「ど、どこかでお会いした事ありましたっけ?」
柔らかな笑みを浮かべ俺を恭ちゃんと呼ぶ東城先生。“久しぶり”という事は過去に俺と会った事がある。それも一回や二回じゃなく、何回も。俺はそれを思い出せない
「小さい頃よく一緒に遊んだでしょ? 覚えてない?」
小さい頃よく一緒に遊んだと言われましても俺には覚えがない。
「そうでしたっけ?」
身に覚えがない事をはいそうですね。とは言えなかった
「覚えてない……。そうだよね。小さいって言っても私が小二で恭ちゃんが四歳とか五歳の時だもん。覚えているはずないよね」
東城先生の顔に悲しみの色はなかった。自分の事を覚えてないと言われて悲しくならないのか?と思ったが、四歳とか五歳の事を覚えていろと言う方が無茶だと理解しているからなんだろう
「す、すみません……」
四歳か五歳の時の事なんて覚えてないが、とりあえず謝る事に。東城先生の事は後で親父に聞くとしよう
「ううん、いいよ。あの頃の恭ちゃんはまだ小さかったから覚えてないのも無理はない」
幼い頃の思い出に苦いものはない。小学生から中学生の頃を思い出せと言われたら俺は即答で拒否する。あの頃の思い出には苦い思い出しかない
「そう言っていただけると助かります。ですが、先生が所為俺の幼馴染だとして、今まで会った事すらないのは不思議でならないんですけど」
東城先生が俺の幼馴染だと仮定するのであれば俺はどこかでこの人と会っている。でも、実際は入学式の日が俺にとって東城先生との初対面だ
「それは私が小学生の頃に親の都合で引っ越しをしたから会ってないのも無理はないよ」
引っ越してしまったのなら会ってないのも頷ける。遊んでもらったと言っても四歳か五歳だったら覚えてないのも当然だ
「そうだったんですか……ところで東城先生。貴女は入学式に来ていた人達の事を学校側に報告するんですか?」
家にいる連中はみんな他人には言いずらい事情を持った連中ばかりだ。零にしろ闇華にしろ本人達が乗り越えたと言うのなら他人に話しても構わないだろう。しかし、世の中というのは意外と冷たいもので零達の話に同情してくれる人ばかりじゃない
「言わないよ。恭ちゃんが一人暮らししている事はおじさんから聞いてるけど家なき子や事情を抱えた人達を拾ってるだなんて話誰も信じないだろうからね」
東城先生の言ってる事は正しい。実際にホームレスというのは存在しても自分の目で見ない限りは信じない。あくまでも俺だったらそうだって言うだけで全ての人がそうだとは限らない。まぁ、内田達を家に招くのは遠慮したいがな
「でしょうね。そもそも、俺が一人暮らししているというのは信じても家がデパートの空き店舗だなんて誰も信じないでしょうし」
俺が知り合いから“自分の家はデパートの空き店舗だ”と言われたら信じない。特に店舗全体が自分の家だなんて言われたら尚更な
「うん。それに今日から私も恭ちゃんの家に住む事になってるからね。自分の家の事を簡単には言わないよ」
「そうでし─────え? 今なんて?」
東城先生は今、聞き捨てならない事を言ったよな?え?住む?家に?何で?
「だから、今日から私も恭ちゃんの家に住むって言ってるの。耳悪くなった?」
「俺の耳は正常です。ただ自分の担任から信じられない言葉を聞いたら聞き返すでしょ?」
昔一緒に遊んだ事だって信じられない。だというのに一緒に住むだなんて信じられるわけがない
「確かに私は担任だけどそれ以前に昔馴染みなんだよ?」
何その『教師と生徒である前に女と男でしょ?』みたいな顔は? 俺にとっては全く! これっぽちも! 理解出来ないからね?
「昔馴染みと言われても俺には覚えがありませんし、一緒に住むって言われても先生は俺ん家の場所しらないでしょ」
学校側に提出する書類があるとして、そこに何を記載するかは全く分からない。少なくとも一人暮らししている場所の住所なんて記載しないとは思う
「うん。知らない。恭ちゃんの家から学校に提出してもらった書類には実家の住所と緊急連絡先、おじさんの職業や家族構成は書いてあっても恭ちゃんが一人暮らししている場所の住所までは書いてなかったから」
俺の一人暮らししていいる場所の正確な住所を知らないクセによく家に転がり込もうだなんて思ったな。オイ
「は、はあ、そんなんでよく家に住むだなんて言えましたね」
東城先生は家の場所を知らない。仮に知っていたとしても家の中に入れるわけがない。つまり、東城先生にとってこれは詰みなのだ
「うん。お父さんがおじさんから恭ちゃんが一人暮らししたって話を聞いただけで正確な住所までは聞かなかったらしいから。それに、お父さんからは早く家を出ろって言われてたから許可は貰ってるし、おじさんも二つ返事でOKくれた。詳しい住所は恭から聞けってメッセージ付きで」
お、親父の野郎……俺に一人暮らしさせる気ねーのか?
「あの野郎……当事者である俺を差し置いて勝手に話を進めやがって……!」
親父のヤツは次会った時にでもシバき倒す!!
「と言うわけで今日からよろしくね? 恭ちゃん」
ニッコリと笑顔でこちらを見る東城先生を拒否する事など出来るはずもなく俺は受け入れるしかなかった。さて、東城先生の荷物の件と一緒に住む話。この二つを零達に何て説明したものやら……
東城先生を受け入れてから五分後─────。
「今からだったら二時間目の授業に間に合いますよね?」
俺の話というのは東城先生を始めとする学校側が俺の私生活の現状についてどの程度把握しているかの確認だった。その確認が終わった以上は東城先生と二人きりでいる意味なんてない
「今から行くと途中参加は出来るよ?でも、恭ちゃんは二時間目にも三時間目にも参加しません」
東城先生が何を言ってるのか分かりません
「何言ってんですか?俺の用事は先生を始めとする学校側に確認する事だったんで用事は済んだんですけど?」
「恭ちゃんの用事は済んでるかもしれないけど、私の用事はまだ済んでない。それに、一応言っておくけど、恭ちゃんは国語だけじゃなくて数学と英語も内田君達と一緒だから根掘り葉掘り聞かれると思うよ?」
国語の授業前と授業後にギャル二人組と内田達は入学式の日の事を聞こうとしていた。その時の俺は国語だけだったら逃げ切れると思っていたのだが、数学、英語と同じなら逃げきれない。そんな現実俺は信じないけどな!
「嘘ですよね? 東城先生なりのジョークですよね?」
出来ればジョークと言ってくれ! 先生なりのお茶目だと! 頼むからそう言ってくれ!
「嘘じゃないよ。信じられないなら自分の目で確かめてみてよ」
東城先生が胸のポケットから取り出したのは三つ折りにされた一枚の紙
「何ですか? その紙?」
「国語、数学、英語の振り分け名簿」
振り分け名簿を三つ折りにして胸ポケットに入れている意味が全く理解出来ない。そういうのって普通は教師が持っている日誌みたいなものに入れとくんじゃないのか?
「何でそんなモンを三つ折りにして胸ポケットに入れてるのかは知りませんが、見せてもらっていいですか?」
「うん」
東城先生から名簿を受け取り、俺は自分の名前と内田という名前を探す。まずは英語からだ
「英語は……俺は中級か。で、内田は……」
中級の欄から自分の名前を見つけ出した俺は次に内田の名前を探す。出来れば上級か初級にいてほしいものだ。だが……
「う、内田も俺と同じ教室……マジか……」
上級か初級にいてほしいと思った俺の願いは簡単に打ち砕かれた。英語に関して言えば内田は俺と同じ中級だった
「だ、大丈夫? 恭ちゃん?」
「だ、大丈夫です! それより、次は数学……」
国語は内田と同じ教室だったから諦めた。英語は内田と別々だと信じていたのに簡単にその希望は打ち砕かれた。残る希望を数学に託し、俺は英語の時同様に上級、中級、初級から自分の名前を探す
「数学も英語と同じ中級……それはどうでもいいとして、内田は? 内田はどこだ!?」
内田と一緒の教室じゃなかったら初級だろうが中級だろうが上級だろうが構わない。問題は内田と同じ教室か否かだ
「内田……内田……」
初級に内田の名前はない。上級に内田の名前がある事を祈り、俺は上級の方に目を向けた
「内田……内田……」
上級にも内田の名前はなかった。クソッ! 内田の奴! 英語がダメならせめて数学くらいトップかビリになってろよ! 内田に理不尽な八つ当たりをしながら俺は中級の方へ目を向ける
「マジか……」
内田の名前を中級から見つけ出した俺は面倒な事になる予感しかしなかった。だってそうだろう?別に内田の事は嫌いじゃない。絡まれたら面倒だとは思うけどな
「恭ちゃんは内田君とクラス以外は全部同じだよ」
東城先生?追い打ちを掛けるように現実を突きつけないでくれませんかね?
「それは今知りましたよ。はぁ……」
面倒な事になると思うと溜息しか出ない。嫌いじゃないけど積極的に絡みに行こうとも思わない
「まぁまぁ、そんなに落ち込まないで。ね?恭ちゃん。私が癒してあげるから」
そう言うと東城先生は着ていたワイシャツのボタンを外し始める。何してんの!?
「何してんですか!?」
「何って恭ちゃんを癒す準備だけど?」
「いやいや、俺を癒すのに何で服を脱ぐ!?」
俺を癒すのなんて服着たままでも大丈夫だろ!? 服を脱ぐ意味!
「恭ちゃんを癒すときは服を脱がないとダメだっておじさんが言ってたから」
親父のヤツは後でシバき倒すと言った。それに嘘はない。シバき倒すのは後だ。今から迷惑を掛けてやるから覚悟しろよ……親父ィィィィィィィィィィィ!!
「俺を癒すのは服着たままで大丈夫です。それより、ちょっと電話しますので待っててください。東城先生」
「嫌」
先生の前で自分の親に電話するのはどうかと思うが、こうやってちゃんと許可を……ん? 今なんて?
「東城先生? 今なんと?」
「嫌って言ったよ。恭ちゃん。“東城先生”だなんてそんな余所余所しい呼び方で呼ばないで。二人きりの時は昔みたいに“藍ちゃん”って呼んで」
内田の前にまずは頬を膨らませた東城先生を何とかするところから始まるみたいだ
「呼ぶのは構わないんですけど、ここ学校ですよ?」
琴音を姉、母ーズをお母さんと呼んだ俺にとっては東城先生を下の名前でちゃん付けなんて軽い。ここが学校じゃない限りは
「いいよ。今は二人きりなんだし。後、二人きりの時は敬語もナシね」
何か注文増えたー! 下の名前で呼ぶだけじゃダメなのかよ!
「注文増えてないでしょうか?下の名前で呼ぶだけで勘弁してもらえませんかね?」
「ダメ。私の事は藍ちゃんって呼んで敬語もナシ。これだけは譲れない」
東城先生は思ってたよりも頑固のようだ。仕方ないか……
「わかったよ、藍ちゃん。電話するからちょっと待っててくれないか?」
「うん。分かった」
電話をするから待っててくれないかとは言ってもこの部屋から出るわけにはいかず、俺は東城先生の見ている前で親父に電話する事になった。
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