*この作品は健全なフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
「で、お前。一体、いくらもらったんだよ?」
「貰ってないよー。プライム株は上場廃止になったから、本尊も損してるしね」
「持ち逃げのIRが出たのは、わりかし最近だろ? 倒産前は結構派手な動きをしてたし、お前が金貰ってないはずがない」
「えへへー」
そう言って、ウルルは無邪気に笑った。
ウルル自身は株を持ってないにも関わらず、どうやって利益を得るのか? カラクリはこうだ。ウルルはまず信者を使って株価を上げる。その後、紛れのないように寄り付きでカモに買いを入れさせ、それに対応する売り注文を、新株を持ってる連中に出させるのである。一瞬吹き上げた高値で株の嵌め込み先を探すことで、彼女は口銭を得るのだ。
株を持ってる連中は、株価の上昇に直接絡んでないし、煽ってるウルルは株券を持ってないから、どちらも相場操縦では捕まらない。両者の間に相対する売買はないし、寄り付きなら他者の売買も紛れるので、お互いの取引が目立たたないのだ。
「ウルル……。相場は嵌められる方が悪い。でも、お前の事を信奉してる瑶夏相手に、四千万はやりすぎだ。少しはあの子に返してやれ」
集めて来た金額の一割は貰っててもおかしくないはずだと僕は思った。なにしろ瑶夏一人で四千万のディールだ。一旦は、彼女の懐に大金が入ったはずである。
「えー。お金なんて全然持ってないよー。私がホントは火の車なの、全力さんだって知ってるでしょ?」
金がないのは本当だろうが、このままじゃ埒が明かない。
「ウルル……お前、I氏を覚えてるか? 僕らがまだ駆け出しの頃、兜町で鳴らした大物本尊だ」
「勿論、覚えてるよ。会社に百億の負債をかぶらせて、ムショに行った人でしょ?」
「そうだ。瑶夏は、そのI氏の娘だよ」
僕は早速切り札を切ることにした。
「えっ、マジ?」
「マジだ。免許証で確認したよ。本名は怒野瑶夏。間違いなく、怒野通運創業者の孫娘だ」
「うっそだー!」
「信じられないのは分かるけど、本当だ。以苑・グローバルの前身となった物流会社三社のうちの一つが、怒野通運だよ」
怒野運輸の最大の取引先は瑶夏堂だったが、瑶夏堂が伊藤忠との関係を深めるにつれ、徐々にその軸足を二番手のジャ○コに移していた。そして、ジャ○コがマ〇カルと合併して以苑グループとなり、物流網を再構築する時に、以苑・グローバル(EG)に吸収されたのだ。
「でも、今のEGは、以苑の名前は付いてるけど、子会社じゃない」
「なんで?」
「以苑は傘下に収めた三社に、金じゃなくて株を配ったからさ。だから今のEGは、以苑が40%を保有する持ち分法適用会社だ。残りの60%は、吸収された三社のオーナーが20%ずつ等分に持ってる」
「なるほど。それで?」
「吸収された怒野運輸の筆頭株主は、創業者だった瑶夏の爺さんだ。その爺さんは、ついこの前死んだ。瑶夏はその遺産を受け取ったんだ」
「それであの子、四千万も持ってたのか―」
爺さんの持ってたEG株は、残りの二社か、以苑本体に買い上げられたのだろう。そもそも、大栄氏の作ったの百億の穴が表ざたになったのも、その三社合併が原因だった。怒野通運の本業は堅実だったが、百億もの使い込みはごまかしきれなかったのだろう。
「で、その話が、私と何の関係があるのさ? まさか今更、『嵌め込みはよくない!』なんていわないよね?」
「おいおい。僕が心配してるのは、瑶夏じゃなくてお前の事だよ」
「へっ?」
「I氏に恩義を感じている人間は今でもいる。恨みを持ってる人間は、その十倍はいるはずだ」
僕はここで一息入れた。
「もし瑶夏がI氏の娘であることが表沙汰になったら、そいつらは瑶夏から四千万も巻き上げたお前の所に殺到するだろうな」
「ええっ!?」
「お前がいま、金を持っていようがいまいが、関係ないんだよ。恩のある奴は瑶夏のために動こうとするし、I氏に金を踏み倒された連中は、お前から金を奪おうとする。相当、面倒なことになると思うよ」
「……」
ウルルは黙り込んでいた。ようやく自分が、嵌めちゃいけないタイプの人間を嵌めちゃったことに、気づいたらしい。
「一体どうしたらいいの、伊集院さん?」
「もしお前に、少しでも瑶夏に詫びる気持ちがあるなら、この件は僕の胸のうちだけに収めといてやる」
「本当に?」
「ああ。勿論、瑶夏にも今回の事は口外させない。このまましらばっくれるか、なんとかここで事を収めるか。僕はどっちでも構わないけどね」
「……」
沈黙が30秒ほど続いた後、ウルルが言った。
「あの……。百万位なら、何とかなると思うんだけど……」
「なあ、ウルル……。お前、瑶夏の分だけでも四百万は抜いてるだろ? 今日のところは俺が立て替えといてやるから、もう少し頑張れよ」
「じゃあ、百五十万。マジでこれがギリギリ……」
まあ、そんなところだろう。ウルルは入ってくる額もデカいが、出ていく額はもっとデカい。ない袖は振れないことは、長年の付き合いである僕が一番よく分かってる。
「ウルル……。月末までに、兜町のマ○クにその金持ってこれるか?」
「うん」
「交渉成立だ。後は僕に任せとけ。お前に悪いようにはしないからさ」
「ありがとう。ところで伊集院さんには、いくら払ったらいいの?」
「いらないよ、そんな金。俺に口止め料払うつもりがあるなら、瑶夏に返す金に、その分上乗せしてやれ」
そう言って、僕は電話を切った。次は瑶夏の説得だ。僕は駆け足で、瑶夏の待つ部屋に戻った。だが事件の顛末を語る前に、すべてが終わった後の話をしよう。
プライム産業から三億持ち逃げした人間は、その後、沖縄で死体で上がった。でも多分、金はほとんど回収出来てないだろう。その金はきっと、逃亡を手助けした連中の懐に収まったはずだ。つまり殺したのは追う方ではなく、そそのかした方の人間である。
大抵の奴は、もうダメだと覚悟を決めると沖縄に逃げる。海外じゃ長くいられないし、下手すると出国手続き中に捕まるからだ。じゃあ、何で沖縄なのか? と言えば理由はよくわからないけれど、せめて、暖かいところで死にたいと思うのかもしれない。
持ち逃げのせいで窮地に追い込まれたプライムは、今時珍しい1円売り気配のまま東証から退場し、その後すぐに破産した。破産管財人が残余財産の調査に入った時、金庫には僅か三十九円しか残ってなかったそうだ。勿論、売って金になるような資産は何もない。昔なら、マニアが喜んで買った株券も、全て電子屑として消えた。
「キング・オブ・クソ株の名をほしいままにした、プライム産業の杜らしい最後だな……」と僕は思った。
ウルルの口銭も、本当に借金返済で右から左だった。瑶夏に返した金は、なんとか別の初心者を嵌め込んで作ったそうだ。海底資源の調査ネタで飛びついたボンクラも、増資を引き受けたヤクザも、勿論、元々の株主も、この相場に関わった人間は誰一人として美味しい思いは出来なかった。ウルルの借金が、ほんのちょっぴり減っただけである。
会社は倒産したから消えるんじゃなくて、相場師たちの記憶から消えた時に初めて消える。そういう意味では、僕らみたいな古い世代の相場師が生き残っている限り、プライム産業の伝説は語り継がれていくだろう。このお話もまた、そんな伝説を称える物語の一つだ。
まだ人が相場を作っていた時代には、そういう面白い会社が沢山あった。あの時代を知る生き証人として、それを語り継いでいくのが僕の使命だと思っている。闇人妻のタイトルに【杜】という字を付けたのは、もしかしたらプライム産業の杜の伝説が、頭の中にあったからかもしれない。
物書きとしての僕が残す作品が『闇人妻の杜』なら、この作品は、相場師としての僕が残す作品だ。どちらがより、僕の本質に近いのか? その判断は、読み手である諸君に委ねようと思う。
*この作品は健全なフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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