「どうするんだよ……」
子供返りを起こした飛鳥を目の当たりにし、俺は途方に暮れていた
「恭お兄ちゃん、どうしたの?」
頭に?マークを浮かべ、小首を傾げる飛鳥は俺が頭を抱えている事なんて毛ほども想像してないといった感じだ。そりゃそうだよな……身体は大人でも中身が子供なんだから。
「何でもないぞ。それより、飛鳥」
「ん? なぁに? 恭お兄ちゃん?」
満面の笑みを浮かべ俺を見つめてくる彼女は見た目よりもずっと幼く見える。ざっと見積もって五歳から八歳くらいか
「飛鳥、今自分が何歳か分かるか?」
俄か知識で申し訳ないが、子供返り……幼児退行とも言うが、その原因の多くがストレスだと聞いた事がある。他にはなんだ……心の防衛機能だとも。原因の一端に認知症によるものもあるらしい。飛鳥の場合は強いストレスだ。それで厄介なのが記憶だ。俺の事を覚えているみたいだが……
「ん~っとね! 六歳!」
「ま、マジか……」
顎に指を当て、考える素振りを見せた飛鳥から出た答えは六歳。実年齢十七歳で出てきた答えが六歳。十一歳の差か……
「うん! ねぇ、恭お兄ちゃん、ここどこ? あすかなんでこんなところにいるの?」
俺の事は覚えている。しかし、自分が何故ここにいるのか、ここがどこなのか理解していない
「飛鳥、ここは学校で高校生だからここにいるんだぞ」
普段の三百倍優しい声で答える。俺は元々愛想がないからな、万が一泣かれたら収集に困る
「がっこう? こうこうせい? あすか、まだ子どもだよ?」
俺の事は覚えているが、自分が高校生である事は忘れた。これは真実を伝えるべきか否か……
「わ、悪い、飛鳥はまだ子どもだったよな……」
真実を伝える勇気がなく、飛鳥に合わせてしまった……
「うん! あすかまだ子ども!」
ニパーっと笑みを浮かべる飛鳥。コイツがあの女に出くわしたらどんな事になるか考えただけでも頭が痛い……とりあえず今住んでる場所でも聞いとくか
「そうだな。ところで飛鳥は今どこに住んでいるか分かるか?」
これで前の家と答えられた日にゃ本格的にヤバい。現状でも俺一人で対処しきれないのに家族と一緒に住んでますと言われた日にゃどうしたらいいんだ?
「恭お兄ちゃんのおうち! 零お姉ちゃんや闇華お姉ちゃん達といっしょ!」
どうやら自分の住んでいる家の記憶は現在のままみたいだ
「そうだな。零お姉ちゃんや闇華お姉ちゃんと一緒だな」
「うん!」
マジでどうしよう……つか、飛鳥が子供返りしたのは俺しか知らない。でも、飛鳥が怯えたって事は東城先生を始めとした教員達は知らないのか?
「この事、東城先生にも知らせた方がいいよな……?」
飛鳥が何等かのストレスを感じ、子供返りを起こしてしまった以上、一生徒である俺一人ではどうにもならないと判断した俺はズボンのポケットからスマホを取り出した。その時……
『内田さん! 灰賀君! いるんでしょ! 開けなさい!!』
外からドンドンとドアを叩く音と共に飛鳥が子供返りする原因を作った張本人である女の声が。それを聞いた飛鳥は……
「いや……あすかをいじめないで……」
布団に潜り込み怯えてしまった
「ストレスの原因はあの女か……」
分かりきっていた事だが、飛鳥がこうなった原因が外で騒いでる女にある事を再認識。自分が一人の生徒を精神的に追い詰めたなんて微塵も感じてないんだろうな
『灰賀君!! ここを開けなさい! 内田さんの指導はまだ終わってないのよ!!』
生徒……いや、人一人を追い詰めといて何が指導だ。そういうのは指導じゃなくてハラスメントの類だろ
「こ、こわい……たすけて……たすけてよぉ、恭おにいちゃぁん……」
布団に潜り込んで震えてた飛鳥が泣き出す。
「安心しろ。飛鳥は俺が守ってやるから」
「ほんとぉ?」
布団に潜り込んでた飛鳥が目に涙を貯めながらひょっこり顔を出し、不安そうに見つめてくる
「本当だ」
不安そうに見つめてくる彼女に俺はゆっくりと近づき、頭を撫でる。普通の女子にならこんな事絶対にしないが、今は子供だ。安心させるという意味ではこれが最善の方法だ
「やくそく……」
「ああ、約束だ。そんな事より、しっかり布団被っとけ」
「うん……」
指切りをした後、飛鳥は再び布団を被り、それを確認した俺はドアに近づいた。
『灰賀君!! 言う事を聞かないとドアをぶち破ってでも入るわよ!!』
未だにドンドンとドアを叩く女の言い草に呆れる。別にね?ドア破壊してもいいんだよ?その代わり爺さんに言いつける上に工事費用は女持ちにするだけだから
「ガタガタうるさいですよ。大体アンタはどこの誰で何の権限があって俺を指導するだなんて世迷言をほざいてるんですか?」
コンビニの一件は俺にも非がある。それと飛鳥の事は別だ。子供返りをするほど追い詰めといて何が指導だ。ふざけんな
『私は神矢想子。この学校の教師よ!!』
女……神矢想子は教師だと言った。だが、俺の記憶ではそんな名前の教師は見た事がない
「そうでしたか。それで? 神矢先生。このドアをぶち破るとか言ってましたけど、ぶち破った後の事考えてます? 誰が直すと思ってるんですか? どこから金が出ると思ってるんですか?」
ドアをぶち破られ、ここへ入ってこられたとしよう。そうすると飛鳥は今以上にパニック状態になるのは必至だ。それ以前に修理するのは誰か、修理代はどこから出るのかを考えてほしい
『そんなの業者さんが直して修理費は学校から出るに決まってるでしょ!! いいから開けなさい!! まだ内田さんの指導が終わってないの!! ついでに灰賀君の指導もしてあげるから覚悟しなさい!!』
ふっ、アンタのは指導じゃなくて意見の押し付けだろ?
「アンタが指導しようとしている内田飛鳥は今大変な状態にあります。なので貴女に会わせる事は出来ません。俺はそんな内田を見てないといけないので貴女に会う気はありません。お引き取り下さい」
本当は神矢がしている事は指導なんかじゃないと声を大にして言ってやりたかった。言ったところで意味がないから止めたけどな
『なら尚の事中に入れなさい!! 内田さんの状態を確認してから指導します!』
このバカは何を言っているんだ? 会わせないって言ったのが聞こえなかったのか?
「さっきの話を聞いてなかったんですか? 貴女に会わせる事は出来ないと言いましたよね? ついでだから言っときますが、他の先生方もそこにいらっしゃるのなら東城先生を残して職員室へお戻り下さい。今の内田が他の先生と会ってパニックに陥らないとは限りませんので」
東城先生は言うまでもないが家に住んでいるから少なくとも他の教師よりは飛鳥も安心できるはずだ
『はぁ!? 灰賀君! 何を言ってるの!? 私が指導するって言ってるのよ!? なのに何で東城先生なの!? 私じゃダメなわけ!?』
ダメだから言ってるんだけどなぁ……
「ダメだから言ってるんです。二度も同じ事言わせないでくれません?あんまりしつこいと警察を呼びますよ?」
いくら正義感だけが肥大化した人間でも警察を呼ぶと脅せばどうなるか? 答えは……
『きょ、教師を脅すだなんて……まぁ、いいでしょう。今日のところは諦めます』
警察にビビって逃げていく。
警察を使って神矢を脅したのはいい。問題は神矢が大人しく職員室へ帰るかだ
「分かっていただけで何よりです。とっとと職員室へお戻り下さい」
『ちっ、次はこうはいかないからね』
神矢は舌打ちと捨て台詞を残した後、足音と共に保健室前から去ってったようだ。果たして本当に去って行ったかは知らんけど
「はぁ……」
面倒な女教師・神矢想子をやり過ごし、ドッと疲れが出た俺はその場で深い溜息を吐く。特別怖くはなかった。どちらかと言えば面倒だったってのが大きい
『恭。私だけど開けて』
神矢が去ってから一分と経たずに外から東城先生の声が。
「いいすけど、神矢先生が側にいないのなら開けます。いるのでしたらドア越しでの話だけにします」
俺にしても飛鳥にしても奴は異常とも取れる拘りを見せた。そんな異常な一面を見た以上は東城先生一人の声でも油断は禁物。慎重になるのは至極当然の事だった
『大丈夫。神矢先生は職員室へ戻ったから』
神矢が職員室へ戻ったと言う東城先生。それが嘘か本当かは分からない。戻ってたら戻ってたでよし、戻ってなかったら戻ってなかったで蹴り飛ばしてでも戻す
「そうですか。一応、信用しましょう」
東城先生が嘘を吐く事はないと思い俺はドアの鍵を開けた後、ゆっくりドアを開く
「私一人だよ」
ドアを開いた先にいたのは東城先生一人。どうやら嘘は吐いてないみたいだな
「それなら中へどうぞ」
「うん」
東城先生を招き入れ、急いでドアを閉め、鍵を掛ける。神矢も他の教師も入られたら面倒だ
「飛鳥、もう出てきて大丈夫だぞ」
布団を被っていた飛鳥に呼びかける。普段の飛鳥なら多少不愛想に呼びかけたとしても何ら問題はない。それを今の飛鳥にやってしまうと最悪泣かれる恐れがあるから注意が必要だ
「ほんとう? あのこわい人もういない?」
怖い人というのは神矢の事を言ってるのだろう
「ああ、いないぞ。その代わり藍お姉ちゃんが来てくれたぞ」
「ほんと!? 藍お姉ちゃん!?」
「ああ。藍お姉ちゃんだ」
「わーい! やったー!」
東城先生が来てくれたのが余程嬉しかったみたいで諸手を上げて喜ぶ飛鳥。こうして見てるとマジで子供みたいだ。精神だけ子供に返ってるんだけど。さて、肝心の東城先生はっと……
「ど、どうなってるの?」
珍しく動揺していた
「どうなってるも何も見た通りです。今の飛鳥は子供に戻っています」
俺は自分が見た事と聞いた事全てを東城先生に説明した。俺達の事は覚えているって事や自分を子供だと思い込んでいる事等全てを包み隠さず
「そう……」
東城先生は目を伏せ、短く返すだけ。戸惑いはせずとも俺だってどうしていいか分からない。高校生である俺がこれなんだ。東城先生はもっと戸惑ってるに違いない
「ええ。現状では神矢先生の声だけで泣き出す始末です。飛鳥があの人に何を言われ、どんな仕打ちをされたのかは分かりませんが、ハッキリ言います。あの人に飛鳥を近づけるのは危険すぎます」
こうなった飛鳥じゃなくても星野川高校のように様々な事情を抱えた生徒に神矢を接触させたら簡単に壊れるのは火を見るよりも明らかだ
「うん……でも、私達は神矢先生に逆らえない……」
神矢に逆らえないとはどういう意味だ? アイツが星野川高校で力がある立場なのか? それとも、立場のある人間の身内とか?
「それはどういう意味でしょうか?」
「私達は彼女よりも教員としての経験が浅い。それに対して彼女は私達よりも教員年数が少し長い。センター長よりは短いんだけど、あの調子だからセンター長もお手上げ」
前に職員室へ行った時は三十代の教員もいた。そんな人達でさえ神矢に逆らえないとはどうなっている? 男性教師はともかく、女性教師は意見を言えても不思議じゃない
「センター長の事は置いとくとして、東城先生達教師陣が逆らえないってのは変じゃないんでしょうか? 俺が見た限り三十代の先生もいらっしゃったと思いますけど?」
年齢=教員歴ってのは安直な考えだというのは分かっている。だとしても逆らえないのは変だ
「確かに恭の言う通りだけど、神矢先生は年齢を盾にされたら教員歴を出して強引に従わせようとする。だから神矢先生よりも年上の先生でも逆らえない。センター長はセンター長であの性格に押し切られてしまっててんやわんや」
噛み砕いて言うと教師陣には教員歴を盾にし、センター長は強引に黙らせている。それはそれとして神矢の雇用形態は何なんだ?正規で雇われた教師なのか?それとも、パート的な感じで雇われたのか?
「それはいいとして、あの人は正規の教師なんですか? それとも、パート的な感じですか?」
正規の教員で雇われてるのならアイツよりも教員としてのキャリアが長く、黙らせられる人間を学校外から連れてくる必要がある。パートならとっとクビにしてもらうに限る。出来たらの話だけどな
「あの人はパートだよ。私も詳しくは知らないけど、ハローワークの求人を見て応募してきたらしいよ」
詳しく知らないって言ってる割にはどこの求人を見て応募してきたか分かるんですね。東城先生……
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