曾婆さんの元を後にした俺と東城先生は車へ乗り込むとすぐさまホテルを目指した。別に急ぐ必要なんてなく、ゆっくり戻ってもよかったような気もする。実際、急ぐ必要はなかったしな。だが、この時の俺は多分、声を荒げる事はなくとも内心焦っていたんだと思う
「恭ちゃん、私は車を返してくるから先に戻ってて!」
ホテルに着くと俺達は玄関ホールで分かれ、俺はエレベーターの方へ向かい、東城先生はフロントへと駆け込んだ
エレベーターに乗ると自分の部屋がある階のボタンを押した。安全のためエレベーターの扉が閉まるまでには少し時間が掛かる。とは言っても何時間単位ではなく、数分あるいは数秒単位だが、俺にはその僅かな時間も長く感じ、開閉ボタンを押して扉を閉めた
「神矢という苗字の奴はどうしてこうも俺に騒動を持ってくるかねぇ……」
エレベーターが九階へ上がる途中、俺の口から何気なく出たのはまだ見ぬ神矢想花への不満。本当は神矢という苗字の人間全てに対しての不満だったのかもしれない
『神矢という苗字の人できょうが会った事あるのって神矢想子だけでしょ~?』
「ああ。あの後どうなったか知らんけど、今のところそうだな」
『それより、お母さんはずっと気になっていた事があるのです!』
「気になっていた事?」
『神矢想花が自分の事を灰賀真央って名乗った理由だよ。変だと思わない?』
「言われてみれば……」
お袋に言われるまで何とも思わなかったけど、確かに気になる。真央の身体を乗っ取っている奴の本名は神矢想花。でも、俺に名乗った名前は灰賀真央。明らかに変だ
『でしょ~?』
「ああ……」
『何でだろうね?』
「こればかりは本人に直接聞くしかないよな……」
神矢想花……知っているのは名前と彼女が男性嫌いだという事のみで肝心な事は何も分からない。俺が旅行に来て巻き込まれた騒動は今までで一番とは言わないが、それなりに難しいものがあるのかもしれない
謎が深まったところでエレベーターは九階へ到着。俺は足早に自分の部屋へ向かい、カードキーでドアを開け、自室へ。すると……
「お前! いい加減にしろよ!」
部屋に入るなり男性の怒声が飛び込んできた
「あら、何をどういい加減にすればいいのかしら?私は何も間違った事は言ってないわよ?」
どうやら真央(神矢想花)と男性の喧嘩はまだ続いていたようで、何やら言い争っているご様子
「ふ、二人とも落ち着いてください!」
「そうですよ! ここは恭君のお部屋ですよ!」
その言い争いを止めようと琴音と闇華が必死になって仲裁。他の連中はというと、真央は女性陣が、男性の方は男性陣がといった感じで双方の身体を押さえつけていた
「はぁ……何してんだよ……」
喧嘩の方に夢中でこの場にいる全員戻ってきた俺に目もくれないどころか気づきもしなかった。忘れられた俺は目の前の状況にただただ呆れるだけだった
『見てないできょうも止めないと!』
お袋が仲裁するように言ってくるけど、ハッキリ言おう。喧嘩の発端が何であれあまりにもアホ臭く、声を出すのすら面倒だ
「アンタ達! いい加減止めなさい!」
真央の身体を抑えていた零が止めるように言う。しかし────
「うるさい!」
「うるさいわ。子供が大人の話に首を突っ込まないで」
二人はそれを一蹴。真央(神矢想花)は大人の話に首を突っ込むなと言うが、大人なら部屋主不在の部屋で怒鳴り合いなんてしない。
「恭……」
喧嘩を止められなかった零は俺の名前を呟くとそっと涙を流し始めた。
『きょう、そろそろ本当にマズいよ?』
真央の方は何で押さえつけられているのかは知らんが、男性の方は本格的にヤバかった。顔真っ赤だし額に血管浮き出てるし
「だな。今回ばかりは仕方ねぇか……」
人前に顔を出す職業の人が大勢いる中で霊圧を行使するのは気が引けたが、部屋の中を滅茶苦茶にされるよりはマシだという結論に至った俺は真央と男性目掛け、地面に這いつくばる量の霊圧を飛ばした
「「─────!?」」
俺の霊圧に当てられた二人は驚いた顔で倒れこむ。押さえつけていた人を若干数巻き込みながら
「恭!?」
「恭君!?」
霊圧で二人が倒れた事で零達はようやく俺の存在を認識したのか驚いた顔をしている。驚いた声で俺の名を呼んだのは零と闇華のみだけど
「いい大人が人の部屋で何してんだか……」
「貴方には関係ないわ」
「そうだ!! 子供が大人の話に口を挟むんじゃない!!」
俺が呆れ気味に言うと喧嘩していた大人達から返ってきた返事は零の時と同じもの。どうやら二人は大人の話というか、喧嘩をしていたと思っているらしい
「関係ない、大人の話に首を口を挟むなと言われてもここは俺の部屋だ。そういうわけにもいかねぇだろ」
出来る事なら俺だって大人のみっともない喧嘩に口出ししたくない。見ている分には滑稽で面白いとは思う。巻き込まれたら嫌だけど
「うるさい!! これは大人同士の────いや、声優同士の話だ!関係ない奴は引っ込んでろ!」
「誠に遺憾ながらその通りよ。これは大人同士の話であり、声優同士の話なの。貴方の出る幕ではないわ」
大人同士の話って言ったと思えば今度は声優同士の話ときたか……。マジでめんどくせぇ……それより────
「きょ、恭クン……お、重いから早く何とかして……」
「た、助けて、ぐ、グレー……」
「こ、こっちも、た、頼む……」
「く、苦しい……」
真央(神矢想花)と男性の下敷きになっている飛鳥、茜と男性二名の救出が先か
「あー……何とかしろって言われてもなぁ……暴れだしたら面倒だしなぁ……」
真央(神矢想花)は暴れだす心配というのは多分ない。対して男性の方は暴れだしそうなんだよなぁ……さて、どうしたものか……
『とりあえず霊圧を引っ込めたら?』
それで暴れだしたらどうするんですかねぇ……
『暴れだしそうだと思ったら霊圧当てて地面とキスしてもらえばいいでしょ~?』
投げやりかつ表現に若干卑猥さを感じるけどそれで行くかねぇ……。じゃないと────
「「「「は、早ぐ~」」」」
飛鳥達が危なそうだし
「はいはい……」
俺は地面に突っ伏している二人が何もしない事を祈り、霊圧を引っ込める。
「「「「や、やっと解放された……」」」」
「い、今のは一体……」
「この私が男ごときにしてやられるとは屈辱だわ」
起き上がった人達の反応は多様で真央(神矢想花)と男性の下敷きになった四人は解放された事を喜び、男性の方は突然の事に戸惑っている。真央(神矢想花)はトリックが分かっているからか俺を睨む。
「んじゃ、喧嘩の原因を聞こうか」
解放された六人に俺は喧嘩の原因について探りを入れる。悪いのは真央(神矢想花)だとは思うが、もしかすると男性の方にも何か原因があるかもしれないしここは公平にいこう
「さっきも言ったろ! 子供が大人同士の話に首を突っ込むなって!」
「貴方には関係ないわ。引っ込んでなさい」
はい、二人ともまともに話す気なしっと。んじゃ────
「人の部屋で喧嘩しといて大人同士だ?ふざけんな」
再度霊圧を当て、地面に這いつくばらせますか
「「────!?」」
はい、これでとりあえず喧嘩している二人は大人しくさせましたっと。
「ぐ、グレーって怒ると怖いんだ……」
「「「同感……」」」
事情を知らない茜達声優陣は俺が怒っていると思っていてくれて助かった……信用していないわけじゃないけど、人前に出るような仕事をしている人にバレるとマジで大変だ。彼らが声優じゃなくて俳優、女優だったらより一層気を使っていたところだった。
「静かになったところで喧嘩の原因を聞こうか。零達にもだけどアンタら二人に黙秘権ないからそこんとこよろしく」
幸いな事に部屋にあるものの中でパッと見た感じ壊れたものはない。争った形跡がないから当然と言えば当然か。何だって楽しいはずの旅行なのに大人の喧嘩に巻き込まれにゃならんのやら……
「名前も知らない子供に話す事はない!!」
「私よりも年下で低能な男に話す事なんて何一つないわ」
喧嘩していた当事者達は黙秘。黙秘権ないって言ったはずなんだけどなぁ……仕方ないか。こうなるだろう事はなんとなく分かってたし
「はいはい、別に喧嘩しているアンタらは最初から当てにしてねーから。この二人の代わりに茜、喧嘩するに至った経緯を教えてくれ」
真央(神矢想花)達に見切りを付け、俺はターゲットを喧嘩の当事者達から茜へと切り替えた
「う、うん、実は─────」
茜の話によると喧嘩の理由は男性嫌いな真央(神矢想花)の罵倒。最初は男という生き物に対しての罵倒だったのがエスカレートし、喧嘩の相手である男性単品に切り替わり、それが最終的に演技がどうのって話になったらしい。お見舞い組が真央(神矢想花)の罵倒に最初は戸惑ったみたいで目を白黒させていたらしく、その話を聞いた俺は頭を痛め、結果……
「…………仕事が増えた」
天井に一言呟くだけだった
「ね、ねぇ、真央は元に戻る……よね?」
仕事が増えた現状に頭を痛めていると茜が涙目になりながら尋ねてきた。盃屋真央という存在は高多茜にとってどんな存在なのかは分からない。彼女の心配が同業者が突然おかしくなった故の心配なのか、それとも同業者じゃなく、友達としての心配なのか……。真央の事を心配しているのは茜だけじゃなく、喧嘩していた相手の男性やお見舞い組の声優陣、零達も同じだったようで皆一様に不安気な視線をこちらへ向けてきた
「当たり前だ。今のままだとみんな困るだろ」
そんな茜達の不安を少しでも拭うべく俺はなるべく優しい声で慎重に選びながら言った。
「あら、私は今のままで何も不便はないのだけど?」
そんな中、空気を読まず現状に不便など全くないと言う真央(神矢想花)。ひとまず謝らせるところから始めるか……
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