学校の保健室で異性と二人きり。人によってはなかなかにグッとくるシチュエーションだと思う。相手が同級生でも教師でも薬品の独特な匂いが鼻につくが、異性と二人ってシチュエーションの前には些細な事なのだが……
「ハァハァ、ご主人様……愛してます……」
どうして俺はベッドに括り付けられた挙句、恍惚の表情で息が荒い想子に迫られているのだろう? 説明口調なのは自覚しているが、させてくれ。俺のメンタルの為に
「ヨダレ垂れてんぞ」
「そんなのどうでもいいじゃないですか……」
「よくはないだろ……」
一人の大人としてはしたない。赤ん坊じゃないんだからヨダレくらい拭け。今だけは早織と神矢想花が愛おしい。いたらワンチャン助けてくれそうだしな
「いいんですよ。ご主人様を私のヨダレ塗れにするんですから」
何を言っているのか全く理解できん。純粋に汚ねぇよ。なんて口が裂けても言えないんだよなぁ……俺動けねぇし
「ヨダレ塗れは勘弁してくれ。キスマークくらいなら付けていいからよ」
「いいんですか!?」
「ああ、いいよ。ヨダレ塗れになるよりかはマシだ」
夢を壊して悪いが、キスマークなんて所詮は吸引性皮下出血。下手したら内出血を起して痣になって変色する可能性があるのだが、ヨダレ塗れになるよりは遥かにマシだ。何もなければ四日から一週間程度で治るんだからな
「本当にいいんですか?」
「いいって」
「じゃ、じゃあ、遠慮なく……」
そう言って想子は俺の首元に顔を埋めた。その間、俺はここに至るまでの経緯を思い出していた
ここに来て少しした頃────
「何でここに連れて来たんだ?」
俺が灰賀女学院に連れて来られた理由は単純にこの学校が想子の職場だからだろう。しかし、彼女と一緒にいるだけなら職員室で事足りる。今は文化祭準備期間だから授業はない。文化祭準備中に教師がどんな仕事をするかは知らん。ただ、保健室に連れ込まれる意味は全く理解できん
「何でってご主人様と愛し合うために決まってるじゃないですか」
「仕事中だろ」
「そうですよ。今日の仕事はご主人様と思い切りイチャイチャする事です」
「マジで何言ってんだ」
「何って事実です!」
想子は当たり前みたいな顔をしてるが、マジで何を言ってるか全く理解できない。だって、教師が異性と────それも生徒とイチャイチャするのが仕事だなんて聞いた事ないんだもん
「事実って言われても困るんだが……とりあえず、順を追って説明してくれ」
「ご主人様のお婆様にイチャイチャしてこいって言われました!」
「OK、理解した」
順を追って説明しろって言ったはずなんだが婆さんで全て把握した。大方面白半分で俺とイチャつくのを仕事にしたって感じだろ。じゃなかったら異性とイチャつくのを仕事にするわけがない
「理解が早くて助かります!」
「婆さん出されたら嫌でも理解できる」
と、ここまではいつものやり取り。悲しいかな祖父母の存在を出されると嫌でもある程度の事が納得できてしまう自分がいる。想子の説明は雑過ぎたと思う。だが、俺にはそれで十分だ。早い話がこの学校で一番偉い立場にいる婆さんが彼女に自分の番が回って来たら連れ込んでいいから俺とイチャつけって命を出した。シンプルにまとめるとこんなところだろう。面倒過ぎて怒る気も失せる
「なら話は早いですね。ご主人様、ベッドへどうぞ」
そうだ、ここからちょっと雲行きが怪しくなってきたんだった……
「イチャつくんじゃなかったのか?」
「ええ、これからご主人様と存分に愛し合いますよ。ですが、その前に疲れを癒してからでも遅くはないでしょ?」
疲れを癒すって……俺はまだ騒動に巻き込まれてないんだが……むしろほんの一時間くらい前まで寝てたから眠くないまである
「俺は別に疲れてないんだが……」
「そうでしょうか? ほんの一時間くらい前まで寝ていたとはいえ、取り切れてない疲れがあると私は思いますよ?」
「そうかもしれないけどよ……今のところ疲労感を感じてないぞ」
「それはご主人様がまだ騒動に巻き込まれてないからです! 心は疲れ切ってるはずなんです!」
両手で拳を握り力説する想子。言われてみればそうかもしれない。身体は疲れてなくても心は疲れているのかもしれないな……このまま押し問答してても仕方ない。彼女の言う事に従っておくか
「そうかもな。んじゃ、遠慮なく寝かせてもらう」
「はい!」
俺は言われた通りベッドへ横になり、目を閉じた。一瞬想子がニヤリと笑ったように見えたのは気のせいだろうか?
「おやすみなさい。ご主人様」
最後に見た彼女の表情は心なしか艶やかに見えた
現在────
「ご主人様ぁ……愛してますぅ~」
キスマークを付け終えただろう想子が俺の首元に顔を埋め、甘えまくってきていた。何がビックリって目を覚ましたらベッドに括り付けられていた事だよ。ついでに、彼女のこの変わり様
「人間変われば変わるものだなぁ……」
初めて会った時とは大違いだ。明らかに俺を敵視していた奴が今じゃ自分をご主人様と呼び甘えてくるだなんて誰が想像できただろうか?
「ご主人様~ずっとお側にいさせてくださいね」
俺は自分に害がない限り誰が側にいようとどうでもいい。言う事じゃないから黙っておくか
「好きにしろ」
「はい」
闇華のヤンデレが移った。零達がヤンデレになった時に強く思うが、実は違うのかもしれない。元々彼女達は依存心が強いタイプの人間で様々な要因があってそれを表に出せなく……いや、出さなくなっただけで本質的な部分を見ると全員ヤンデレだったのかもしれない。甘えてくる想子を見て人の本質について考えさせられるとは思わなかったぞ……
あれからしばらくして俺は晴れて自由の身となった。何を思ったか何も言わずとも彼女の方から手錠を外してくれるとは……どういう心境の変化だ?
「俺の拘束解いてよかったのか?」
「ええ。ご主人様は逃げないと確信しましたので」
「元から逃げるつもりなんてないんだがなぁ……」
逃げるなら監禁された時点でそうしてる。ニート寄りの考えだが、必要な時にしか外へ出ない人間に監禁する意味はない。逃げるって選択がないんだから。俺みたいな人間を監禁したところで無駄なのだ
「そうだとしても私は……私達は不安なんです。ご主人様が本当は逃げるんじゃないかって」
「あのなぁ……」
薄っすらと目に涙を溜める想子に俺は溜息を一つ漏らした後、彼女の頭に手を置いた
「ふぇ!?」
目を丸くしてこちらを見る想子はちょっと可愛い。年上の女性に何言ってんだって話だけどな
「俺は基本的に必要な時以外は外へ出たくない人間なんだ。監禁する意味はねぇよ」
「で、でも……」
「でももストもない。外へ出たくない上に怠けものだ。尽くされたいとは言わねぇが、自分の身の回りの世話をほぼ全部やってくれる人がいるなら遠慮なく甘えるに決まってるだろ」
俺は彼女の頭を優しく撫でる。我ながらダメな発言だと自覚している。だが、灰賀恭という人間はダメ人間。夏は暑いから外へ出たくないし、秋は昼夜の寒暖差が激しいから外へ出たくない。冬は寒いから外へ出たくないし、春は昼夜の寒暖差が激しい上に花粉が飛んでるから外へ出たくない。年がら年中外へ出たくないダメ人間なんだ
「ご主人様……」
「騒動に直面した時に効率重視で単独行動する事は多い。お前達を不安にさせて申し訳ないと思ってる。だが、俺は必要な時以外は外へ出たくない人間なんだ。だから、想子達の側からいなくなったりしねぇ。以上だ」
絶対にとは言わなかった。絶対を付けると裏切った時に面倒だからだ。形はどうあれ人は裏切る生き物だ。絶対に~なんて言う奴ほど信用ならない。この世に絶対などないんだからな
「絶対にとは言わないんですね」
「ああ。裏切った時に面倒だからな」
「ご主人様はズルいです」
「悪かったな。俺はダメ人間だが、ずる賢くもあるんだよ」
出会ったばかりの想子と対峙した時がそうだ。俺は屁理屈で彼女に対抗した。黙らせたのは霊圧使ったんだけどな。大人は自分の言ってる事が正論だと陶酔する節がある。子供が対抗するには屁理屈をぶつけるしかなく、屁理屈は屁理屈でも限りなく正論に近しいものじゃなきゃならない。大人から見ると俺は面倒なクソガキなんだと思う
「そうですね。でも、私はその屁理屈のおかげで本当の自分を取り戻せたんです。感謝してもしきれません」
そう言って柔和な笑みを浮かべる想子だが、俺は彼女を救った覚えはない。星野川高校から追い出しただけだ。変わったのは想子自身が自分と向き合えたからだと思う
「俺は何もしてない。想子が自分と向き合った結果だ」
「いいえ、これはご主人様のおかげです」
「そうかい」
「そうです」
俺に人を変える力があるとは到底思えない。自分自身すごい人間だと思ってないからな。俺がいたから変われたと思ってるなら甚だしい。最終的に変わるのは自分自身。今の自分がダメだと思うのなら変化を望み、満足しているなら停滞する。結局自分がどうあるべきか、どうするべきかを決めるのは自分自身なのだ
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました
読み終わったら、ポイントを付けましょう!