悪党には悪党なりの、絶対に守らなきゃいけない仁義が二つある。
親・兄弟の盃を交わした相手は、絶対に裏切らないこと。
真っ当な人間を、この世界に引きずり込まないこと。
この真っ当とは、相手が堅気である事を意味しない。堅気であっても、僕らみたいな悪党より恐ろしい人間はいくらでもいる。相手が同じ悪党や、鼻持ちならない堅気だからこそ、どんな卑怯なやり方をしても許されるのだ。
瑶夏は絶対に騙しちゃいけないタイプの人間だ。奪われてなお、ウルルの事を疑いすらしない彼女のような人間を、この世界に染める訳にはいかない。師匠が生きてたら、きっと僕にそういうはずだ。
僕は部屋を出ると、受付にはひーちゃんではなくユキさんがいた。おそらくひーちゃんは、部屋でずっと瑶夏の相手をしてくれているのだろう。
「お久しぶりです、ユキさん」
「洋子が貴方の連れの相手をしているのでね。仕方ないわ」
「相変わらず、働くのが嫌いなんですね」
「そういう訳じゃないわよ。自分じゃなきゃ出来ない仕事をしたいだけ」
「で、一体、何の用事かしら?」
「すみませんが、これを包んでいただけませんか?」
僕はユキさんに百五十万を渡し、見栄え良く包んでもらった。いつ何があってもいいように、百万円の束二つ分くらいは、いつもカバンに忍ばせてある。
「何よこれ、手切れ金? 大人しい顔してやるものね」
「違いますよ。ウルルがちょっとやらかしたんで、立て替え払いです」
「なんだ詰まらない。えつ子にタレこんでやろうと思ったのに」
そう言って、ユキさんは少しだけ笑った。顧客の秘密を守るのがこの手の商売の大原則なのだが、この人なら本当にやりかねない。もしフォロワーに手を出したことがバレたら、えつ子さんから大目玉を喰らうことだろう。
まして瑶夏は、彼女の不倶戴天の敵である巨乳メガネっ娘である。ちんちん切られてトイレに流される確率が、約八割。残りの二割が、有無を言わさず拉致されてお魚のエサコースだ。
「あとこれを、別口で。それと筆ペンを一本貸していただけますか? 直ぐにお返ししますので」
「袋の方は、こんな感じでいいかしら?」
「全く問題ないです。ありがとう」
僕は熨斗袋に包んだ百五十万と、別口の品を受け取り、駆け足で瑶夏の待つ部屋に戻った。
「ごめん。ちょっと待たせたね」
「伊集院さん、お帰りなさい。用事は済みましたか?」
ひーちゃんが僕にそういった。
「うん、無事に済んだよ。ありがとう。ユキさんがすっごく不満そうにしてるから、早く戻ってあげて」
「仕方ないなあ、姉さんは……。何か失礼なこと言われませんでしたか?」
「大丈夫。憎まれ口は叩いても、ちゃんと仕事はしてくれる人だからね」
「まあ、それはそうなんですけどね。ああ見えて、姉さんって結構人気者なんです」
そういいながら、ひーちゃんは苦笑した。
「そうなの?」
「ええ。わざわざご指名で頼みごとをされるお客様も、大勢いらっしゃるんですよ」
「それで、また憎まれ口を叩くんだろ? 目に浮かぶようだよ」
「まあそんなところです」
そういって、ひーちゃんは再び苦笑する。ついこの前も、「ユキちゃん、もう少し優しくしてよ」という客に、
「月額幾らなのに、これ以上サービスを充実させてどうするのよ? 第一、この店が無くなったら困るのはアンタたちでしょ? 私が税務署にタレこんだら、アンタら全員ムショ行きよ、ムショ行き!」
などと平気な顔していっていたそうだ。まあ、ムショまで行くかは分からないが、この店が無くなったら、かなり困ったことになる人間が沢山いることは確かである。暴言を吐くバカはこの世にいくらでもいるが、ちゃんと口裏も合わせてくれて、暴言まで吐いてくれる美人は貴重なのだ。
「では、これで」
ひーちゃんはぺこりと頭を下げると部屋を出ていく。そういえば師匠も、生前はユキさんの方を贔屓していたと僕は思った。ユキさんも、師匠と話してる時だけは普通に楽しそうだった。
「用事って何だったんですか」
「うん。実はね、ついさっきまで、ウルルとしゃべってたんだ」
「ウルルさんと!」
「そう。それで、君と一緒にいることを話したんだけど、ウルルは、君に大損させたことに、かなり心を痛めてるみたいでね」
いけしゃあしゃあと、僕はウソをついた。
「そうなんですか。株は自己責任なんだから、そんなこと気にしなくていいのに……」
「それでね、せめてものお詫びとして、君に少しお金を渡したいって」
「ええっ!」
瑶夏にとって、ウルルはまだ憧れの存在のはずだ。
付き合いは、今日を限りにキッパリと断たせるが、思い出は汚さない方がいい。
「まあ、たったの百五十万円だけど、向こうがくれるっていうんだから貰っておきなよ」
「百五十万!」
「君が損した金額に比べたら、微々たる額さ」
「それはそうですけど、私はウルルさんには、三万円しか会費をお支払いしてないんです。そんな大金、頂く訳にはいきません」
「AAA・VIPコース百万円を三万でいいって奴だろ? それ、奴の常套手段だから、気にしなくていいよ」
「そうなんですか?」
少しでもお金を払ってしまうと、ほとんどの人間はそれを取り返そうと思ってムキになる。『三万しか払ってないけど、本当は百万円の情報なんだ』と思って、信用全力で行っちゃったりする。それが奴の手だ。
僕から言わせれば三万もとられた挙句、嵌め込み先に使われる頭の弱い人たちである。本当の儲け話なら、三万はおろか百万円払ったって、一般人には降りてこない。本物の投資顧問がゼロとは言わないが、それに当たるのは、砂浜でダイヤを見つけるくらいの稀有な確率なのだ。
勿論、瑶夏はウルルが本当に好意で自分に株を教えてくれてると思ってたんだろう。だから今でもウルルの事を信奉してる。だが、そういうピュアな人は、むしろ少数派だ。
美味そうな話でバカを釣り、バカを嵌め込む。ウルルのやってることがそこで終わるなら、僕はわざわざこんな話に口を挟んだりしない。彼女がI氏の遺児であり、騙されてるなんてちっとも思ってない子だからこそ、僕は力になろうと思ったのだ。
「君がこの話を断ってしまうと、間に入った僕の顔がたたない。何とか曲げて受け取ってくれよ。ウルルに頼まれると僕も弱いんだ」
「そういう事なら受け取ります。ウルルさんや伊集院さんに、ご迷惑はかけたくありませんから……」
「ありがとう。きっと、ウルルも喜ぶよ」
第一関門はこれで突破だ。これで少しは瑶夏に金を戻せる。勿論、百五十万が戻ってきたところで大損には違いないけど、何も戻らないよりはいい。それに今なら、人間としての美しさを失わずにこの世界から手を引かせられる。
仕手が金の力で、無理やり株価をカチ上げる時代はもう終わった。大相場を自らの手で作りだそうと、美しいチャートを描く相場師たちも絶滅した。穏便に事を収め、瑶夏をこの薄汚れた世界から引き離す。今となっては、それがベストだ。
I氏の亡霊を今さら蘇らせたって仕方ない。
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