談話室で神矢想子と感動のかの字もない再会を果たした俺、灰賀恭は現在────
「ご主人様♪ご主人様♪」
彼女の部屋に連れ込まれ、下着姿の神矢想子に抱き着かれている真っ最中だ。事の経緯は非常に単純で呼び方や接し方が変わった理由について話を聞き、ずっと側にいる宣言を受けた後、『お部屋行こ?』と上目遣いで懇願され、最初は断ったのだが、断り続けた結果『想子の事嫌いなんだ……』という泣き落としに敗北したからだ。部屋に着いたら着いたで衣服を脱ぎだし……今に至る。一つ言えるのは上下黒の下着って素晴らしいっつー事だけだ
「あの堅物はいずこへ……」
飛鳥の一件を最後に女学院へ移り、以降全く顔を合わせておらず、零や闇華から神矢想子に関する話を全く聞いてなかった俺はこの変わり様にゲンナリしている。話を聞く限りじゃ彼女も零、闇華と同じように本質は寂しがり屋。元生徒や両親が離れて行った事で堅物キャラという仮面が剥がれたに過ぎないみたいだ。
「これが本来の想子なんです! 本能の赴くままに誰かに甘えたいんです!」
頬をリスのように膨らませ、こちらを見上げる神矢想子の姿を出会った当初の俺が見たら間違いなく嘘だと否定するに違いない。なんて事を考えながら無言で頭を撫でた。人はよくも悪くも変わる生き物だから変わったのは否定しない。当面の問題は……
『きょ~う~?お母さんも甘えさせてくれるんだよね~?ね~?』
『恭様?想子に変な事したら殺すわ。想子を』
笑顔という名のお面を瞬間接着剤で張り付けたんじゃねーか?ってくらい笑顔だが、目は全く笑っておらず、ドスの利いた声で願望と物騒な事を口にしている早織と神矢想花だ。ラブコメのハーレム主人公はよくもまぁ、胃が痛くなる状況で苦笑混じりに落ち着けとヒロイン達を宥めようと奮闘できたものだ。俺なら絶対に無理。面倒になって逃げ出す。現に逃げ出したい
「どうしていつもいつもこうなるんだよ……」
零、闇華までは手放しで受け入れられたさ。零と闇華は過去が過去だ。今まで出来なかった分、思い切り甘えさせてやろうって父性にも似た感情を抱いた。他は……ガキの頃に経験済みだから別に嬉しくはなかった。しゃあねぇなぁ……って思って諦めた
「それはご主人様がお優しいからでは?想子の事も受け入れてくれましたし」
柔和な笑みを浮かべる神矢想子だが、勘違いしてる点が一点。俺は優しいわけじゃない。優しいから受け入れたのではなく、経験上、女を泣かせたら直面している問題以上の面倒事が圧し掛かってくると知っているからそうしてるだけ。泣いてる女を慰めたり甘やかすのも時と場合によるんだけどな。自業自得だったり本性が外道極まりない奴は泣いてても放置するし。これは男女関係なくだ
「受け入れたっつーか……その……何だ?アンタは過去の事をキッチリ清算したみてぇだから邪険に扱う理由も拒絶する理由もなくなったってだけだ」
飛鳥に謝ったかどうかは知らん。子供じゃねぇんだから俺が一々謝ったのか?と聞かなくてもいいだろ。飛鳥も被害者の一人だと思うなら謝ればいいし、被害者じゃないってなら謝らなくていい。結局謝罪の有無は神矢想花の裁量次第だ。俺は彼女から視線をずらし、頬を掻く。敵対してた過去があるとはいえ、下着姿の年上女性から上目遣いで見つめられると恥ずかしい
「ご主人様……」
「とりあえずそのご主人様っての止めない?俺が女にヤバい趣味押し付けてる危ない奴だって誤解されそうだしよ」
ここは神矢想子の部屋で見てる奴はいないから問題ない。だが、同級生や他の教師に聞かれたらどうだろう?俺は教師を脅して自分をご主人様と呼ばせる危ない奴だと認識されかねない。二人きりのうちに止めさせておいて困ることはないだろう
『きょうが望むならお母さんもご主人様って呼んであげようか~?』
『私もお望みならそう呼ぶわよ?』
前言撤回。見てる奴いたわ。幽霊二人がバッチリ見てたわ。頼むから止めてくれよ?俺は女を服従させて喜ぶ趣味ねぇから
「え~! でもでも! 暦さんが“恭は年上の女性に自分をご主人様って呼ばせる趣味あるからそうしてやりな”って言ってましたよ?」
あのクソババアは後でシバくか
「俺にンな趣味ねぇから。つか、談話室で話聞いてた時から思ってたが、随分婆さんと親しい間柄みたいだな」
談話室でコイツと話していた時も電話で婆さんと話してた時も思ったが、彼女達の関係を一教師と理事長のじゃないような気がする。俺の性癖に関するデタラメ然り、互いの呼び方然り。二人の関係は例えるならそうだな……親子────あるいは近所の親しい婆さんと娘。とにかく、一般的な表現で表わせられるようなものじゃない……と思う。
「当たり前じゃないですか! 暦さんは私の教育係だったんですから!」
「きょ、教育係?」
教育係。俺はこの意味がよく解からず聞き返した。言葉の意味をじゃない。神矢想子は教師としての年数なら星野川高校に勤務しているどの教師よりも上。飛鳥の一件も教師歴を盾に藍達を黙らせたらしいしな。でだ、教師歴が長い彼女に今更教育係が必要かと言われてば答えは否だと思う。授業のノウハウは教える学校が違っても長年培ってきた自分なりのスタンスがあるだろうし、生徒の指導も……問題ないはず。彼女に教育係が付く意味。しかも、婆さんは学校のトップ。理事長としての仕事もありそうなのに一人の教師を教育している暇があるのか?
「はい。私を灰賀女学院へ移したご主人様なら分かっていると思いますが、想子は教師歴だけなら星野川高校に勤務しているどの教師よりも長かったです」
「それは知ってるよ。それを盾にして東城先生達を黙らせてたって話も聞いてる」
「わ、忘れてくださいぃぃ~」
神矢想子にとって星野川高校でしてた事は黒歴史に該当するのだろう。顔を真っ赤にして俯いてしまった。あるよね?思い出して恥ずかしくなる事。解かる解かる。誰にだって黒歴史の一つや二つあるから解かるんだけどよ……
「忘れるから俺の胸に顔埋めてグリグリすんの止めて?」
「嫌ですぅぅぅ~」
下着姿の女性が自分の胸に顔を埋め、あまつさえグリグリするのは男としてこう……ね?理性的に危ないというか……そそるものがあるんですよ?俺が紳士じゃなかったら今頃どうなってる事やら……
『きょ~う~?お母さんが生前同じ事しても無反応だったのに想子ちゃんの時だけ若干顔を赤くする理由を聞こうか~?ん~?ねぇ~?』
『恭様?妹に手を出したら殺すわよ?』
幽霊二人が鬼の形相で俺を睨む。怒りが笑顔って仮面の中に納まりきらなくなったようだ。早織さん?最初はかなり動揺した記憶があるんですけど?想花さんはサラッと自分と神矢想子が姉妹だってカミングアウトしましたよね?ってか、突っ込みが追い付かなくなりそうなんで黙っててくれると灰賀恭的には非常に嬉しいわけなのですが……
『『無理』』
ですよね。知ってた。この二人を黙らせるのは生身で戦車と戦う並みに難しい。俺分かってた。分かってて敢えて言ってみた部分あるよ?
「とりあえず話を進めるぞ。東城先生よりも教師歴が長いアンタにどうして教育係なんて付いたんだ?星野川高校を去る前に俺が聞いた話だと授業をする時に見張りとして同僚の教師が二人程付くって話だったと記憶している」
婆さんから聞いた話だと彼女が灰賀女学院に着任して最初にする事は過去の清算。授業はどうしたか分からん。清算させるとは言ってたが、一日中それだけをするのは……あり得たかもしれないから困る。何しろコイツが迷惑を掛けた生徒ってのが一人や二人じゃなく、優に百を超えてた。迷惑に大きいも小さいもないんだろうけど、一人一人に頭を下げて回るとなると……何か月────いや、何年掛かるのやら……と、神矢想子の業務内容はどうでもいいとして、今は教育係が付いた理由だ
「想子も最初そう思っておりました。ですが、実際は違いました……」
「違ったって何がどう違ったんだ?」
婆さんの事だから嘘は吐かない……と思いたい。少なくとも真面目な場面で嘘を吐くような人間ではない事は保証しよう。
「最初は授業をする際、同僚二人に見張られるような形かと思っていたのですが……実際は暦さんと常に行動を共にしておりました」
うん、意味が分からない。教師って言うよりも付き人とか秘書に近い扱いじゃん
「教師っつーよりも付き人か秘書だろ。それ」
普通の職場なら例え人数が少なかったとしても新人教育に会社のトップが出てくるか?と聞かれれば多分答えは否だ。小企業だったとしても会社のトップにも彼らにしかできない仕事があり、新人教育は下の者あるいは現場の者に任せているっていう会社が多い。で、神矢想子の場合は婆さん────つまり、会社のトップが自ら新人教育をしているわけで……ガキの頃に爺さんの会社にちょくちょく行き、新人教育の場面もたま~に見かけてた俺からするとあり得ないわけで……。何がどうなってたの?
「あ、あはは……そう言われても仕方ないですよね……」
苦笑を浮かべながら肩を落とす神矢想子。コイツは婆さんからどんな扱い受けたんだ?キャラの変わり様といい、常に側に置いとく奇行といい、わけが分からない。え?秘書的な人いなかったっけ?
「仕方ないっつーか、聞く人が聞いたら付き人か秘書としか思わねぇぞ?」
「違います! 想子はちゃんと授業もしてました!」
「さいですか。んで?婆さんと常に行動を共にしてた話や教育係だったって話はもういい。何をどうしたら婆さんと親しい間柄になるんだよ?」
いくら教育係だったとしても互いを下の名前で呼び合うまでの仲にはならんだろ。同姓の人間が複数いたとかなら苗字で呼ぶと被るから仕方なしに名前で呼ぶんだろうけど
「それは簡単です。私が両親に見捨てられ、絶望の淵に立っていた時に暦さんが“これからはあたしを実の母親だと思って甘えな”って言ってくださったんです」
「なるほど、理解した」
あの婆さんが凛々しい顔して絶望の淵に立った神矢想子に手を差し伸べてる姿が容易に想像できる。彼女の一言で二人が親しい間柄になるまでの軌跡が手に取るように分かってしまう俺がいる
「ええ!? い、今ので理解したんですか!?」
「まぁな。あの婆さんなら凛々しい顔で絶望の淵に立たされた人間を平気で救い上げる。その婆さんに寂しい寂しいと泣いてるとこ見つかってみろ。ぜってぇに孫の俺なら思いっきり甘えさせてくれるし見捨てもしないとか言うに決まってる」
婆さんの性格を最初に考慮し、神矢想子が変わり果てた理由を考えるべきだったと今になって後悔。我が祖母の性格上、絶望の淵に立った人間を見捨てない。んで、職業上なのか単に面倒なだけなのかは知らんけど、寂しがり屋や人の愛に飢えた人間を俺のところへ差し向けるだなんてガキの頃からずっとじゃないか……。それをすっかり忘れてた
「ご主人様は暦さんの事なら何でもお見通しなんですね」
「アレでも祖母だからな」
『羨ましいな……』と小声で呟いた神矢想子は俺を抱きしめる力を強めた。堅物キャラだった彼女がこうも変貌を遂げてしまうとは……。いや、変わったというよりかは本来の神矢想子に戻ったと言った方がいいのか?
「ご主人様……想子はずっとご主人様を愛しております……」
星野川高校にいた時は無能だなんだとボロクソ言ってきた神矢想子の口からまさかの愛してる宣言。どう転んだらこうなるのやら……俺は溜息を吐き、彼女を抱き返した。平穏とは言えないまでもこの平和な時間が少しでも長く続くのを祈りながら
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