姉ちゃんとの邂逅は俺にとって文字通り思わぬ出会い。小学生が泣いてたところで普通の人間は声なんて掛けない。ベンチに座っているなら尚更な。もう一人の俺はどうしてこのタイミングで初恋────いや、姉ちゃんの事を思い出させたのかは分からない。だが、何か意味があるとは思う
姉ちゃんと出会ってから一週間。俺は毎日のように出会った公園に通い詰めた。土曜も日曜も関係なく、毎日同じ時間、同じ場所に足しげく通う俺。小学生だったから許されたが、今じゃ完全にストーカーだ。
「恭君、今日も来てくれたんだ」
「うん。家にいても暇だったからね」
昼下がりの公園。鳥の鳴き声や子供が遊ぶ声でお世辞にも静かとは言えなかったが、姉ちゃんの声がクリアに聞こえた。恋は盲目ってやつだったのかもしれない。
「宿題とかないの?」
「ない……わけじゃないけど、そんなのとっくの昔に終わらせたよ。それより、僕だけ名前教えて姉ちゃんだけ名前教えてくれないとか不公平だよ。名前教えてよ」
幼き日の俺は不満に満ちた顔で姉ちゃんを見る。初めて会った日、俺は名乗ったが、彼女は名乗りもせず、自分の事は姉ちゃんと呼べって言っただけだった。この日に至るまでしつこく名前を聞いたが、教えてもらえはしなかった。彼女曰く有名になったら教えてあげるとの事。当然、答えは────
「だーめ。前も言ったでしょ? 有名になったら教えてあげるって」
ノーだった。有名になったら教える。これは出会った初日からこの日に至るまで言われ続けた事だった。だが、小学生にこの手が何度も通用するはずもなく……
「えー! 有名になったらって姉ちゃんは何になるつもりなんだよ!」
拗ねた。この時彼女が何を目指しているか分からなかった俺は拗ねるしかなかった
「うーん……恭君にはまだ難しいと思うけど、それでも聞きたい?」
姉ちゃんは一瞬困った顔を見せ、すぐに真剣な顔になった。
「うん。知りたい」
「絶対に笑わない?」
「笑わないよ」
真剣な表情から一変。不安気な表情に変化。彼女の夢ってのは理解のない人からするとバカげたものだった。それを知ったのは後になってからなんだけどな
「そっか……。なら言ってもいいかな……」
俺が固唾を飲んで見守る中、何かを決意した姉ちゃんはゆっくりと口を開き、自身の夢を語った。その時の彼女の顔は最高に輝いていた。だが、これが姉ちゃんを見る最後の日になるとはこの時の俺は思ってもいなかった
彼女の夢を聞いてから一週間後。正しくは姉ちゃんと出会って二週間が経過したある日の事
「姉ちゃん遅いな……」
学校が終わった俺はいつも通り姉ちゃんを待っていた。待ち合わせの約束はしてなかったが、何となくこの時間────午後の時間帯ならいると思っていた。だが……
「来ない……」
いつもなら来ていてもおかしくない頃なのに姉ちゃんが一向に姿を見せない。元々約束してないから来なかったとしても仕方のない事。裏切られたとは思わなかった。僅かな寂しさを感じただけで
「今日はもう帰ろうかな……」
徐々に日が傾いてきて辺りが薄暗くなり始めた頃、俺はこれ以上待っていても無駄だと感じ、ベンチから立ち上がった。その時────
「キミが灰賀恭クンかな?」
帰路へ就こうとした俺を呼び止める女の声がした。怪しいとは思ったが、一応、振り返った。
「え、えっと、どちら様でしょうか?」
振り返るとショートカットのボーイッシュな女性とツインテールの妹系な女性。そして、髪はショートカットだが、クールビューティな女性がいた。三人共喪服を着ていたから誰かの葬式帰りらしく、目が真っ赤に腫れてたところを見るに泣いていたようだ
「姉ちゃんって言えば分かるかな?」
最初に口を開いたのはショートカットのボーイッシュな女性
「は、はい……」
「じゃあ、キミが灰賀恭クンなんだね?」
「は、はあ、そうですけど……。僕に何か用ですか?」
「そっか……、そっかそっか……。実はキミに姉ちゃんから手紙を預かってるんだ」
「僕に?」
「うん」
ボーイッシュな女性がバッグから一枚の封筒を取り出し、俺に渡してきた。姉ちゃんの字……かどうかは分からなかったが、そこには確かに『恭君へ』と書かれていた
「えっと……」
突然渡された手紙に俺は戸惑った。姉ちゃんと出会って一週間程度だったから彼女が書いた字を一度も目にした事がなく、姉ちゃんから手紙を預かってきたと言われて渡されてもどうしていいか分からなかった
「開けて見て。私達もまだ中身は見てないから」
「はい……」
俺は言われた通りに封を開け、手紙を読んだ俺は……
「な、何ですか? これは?」
書いてある事が信じられなかった。いや、手紙の意味すら理解してなかったと言った方が正しい。結論から言えば渡されたのは姉ちゃんが俺宛に書いた遺書。だが、小学校二年生で遺書が何か理解してる奴の方が少ない。
「姉ちゃんからの遺書……って言っても小学生のキミには分からないか」
「はい」
「簡単に言うと、姉ちゃんが最後にキミへ残した手紙だよ」
「最後って?」
「姉ちゃんね、遠い場所に言っちゃった……」
そう言うボーイッシュな女性の声は涙声でツインテールの女性は泣き出してしまい、クールビューティな女性が寄り添う。だが、彼女の目にも薄っすら涙が浮かんでいた。俺は……
「遠い場所? それってどこですか?」
ボーイッシュな女性が言った事を理解出来ないでいた。小学校二年生の俺には人の死というのがよく理解できなかった。身近に亡くなった人がいなかったからだ
「お、お空の上……かな……」
俺の質問に答えたのは涙声ではあったが、どうにか泣くのを堪えていたボーイッシュな女性。
「そう……ですか……」
言われた事や起きていた事は理解できなかったが、彼女達が悲しんでいるのは小学校二年生の俺でも解った。でも、この時の俺は悲しんでいる彼女達に掛ける言葉が見つからず、どうしていいかも分からなかった。どうする事もできず、ただ悲しみに暮れ、泣いてる彼女達を見ているだけ。初めて自分の無力さを痛感した瞬間だったと思う。
あの後、自分がどうやって家に帰ったかは覚えていない。気が付けば家にいた。早織に姉ちゃんの友達と思われる人に会った事や、渡された手紙の事を話し、実際にそれを見せたら不安そうな顔で俺を見つめてきたのはよく覚えている。姉ちゃんの事は話してたしな。
『姉ちゃんの事を思い出した感想はどうだ?』
もう一人の俺が真剣な表情でこちらを見てくる。コイツは姉ちゃんの事を思い出させて何がしたいんだ?
「どうだって……聞かれても分かんねぇ……。ただ、初めて好きになった人を失った喪失感はあったと思う」
今はスクーリングの最中。コイツが出てくる事に異論はねぇが、姉ちゃんの話をするのは間違っていると思う
『喪失感か……』
「ああ。あの時だけの事を思い出すとだがな」
『そうか。じゃあ、続きを思い出すとどうだ?』
続きを思い出すと……か。そんなの決まっている
「殺意が湧く」
『だろうな。直接関わってなくても姉ちゃんはそれが原因で自ら命を絶ったんだ、お前が殺意を抱いても不思議じゃねぇ』
手紙を渡された時の事だけを思い出すと喪失感しか湧かねぇ。胸にポッカリと穴が開いた感じしかしない。だが、その後の事を思い出すと話は別だ。直接会った事はねぇからどうしようもないが、俺はソイツを殺したいと思っている
「殺意が湧くとは言ったが、もう十年近くは過ぎてる。相手だって忘れてるだろ」
姉ちゃんと出会った頃の俺は八歳で今が十六。八年の歳月が過ぎている。今更続きを思い出し、殺意を抱いたところでどうしようもない
『忘れてるだろうな。ところで、お前は姉ちゃんの夢を覚えているか?』
「ああ。小説家だろ? 忘れるかよ」
姉ちゃんがなりたかったものは小説家。何でも昔読んだラノベに感銘を受けて自分も小説家を目指そうと思ったとか。名前を教えてくれってしつこくせがんだ時に話してくれたのをよく覚えてる。キッカケとなった小説も読ませてもらった。だが……
『覚えていたようで何よりだ。だが、あの読ませてもらった小説は……』
「感嘆符や疑問符の後にスペースがなくて読みづらかった」
『その通りだ。わざとなのか編集側あるいは作家側のミスかは知らんがな』
姉ちゃんから読ませてもらった小説は疑問符や感嘆符の後にスペースがなく、感嘆符に至っちゃ半角。読みづらかったのはよく覚えている。読みづらくはあったが、それ以上に内容が面白かった。だから書籍化したのかもしれない。俺はあの小説を読んで初めてルールは存在すれどそれは所詮様式美でしかない事を知った。確かあの作品の編集を担当した奴の名前は────
「そこは出版社に問い合わせるしかないだろ。つか、今更過去を思い出させて何がしたいんだ?」
コイツが出てきたのと姉ちゃんの事を思い出させる事の因果関係がまるで掴めない。もう一人の俺は初恋を思い出す事が俺の今後の在り方やコイツが何者かを知る事へ繋がると言われて思い出してはみたが、何の関係があるのか全く分からない
『思い出す前にも言っただろ? 初恋が今からする話の始まりだって』
「ああ。それは聞いた。言われたところで意味は分らんけどな」
『んじゃ、回りくどい話はナシにして、俺が何者かを話すとしようか』
「そうしてくれ」
もう一人の俺は一度深呼吸するとゆっくり口を開いた
『ハッキリ言おう。俺はお前の霊圧だ』
「は?」
俺はもう一人の俺が何を言っているのか分からなかった。信じられないというのが一番大きい。今の今まで早織から霊圧が意志を持つだなんて話は聞いた事がない。
『信じられねぇか?』
「当たり前だ! そんな話聞いた事ねぇよ!!」
『だろうな。俺に自我が芽生えたのは姉ちゃんが亡くなったと知らされたあの日だ。信じられねぇとは思うけがな』
信じられるわけがない。リアルガチな話をするとだ、第二人格が生まれるのって自分にとって耐え難い精神的苦痛を受けた時と相場が決まっている。マンガ的な話をすると苦痛を受けた時か失われた力を強引に戻そうとした時。俺の体験を元に話をするとだ、辛い事はあったが、もう一人の自分を生み出してまでかと聞かれると答えは否。大切な人の死は人間誰しもいずれは体験する。もう一人の俺の言っている事は俄かに信じがたい
「当たり前だろ! 姉ちゃんが亡くなったのは悲しい! だが、もう一人の自分を生み出してまでその事実から目を逸らそうとは思わねぇ! 大切な人を忘れねぇためにもな!」
大切な人の死は確かに辛い。だが、生きていれば辛い事など山のようにある。それをどう乗り越えるかで人間の価値って決まってくると俺は思う。だからこそコイツの言ってる事はもちろん、コイツの存在を認めるわけにはいかない
『確かに大切な人を忘れねぇためにはその人が死んだ事実から目を逸らしちゃならねぇ。俺の自我が目覚めたのは別にお前が姉ちゃんの受け入れられなかったからじゃねぇよ』
「どういう事だ?」
『詳しい事は分からねぇ。言えるのは姉ちゃんっていう愛する人を失ったから霊圧に自我が芽生えたって事くらいだ。信じられねぇとは思うがな』
生まれた本人が理由を言えないっていうのはいいのか?
「ああ、信じらんねぇ。だが、イタズラに否定をしようとも思わねぇよ」
『意外だな。てっきり信じらねぇって癇癪起すかと思ってたんだが』
「こうして会話できてるんだ。信じられねぇと思っても目の前にいる奴を否定なんかするかよ。それより、どうして出てきたんだ?」
『どうしてって、神矢想子の同居が決定したからだが?』
「答えになってねぇぞ。神矢想子の同居とお前が出てくるのと何の関係があるんだよ」
前回出てきた時は由香の同居が決定した時だった。今回もだが、前回も前回で出てくる意味が分からない
『大ありだ。由香も神矢想子も少なからずお前に憎しみを抱かせた人物だ。俺はお前の霊圧そのもの。お前が人を憎むっつー事は俺が人を憎むのと同義だからな。釘刺しとこうと思ってな』
そう言って笑みを浮かべるもう一人の俺はそれはそれは悪い顔をしていた。ひとまず話をまとめるとだ、コイツは俺の霊圧で自我が芽生えたのは俺が愛の喪失を感じたから。姉ちゃんの事を思い出させたのは自我が芽生えたキッカケを分かりやすく話したかったからなんだろう。同じ立場だったら俺も同じ事したし。何にしても理解し難い話ではある
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