『そういえばそんな事もあったね~。いやぁ~、懐かしいなぁ~』
浮気されて傷心だったからしょうがない部分はあれど、小学校三年生の息子に抱きしめられて泣く母親がどこにいるんだよ……って、ここにいたか。あれも今となってはいい思い出だ
「思えばあれ以来だよな」
『ん~?何が~?』
「お袋の親父への当たりが強くなったの」
あの喧嘩があった次の日、俺は小学生ながらにお袋が心配だった。そんな俺の予想に反し、当人であるお袋はケロっとしていたのを覚えている。表向きは
『そりゃ、本来なら離婚してるところだったのを許してあげたんだよ~?ちょっとくらい強く当たってもいいでしょ~?』
にへ~っと笑うお袋からは特に悪びれた様子は感じられず、むしろ離婚しなかっただけ有難いと思えと言っているような感じだ
「それを言われると返す言葉もないな」
『でしょ~?それに、お母さんはきょうがいて愛してくれるだけで幸せだよ~』
いるだけでいいと言われて悪い気はしない。愛してくれるだけというのが家族的な意味でなのか、男女の仲でなのかは聞かないでおこう。親子間でそんな事を気にしている俺もどうかしているのは自覚している。しかし、考えてほしい。あのお袋だぞ?その可能性もあるだろ?
「はいはい。昔はともかく、今じゃ俺に憑りついてるんだから離れる事なんて早々ないだろ」
お袋が生きている頃は学校に行くとか、友達と遊ぶとかで一時的に離れるのは仕方のない事だった。中学の時はともかく、今じゃ俺の守護霊……もとい精霊として常に俺と行動を共にしているのだから余程の事がない限り離れる事などない
『うん、お母さんはきょうに疎まれようとずっと側にいるよ~』
俺の日常生活に見られて困る事など何一つないから疎ましいと思う可能性はない。マザコンと笑いたければ笑えばいい。それでも俺は自分が辛い時に側にいてくれたお袋を大切にしていく所存だ
「はいはい、んじゃ宣言通りずっと側にいてもらおうか」
『うん!』
普通ならマザコンの部類に入るだろう発言。お袋が幽霊だからこその発言だなこりゃ
「ところでお袋」
『ん~?』
「あの喧嘩があった次の日なんだけどよ、親父にした仕打ちを覚えてるか?」
『ん~、恭弥に興味ないから覚えてないなぁ~』
「マジかよ……、あの喧嘩があった次の日はなぁ────────」
親父とお袋が喧嘩した次の日の朝────────。
「あ、暑い……」
親父とお袋が喧嘩した日、俺はお袋と一緒に寝た。そんで傷ついたお袋を抱きしめ、泣き出したから頭を撫でた。そのまま寝てしまったようで朝起きたらお袋が俺に抱き着いていた。その暑さにやられ、俺は珍しく早起きをしてしまったのだ
「お母さん、暑いよ……」
隣を見ると夏の暑い時期に汗一つ搔かず、すぅすぅと寝息を立てているお袋の姿があった
「きょう……ずっと……側に……いて……」
親父に浮気されたのが堪えたのか、寝ているお袋の目元には薄っすらと涙が浮かんでいた。そんなお袋を可哀そうだと思い、俺がお母さんを幸せにする!とこの時はそう思った。
「お母さん……」
お袋の目に浮かぶ涙をそっと指で掬う。今思えばこれって母親と息子というよりはどちらかと言えば恋人同士みたいだよな……。俺とお袋じゃ歳が離れすぎてる上に親子だから恋人にはなれないけど
いつまでも寝起きの話をしてもしゃーない、親父への当たりが強くなったなと感じられるシーンまで話を飛ばそう。あれはリビングでいつも通り朝飯を食ってる時だった。この日のメニューは白米、納豆、みそ汁、お浸し、焼き鮭。所謂和食だ。
「さ、早織さん、しょうゆ取ってくれませんか……?」
俺の正面に座る親父は浮気をした後ろめたさからなのか、腰が低い。自分が悪い事をしたという自覚はあるみたいだ
「はい、お醤油」
「ヒッ!」
口調、表情は普段通りだったのだが、違うところがただ一つ。そう、醤油を置いた時、親父の目の前に乱暴に置いた事だ
「お、お母さん……?」
さすがにこれにはビビった。なんつーか、お袋が別人に見えたって感じだ
「ん~?どうしたの?きょう」
「な、何でもないよ」
「そう?」
何か怖い。だなんてとてもじゃないけど言えなかった。殺されはしないかっただろうけど、怒られはしそうだったし
「うん、そ、それより、俺、欲しいゲームがあるんだけど……」
親父の浮気が原因で気まずい空気を何とかしようと話題を提供したのだが、欲しいゲームがあるはなかったと今では反省している
「恭、ゲームばかりしてないで勉強をしろ」
親父の言う事は親として見るなら至極当然。新しいゲームを始めたらそればかりに夢中になって勉強が疎かになる事を懸念してだろう
「いいよ~、お母さんが買ってあげる~」
注意してくる親父とは反対にお袋は買ってくれると言ってきた。普通は父親が買ってやると言って母親がそれを注意するんじゃないのか……?
「お、おい! 早織!」
腰が低かった親父もこの時ばかりは思うところがあったのか、強気の姿勢を見せた。しかし……
「あ?何だ?浮気野郎」
「い、いえ、何でもないです……」
高圧的なお袋の態度にアッサリ委縮してしまった。この前の騒動の時にも思ったけど、親父弱ッ! 浮気した親父の自業自得だから同情の余地はないんだけどよ
「と、言う事できょう、欲しいゲームの値段教えて~、その分お父さんのお小遣い減らすから~」
浮気した親父が全面的に悪いとはいえ、こればかりは哀れだ……。小学生だったとはいえ手放しに喜べない
「い、いいよ。お父さんのお小遣いを減らしてまで欲しいものでもないし」
お小遣いを減らしてまでと聞かされた後で素直にやった!とは言えず、結局ゲームを買ってもらう話はおじゃんとなった。断った時、お袋が『え~、遠慮しなくていいんだよ~?恭弥のお小遣いが減るだけなんだから~』なんて言っていた。それ聞いて買ってと言える奴は多分、相当神経が図太いか親父に関心がないかのどちらかだ
と、この日を境にお袋が親父へ強く当たり始めたのだ。今思い返すと俺の娯楽、学習道具一式にかかる金の代償は親父の小遣いだった。そう思えてならない
「お袋という者がありながら浮気した親父が全面的に悪いから哀れみは抱いても同情する気にはなれないんだよなぁ……」
『でしょ~?きょうがいなかったらとっくに離婚してたんだよ~?』
夫婦関係を継続させるダシに息子を使うのはどうかと思うけど、こればかりは仕方ない。離婚となった時にどちらが親権を持つかの協議になるだろう。そこで俺はどちらに付いて行けばいいのか考えさせられるハメに。考えただけでもめんどくさい
「はいはい、息子をダシにするのはいただけないけど、家族が崩壊しなくてよかったよ」
当時は親父の浮気が原因で灰賀家が崩壊寸前だった。今じゃ親父が元・虐めっ子である由香の母親と再婚し、何の因果か由香が義理の姉となり、息子のした悪い事は咎め、娘のした悪い事はお咎めなしという理不尽に耐え切れなくて半分絶縁状態。皮肉な事に俺が灰賀家を崩壊させてしまったから笑えない
『あの時は運よく崩壊を免れたけど、結局恭弥が何の考えもナシに再婚して崩壊しちゃったけどね~』
満面の笑みを浮かべながら言わないでくれませんかねぇ……、ド正論だから返す言葉もない
「そうだな……、まぁ、親父が誰と再婚しようと俺には全く関係ねーけど」
一人暮らしをしているから関係ないだなんて言えると思ってたら大間違い。実家にいても俺は同じ事を言い、同じ事をした。一人暮らししてるから由香と関わる機会はあまりないものの、実家暮らしのままだったらどうなっていた事やら……
『だね~。ところできょう』
「何だよ?」
『ゴールデンウィークの時に恭弥達だけじゃなくて零ちゃん達も切り捨てようとしたでしょ?』
「ああ」
『そんなきょうが今でも零ちゃん達と一緒に暮らしている。最終的にそう決めたのはきょう自身だけど、後悔してない?』
後悔か……、零達と暮らしてて後悔してるのか?って聞かれても困るんだよなぁ……、まだ七月で日が浅いとは言えないけど、深い仲ってわけでもないしな。だから俺は────────
「さぁな。少なくとも無理にでも追い出そうとしないんだから邪魔な存在ではないだろ」
曖昧な返事を返した。後悔してないと答えるのは簡単だ。その答えを出すのは今じゃないってだけで
『きょうならそう答えると思ってたよ~』
答えを予想してたなら最初から聞かないでくれませんかねぇ……
「分かってたなら最初から聞かないでくれません?」
『ごめんね~、お母さん、きょうに後悔しない人生を歩んでほしくてついね~』
「さいですか。それより、俺は少し寝る」
『うん~、おやすみ~』
暇を持て余した俺は特にやる事が思いつかず、目を閉じた。今日は休日で特にやる事もない。寝てたところで誰も文句は言わないだろ
母親としては惰眠を貪る息子に勉強しろと言わなきゃいけないんだろうけど、きょうは昔から自分が必要だと思った事は私が何も言わずとも自分で勉強した。だからなのか私は勉強しろと言わなかった。それにしても……
『きょうの寝顔はいつ見ても可愛いな~』
高校生の息子に言う事じゃないけど、きょうの寝顔はいつ見ても可愛い。親バカと笑われようともこれだけは曲げられない
『きょうの寝顔ならずっと見てたいところだけど……』
きょうの寝顔ならずっと見てても飽きない。飽きないんだけど……、そろそろ盗み聞きしてた人達に出てきてもらわないとね~
『零ちゃん達いるんでしょ~?盗み聞きは趣味が悪いよ~?』
私は出入口の方にいる零ちゃん達に声を掛ける。元々ここは映画館だけあって普通の声量で喋っていても出入口まで会話の内容が聞こえてしまう
「気づいてたんですか、早織さん」
バツの悪そうな顔をして最初に出てきたのは藍ちゃん。それに続くように零ちゃん達が出てきた
『霊圧を感じたからね~、それで?どこから聞いてたのかな?』
「え、えっと、早織さんが恭ちゃんに私達と暮らすって決めて後悔してないのか聞いたところからです……」
盗み聞きしていた後ろめたさから申し訳なさそうな顔で答える藍ちゃんを見て思わず吹き出しそうになる。申し訳なさそうな顔の藍ちゃんが面白いからじゃなく、話を聞かれてたって知ったきょうがどんな顔をするか想像して
『そっかそっか。それで?きょうの答えを聞いた藍ちゃん達はどう思った?』
きょうは邪魔な存在じゃないと言っていたけど、それって言い方を変えるとどうでもいい存在と言っているようにも聞こえる
「私達は……私は恭ちゃんに疎まれてないと知って安心しました」
藍ちゃんの答えを聞いて同意するかのように頷く零ちゃん達だけど、お母さん的にはもう少しきょうに踏み込んでもいいと思う
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