんな事態になるまで事務所は対応しないっつーのはヤバいだろ」
「確かにそれはマズいね。でも、事務所には事務所の事情があるんだよ」
「事情?どんな?」
「私に聞かれても分からないよ。私は事務所の人じゃないから」
「ごもっとも……」
「でしょ?だったら無理に茜の粗探しなんてしなくていいんじゃない?」
「ああ。俺もそう思った」
検索エンジンと8chで調べた結果何も出てこなかった。SNSはまだ調べてないが、調べたところで何かが出てくるとは思えない。俺に出来る事など茜を家に引き取る以外は何もないのだ
「うん。それで、この後どうするの?今のところ決まってるのは茜が家に引っ越してくる事だけだよ?」
「何もしない。茜が家に引っ越して来て終わりだよ。まぁ、藍ちゃん達が茜の歓迎会をしたいってなら別にいいけどよ」
「何もしないの?」
「ああ。何もしない。茜を見捨ても突き放しもしねぇけど、今回ばかりはお手上げだ。というか、一介の高校生である俺が警察の真似事なんて最初から無理だったんだ」
俺はその場に力なく座り込む────なんて事はなかった。よーく考えるとだ、現在住んでる場所は特定されていてアウトで引っ越して普通のマンションかアパートに引っ越したとしても特定されてアウト。そう思ったからこそ家に来るか?って提案をした。まさか人気声優の引っ越し先がデパートの空き店舗だなんてストーカーも思うまい
「それはそうだけど……でも、さすがにストーカーを放置したままはマズいんじゃ……」
「いいんだよ。そういう奴はそのうち事務所か俺ん家まで乗り込んでくるんだから」
ドアと手紙を見るに茜のストーカーはかなり執念深そうだ。俺らが何もしなくとも向こうから勝手に動き出すに違いない
「そうなの?」
「知らねぇけど、多分そうなんじゃねぇか?つか、人気声優の新居がデパートの空き店舗だなんて誰も思わねぇだろ」
俺がストーカーならデパートの空き店舗を新しい住まいにしてるとは思わない。そんな事を思うのはかなりのひねくれものくらいだ
「た、確かに……」
「だろ?だから俺はこれ以上何もしねぇ」
これ以上何かしろと言うなら具体的な指示を出してからにしてほしいものだ
「恭ちゃんがそう決めたなら私は何も言わないよ。でも、操原さんには何て説明するの?」
「操原さん?何で操原さんに説明する必要があるんだ?」
茜は操原さんの事務所所属だから無関係とは言い切れない。が、この一件は茜個人の騒動とも言える。だから操原さんに被害状況を説明する必要はあっても俺が下した決断まで説明する必要はないはずだ。ここで彼の名前が出てくる意味が分からない
「今来てて、今回の事に恭ちゃんが関わってるって言ったら解決案を是非聞きたいって言ってたから」
何それ初耳!
「初耳なんですけど……」
「うん、今言った」
今言ったって……東城先生、勘弁してくれよ……。説明めんどくせぇなぁ……
「はぁ……、説明するも何も茜を家に引っ越しさせた、それ以上は何もしないって正直に言う他ないだろ?それ以外に何がある?」
「ないけど……」
「ならいいだろ。仮にこれで納得してもらえないようだったら……恐怖を身体に覚え込ませるだけだ」
「それはそれでダメなんじゃ……」
恐怖で人を支配するのはよくない。けど、俺のやろうとしているのは恐怖による支配ではなく、単なる説明。口で言って納得してもらえないのなら恐怖という説明書を付けて説明するだけだ
「口で言って理解してもらえないのなら恐怖っていう説明書を付けて説明する他ない。つか、高校生のクソガキに過剰な期待をする方が悪いんだ」
「な、何も言い返せない……」
「ならこの話は終わりだ。とっとと部屋に戻ろうぜ?零達にも心配掛けたみたいだしよ」
俺は非常階段のドアを開けようと……
「ダメ。その前にお願いがある」
する前にドアノブに掛けていた手を東城先生に掴まれた
「お願い?俺に出来る範囲で頼むぞ」
「大丈夫、簡単だから」
「それならいい。で?お願いって何だ?」
東城先生のお願いか……本人は簡単だって言うけど、お願いする方からすると簡単でもやる方からすると難しい事が多いんだよなぁ……俺の場合は
「今度から藍って呼び捨てで呼んで。心の中でも表でも」
東城先生のお願いは……簡単と言えば簡単だけど、ある意味では超難易度なものだった
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