「はぁ……」
「どうしたの?溜息なんて吐いて」
目が覚め、身体を起こそうとした絶妙なタイミングで二人分の飲み物を持った由香が医師を連れて来た。んで、俺は軽い診察を受け、特に異常が見られないという事で部屋に戻っていいという許可を得た後、パーカーを羽織らされた。で、現在、由香と二人で部屋に戻る道中。溜息が止まらなかった。
「何でもねーよ」
心配そうにこちらを見る由香に俺はいつも通りに返す。とは言ったものの、内心じゃ妙な夢を見たせいで由香に対しての少々不信感があり、彼女の顔をまともに見れない
「何でもないなら溜息ばかり吐かないよ。何かあったならお義姉ちゃんに相談してみなさい」
義姉か……。同じ歳で離れて暮らしていたから忘れてたけど、コイツは義理の姉だ。その事実がさらに俺の悩みを増やす。もう一人の俺が言っていた『アイツがお袋の形見をお前から奪い取ったっていう過去は消えねぇ』という言葉が頭から離れずグルグルと回る。過去が消えないのなんて分かりきっている事じゃないか……
「何でもねぇよ」
由香が家に住むだなんて言い出したからあんな妙な夢を見たのか、それとも、由香や瀧口以外の同じ中学だった奴に再会するという啓示なのか……前者は親父と夏希さんの許可を得ればいい話だが、後者は是非とも避けたい話だ
「本当にそう?何か悩んでる事ない?」
「ねーよ。慣れない事してちょっと疲れただけだ」
「外で遊ぶのが慣れない事って……恭、どんだけひ弱なの?」
呆れた様子の由香がジト目を向けてくる。自分でもこの言い訳はないとは思う。夢の事がバレるよりはマシだけど
「うっせ、俺は星野川高校に入学してなきゃ今頃部屋に引きこもってたんだよ。そんな俺が外で遊ぶのを慣れてるわけねーだろ」
実際問題中学時代の俺は必要な時以外は勉強もせず部屋でゲーム三昧だった。時たま学校に登校しもしてたが、必要な書類を取りに行くだけで授業なんて受けなかった。当然、各教科担当からワークを持って来いと言われても次の日には家にいるから言いつけを守れるわけがない
「…………そう…………だったんだ…………」
今のは笑うか呆れる。あるいは説教の一つでもするところだというのに由香は悲しそうに目を伏せた。俺が不登校になったのを気にしているのか?
「そうだよ。まぁ、俺本人としては別に引きこもりでもいいと思ってっけどな」
引きこもっていたって勉強は出来る。昔は学校に行って勉強するのが当たり前だったかもしれない。でも今は学習塾や動画での学習だって可能だ。学校に行って勉強するだけが全てじゃない
「恭はそれでいいと思ってるの?」
先程の表情とは打って変わり、今度の表情は真剣そのもの。悲しそうにしたり真剣になったりと忙しい奴だ
「それでいいと思ってるから言ったんだよ。つか、ずっと気になってたけど零達はどうした?」
親の脛を齧って生きるつもりも引きこもりになったのを誰かのせいにして生きるつもりもない。だが、なってしまったものは仕方なく、そうなった俺を見て周囲の人間が嘆いたとするならそれは嘆いた人間は自分の無力を自覚していない証拠でしかない。そんな事よりも零達だ。目が覚めて真っ先に飛び込んできそうな零達がおらず、いたのは由香一人だけ。どうなってんだ?
「零ちゃん達の事についてはあたしの質問に答えてから教えてあげる」
「質問?」
「恭は引きこもりになってもいいって本気で思っているの?って質問」
由香から出た質問は家での俺を知らない奴だからこそ出てきたもの。もちろん、この家というのは今暮らしている場所だけじゃなく、実家も含めてだ
「さっきも言っただろ。俺はそれでもいいって思ってる。人間関係なんて煩わしいだけだからな」
人間関係で一番煩わしいのは力関係だ。先輩と後輩と言った上下関係において上の者の方が力が上なのは当然だが、同級生同士での力関係ってのは煩わしい。プライドが異様に高いというわけじゃないけど、いつも他人の上に立とうとする同世代の奴に対し、俺はこう思う。お前は俺を従える器ではないと。しかし、本人は俺を……いや、他者を従える器ではないって事を自覚していない場合が多く、傍から見れば滑稽な姿でしかなく、見ていて可哀想だ。
「恭……」
「お前の質問には答えた。零達がどうしているか教えてもらおうか」
これ以上彼女に喋らすと友達がどうのとかの精神論を持ってきそうだと判断した俺は話題を切り替える。
「今日はあたしの日って言ったでしょ。零ちゃん達は部屋に戻ってるよ」
由香はその後で『恭が倒れた時はかなり心配してたけどね』と付け加えた
「そうかい。ったく、俺は動物園にいる動物かよ……」
担当を決められると自分が飼育動物か幼い子供かと思わされる。まだ親の支援が必要な部分があるとはいえ俺だって半分大人だ。担当とか言われるとさすがに凹む
「今の恭は似たようなものでしょ。誰かが付いてないと自分を、他人をぞんざいに扱うんだから」
他人の扱いに関しては返す言葉もないけど自分の扱いに関しては違うんだよなぁ……。というか、ぞんざいに扱っていると思われるのはいいとして、それと動物との因果関係が分からない
「動物との因果関係が全く見えないんだが……」
「うるさい」
「へいへい、すみませんねぇ」
俺と由香の会話はここで終わった。由香は何かを言いたそうにして俺の方を見てきていたが、当の俺はそれをあえて無視。『言いたい事でもあるのか?』と助け船を出してしまうと余計な事を言いかねない。旅行に来てまで喧嘩する必要もないだろ
部屋へ戻ると出入口で待ち構えていた零達に捕獲され、俺は抵抗する間もなくベッドへと寝かされた。その後なぜか彼女達は部屋を出てどこかへ行ってしまい、再び由香と二人きりに
「「…………」」
ここへ戻ってくる道中、喧嘩にはならないも寸前までいってしまったせいか、二人きりとなった今、互いに無言。俺はただ天井を見上げ、由香はスマホを弄る。話題がないのも相まってか気まずい空気が流れた
「暇だな……」
特にする事もなくベッドに寝ているだけというのは暇というのは入院生活でも感じ、初めての経験ではないものの、やる事がないというのは時として苦痛でしかない
「そんなに暇ならあたしの話し相手になってよ」
先程からずっとスマホを弄り続けていた由香が画面から目を離す事なく言う
「話し相手になれって今更何を話すんだよ?」
戻ってくる道中で話ならたくさんしたのに今この状態になって話す事などない。それは由香も同じはずだ
「何って中学時代の思い出とか」
「中学時代の楽しい思い出がない。ウザかったエピソードならあるけどな」
俺に中学時代の楽しかったエピソードを語らせると五分としないで終わるぞ
「…………ごめん」
「謝るくらいなら最初から中学時代に触れるな。お互いにいい思いしないだろ」
由香の為に中学時代の事は触れないでおこうと思ってたのに何でコイツは自ら地雷踏みに行くかねぇ……
「そ、そうだね……、あたしは恭を虐めてばかりだったし……」
由香、あたしはじゃなくてあたしのクラスはだ
「そうだな」
事実なので慰める事はせず、俺は彼女の言葉を肯定。
「ごめん……」
由香が自ら踏んだ地雷のせいで気まずかったのが更に気まずくなった
「謝るくらいならしなきゃよかっただろ。それより、お前が家に住むって事を親父と夏希さんは知ってんのか?」
海に行った時、由香は家に住むと宣言してきた。理由は親父と夏希さんのイチャつきを見るのが辛いから。家主の俺としては何もかもが寝耳に水。住む分には構わないのだが、肝心の親父達が同居を許しているのかを聞いてない
「知ってるよ。旅行に来る前にお母さん達に許可貰ったからね」
行動が早い事で
「行動早くね?」
「そりゃ、一刻も早くあのバカ夫婦から離れたかったからね。これくらいするよ」
哀愁漂う由香の顔を見て親父達のイチャつきようはそんなに酷いのかと思ってしまう。親父の方は何となくイメージつくけど、夏希さんの方はどうにもイメージがつかない
「どんだけ離れたいんだよ……。親父は何となく想像出来るけどよ、夏希さんの方は全く想像出来ないぞ……」
「そう言うと思って動画あるけど?見る?」
動画あんのかよ……
「年齢制限に引っかからないなら見てみたい気もしなくはない」
本音を言うのなら高校生にもなって親がイチャついてるところなんて見たくない。見たくないとは思っても好奇心には勝てない運命らしい
「大丈夫だよ。キスしているところと愛を囁き合ってるところしか撮ってないから」
何が大丈夫なんだ?
「大丈夫な要素一個もねーよ」
自分の親……というか、オッサンとオバサンがキスしたり愛を囁き合っている動画を見る。未だかつてこれほどの苦行はない。今度は別の意味で倒れそうだ
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