「はぁぁぁぁぁ~、やっと一息つける……」
更衣室を出た俺は使っていた水着を備え付けの袋に入れてフロントへ返し、早々に部屋へと戻り、そのままベッドへと飛び込むと枕に顔を埋めて今日一日の疲れを一気に吐き出すかのように深く息を吐いた。
「飛鳥達……まだ遊んでんのかな……」
寂しいというわけではないにしろ広い部屋で一人というのは少々寂しい。家だと零達がいて賑やかだから一人になるのは本当に久々だ。と言っても高校入学前はお袋が亡くなった後は親父が仕事に出たら一人だったから四か月ぶりで久々というほどの事でもない
「はぁ……、彼女か……」
東城先生が爆弾を投下するまで俺は彼女────というか、恋愛の事なんて考えた事がなかった。そのせいか欲しくも何ともないのについ口から彼女というワードが出てきてしまった
「俺と付き合いたいだなんて物好きいんのかよ……」
正直な話、零達が友達すっ飛ばして恋人になるだなんて発言をよくするが、ハッキリ言おう。あれはネタだと思っている。そもそもが俺の彼女になりたいだなんて物好きがいたら見てみたい。だってダメ人間の俺だぞ?そんな俺の彼女になりたいだなんて奴は聖人君主か何かだろ
「こんな俺の彼女かぁ……」
どんな奴が俺の彼女になるんだろうなぁと思いながら目を閉じ、彼女がいる自分を想像し、すぐ止めた。今すぐにでも彼女が欲しいとも必要だとも感じず、考えるだけ時間の無駄だからな
「彼女がいたら自分の時間が減る上に金が掛かって仕方ねぇ……」
相手が金に汚くなければいい。そうじゃなかった場合を考えると面倒でしかない。それに、相手に貢がせる女って自分にそれだけの価値があると本当に思っているのだろうか?だってそうだろ?男に貢がせる、尽くさせるほどの事をしたのかとか、そこまでさせるほどの容姿をしているのかと考えた時、出る答えはNOだ。ブス、性格が悪い奴に限って尽くさせたがり、貢がせたがる。
「アホらし……。まぁ、暇つぶしのオモチャとしてはちょうどいいか」
俺が考える金食い女の対処法は簡単だ。一番最初に貢がせる前に名前の欄と印鑑の欄に切れ込みを入れた封筒を差し出し、それにサインと印鑑を押させる。封筒の中身は言うまでもなく借用書で自分の財布に限界が来るか別れ際にでもそれのコピーを渡せばいい。めでたく相手は借金まみれというわけだ。まぁ、こんな浅はかな手に引っかかるバカな女はいないだろうけど
「止めた止めた。彼女なんていてもいい事なんて何もねぇ……」
彼女いた事ない奴が何言ってんだって話で申し訳ない。これだけは言わせてくれ、彼女なんていたら出費と自分の時間が減るだけで損する事はあってもいい事なんて何もないぞ
『そうだよ、きょうにはお母さんがいるから彼女なんて必要ないよ~』
プールにいた時はヘソを曲げ、部屋に帰って来た時はおろかその道中でも一切口を開かなかったお袋が口を開いたと思えばいきなり何を言い出すんだよ……
「プールからここへ戻って来るまでヘソ曲げてずっと喋らなかったのにいきなり何だよ?」
『きょうがお母さんそっちのけで零ちゃん達とイチャついてるのが悪いんでしょ~?』
「イチャついた覚えがないんですけど……」
あれはイチャついてたって言うよりもどちらかと宇宙人捕獲ごっことか謂れのない事で問い詰められてたと言った方が正しいだろ
『イチャついてたもん! お母さん知ってるもん! 何さ!何さ! お母さんの事はほったらかしで零ちゃん達ばっかり!』
ただでさえ疲れているところにお袋の幼児退行……。零達ばかりに構っていたと言われてもあの場には一切事情を知らない盃屋さんもいた。そんな状況で幽霊のお袋に声なんて掛けたら彼女は軽いパニックに陥るぞ……
「あのなぁ……、あの場には盃屋さんもいたんだぞ?そんな状況でお袋に声掛けたり反応なんてしたら彼女がパニックになるだろ?」
零達しかいなかったなら普段通りに出来る。けど、あの場には盃屋さんもいた。彼女の職業や知名度を考えると悪い人間じゃなかったとしても迂闊な行動は出来ない。アニメ関連のイベントやラジオに加えて声優がラジオ番組やネット限定にはなるものの、テレビ番組を持つような時代だ。特に今回の旅行にはその声優が大勢来ているからお袋との会話となると必然的に場所が今いる部屋か男子トイレの個室と一人に慣れる場所に限られるのは言うまでもない
『でも!でも! 構って欲しかったもん!』
普段なら少しくらい放置したところで簡単にヘソを曲げたりしないお袋が今日に限って簡単にヘソを曲げるとは……どうなってるんだ?
「それなら今────」
俺はその先を言う事はしなかった。言おうとしたところで俺はナイスアイディアを思い付き、それ以上の言葉を飲み込んだ
『今?今何さ?言っとくけど、今構ってるだろ?って言うのはなしだからね!』
「言わねぇよ。お袋の望み通り構ってやろうと思ってはいたけどな」
『本当!?』
「ああ、本当だ」
目を輝かせ、期待の眼差しを向けるお袋。さっきの幼児退行といい、今といい、この女性はいくつなんだと疑わしくなる
『じゃあ今すぐ構って! さあ!さあ!』
構ってもらえるのが余程嬉しいようで今度は早くしろと急かしてきた
「待て!待て! 今幽体離脱すっから!」
『早く早く!』
俺はそのままの体勢で幽体離脱し、幽霊となった。のはいいんだけど……
『何も見えない……』
身体に戻ったあの日俺はお袋に脅迫される形でアイマスクを着けた。その後は一度も幽体離脱してなかったから気にも留めなかったけど、俺はアイマスクを着けたままだった
『そう言えばあの日以来きょうは幽体離脱してなかったもんね~、忘れてた~』
俺がスキンシップ可能な状態になったのかお袋の声色も言葉遣いもすっかり元通りとなるのだが、そんな事よりも早くアイマスクを外してほしい
『それよりも早くアイマスクを取ってくれ。このままじゃ何も見えない』
幽体だから壁に激突するなんて事はないにしろ何も見えないというのは非常に不便で不安だ。人間視界を奪われたらどこにいるか、誰といるかが分かっていても不安になってしまう
『今取ってあげる~』
そう言って本当は視界不良の俺に何かするんじゃないかと思っていた。そんな俺の予想に反し、お袋は何もせず、アイマスクを取ってくれた
『意外だな、目が見えない状態の俺に何もしてこないだなんて』
日頃のお袋を見ていると寝ている間、あるいは今みたいにアイマスクで目が見えない状態だったりと俺が抵抗出来ない時に何かしてくるのか勘繰ってしまい、自分はいつか食われるのでは?なんて考えてしまう
『当たり前だよ。お母さんはきょうから手を出してくれるのを待ってるんだから』
何を言っているんだ?この母親は
『俺が実の母親に手を出したらマジでヤバい奴だとは思わないのかよ……』
『思わないよ?そりゃ生きてる時だったら手を出してほしいなぁ~とは思ってたけど、自分達は親子だからって踏みとどまったよ?でも、今は幽霊で法律や倫理観なんてないからきょうがお母さんにあんな事やこんな事しても平気だよ!』
確かに幽霊となってしまえば法律とか倫理観なんてない。けどなぁ……何て言うか、こう……、息子が実の母に手を出すってどうよ?
『お袋の言う通りかもしれないけどよ、何て言うかこう……息子が実の母親に手を出すってのは客観的に見たら気持ち悪いだろ?』
生者であれば母と息子、兄と妹、姉と弟という所謂血縁関係にある者同士が恋愛的なお付き合いをするのは世間から変な目で見られる。その血縁カップルが肉体関係を結んだと知られたらそりゃもう、勘当されたり、離婚されたりと付き合っている当事者達もその周囲にいる人間も不幸になるばかりで誰一人として幸せにはなれない悲しい結末を迎える。生きている人間ならな
『別に~?お母さんは気持ち悪いとは思わないよ~?』
それはお袋が幽霊だからだろ?
『そりゃお袋は幽霊だからな、生きてる人間が定めた決まりの外にいるからそう言えるのであって生きてる人間はそう思わないんだよ』
人間生きてる以上何かしらの決まりに縛られて生きている。決まりがなきゃやりたい放題で秩序も何もあったものじゃないから仕方ない事ではあるけど、それが煩わしいと思う事もあり、面倒だとは常々感じていたりする
『そうなの?まぁいいや、それよりきょう』
『んだよ?』
『早く構って!』
こうして話をしただけじゃ満足でき────ないですよね……。飛鳥はともかく、琴音と過ごした様子を見てきたお袋がこの程度で満足するわけがない
『はいはい。っつっても何すればいいんだ?』
構ってと言われても俺はどうしたらいいんだ?
『とりあえず琴音ちゃんにした事と同じ事して!』
琴音にした事と同じ事……抱きしめろって事なんだろうけど、琴音の場合、俺はベッドに寝ころんで両腕を広げただけで抱き着いて来たのは琴音からだ
『同じ事をしろって言われても最終的に抱き着いてきたのは琴音からだぞ?』
『知ってるよ! きょうは琴音ちゃんの時と同じように仰向けになって両腕を広げてくれるだけでいいから!』
『まぁ、それだけなら』
俺はお袋の指示に従い、仰向けで両腕を広げた。そして────
『きょ~う~! お母さん寂しかったよぉ~!』
お袋は俺の胸に思い切り飛び込み、頬擦りをした。飛び込んできたのがお袋ってとこ以外は琴音の部屋であった事の再現で驚く事はなかったものの、母親がこんな風に甘えてくるというのは妙な気分だ
『あー……悪かったな』
飛び込んできたお袋をそっと抱きしめ、頭を撫でる
『本当に寂しかったんだから……、この旅行には大勢の人が参加しているから難しいと思うけど、ちゃんとお母さんの事も見ててよ……』
今の言葉でお袋が幼児退行した理由が何となく分かった。家じゃ盃屋さん以外の同居人はお袋が見えて当たり前だから俺が彼女と話していても何ら問題ない。それに引き換え今回の旅行はいつもとは違い、同居人以外にも参加者がいてその中でお袋が見えてる人間は盃屋さんを除いた同居人達と親父達、それと爺さん。千才さん達がいるとはいえ、少なからず疎外感というのを感じていたみたいだ
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました
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