『なぁ、お袋』
『ん~?なに~?』
親父の下────正確には爺さんが借り切ったであろうとある大ホールなのだが、お袋と共にそこへやって来た俺は目の前の光景に絶句する他なかった
『俺は何を見せられているんだろうな?』
『何って恭弥の女装?』
目の前の絶句したくなる光景……それは女装した親父が爺さんのお酌をしているという息子じゃなくても気色悪い事この上ない光景で二度と見たくないし、明日親父と顔を合わせた時にどんな顔すればいいのか分からなくなる
『ハッキリ言うなよ……、現実を受け入れられなくてお袋を始めとする同居人達に甘えたくなるだろ?』
今の親父はキャバ嬢が着るようなドレスを身にまとい、薄く化粧をしている。これが女性ならギャップ萌えとか褒める要素はありそうなんだけど、いい歳のオッサンで脛毛は濃いわ、髭は手入れしてないわで化け物と言っても過言ではないくらい酷い。むしろ化け物の方がマシに思える
『え!? きょうはお母さんに甘えたいの!?』
そりゃ俺だって子供だから母親に甘えたくなる時はある。小五から徐々にそれもなくなり、いつの間にか母親……いや、誰かに甘えるのは悪であり、恥だと思うようになった。でも内心では誰かに甘えたいという気持ちがなかったわけじゃない。そんな事より、誰かに甘えたいなんて滅多に言わない俺がこんな事を口走るだなんて親父の女装の破壊力は抜群だったみたいだ
『そりゃ、俺だって人の子だ。甘えたい時だってあるさ』
幼い頃は甘える事に対して羞恥心なんてなく、自分の甘えたい時にいつだって甘えられてた。それだけ俺が幼かったというのもあるんだけど、成長とは恐ろしいもので、いつの間にかそれが恥ずかしくて出来なくなってた
『いいよ~、きょうならいつでもウェルカムだよ~』
そう言って両手を広げるお袋がこの時だけは母親に見える。元から母親なんだけど、何て言うか、普段の彼女は母親というよりも妹みたいにしか見えず、それが口調からなのか、オーラからなのか……両方だな
『気が向いたらな』
ここで拒否するとお袋はヘソを曲げ、かと言って雰囲気や流れに身を任せ、今甘えさせろと言おうものならどうなるかだなんて考えるまでもなく……結局は気が向いたらと答えるしかない
『え~! 気が向いたらぁ~?甘えてくれないの~?』
甘えないとは言ってないのに不満の声を上げるお袋。本当に今日の零達もだが、一緒にいると疲れる……。旅行という事でテンションが高くなっているのは分からなく、楽しい旅行をぶち壊すような真似したくないから何も言わなかったけど、さすがにこれは変だと指摘したくなる
『甘えないとは言ってないだろ。つか、零達もだけどよ、お袋テンション高くね?』
変だぞと直接聞けない俺は遠回しに尋ねた。さて、何て答えが返ってくるか……
『当ったり前だよ~! きょうと行く初めての旅行だよ?テンション上がらない方が変だよ!』
零達はともかく、お袋とは初めての旅行じゃないんだよなぁ……
『零達はそうかもしれないけど、お袋とは初めてじゃないだろ?』
俺が幼い頃は家族で旅行した事くらいある。だからお袋とは初めての旅行じゃなく、何度目かの旅行だと言った方が正しい
『初めてだよ?』
そう言ってお袋は何言ってんだコイツ?という顔をし、こちらを見る。俺が変な事を言ったみたいな感じになっているが、実際に家族で旅行はした。写真だってある
『小さい頃一緒に撮った写真だってある。初めてじゃないだろ?』
幼い俺と一緒に写っているのがお袋によく似た人物だと言うのなら初めてというのは嘘じゃない
『ううん、この状態になってからは初めてだよ?』
この状態。言明されずともそれが何を指しているかは解かる。お袋が言うようにこの状態────お袋が死んでからは初めての旅行だ。それと言うのも高校入学前までの俺は引きこもり、親父とは今みたいに不仲じゃないにしろ旅行に行く仲ではなく、最後に家族で旅行に行ったのは俺の記憶じゃ俺が小三の頃で今回の旅行だってかなり久々になる
『確かにお袋の言うように今回が初めてだな』
『でしょ~?』
『ああ』
『どうだ! お母さんの方が正しかっただろ!』
エッヘンと胸を張るお袋は大層ご満悦だった
『ああ、お袋が正しかったよ。悪かったな』
『分かればよろしい!』
お袋に撫でられ、俺はほっこりしていた。そんな時だった────────
「きょ、恭弥……な、何をしているのかしら?」
女装し、爺さんにお酌をしている親父を今しがた入って来た夏希さんが引きつった表情を浮かべながら声を掛けた
「ヒ、ヒトチガイジャナイデスカ?ワタシハキョウヤサンデハアリマセンヨ?」
マズい人にマズイところを見られたと思ったのだろうか、親父はカタコトで人違いを主張するも……
「私が見間違うわけないでしょ?貴方は恭弥よ」
夏希さんはそれをいとも簡単に見破った。まぁ、あんなカタコトで誤魔化しきれるわけがないんだけどな
「ワタシ、キョウヤサン、チガウ。ワタシハキョウ=ハイガネ」
最初の時点で見破られたというのに見苦しい抵抗をする親父は格好も相まってかいつもの二倍見苦しい。オイこら、何勝手に人の名前使ってんだ?
「そう。貴方、キョウ=ハイガって言うのね?」
「エエ、ワタシ、キョウ=ハイガ。ヨロシクネ」
人の名前を勝手に使った挙句、バレてると知りながらも見苦しく抵抗する。高校生の身でありながら見苦しさを通り越し、無様とも思える。俺ならぶん殴ってるところだ
「そう……、じゃあ、私の愛した恭弥はどこに行ったのかしら?」
腕を組み、今までの凛とした態度を崩す事なく聞いてるこっちが赤面しそうな台詞を平然と言う夏希さん。この人はどうして親父と結婚したんだろうか?もしかしたら金目当てなのでは?と疑心暗鬼になった事もあったが、ちゃんと親父を愛していたようで何より。それはそうと親父はこの質問になんて答える?
「そ、それは、そ、そのぉ……」
夏希さんから目を逸らし、しどろもどろになる親父は心なしか汗を掻いてるように見える。ところでさっきから爺さんが静かなのは何でだ?
『修羅場にも似たこの状況で爺さんが動かないとは意外だった』
孫である俺の恋愛事には呼んでもいないのに首を突っ込んでくるのに息子である親父の修羅場には首突っ込まないとか理不尽じゃないですかねぇ……
『そりゃそうだよ。だって……』
『だって?』
『だって酔い潰れて寝てるし』
お袋の指さす方向を見ると彼女の言う通り爺さんは寝息を立てながら気持ちよさそうに寝ている。イビキ一つ搔かず、酔っ払いにしては静かな方だ
『自分の息子がピンチだってのによく寝てられんな』
自分の息子がピンチなのにそれを止めもせずに寝る奴は世界中探しても爺さん一人だけだろうな
『恭弥よりきょうが女性関係でピンチになった方が面白いって思ったから寝たんじゃない?お母さんはきょうが自分以外の女性に囲まれるところなんて見るだけでも嫌だけどね~』
前は俺が誰と結婚してもいいみたいな事言ってたクセに……
『母親なら息子が多くの女性から好意を寄せられたら喜ぶと思うんだけどなぁ……』
ハーレム状態は見ていると腹が立ち、中心にいる人物を殺してやりたいと思うほど妬ましい。一般的にはこう考える人が多いと思う。俺はそうは思わず、複数の女性に囲まれ、その中心でゲンナリしている男を見るのが最高に面白い。人の不幸は蜜の味って言うが、ハーレムってある意味では不幸だろ
『きょうにはお母さんだけを見ててほしいの!』
お袋の言葉はとてもじゃないが息子に向けて言う言葉じゃない。どっちかっつーと親父に向けて言う言葉だろ。まぁ、その親父も今は夏希さんに滾々と問い詰められてるけどな
『はいはい。それはそうと、そろそろ部屋に戻らないか?飛鳥が帰って来てるかもしれないしよ』
女装した親父を最初は気色悪いと思っていた俺だけど、慣れとは恐ろしいもので今じゃ気色悪いとは思わず、むしろネットに上げたら面白そうだとすら思えるようになってきた。もちろん、同じ趣味の人間が寄って来るんじゃね?的な意味で。面白いとは思ってるけど、ずっと見続けると飽きてくる。
『そうだね~、飽きてきたから戻ろっか』
俺が言わなかった事を……
『だな』
俺とお袋は大ホールを出て部屋へ戻った
部屋に戻ってくるとそこにいたのは────────
「おかえり、恭クン」
仁王立ちで顔は笑顔でも目が笑ってない飛鳥だった
『た、ただいま……』
何も言われずとも飛鳥が怒っているのは分かる。が、怒っている理由が分からない
「どこ行ってたの?」
『どこってちょっと散歩だよ』
幽体の状態で出歩いてたのを散歩と言っていいのかは疑問ではあるものの、他に言い訳が思いつかない
『散歩じゃなくてお母さんとデートでしょ~?』
余計な事を言うなお袋
「ふ~ん、私を放置して早織さんとデートしてたんだ?」
放置も何も飛鳥だって零達とプールで遊んでたじゃねぇか……。それとお袋、酔っ払いの巣窟に出向いた事をデートとは呼ばん
『デートじゃなくて散歩だよ。ちょっと親父達のところに行ってただけだ』
親父達のところに行ってたのは事実でウソは吐いてない
『デートでしょ~?』
「デートだね」
状況を知らない飛鳥はともかく、お袋はおかしくね?女性と一緒に部屋を抜け出し、デートで行った先が地獄とか笑えないんだけど……
『デートじゃないから。つか、デートで行った先が地獄とか嫌すぎるだろ』
「『デートじゃん!』」
め、めんどくせぇ……。もう否定する気も起きない
『はぁ……、もうそれでいいよ……、それよりも俺は疲れたから身体に戻って寝るわ』
これまでの疲労からか精神的にも肉体的にも疲れ果てた俺は身体に戻るとそのまま目を閉じた。飛鳥とお袋が文句を言っていたが、そんなの知るか
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