「何じゃ?その程度も知らんのか?」
俺がいるのは茜の部屋の前。目の前にいるのは厭らしい笑みを浮かべた我が祖父。これは……ジジイを全力でぶん殴っていいという啓示か?
「知らねぇから聞いてんだよ!」
ものを知らないというのは悪い事ではない。ものを知らずそのまま放置する事や知ったかで語る方が悪い。例えば教師が知ったかで授業をしたとする。それで一番困るのは誰か?言うまでもなく知ったか教師の授業を受けた児童・生徒だ。話がズレたが、養生なんて今日初めて聞いたのに知ってるわけねぇだろクソジジイ! って事だ
「おぉ! そうかそうか! 恭にも知らぬ事があったか! いやぁ~、愉快愉快!」
このジジイ……やけに嬉しそうだな……押しつぶしてやろうか?
「うるせぇ、変態クソジジイ。ネーミングセンスゼロに言われたところで痛くも痒くもねぇよ」
萌えっ子大好き天国って怪しげなサイトか如何わしい店にありそうな名前を平然と不特定多数の人間が住む場所の名前にする辺り、爺さんのネーミングセンスと倫理観が疑わしくなる。孫としては恥ずかしい限りで怒りを通り越して呆れる
「ふむ、恭は儂の付けた名前に不満があると?そう言いたいのじゃな?」
「当たり前だ。不特定多数の人が住む場所に変な名前を付けてんじゃねぇよ」
「えー! いいじゃん! ここ建てたの儂の会社だもん!どんな名前にしようと儂の勝手じゃん!」
身体をくねらせ、駄々を捏ねるジジイ。祖父の駄々っ子を拝む日が来る事になろうとは……気色悪いとしか思えない
「駄々を捏ねるな気色悪い。それより、養生って何だよ?簡単に説明してくれ」
「ふむ、説明してもよいが、とりあえず中へ入れ。ここは暑い」
「それなら下らねぇ事でマウント取って駄々捏ねるなよ……」
アパートの名前といい、孫相手にマウント取る事といい呆れたジジイだ。自分の祖父だと思うと悲しくなる
「硬い事を言うでない、祖父と孫のコミュニケーションじゃ」
こんなコミュニケーションの取り方があってたまるか!
「次からは別の方法で頼む」
「え~! つまんなぁ~い!」
「爺さんがえ~!とか言うな! その間延びした喋りを止めろ! 気色ワリィ」
このジジイは状況を把握してんのか?アンタの会社が建てたアパートの一室にイタズラされ、鍵穴が破壊されてんだぞ?危機感持つとか、今後の対策を考えるとかしろよな……
「釣れない孫じゃのぅ。まぁよい、入れ。中で茜ちゃん達が待っとる」
「へいへい」
俺は爺さんに通され、部屋の中へ入った。のはいいんだが……
「……………………」
俺が中へ入り、後から入って来た爺さんがドアを閉める。七人分+爺さんとその部下。そこへ俺を入れると合計九人分の靴がこの狭い玄関にある事になる。人数よりも俺が気になっているのはドアから流し込まれただろう赤い色の何か。おそらくはドアを赤く染めたものと同じものだ
「恭、諸々はリビングで説明するわい」
そう言うと爺さんは俺を押しのけ、リビングへ入って行った。残された俺はというと……
「ここまでするのかよ……」
ドン引きしていた。これをした奴が何を思ってやったのかは分からない。イタズラでも嫌がらせでもこれはやりすぎだ
「はぁ……坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってか?」
溜息を吐き、適当なところで靴を脱ぐとそのままリビングへ入って行った
リビングへ行くと茜、真央がテーブルに就き、零達は適当な場所へ座り、加賀はベランダに出る窓の前に立ち、その隣には爺さんが連れて来ただろう部下が。で、爺さんは茜と真央の正面に座っていた
「待ちくたびれたぞ、恭」
先程とは違い、爺さんの表情は真剣そのもの。おちゃらけて見せても自分の会社が建て、管理している物件にイタズラされたとなれば真面目にもなるか
「あ、ああ、ちょっとな……」
玄関見てドン引きしてましたとは言えず、お茶を濁す。
「あの玄関を見れば誰だって言葉を失う。じゃろ?恭?」
「あ、ああ……それより、さっき言ってた養生の意味を教えてくれよ」
本当は茜の引っ越しに関しての話もしなきゃいけない。主にドアを元に戻す修理費は誰が支払うのかとか、話し合う事はたくさん山積みだ
「そうじゃったな、養生って言うのはのう、塗装関係で言うと塗装する際に塗料が付いて困る箇所をテープやビニールで保護する作業の事じゃ。他にも病気回復、保護やコンクリートを十分に硬化させるときに低温や乾燥、衝撃等から保護する作業を指す時にも使われるのじゃが、この部屋のドアは真っ赤に塗装されておった。じゃから、塗装の意味で覚えておいてくれると助かる」
要するに保護って意味か。それと嫌がらせに手間を惜しまないのと何の関係があるのかは分からねぇ。説明されたところで俺の頭じゃ理解出来るわけがないからいいんだけどよ
「分かった。で?養生の意味はいいとして、茜には家にに来るよう言ったんだが、この部屋は何年契約なんだ?それと、修理費と清掃費は誰が負担するかも教えてくれると助かる」
今回の場合、第三者による被害が大きい。しかし、業者側にとっちゃそんなの関係なく、部屋の住人が金を払わなきゃいけない。爺さんの事だから女の子だから全部無料!とか言いそうで怖くはあるが、聞いとくべき事は聞いとかなかないと
「それなんじゃがのう、このアパートは近いうちに取り壊す事になっとって修理費や清掃費はいらんのじゃ」
俺や茜を除く零達にとってはぶっちゃけどうでもいい話。だが、茜にとっては……
「そ、そうだったんですか!?」
衝撃的な話だったらしい
「うむ、このアパートを取り壊して新しいアパートを建てるという事が旅行前の会議で決まってのう……住人達にはこれから通知するつもりじゃったが、茜ちゃんの場合は……のう?恭」
そう言って俺を見る爺さん。こっちに話を振られても困る
「俺に振るなよ……。まぁ、それならそれで作戦を変更するか」
この建物が取り壊されるのなら予定変更だ。当初の作戦を少し変えよう
「作戦?この事態を解決するために何か考えておったのか?」
「まぁな。でも、ここの取り壊しが決定事項なら話は別だ。作戦を少し変える」
本当は作戦なんて大それたものじゃなく、イタズラの延長って表現が正しい。言い方を変えると動画クリエイターがやるドッキリに毛が生えた程度のものだ
「その作戦、聞かせてもらってもよいか?」
爺さんの一言でこの場にいる全員の視線が俺に集まる。爺さんには協力してもらおうと思ってたし零達には危ない事は控えるように言われてたからちょうどいい。
「ああ、作戦なんて言っても至ってシンプルで当初の予定じゃ茜には家へ来てもらい、この部屋をもぬけの殻にし、煽りメッセージで犯人を家まで誘導して警察へ突き出すっつーのが当初の作戦だった。だが、ここが取り壊されるってなら話は変わる」
俺が考えていた計画はこの建物が残っている事を前提としたもの。取り壊されるのなら建物で何をしようとも自由って事と同義。特に嫌がらせを受けたこの部屋はな
「聞かせてみい」
「簡単な話だ。茜にはこの部屋を出て家に来てもらう。ここは前と変わらねぇけど、ここからは少し変える」
「どう変えるのじゃ?」
「家具を家に運び終えたところでこの部屋のドアを溶接し、鍵を開けたても開かないようにする。取り壊しも決定してんだ、入られて妙なイタズラでもされたら爺さん達が困るだろ?」
表面上は侵入を防ぐためとか言ってるけど、これはかなり金の掛かるイタズラだ。ちょっと歪んだ感性の持ち主がやるってのが頭に付くイタズラだ
「まぁのう。ケガでもされて裁判を起こされても困るわい」
「だろ?かと言って進入禁止って看板を立てたり張り紙したところで入ってくる奴は入って来る。だったら溶接して完全にドアが開かないようにすればいいってのが俺の考えだ。やるかどうかは爺さんに任せる」
空き部屋に限らず、使ってない建物に入るのはかなりリスクを伴う。見つかって警察へ逮捕される可能性があり、老朽化が進んでいれば何かの拍子にケガをする事だってある。だが、面白半分に侵入してくる奴はリスクを考えない。自分が楽しけりゃそれでいいし、雨風を凌げれりゃそれでいいと言った感じで自分の事しか考えておらず、結果としてどうなるかなんて微塵も考えてない
「分かった。茜ちゃんの引っ越しはこれから部下を呼んでこれから始めるが、それでよいか?」
「それは茜に聞いてくれ。決めるのは俺じゃない」
俺はそれだけ言って茜の部屋を出た。
茜の部屋を出てすぐ。俺はドアにもたれ掛かり……
「はぁ……」
今日何度目になるか分からない溜息を吐いていた。
『どうしたの?きょう、溜息なんて吐いて』
「別に何でもねぇよ」
『そう?お母さんには疲れてるように見えるけど~?』
疲れているように見えるのなら気のせいだ。俺は疲れてなどいない
「気のせいだ。俺は疲れてなんて────」
いないと言おうとしたところで俺の身体はゆっくりと崩れ、意識が遠のいた
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