渋滞を抜け、景色はオフィス街のビル群から閑静な住宅街へと変わり、時刻は十一時十五分。俺達はやっとの思いで茜の住むアパートへと到着した。人気声優だからオートロックがあるマンションに住んでるのかと思っていた俺だが、意外や意外、外観が少しオシャレなアパートだった。それはいいとして……
「うわぁ……」
茜案内の元、三階にある彼女の部屋まで来た俺は玄関前でドン引きしていた。というのも他の部屋のドアは黒を基調とした色で簡素なものだが、茜の部屋のドアだけは他とは違い、真っ赤でオマケにドアに付いてる新聞受けには黒い封筒がビッシリ詰め込まれており、異様を絵にかいた光景だからだ
「素人目に見てもヤバいわね……」
「き、気持ち悪いです……」
目の前の異様な光景に嫌悪感を隠し切れない零と闇華。飛鳥達も口には出してないけど、顔が引きつり、嫌悪しているのは明白。男の俺でさえドン引きしてるんだから女の零達が引かないわけがない。その中で引きもせず冷静なのが────
「こりゃひでぇ、犯人が何のつもりでこんな事したのかは知らねぇけど、この執着は異様だぞ……」
加賀である。この面子の中では最年長者だけあって冷静だ
「ぐ、グレー……」
当事者の茜は当然の事ながら身体が小刻みに震え、涙を浮かべて俺の腕にしがみ付く。
「と、とりあえず中へ入ろうぜ。異様なのは玄関先だけで中は普通かもしれねぇしな」
アパートの前に着いた時、ベランダは荒らされた様子がなかったから犯人は部屋の中にまでは入ってないと思う。とは言っても油断は禁物でベランダという比較的目に留まりやすい場所にはイタズラしてないだけで室内は荒らされてるかもしれないという可能性は無きにしも非ずだ
「そ、そうだね、い、今開けるよ」
茜は俺から離れ、ドアの前に行くとズボンのポケットから鍵を取り出し、鍵穴に入れた
「あ、アレ?」
鍵を開けようとしたところで茜の動きが止まる。どうしたんだ?
「どうかしたのか?」
「鍵が開かなくなってる……」
茜の言葉で場が重苦しい空気に支配され、ピッキングというワードが頭に浮かぶも誰一人としてそれを口にする者はいない。ピッキングされた事が薄気味悪いんじゃなく、ドアを真っ赤に染め上げただけじゃなく、部屋の中にまで侵入しようとする犯人の異様さがとにかく気持ち悪い
「クソガキ、これは完全に犯罪だろ」
誰もが口を閉ざす中、俺の耳元で話掛けてきた
「ああ。下手したら茜だけの問題じゃねぇぞ」
「だろうな。でもどうするよ?今から警察へ届けるのか?」
「俺に聞くな。茜に聞け」
俺なら管理会社に電話した後、被害届を出す。しかし、旅行中に聞いた話だと事務所も警察も対処してくれなかったらしく、現状、駆け込んでも意味はないようにも思える
「だな……」
「それよりも今は茜のメンタルケアが先だ」
誹謗中傷の言葉が書かれていた方がマシだった。真っ赤に染められたドアを前にそう思ってしまう俺は感覚がマヒしている自覚はある。自分が初見だから誹謗中傷の方がマシだと思ってしまうのか、真っ赤なドアと詰め込まれた黒い封筒を見て異様さを感じたから思うのかは分からない。ただ、恐怖のあまりへたり込んで震える茜とそれを慰める零達を見て俺がすべき事だけは解かる
「ううっ……どうして……どうして私がこんな目に……」
恐怖のあまり泣き出し、何度もどうしてを繰り返す茜は見ていて痛々しい。
「茜殿、大丈夫でござるよ。きっと恭殿が何とかしてくれるでござる!」
「そ、そうよ! 真央の言う通り恭なら何とかしてくれるわよ! 見ず知らずのアタシを拾ってくれたくらいなんだから!」
真央も零も俺を過信し過ぎだ。俺は神様の類じゃない。お袋関係を除くと高校が通信制って以外はどこにでもいる普通の高校生で大した権力なんて持ってない。
「そうだよ、恭ちゃんならきっとどうにかしてくれるから……だから、泣かないで」
「そうですよ! 恭クンは私の事を全力で守ってくれました! 茜さんの事だって全力で守ってくれますよ!」
だーかーら! 俺はお袋の事を除くと普通の高校生なの! 飛鳥の時は側にいたってだけで守ってねぇ! 東城先生も俺に過度な期待はしないの!
「そこまで信頼されてもなぁ……」
信頼されて悪い気はしない。ただ、過度な信頼や期待というのは逆にストレスになり、時として煩わしくなる。なんて今この状況で言えるわけねぇよな……
「クソガキ、お前意外と信頼されてんのな」
「喧しい。俺は自分に出来る事をしてきたまでだ。信頼や期待されても困るだけだっつーの」
零、闇華、琴音は広すぎる部屋を埋めるためと管理人的な人が欲しかったから拾い、東城先生は親父が勝手に同居を決め、断れなかったら。飛鳥の場合は失業中だった彼女の父親を爺さんが必要とし、学校に通うと言った面で家の方が近いから置いてるだけ。真央に関しちゃ闇華達が勝手に拾ってきたからって理由だけだぞ?由香は親父がアホだからって理由なんだけどな!信頼されても困る
「そう言わさんな。俺も零ちゃん達もお前には感謝してるんだからよ」
「ならクソガキっつーのを止めろ。言いたかねぇけど俺、お前の雇い主だぞ?」
「それは無理だな。今更俺が恭とか、恭様って呼んだら気持ちわりぃだろ?」
加賀が俺を名前や様付けか……確かに気持ちわりぃ
「否定はしない」
「だろ?頭じゃお前が俺の雇い主だってのは解かってる。ただ、慣れ親しんだ呼び方の方が呼びやすいから敢えてクソガキって呼んでるだけだ」
「物は言いようだな」
俺よりも年上だけあって加賀の言葉には妙な説得力があり、雇い主をクソガキ呼ばわりするのは絶対に間違っているのなんて解っているのに反論できない自分がいる。
「まぁな。それより部屋の中へ入れないのはかなり痛いぞ」
加賀の言う通り部屋の中へ入れないのは痛手だ。室内が荒らされてないとも限らず、金目の物や印鑑なんかが盗まれてた日には目も当てられない。もう一つシャレにならないのが彼女の部屋から出たゴミと台本だ。放送や公開が終わったアニメや映画ならともかく、これから放送予定、公開予定のアニメや映画の台本なんて盗まれてたら……方々に大打撃だ
「そうは言っても今から鍵屋に電話して今日中に来れたとしても何時になるか分かんねぇ……かと言ってこのままだと家に泊める分には構わねぇけど、茜の仕事に支障をきたす可能性が出てくるだろ」
業者にも予定というものがあり、物を直すにしても、開かなくなった鍵の開錠にしても多分、時間が掛かる。まずはこのアパートを管理している不動産会社がどこなのかを調べるところから始めなきゃいけない。壊れた鍵を直すにしても真っ赤なドアを綺麗にするにしても不動産会社を通さないといけなかったはずだし
「っつっても部屋の契約者である茜ちゃんがあの状態じゃなぁ……」
加賀の視線を追って茜の方を見ると彼女は泣き続けていた
「諸々の話を聞くのは難しそうだ……泣き止むのを待つとするか」
「そうだな。ところでクソガキ」
「何だよ?」
「このアパートって灰賀不動産の管理だったんだな」
「は?」
「は?って知らなかったのか?一階にある部屋のベランダに堂々と看板まであったのに?」
知らなかったのもそうなんだけど、それ以上に看板なんて見てなかった……アパートの契約を目的として来てなかったから目につく場所にあったとしても必要ないから気にも留めてなかったぞ……
「堂々と看板があろうと必要がなかったから気にも留めてなかった……」
「お前なぁ……」
加賀よ、お前は逆に何でそんなの見てんだ?俺の家に住んでるんだから必要ないだろ?
「俺の家に住んでてアパートを借りる必要のないお前は何でそんなの見てんだよ?」
「賃貸物件を探す時に管理業者や仲介業者を押さえておくのは基本だからだよ! まぁ、お前みたいに半分管理人みたいな感じの奴に言っても解かんねだろうよ」
ここに来て空き店舗に住んでる弊害が出た。あそこに住んでると賃貸物件を探すだなんてまずしない。だって必要ねぇし。ある意味で恵まれた場所に住んでるのが仇となったか……
「解かんねぇよ。とにかく、俺は一度下に降りて電話してくる。その間に茜を何とか話が出来るまでに回復させておいてくれ」
「了解」
茜の回復を加賀に任せ、俺は下へ向かって階段を駆け下りた。
一階に着いた俺はそのままアパート前に行き、加賀が言っていた看板を見てみると……
「マジで爺さんの会社かよ……」
俺から見て右手側にある部屋のベランダに入居者募集の看板があり、問い合わせ先の会社名が灰賀不動産で当たり前だけど電話番号もバッチリ記載されていた。自分の祖父が会長をしている会社で助かったと思う反面、会社に電話したところで普通に賃貸契約だと間違われたらめんどくさい。俺に取れる手段は実質一つ
「爺さんに電話決定」
俺はスマホを取り出し、爺さんに電話を掛けた。
『どうした?恭?キャバクラにでも連れてってほしくなったかの?』
電話に出てくれたのは孫として嬉しい。昼間からキャバクラの話をしなければ
「時間帯と俺の年齢を考えろ。今日は別件だ」
『冗談が通じない孫じゃ……して、別件と言っておったが、何の用じゃ?』
「操原さんの事務所にいる高多茜って女がいただろ?」
『恭とゲーム仲間じゃと言っておった娘っ子か。その娘っ子がどうかしたのか?結婚を前提に付き合っておるって報告なら儂より先に恭弥にすべきじゃろうに』
このジジイは俺が女の名前を出すとどうしてすぐに恋愛関係の方へ話を持っていくんだ?頭の中お花畑か?
「ちげーよ! アンタの会社が管理してる物件に高多茜が住んでて今とんでもない事になってるから電話したんだよ!」
『とんでもない事?詳しく聞かせい』
俺の直面している問題を察したのか爺さんの声色が変わる。
「実はな、今、高多茜の住んでるアパートの前から掛けてるんだけどよ、彼女の部屋に行ったら────」
俺は爺さんにドアが真っ赤に染められていた事、鍵を開けようとしたらピッキングで鍵穴が変形し、開かなくなっていた事、ドアに付いてるポストに黒い封筒がビッシリと詰め込まれていた事を話した
『話は分かった。そういう事ならすぐに人をやるからアパート名を伝えてくれんか?』
「アパート名?どこを見りゃいい?」
『アパートの前におるなら上を見れば一発じゃ!』
爺さんに言われた通り上を見る。すると……
「……………………冗談だよな?」
アパート名はあった。あったんだが……
『冗談?何がじゃ?いいから早うせい!』
「いや、そう言われても……」
『何じゃ?』
「あの恥ずかしいアパート名を読みたくねぇ……」
普通のアパートやマンションにはメゾンとか由来は分かんねぇけど、FRIENDとか当たり障りのない名前が付けられていたりする。対してこのアパートの名前が……
〝萌えっ子大好き天国”
どこの如何わしいクラブだと突っ込みたくなるような名前でこれを名前の候補として出した奴も対外だが、採用した連中の神経も疑いたくなる。
『何じゃ?儂の付けた名前が気に入らんのか?』
「名付け親アンタかよ……」
会長が付けたんじゃ誰も逆らえねぇよなと溜息を吐き、爺さんにはアパート名と茜が住んでる部屋の状況をメールに添付して写真で送ると伝え、電話を切った。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました
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