「落ち着いたか?」
「う、うん……」
heightこと高多茜が泣いてから五分。彼女が泣き止み、めでたしめでたし……とはならなず、考える事はたくさんあり、この後の展開を考えるだけで憂鬱な気分になる。今は旅行中だから高多さんの巻き込まれている事件に関しては帰ってから考えるしかない。それよりも早く離れてくれねぇかなぁ……
「なら離れてもらっていいか?」
未だに外は薄暗く、周囲からは物音一つしない。とはいえ、暑いものは暑く、仮に高多さんの平熱が大して高くないとしても室内の湿気もあってか汗が滲む
「えー! もうちょっといいじゃん! せっかくグレーに会えたのに!」
彼女の言う会えたとは言うまでもなくリアル対面。ゲーム内だとインしていればいつも会っている。だが、こうしてリアルで会うのは今日が初めてであり、俺自身、heightが本当に女性だとは思ってなかった
「いいじゃんって……暑いんだけど……」
ラノベとかなら抱き着かれて口では離れろと言いながらも胸の感触を楽しむだなんて王道パターンが存在し、この主人公と立場を変えられたらどれだけいいか……と考える男子は少なくないだろう。んで、実際にそれをされている身として言うなら寒い季節ならいざ知らず、夏にやられても暑苦しいだけだ
「グレーは私に抱き着かれるのイヤ……?」
涙を貯めながら上目遣いは反則だろ……。これじゃあ強く突き放すだなんて出来るわけがない
「嫌ではないけどよ、この部屋暑いし高多さんだって汗ばんで気持ち悪いだろ?」
「むぅ……」
女性は汗臭いの嫌だろうと思って言ったのに何で頬を膨らませながら睨むんでしょうかねぇ……
「な、何だよ?」
「その高多さんっての止めてよ……」
「止めろって言われても俺にとっては年上だ。目上の人にはさん付けが普通だろ?」
目上の人じゃなくとも大人になれば同じ歳、年下でもマナーとしてさんを付けなきゃいけない。だというのにそれを止めろって……
「たとえそうだとしてもゲームと同じように接してほしいよ……」
ゲームじゃ俺は彼女をheightって呼び捨てで呼び、高多さんもグレーって呼び捨て。気の知れた親友だった。あくまでも今のはゲーム内の話でリアルは違う。高校生の俺と人気声優で社会人の高多さん。年齢も立場も違い過ぎる
「ゲームとリアルは別だ。スペースウォーじゃ気の知れた親友で敬語もさん付けも不要だとしてもリアルじゃ俺はただの高校生でアンタは人気声優で社会人だ。歳だって離れてる」
俺はその後で『目上の人には敬語を使うしさんだって付ける』と言ったところ、さっきよりもさらに頬を膨らませてしまった
「私は! グレーにはゲームと変わらずに接したいし接してほしいの!」
ゲームと変わらずって事はアレか?リアルでもheightって呼べばいいのか?
「何?リアルでもheightって呼んでほしいのか?」
「違うよ! 茜って呼んでほしいの!」
わお、下の名前で呼ばれるのをご希望でしたか……
「あ、茜……」
家には零達がいるから女性を下の名前で呼び捨てには大した抵抗はない。実際に零、闇華、琴音、飛鳥は呼び捨てだ。零と闇華は置いといて飛鳥は二歳差、琴音は七歳差。多少年齢差の振れ幅は大きいものの、年上女性を呼び捨てで呼んでいるんだ、一人も二人も大差はなく、本人がそう呼べと言うならそうする。それとこれとは話が別で恥ずかしいものは恥ずかしい
「な、何?ぐ、グレー……」
オイこら、人には本名呼ばしといて自分はプレイヤーネームで呼ぶとはどういう了見だ?あ?
「何で俺だけ本名呼び捨てでそっちはプレイヤーネームなんだよ……」
別にね?俺も名前で呼ばれたいとか思ってないよ?ただ、プレイヤーネームで呼ばれるのはどうかと思っただけで
「だって……グレーって呼び方は私にとって特別な呼び方なんだもん……。キミってスペースウォー内で私以外のプレイヤーとあんまり交流ないでしょ?」
茜の言う通り俺はスペースウォー内じゃゼロではないにしろ交流が多い方ではない。その理由は簡単で初心者の頃に同じく初心者だったheightと一緒に手探りながらも任務をこなし、気が付けば互いのレベルは三桁を超えた。ちょうどレベル100を超えたあたりからか互いにソロで出て成果を報告し合うようになったのだが、その過程で初心者プレイヤーと遭遇する事も多々あり、フレンド申請を送られた事もある。面倒だからってのと寄生目的だろうって事でほとんど無視したけどな! これらの理由からスペースウォー内でも交流はあるにしろ少ない
「そりゃそうだけどよ……」
「ついでにオフ会にも参加した事ないよね?」
スペースウォー内でオフ会があるのは知っていた。というより、フレンド募集の掲示板にオフ会可能な方のみ歓迎という謳い文句を掲げている奴もいるくらいだ。知らないわけがない
「ああ。つか、それは茜も同じなんじゃないのか?」
「まぁね」
今じゃ人気声優の一人に数えられる茜も俺と出会った当時は声優の卵。彼女が何を思ってオフ会に参加しなかったかまでは知らない。けど、今となってはその選択は正しい。万が一過去を調べられでもしてネトゲのオフ会に参加した事がバレてみろ、茜目当てでスペースウォーを始め、オフ会に参加する奴が増える。そうなったら目も当てられない
「じゃあ、俺と同じじゃねーか」
「そうだよ。だから灰賀君をグレーって呼ぶ人はいない。私だけの特別な呼び方だよ」
言われるまでもなく、彼女の言う通りグレーって呼び方は茜だけの特別な呼び方だ。零は呼び捨て、闇華、琴音、飛鳥は君付けで東城先生はちゃん付け、盃屋さんは殿付けと各々が呼びたいように俺を呼ぶ。それが一つ増えたところでどうという事はないか。双子の片割れなんてヘタレ呼びだし
「好きに呼べ」
「うん!」
結局茜に押し切られたというか、同居人達の事を考えた結果諦めたというか、その……、何だ?今更呼び方についてどうこう言う意味がないから諦めた
「好きに呼んでもらって構わないけどよ、そろそろマジで離れてくれないか?」
さっきから抱き着かれたままでそろそろ本格的に暑い
「えー! まだいいでしょー?ずっと会いたかった人に会えた喜びを噛み締めてたいよー!」
じりりりりん! じりりりりん!
会いたかった理由は聞いたから割愛するとして、未だに離れようとしない茜をどうしようかと考えてたところで俺のスマホが鳴った
「電話取るから離れてくれ」
「ちぇっ、仕方ないな」
電話が掛かってきたんじゃ仕方ないと思ったのか、渋々といった感じではあるが抱き着いてた茜はから離れる。どこの誰が掛けてきたのかは知らんけど、今回ばかりは電話に感謝だ
「はいはい、すぐ出ますよ」
ポケットから電話を取り出し相手を確認するとそこには─────
『着信:飛鳥』
と表示されていた
「やっべ……」
飛鳥の名前を見た途端に血の気が引き、寒気すら感じる。それは俺に心当たりがあり、現在進行形で怒られる事しかしてないからだ
「ど、どうしたの?スマホ見た途端に顔真っ青にしちゃって」
事情を知らない茜は心配そうに顔を覗かせた。そんな彼女に俺は……
「な、何でもない。そ、それより、ちょっとトイレで電話してくる!」
「う、うん、いってらっしゃい……」
俺は今もなお鳴り続けるスマホを片手にトイレへ駆けこんだ
トイレへ入り早々に電話を取る。飛鳥は零達とは別のベクトルで怖いから長い事電話に出なかったらどうなるか……。考えただけでも恐ろしい
「も、もしもし……」
『もしもし、恭クン?今どこにいるの?』
電話に出るなり怒鳴りつけられる事はなかった。その代わり電話越しの飛鳥は今にも泣きそうといった感じだ
「え、えっと……、そ、それは……」
ゲーム仲間の女性と密会してましたとは言えず、言い淀む。別に疚しい事など何一つしてないからありのままを言ってもいいんだけど、会っている相手が異性なせいか後ろめたい
『言えないの?』
「い、言えない事はないんだが、何て説明したらいいか……」
『ありのまま言えばいいじゃん』
彼女の言う通り言えるのならありのまま伝えればいい。しかし、有のままと言っても何て言えばいいんだ?暇つぶしにゲームしてたらいつの間にかオフ会してましたってか?
「あー……何て言うか……俺も何でこうなったか分からないと言うか……ごめん、すぐ戻る」
『分かった。私、待ってるからすぐに戻って来てね?』
「ああ」
電話を切り、トイレから出た
「ごめん、戻らなきゃいけなくなった」
トイレから出た俺は開口一番で謝罪と部屋に戻る事を伝え、茜の返事を待たず、部屋を出ようとしたその時────
「やっと会えたのにもう行っちゃうの……?」
瞳に涙を貯めた茜に腕を掴まれた
「もう行っちゃうのって……、隣の部屋なんだからいつでも遊びに来ればいいだろ?」
「いっちゃ……やだ……」
母親に甘える子供。今の茜を表現するのにこれほど適切な言葉はない。飛鳥にはすぐ戻ると言ってしまった手前、早く戻らないといけない。かと言って茜を無碍には出来ない。はぁ……仕方ねぇな……
「茜も俺の部屋来るか?」
「うん!」
優柔不断と笑いたければ笑え。俺は昔からのゲーム仲間である茜と同居人の飛鳥のどちらも同じくらい大切なんだよ
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