『あのぉ~、もう第四関門に入りたいんだけど……』
息子としてお袋を永遠に愛する約束を終えたところで曾婆さんが控えめに言った。
『わ、忘れてた……』
教えを乞う側にいるお袋が忘れてどうする……俺としてはそのまま忘れててくれた方が好都合なんだがな
『早織ちゃんが忘れてどうするの……』
『ごめんごめん、お祖母ちゃんの事も第四関門の事も忘れてたわけじゃないんだよ?ただ、いい雰囲気だったからつい……ね?』
どうにか取り繕うとするお袋だが、今ので第四関門の事だけではなく、曾婆さんの存在も忘れていたと自白しているようなものだ。本人が忘れられていたと思うか否かは別だけどな
『ついじゃないよ! とにかく! 邪魔者が来ないうちに第四関門を始めようよ!』
何で最初は消極的だった曾婆さんが一番積極的になってんだよ……
『そうだね! 邪魔者が誰なのかは無視するとして、早く教えて!』
お袋、自分も目的を見失っただろ?
『分かってるよ! それではいよいよ第四関門! ジャラララ……』
曾婆さんが口でドラムロールの音を華麗?に演出し、それをお袋は固唾を飲んで見守る。そして、俺は────
「茶番過ぎる……」
一人冷めた目で二人を見つめていた。
『ジャン! 早織ちゃんが絶対に離さない的な事を恭に向かって宣言する! その際、抱きしめる仕草をするなり手を握る仕草をするなりは自由!』
第四関門って言うからてっきり難しいものだと思っていた。だが、蓋を開けてみたらビックリ。意外と簡単だった。無駄な演出とこれまで散々引っ張って来たのは一体何だったんだ?
『え?それだけでいいの?』
簡単な内容にポカンとするお袋
『そうだよ。ただ、何かしらのアクションをしながら相手に宣言するから取り憑く側だけじゃ無理。これ以外の方法もなくはないんだけど、成功した場合、取り憑かれた方にかなりの負担を強いる事になるんだよ。でも、早織ちゃんは恭に負担は強いたくないでしょ?』
『うん。きょうの負担には絶対になりたくない』
『ならこの方法が一番かな』
曾婆さんはこれが最適な方法というのならそうなんだと思う。お袋は俺の負担になりたくないと言ったが、俺もお袋を負担だとは思いたくない。でも、他の方法というのも気になる。それについては後で聞くとするか
『お祖母ちゃんがそう言うならこれが一番いい方法だと思うけど、後で別の方法とやらも聞かせてね?』
『分かってる。全部終わったらちゃんと話すよ。それより、早いとこ始めよ?邪魔者がこっちへ近づいてるからさ』
曾婆さんの言う邪魔者────おそらくは零達の中の誰かだ。とは言っても彼女達の中の誰がここへ来るかは分からない。さすがに時間が時間だから真央と茜を抜きにするのは難しく、来るとしたら東城先生一人か東城先生+α。どちらにしても見つかったら言い訳が面倒なのには変わりない
『それじゃあ早速……』
焦る様子を見せず、お袋はこちらへゆっくり近づき、俺の右頬に自身の右手を添えた
「意外だな。俺はてっきり抱きしめられるものだとばかり思ってたぞ」
曾婆さんは仕草に関しては自由だと言っていた。だから俺は前か後ろから抱きしめられるんだろうなと思っていた。その思いに反し、お袋は頬に手を添えるだけ。意表を突かれたと気分だ
『そうしてもよかったんだけどね~、いつも同じじゃきょうだって飽きるでしょ?だからだよ』
いつも同じっつーけど、飽きるほどスキンシップは取ってねぇんだよなぁ……
「飽きるほどスキンシップ取ってねぇだろ」
『むぅ~! すぐそういう事言う! そんな事ばかり言ってるとモテないよ~?』
「別にモテなくてもいいっつーの! 彼女なんていたら自分の時間が減るだろ!」
俺に恋人なんて必要ない。恋人なんて作ったら自分の時間が減る。それだけならまだしも、場合によっては趣味を制限されたり、行動範囲を制限されたりもする。俺にとって自分の時間が減るのは耐え難い苦痛でしかないのだ
『ならきょうはお母さんを恋人にするべきだね! お母さんならきょうの趣味を否定しないし、一緒にいられるだけで幸せだから!』
実の母親じゃなかったら俺は彼女に告白するんだろうなぁ……いや、ないか。歳が離れすぎてる上にお袋が捕まる可能性だってある。まぁ、今のは生きていればの話だけどな
「はいはい、俺もお袋といれて幸せだよ」
恋人にするべきという部分をスルーし、いつもの調子で適当に返したその瞬間────
『きょう。今の言葉本当?』
お袋の目から光が消え、声が冷たいものへ変わった
「本当だ」
『ならこれでお母さんときょうは両想いだね』
お袋といれて幸せ=両想いって何か違う。それだけで両想いになれるのなら世の中に片思いを引きずってる奴はいない
「両想いって……あのなぁ……」
幸せなのと両想いは違うだろ。その言葉を俺はグッと飲み込んだ。病んでしまった相手に下手な突っ込みを入れると逆に自分が痛い目を見るのなんて分かりきっている
『両想いだよ。お母さんときょうはこれから何が起きてもずっと一緒。きょうがどんな風になっても絶対に離さないし離れない。他の女にだって渡したくないけど、きょうだって人並みに恋はしたいだろうからそこは我慢する。でも、きょうの一番はお母さんだよ?きょうは永遠にお母さんのものなんだから離れたら許さない。絶対に許さないから……いい?絶対にお母さんから離れちゃダメだよ?分かった?』
お袋の言葉は最後だけ聞くと幼い子へ自分から離れないように言い聞かせる母親の言葉としか取れない。実際は光のない目で見つめられ、その視線は俺を捕えて離さず、頬に当てられた手も触れる事が出来たのならきっと力が込められていただろう。それでも怖くないと感じるのはきっとお袋がヤンデレになってくれたのが嬉しくて堪らないからだ
「分かったよ。恋人がどうのって話は置いといてだ、お袋から離れなきゃいいんだろ?」
『そうだよ。きょうはお母さんの側にいればいいんだよ。ずっとずーっとね……フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ……キョウ、アイシテル』
お袋が闇華と同じになった。いや、ドス黒いオーラを纏っている分、闇華よりも質が悪い
『うんうん、早織ちゃんが無事に第四関門で何よりだよ』
狂った笑い声がカフェ内に響く中、曾婆さんは目元にハンカチを当て、そっと涙を拭い、お袋の第四関門突破を祝福していた
「はぁ……」
笑い狂うお袋とその様子をハンカチ片手に祝福する曾婆さんに俺はそっと溜息を洩らすだけだった
笑い狂うお袋を止める事が出来なかった俺は────
「なぁ、曾婆さん」
『恭、曾婆さんじゃなくて詩織ちゃんって呼んでって昨日言ったよね?』
未だに俺の頬に手を当て笑い狂うお袋を目前に曾婆さんと普通に会話していた
「悪かったよ、詩織ちゃん。ところでこの笑い狂うお袋をそろそろどうにかしてほしいんだが……」
俺だって始めは手を尽くした。呼びかけるところから始め、愛してると言ってみたり、触れられないのを知ってて額にキスしてみたりと思いつく限りの事はしたつもりだ。が、当のお袋は全く戻らず。手が尽きた俺は元に戻すのを諦め、曾婆さんが言っていた他の方法を聞く事にし、今に至る
『呼びかけも愛の言葉もダメだったんだから自然に戻るのを待つしかないよ』
「だよなぁ……それにしてもだな……」
『フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ……』
狂ってしまった人を元に戻すのは難しいのは分かる。だけど……
「触れないとはいえ、いい加減この状態はいろいろとキツイものがあるぞ……」
目の前に光のない目の笑顔があるのは薄気味悪い。ヤンデレは嫌いじゃなく、どちらかと言えば好きな部類に入りはするものの、長時間同じ状態で見つめられるというのは……ヤンデレが嫌いじゃない俺でも精神的にキツイものがある
『恭が辛いのは解るけど私には頑張れとしか言えないよ。そんなにキツイなら早織ちゃんを呼び捨てで呼んで愛してるとでも言ってみれば?』
「あー、それはまだやってなかったな」
俺は呼びかけの時も愛してると言った時もお袋とは言ったが下の名前を呼ぶ事はせずにいた。自分の親を呼び捨てで呼ぶだなんて周囲の人間やアニメに影響されやすい年代ならともかく、高校生の年代には一人もいない。怒られるしな
『フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ……キョウ、アイシテル』
笑い狂いながら愛の言葉を言うお袋を簡単に表現するなら壊れたスピーカーだ。いや、壊れたスピーカーでも同じ事を繰り返さないか。壊れたら鳴らないし。
「俺も愛してるぞ、早織」
高校生にもなって自分の母親を呼び捨てで呼ぶのには思うところがないわけじゃない。今回は緊急というか、治療というか……已むに已まれぬ事情があったんだ、これくらいは大目に見てほしい
『ふあ!? きょ、きょう!? い、今、な、何て……』
呼びかけても返事がなかったお袋が変な声を上げる。呼び捨て+愛してるで反応を示す彼女がどれだけ単純かがよく理解出来た。親父に散々言われてたはずだろ?
「早織の事を愛してると言ったんだよ」
俺は自分の母親に何て事を言っているんだ?もしも正常な精神状態だったら言った事に対し、恥ずかしさを覚え、思い出して悶絶する一言だ。零達にも言ったから恥ずかしさはなく、どちらかと言えば一人の男から愛してると言われただけで変な声を上げる我が母親に呆れしかこない
『お、お母さんも……きょうの事愛してる……』
ほんのり頬を赤く染めるお袋の姿は恋する乙女のそれに酷似している。俺達の関係は母と息子で今後余程の事がない限りはこの関係が揺らぐ事はないというのに
「そうかい。俺の事を愛してるのならさっさと頬から手を退けてくれ」
離れろって言うとさっきした約束どうので揉める可能性があったため、俺は頬に当てられた手を退けろとしか言わなかった。
『う、うん……』
お袋は名残惜しそうに手を退けた。直に触れる事が出来ないのはどことなく切ない気持ちにさせられる。生きている時にもっとスキンシップを取っておけばよかった……。今更後悔したところで過ぎ去った時間は決して元へ戻らない。だからこそ人は一瞬一瞬を大切に生きていくべきなんだ
『早織ちゃんも元に戻ったし時間もあまりなさそうだから話の続きしたいんだけど……』
お袋の後ろで苦笑いを浮かべる曾婆さんの顔からは疲れの色と僅かに焦りの色が窺えた
「そうだな。邪魔者っつーのが誰なのかは知らんけど、早いとこ戻らねぇと零達がうるさいからさっさと済ますか」
『だね。そういう事だから早織ちゃんは恭の隣にズレてくれない?さすがにこのままじゃ話しづらいよ』
『うん』
正面にいたお袋は俺の右隣に移動し、曾婆さんが話をしようとしたその時────
「見つけたよ、恭ちゃん」
背後から東城先生の声がし、振り向くと……
「あ、藍ちゃん……それに零も……」
目に怒りの炎を宿した東城先生と零が立っていた
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