突然の退院を言い渡されてから早いもので一週間。その間、俺の身体には何の異常も見当たらず、平穏とは呼べないまでも平和な日常を過ごした。まぁ、迎えに来た加賀に化け物呼ばわりされ、帰ってきたら帰ってきたで千才さんの件を東城先生に知らせるも『千才が死んだのは悲しいけど、幽霊として同居するんでしょ?これからよろしく』とアッサリした返事が返ってきたのにはビックリした。それ以外は至って普通だ
「普通って素晴らしい」
土曜の真っ昼間────。俺はクーラーのガンガン聞いた部屋で何をするでもなく、リビングで寝そべりながら呟いた。幸いな事に現在、零達は汗を掻いたという事で入浴中。この部屋には俺以外に誰もいないのだ
『そうだねぇ~、普通が一番だよねぇ~』
前言撤回。俺とお袋以外には誰もいない。千才さん達?彼女達なら零達と共に風呂に行ってて席を外している。そうそう、千才さん達と言えば、帰ってきた当初は俺に憑りついたままかと思われたのだが、意外や意外。千才さんは東城先生、紗李さんは飛鳥、麻衣子さんは闇華、紗枝さんは零とものの見事に分かれた。理由は不明だが、きっと思うところがあったのだろう
「ああ、ここんとこ色々あり過ぎたからな。休みの日くらいゆっくりしていたいものだ」
七月に入ってから色々あった。六月は六月で色々ありはしたものの、今月に比べるとまだマシと言える。少なくとも俺の中では。それもこれも車に跳ねられて入院し、オマケに入院先の病院で立てこもり事件発生。知り合いの警察官が一人死亡し幽霊となって現れる。八月はどうなる事やら……
『そうだね~、八月はゆっくりのんびり過ごしたいね~』
「ああ。八月まで騒動に巻き込まれちゃ身が持たないからな」
肝臓を休める休肝日があるのなら俺専用で騒動が休みの日というのを作ってもいい気がしなくもない。しかし、騒動というのは自然災害と同じで突然やって来るものだからこればかりは何とも言えない
『思い起こせばきょうがここで一人暮らしを始めてからじゃない?騒動に巻き込まれるようになったのは』
お袋の言う事に心当たりが全くないわけではない。騒動に巻き込まれる云々は置いとくとしてだ、そもそもの話、一人暮らしする場所が間違っている。普通ならアパートかマンションなのにデパートの空き店舗。うん、どう考えても普通じゃない
「一人暮らしを始めたからといって必ずしも騒動に巻き込まれるとは限らないだろ。それとこれとは話が別だ」
お袋の理論でいくと世のラブコメ主人公は全員が一人暮らし設定じゃないと騒動、あるいは頭のおかしい女子と関わり合いにならないって話なる。
『それもそっか』
「ああ。きっと俺が騒動に巻き込まれるのは運命だったんだろ」
それだけ言うと俺はそっと目を閉じた。眠たいとかではない。ただ目を閉じたかった。それだけだ
『きょう~、お眠~?お母さんが添い寝してあげよっか~?』
どこの世界に高校生にもなって母親に添い寝されて嬉しがる奴がいるんだよ……
「眠たくないし添い寝も必要ない」
『きょうのいけずぅ~』
「いけずで結構」
『むぅ~、昔は甘えてくれたのにぃ~』
お袋、昔は昔、今は今なんだよ
「昔っていつの話だよ……」
『ん~っとね、きょうが小学校三年生の話かな~』
俺が小学校三年生の時か……、そんな事あったっけ?
「俺の記憶にはないな。記憶にあるのは親父がやらかした事だけだ」
親父はいつも何かしらやらかしている。だから何だと普段は笑い飛ばし翌日には何もなかったかのように接する。あの時以外そうしてきた
あれは確か、小三の暑い夏の日、お袋がまだ生きてた頃の話だ
「お母さん、今日の晩御飯は何?」
この頃は夏休み真っ只中。世の中の小学生は友達と外で遊び汗を掻く中、俺は部屋に引き籠ってゲームばかりしていた。そんな俺にお袋は口うるさく外で遊べとは言わず、好きにしていいとしか言わなかった。そんな俺でも喉は渇くし腹も減る。こん時はちょうど夕飯時。俺はキッチンにいるお袋に夕飯の献立を訪ねた
「ん~?今夜はきょうの好きなカレーだよ~」
キッチンから顔を出したお袋は今と変わらない笑顔で答えた
「やった!」
カレーごときではしゃぐとは俺も単純だ。小三だから当たり前と言えば当たり前か
「きょうはカレーす好きだね~」
「うん!俺お母さんのカレー大好き!」
お袋が今でも生きていたら多分、カレーが出てきたら大はしゃぎしていた。俺にとってお袋のカレーはそれくらい絶品だった
「ふふっ、じゃあ、すぐ作っちゃうから大人しく待っててね~」
「俺そんな子供じゃないもん!」
今思えばたかがカレーではしゃぐだなんて十分子供だったと思う
「はいはい~、きょうはもう大人だもんね~」
「おう!」
今でこそ少なくなりはしたけど、この時はお袋と笑い合っていた。そんな毎日がずっと続けばいいと思っていたし、そうなると信じていた。あの日が来るまでは────────
夏休み中盤。親父がやらかした日の夜。この日は自由研究の調べものがあって図書館に行っていた俺は疲れ果てて普段よりも早めに寝た俺は中途半端な時間に目が覚め、トイレに行くために一階へと降りた
───────!!
わ、悪かった……
一階へ降りると何やら言い争っているような声がリビングの方から聞こえる。言い争っているのは言うまでもなく親父とお袋。小学生だった俺でもお袋が親父を問い詰めているのはすぐに解った。内容までは分からなかったけどな
「お父さんとお母さん、喧嘩してるのかな……?」
お袋が親父を問い詰めているのは分かったけど、内容までは分からず、単に喧嘩しているのかと思い、二人にバレないようリビングのドアをそっと開け、中を覗く。すると……
「仕事と偽って浮気するだなんて酷いじゃない!!」
「だ、だから、悪かったって……」
浮気を問い詰めているお袋とアタフタしながら謝る親父の姿が
「うわき?浮気って何なんだろう?」
純真無垢な小学生の俺が浮気の意味なんて知るはずもなく、お袋と親父が喧嘩している理由すら分からなかった
「もういい!! きょうがいるから離婚はしないけど、恭弥とはきょうが中学卒業したら離婚だから!!」
俺の中学卒業を期に離婚……。純真無垢な……最早何も言うまい。結論から言うと俺は離婚の意味知らなかったとだけ言っておく。んで、お袋は言うだけ言って俺が覗いてるとも知らずリビングの出入口に一直線で向かってきてドアを開けた
「きょう……?今の話聞いてたの?」
辛そうな顔でしゃがんで俺と視線を合わせるお袋。奥にいる親父は気まずそうに顔を逸らす
「う、ううん、俺は何も聞いてないよ?」
子供ながらに察した俺は咄嗟に嘘を吐いた。多分、お袋に嘘を吐いたのはこの時が初めてだ
「そっか……、じゃあ、もう遅いから早く寝よっか」
「う、うん、トイレに行ってから寝るよ」
本当は何があったか聞きたかった。けど、お袋の辛そうな笑顔を見てとてもじゃないけど聞く気にはなれず、言われた通りトイレに行ってから部屋へ戻った
部屋に戻り、ベッドに入った俺の頭を離れなかったのはトイレに行く前に聞いたお袋と親父の言い争う声
「お父さんとお母さん何で喧嘩なんてしてたのかな……」
子供というのは大人の変化や隠し事、本性といった目には見えない部分には敏感でお袋が隠し事をしている事くらいすぐに分かる。それを聞く手段を持ち合わせてないだけでな
「お母さん、泣いてた……」
リビングを覗いた時に遠目から見たお袋の涙。そのワケがどうしても気になって眠れない。今じゃ親父がキャバ嬢にマジで恋したバカじゃねーの?と笑い飛ばすだろう。さすがに小三でキャバ嬢を知っているのは身近にキャバ嬢がいる奴だけだ。と、まぁ、喧嘩の理由が気になって眠れず、しばらく考えていた時、不意に部屋のドアが開き、誰かが近づいてきた
「きょう、お母さんも一緒に寝ていい?」
部屋に入って来た誰かの正体はお袋。確かこの時はもう親父とお袋は別々の部屋で寝ていたから喧嘩して気まずいって事はなかった。そんなお袋が一緒に寝たいという事はだ、リビングでの一件で相当堪えたようだ
「一緒に寝るのはいいけど、俺のベッドは小さいし狭いからお母さんの部屋でならいいよ」
「そっか、じゃあお母さんのお部屋行こっか」
「うん」
部屋を出た俺はお袋に手を引かれお袋の部屋へ。さすがに一緒に寝るのを拒めるわけがない。だけど、俺のベッドは子供用だから狭くて小さかったからな。それでも泣いていたお袋を放ってはおけなかった。
お袋の部屋へ来た俺はそのまま無言でベッドへ入る。それに続いてお袋もベッドに入り、俺達は向かい合う形で……というよりは俺がお袋を抱きしめる形で寝そべり、昼間の疲れが出たのか、コクリコクリと船を漕いでた時────────
「きょうはずっとお母さんの側にいてくれるよね……?」
消え入りそうなくらいか細いお袋の声が部屋中に響く。実際は響いてないけど、家全体が静かだったから響いたように聞こえたのかもしれない
「うん、俺はずっとお母さんの側にいるよ」
ずっと側にいる。捉えようによっては彼女も作らず、結婚もしないという風にも捉えられよう。しかし、小学校三年生にずっと側にいてくれる?って百人に聞いたら九十九人はこう答えるに違いない。残り一人の回答など俺には想像もつかない
「そっか、ねぇ、きょう」
「何?」
「きょうはお母さんの事好き?」
はい、出た。小学生に……いや、子供が意味をよく理解せずに答えてしまうランキング上位に浮上する質問!
「うん」
「そっかそっか、きょうはお母さん好きか……」
「うん、だって俺の大切なお母さんなんだから当たり前だよ」
これは今でも時々言ってる。この時ほどストレートじゃないとは思うけど
「大切なお母さんか……。じゃあ、そんなお母さんを大切にしてくれているきょうにお願いがあるんだけど……」
「何?」
「お母さんを抱きしめて頭ポンポンしてくれる?」
「いいよ」
お袋の要求通り、俺は抱きしめて頭をそっと撫でた。この時は出会ってすらいなかったからいいものの、闇華や飛鳥、東城先生に見つかったら何をされるか……考えただけでも恐ろしい
「きょう、今だけ……今だけでいいから泣かせて……、一通り泣いたらまたいつものお母さんに戻るから……」
「うん、泣きたい時は思い切り泣けばいいよ」
それから少ししてお袋は声を押し殺して泣き始めた。思い起こせばこの日を境にお袋は親父に強く当たり始めたような気がする
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