「「恭!!」」
「「「恭君!!」」」
「「灰賀君!!」」
「灰賀殿!!」
男がナイフを取り出し、それを見てヤバいと直感的に感じた零達の悲鳴にも似た声が響く。人が刺されようとしているんだから当たり前か……
「お前は俺を怒らせた!! まずはお前からだ!!」
零達の声を無視し、男は最初の標的を俺に定めたのか、俺へナイフを向ける。何で俺は普通に解説してるか?って?それは────────
「その割には手が震えているようにしか見えねーけど?」
男の手が震えているからだ。
「う、うるさい!! こ、これはお前への怒りで震えてるんだよ!!」
怒りで震えている……か。本人がそう言うならそうなんだろう
「あ、そう。んで?いつになったらアンタは俺を刺すんだ?いや、アンタに俺が殺せるのか?」
オタクを見下すわけじゃねーけど、彼らは口では自分強い、自分凄いアピールしてても実際は大した事ないってパターンが多い。本当に凄いのはごく僅か。それは置いといて、警察はまだ来ないのかよ……ったく、どうでもいい時にはゴキブリみたいにウヨウヨいるのに肝心な時にはおっせーのな
「当たり前だ! 今すぐにでも殺してやるよ!!」
と息巻いている割に動く気配はない。別に死にたいわけじゃないが、これはこれでどうなんだ?
『きょう~、どうする?霊圧使う?』
お袋の間延びした口調はいつも通りだから何も言わないけど、霊圧の使用について調味料感覚で聞いてくるのはどうなんだ?この男相手に使うつもりはないんだけどな
『だよね~、さすがにネット民相手にそんな目立つ事したくないよね~』
当たり前だ。誰が、どこで、動画やら写真やら撮ってるか分からんからな。俺は夏休みだけは穏やかに過ごしたいんだよ
『うんうん、お母さんとのイチャイチャの方が大事だよね~』
そんな事言った覚えは全くないんだけど?それはそうと、いつもはいけないと思っていてもつい使ってしまう霊圧をこの男には使わない。それはいいとして、コイツをどう黙らせたらいいか……
『じゃあじゃあ! きょうが昔練習していたあの技で絞め落とすってのは?』
昔練習していたあの技と言われても何の事やらサッパリだ
『ほら~、きょうが昔見てた特撮であったじゃん! 向かってくる敵を振り向きざまの回し蹴りで倒すってあれ!』
あ~、子供の頃にそんなのやってたなぁ~。思い出した、俺は確かにその振り向きざまの回し蹴り練習してたわ
『アレ、やってみようよ!』
やってみようと言われても練習してたのは大分前。しかも、公園の木に向かってだ。実際、動いている相手にやるとなるとタイミングが難しいと思うのだが……
『そこは大丈夫! お母さんが指示するから!』
指示してくれるのならタイミングは問題ない。久々だから出来るかどうかが不安なだけで
「はぁぁぁぁ、やるしかないのか……」
明日の事を考えるとやりたくはない。やりたくはないけど、変に目立ちたくない俺は筋肉痛になりませんようにと祈りながら零達の方を向いた
「何後ろ向いてるんだよ!!」
いきなり後ろを向いたから当然と言えば当然だが、男は激高した。そして、零達は……
「恭!! 相手はナイフ持ってるのよ!? 背中を見せたら刺してくれって言ってるようなものじゃない!!」
「そうです!! 死にたいんですか!?」
「恭クン! 死んじゃヤダ!!」
「恭さん!!」
「ヘタレ!!」
まだ何も言ってないのに俺が刺される前提で話を進めていた。碧さん?この場面でヘタレはないでしょ?
「あんな妄想癖の激しい奴なんて後ろ向てても勝てるっつーの!!」
「嘗めるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
背後から聞こえる男の雄叫びと前方から聞こえる零達の叫び声。今まで人を拾っては住まわせていたが、それは部屋が有り余ってたからで特に深い意味はなかった。それが今回はどうだ?有名人が来た途端にこの騒ぎ……。全く、勘弁してくれ
「本当、俺はいつから騒動に巻き込まれやすくなったのやら……」
男の雄叫びと零達の叫び声にかき消され、足音は全く聞こえない。雄叫びが近づいているからこちらに向かって来てはいるのは確かだが、背中越しではその表情は伺えず、今の俺に見えるのは目に涙を貯めて叫ぶ零達の顔だけ。そんな時だった────────
『今だよ! きょう!!』
タイミングを知らせるお袋の声が鮮明に聞こえ、俺はカウンターのようにハイキックを男の顔面目掛け放つ。スリッパ越しに伝わってくるのは自分の足が顔にめり込んだような感触だけ。仮に顔の骨が折れたとしてもその音は男の雄叫びと零達の叫び声にかき消されてしまい、俺には聞こえない。男は情けない声を上げ、その場に倒れた
「これやったの何年ぶりだ?」
今回は一般的に見て人知を超えた力を使わずに変質者を黙らせた。出来る事なら変質者には出くわしたくないものだ。俺は平和の有難みを噛み締めながら零達の方へと向かい────────
「後は任せた」
と一言だけ言って彼女達の側を通り過ぎようとしたその時だった
「任せたじゃないわよ……」
俯いて小刻みに震える零が立ちはだかった
「何だって?」
「任せたじゃないわよ!! アンタ! 一歩間違えたら自分が殺されてたって解かってるの!?」
「ああ。これ以上ないってくらいにな」
零の言う通りナイフを持った人間相手に背中を見せた。傍から見れば殺してくださいと言ってるようなものだというのは俺が一番よく解っている
「だったらッ!! だったら何で背中を見せたりなんかしたのよ!!」
「死なない自身があったからだ」
「バカじゃないの!! アンタにいくら霊───────」
零が霊圧の話をする前に俺は人差し指を彼女の口元へ当てる
「零、それに他のみんなも心配を掛けたのは悪いと思っている。だがな、その話はここではするな。無関係な人間と有名人、その有名人が所属している事務所の社長がいるこの場でそんな話をすると後々面倒な事になる」
オタク達を追い出したのも、いつも通りの方法で変質者の男を黙らせなかったのも拡散されるのを危惧しての事。人間、自分の理解出来ない存在や自分とは違う意見は否定したくなる。否定されずとも好奇の目を向け、最悪の場合は魔女狩りだ。俺一人がそんな目に遭うのはいいとしてだ、零達までそんな目に遭う必要はないと思い、今回はいつもの方法は使わなかったのだ
「で、でもッ!」
「でももストもあるかよ。とにかく、後の事はお前らに任せる。ついでに盃屋さんが金欠だった理由も一緒に聞いておいてくれ」
「恭!!」
俺は今度こそ零達の側を通り過ぎ、エレベーターで自分の部屋がある八階へ向かった
『きょう、零ちゃん達、泣いてたよ?』
エレベーター内で唐突にお袋がふとこんな事を言い出した
「ああ、泣いてたな」
俺は平静を装い返す
『提案したお母さんが言うのもなんだけど、今回もいつもと同じでよかったんじゃない?』
「相手が普通の人ならいざ知らず、闇華達が拾って来たのは有名人で付き纏ってたのは発信機まで付けるような狂った奴だぞ?仮に逮捕されずに済んだとしてもその後の展開なんて分かるだろ?」
あの手の狂った奴は腹いせに今回の事をネットに書く。んで、誰にも相手にされないなら俺としては万々歳だが、万が一今回の一部始終を動画で撮影されてたらと思うと下手な事は出来なかった
『まぁね。ネットに拡散されて困るのはきょうだけじゃなくて零ちゃん達もだもんね』
「ああ。どうせすぐに収まるとは思うけど、人の噂も七十五日と言う。もしかしたら七十五日じゃ済まない場合だってある」
大抵の噂なんてのは二か月と十五日程度で収まる。そう考えて昔の人は人の噂も七十五日という諺を作ったのだろう。しかし、現代において人の噂も七十五日ではない。世の中の人が飽きたり、噂になった当初はかなりのインパクトがあっても月日が流れ、そのインパクトが薄れたら終わりならともかく、月日が流れ終息はしたものの、表に出てきたらって事もある
『それもそうだけど、でもどうするの~?零ちゃん達、かなり怒ったようにも見えるけど~?』
あの時声を荒げたのは零だけだった。そうしたのは零だけだったって話で闇華達も内心は怒っていたのかもしれない
「そん時は甘んじて説教を受けるさ」
『そっか。でも~、それなら軽く二時間は拘束される覚悟はしといた方がいいかもね~』
「逃げるか」
八階へ着き、エレベーターから降りた俺はそのまま部屋へ向かわず、ゲームコーナーへ足を向けた。
「恭、言いたい事は解かってるわよね?」
「はい、これ以上なく解かっております……」
警察への応対、犯人の引き渡し、玄関の施錠等、諸々の作業が終わらせたであろう零達に捕まり、現在俺はリビングにて正座をさせられ、目の前には仁王立ちの零達と傍らで苦笑いを浮かべる爺さん、操原さん、盃屋さん。慣れとは恐ろしいもので、俺が一人で部屋に戻ると宣言し、ゲームコーナーにいる事など把握されていたようだ
「恭、アタシ達はアンタに拾われた。その事には感謝している。帰る場所、居場所のないアタシ達に居場所をくれたんですもの。それは事ある事に言ってるから今更よね?」
「はい……」
「口では面倒だとか言いつつもいざって時はアタシ達を助けてくれるから怠けたい、ダラダラしたいと言ってもアタシ達はそれを強く咎めないってのも理解してくれているものだと思っているわ」
「はい、皆様が私めにそのような印象を抱いていらっしゃるのはともかくとして、ダメ人間発言を聞いても怒られないのは感謝の極みだと思っております」
「それを踏まえてだけど、さっきのアレは何だったのかしら?」
零の言うさっきのアレとは言うまでもなくナイフを持った変質者に背中を向けた事である
「あ、アレは相手がネット民でしたし、それに、声優の盃屋さんとその事務所の社長である栗原さん、お爺様がご覧になっている場でいつも通りの方法を使ったら大騒ぎになるのではないか?と思い、あのような方法を取らせて頂いた次第です……」
夏の暑さも相まってか汗が止まらない
「ふ~ん。まぁ、アンタの言いたい事も解からなくはないわ」
「じゃ、じゃあ────」
解かってくれたかと安心し、顔を上げようとしたところで零は俺の言葉を遮った
「けど、それとこれとは話は別よ。アンタ、アタシ達がどれだけ心配したのか解かってる?」
彼女の顔は笑顔をだったが、目が笑っていない。それは零だけではなく、他の面々も同じだった。一番驚いたのは普段なら傍観しているだけの蒼と碧も混じっていた事だ
「は、はい、わ、私めに出来る事があるのなら出来る範囲でさせて頂きます……」
自分のした事が招いた結果という事と彼女達に心配を掛けてしまったという負い目から俺は土下座し、出来る範囲でなら何でもすると言うしかない
「ふ~ん、何でも?」
「は、はい、で、出来る範囲でなら……」
「アンタのそれは聞き飽きたわ。いつもいつも自分が何かやらかす毎に出来る範囲でなら何でもするから許してくれって言ってアタシ達が許すと思う?」
零、俺がいつもいつもやらかしているかのように言うのは止めろ。それじゃあ俺に学習能力がないみたいじゃないか
「そ、それではどうしろと……?」
「アンタへの罰は追々伝えるわ。アタシからは以上よ」
零はそれだけ言ってキッチンへ行ってしまった。しかし、俺の説教は終わったわけではなく、闇華、琴音、東城先生、飛鳥、双子、センター長と流れ、説教が終わる頃には夕飯時。補足として説教中に東城先生、琴音、飛鳥が泣いた事と闇華の目に光が灯ってなかった事を言っておこう。ついでに爺さん達は家に泊まってくらしい
時は過ぎ、他の連中は全員、静かに寝息を立てている深夜
「暑くて寝れない……」
俺は暑さで眠れずにいた
『じゃあ、お散歩にでも行く?』
「散歩ってこの時間帯に出歩ったら補導されるだろ」
何時かは知らんけど、高校生が出歩いたら確実に補導される時間帯。そもそもが散歩したくらいで眠れるのなら苦労はしない
『お母さんの実家はそんな事なかったよ~?』
「地域全体が知り合いでどこの家の子か分かるような状態だったからだろ?」
『まぁね~』
「しゃーない、プールにでも行くか」
普段なら星を見に行く俺だが、この季節いくら夜で星が綺麗だったとしても暑いのには変わりない。暑いのが苦手な俺が外へ出るなんてあり得ないのだ
「ほう、夜中なのに運動とは、今までの恭じゃ考えられん変化じゃのう」
いざプールへ! と思い起き上がったところで寝ているはずの爺さんの声がし、声の方を向くと────────
「年寄りは寝てるはずなんだがなぁ……」
ニヤついた爺さんがこちらを見ていた
「そう言うでない。恭、少し話さんか?」
「今更爺さんと話す事なんてないだろ」
「そう言うな。どうじゃ?星でも見ながら」
「まぁ、暑くて寝られなかったから話くらいなら……」
「そうかそうか」
俺と爺さんは零達を起こさないように部屋から出て、駐車場に向かった
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