ビルの五階にエレベーターが到着。
俺は社長と再度話す為、廊下を歩いた。
握った拳が汗ばむ。
もう一度話すにあたってメールでアポは取った。
了承も得られた……が、文面だけでは温度感は分からない。
正直、迷惑だと思われているかもしれない。
それでも――俺は顔を上げ、再度社長室のドアをノックした。
「はい……」
社長は表情の変化が少ないので、感情が読み取れない。
俺は促されるまま応接ソファに座って切り出した。
「先ほどの鏡花先生の件で提案があります」
「どういった提案かね?」
「鏡花先生の小説で数字を出します。その勝算があります」
自分でも分かるくらい震える声に、社長が一瞬、右の眉を上げる。
「確かに数字を出してくれるなら願ったりだ。だが、もともと誰もが『売れない』と思って勝負する訳がない。勝算など誰もが持った上で勝負しているのだよ。知りたいのはその確度だ」
「おっしゃる通りです。今回の俊三郎先生との件自体、私はそもそもチャンスだと捉えています」
「どういうことかね?」
「本来、新人作家に話題性はありません。だから最近はもともとアクセス数を持ってこられる作家をスカウトして売り出すか、受賞を前面に押し出すどちらかの戦略をとることが多いです」
「そうだな」
「今回、俊三郎先生と比較すれば確かにアクセス数は負けています。ですが、ここ三週間の累計アクセス数は話題性に引っ張られ十万アクセスを超えています。ブックマーク、コメント数ともにうちがスカウトを行う基準を十分超えています」
「ふむ」
「更に今回の勝負……鏡花先生が勝ちます」
「ほう、俊三郎先生に勝てると? これまでの勝負の数字は聞いてるが、現状では相当な差があるらしいじゃないか」
「勝てます。ウメ先生の本領が発揮できれば……ライトノベルの時代を塗り替えられます」
「……」
社長は無表情のまま、俺の目を射抜き続けた。
俺自身も、目を逸らしたら負けだと言わんばかりに顔を上げ続ける。
漆黒の瞳はただジッと、俺の相貌を見据え続ける。
一体、何を考えているのか、全く分からない目だ。
ただひたすら、気まずい沈黙があたりを支配する。
「クク……ハハハッ!」
正直、笑われるのは想定内だ。
何故なら、最後に俺が伝えたことは、何の根拠もないただ作家を信じるという話だからだ。
仮にそんな手で無理が通るなら、編集者は誰だってそうする。
でも、俺はこれまで現場を見てきて分かった。
編集者はすべての手段を使い、根拠を上げ尽くし、自分が信じる作家を売り出す。
でも、最後の一押しは皆同じだ。
作家を信じる俺を信じてくれ。
これは世に出さなければならない。
実は編集者にあるのは最初から「それ」だけなのだ。
おもしろい作品があって、売り出したくて、読者に届けたくて――。
むしろ前半に説いた根拠やデータなんて、その気持ちを伝える為の方便でしかない。
突き詰めれば、この作家を信じる気持ちを伝えることこそが大事なんだ。
俺の意図を汲んだのだろう。
社長は前のめりになり、俺の目を見据えた。
「いいだろう。そこまで言うのであれば、結果が出るまでは猶予を与えよう。光ノ院先生が数字を持ってこられる作家であることも分かった。だが、勝てなければどう責任を取る?」
この流れまで事前に考えていた。
だから、俺は即答する。
「仮に負けたとしても、彼女が丸川出版にとって数字を取ってこられる作家であることは証明できると思います。ですが、啖呵を切って無理を通した手前……私は先生の担当を外れます」
ウメの作家人生終了は今のところは免れた。
だが、仮に負ければ俺は担当を外れる。
ぶっちゃけ、担当を外れるということが責任を取ることにはならない。
それは自分でも分かっているし、社長もどこか納得していない表情だ。
でも、ここで伝えたかったのは、それだけの覚悟とケジメだ。
俺は一礼して社長室を後にした。
「勝てます。ウメ先生の本領が発揮できれば……ライトノベルの時代を塗り替えられます」
俺は帰りのエレベーターで自分の放った言葉を反芻する。
嘘ではない。
ウメの才能を信じているし、実際に彼女の作品で俺は変わった。
でも、正直、どうやって俊三郎先生に勝つかは……考えていなかった。
残り二週間を切っている状況で何ができるのか。
席に戻ると、ウメからメールが届いていた。
本日更新分のテキストだ。
おもしろいし、俊三郎先生の作品にだって負けていない。
だが――何か引っかかる。
ウメの作品は売り上げだけでなく「おもしろさ」の面でもデビュー作がピークだった。
小説界を変えるかもしれないと言われたほどの傑作だった。
だが、それ以降は一般的なプロの水準の小説になった。
企画段階の差なのか?
いや、アイディアとかそういうレベルの話ではない。
もっと根本的に何かが違う。
でも、何度考えても分からない。
「……秋葉さんにもう一度相談してみるか……」
人に頼る前に自分でどうにかしたい気持ちは当然あるし、できる限りのことはする。
ただ、俺はまだ新人で経験が浅い。
例えみっともなかったとしても、やれることはすべてやった上で戦いたかった。
その気持ちを胸に、俺は秋葉さんの家に向かった。
秋葉さんの家は一度行ったことがある。
確か仙川駅から徒歩十五分の「こおろぎ荘」というアパートだ。
俺ははやる気持ちを抑え、電車に乗り込んだ。
京王線高尾山口行きの電車に揺られ、到着した駅から徒歩十五分。
秋葉さんは二階手前の部屋に住んでいた。
ギシギシと音を立てる錆びた階段を上り、ドアの前で息を飲む。
覚悟を決め、チャイムを押してみるも反応はない。
二度、三度チャイムを押すと、申し訳なさそうにドアが開いた。
「宗次郎きゅん……」
秋葉さんは何かに怯えるような目でこちらを見ていた。
その目があまりに弱々しくて、どう切り出せばいいのか分からなくなる。
――が、及び腰になっている場合ではない。
俺は秋葉さんの目を見て言った。
「……ウメの作品のことで相談が……」
「宗次郎きゅんの気持ちは伝わっているドュフ。もとはと言えば、ボクの誤メールが原因だってことも分かってるプゥ」
「それじゃあ」
「でも、よく考えて欲しいんだ。ボクだって三年間、企画が通ってないんだよ……。自分のことで精いっぱいだし、そんなボクの助言が通用するとは思えないよ」
「……そんなことは……」
否定しようとするが、秋葉さんが言っていることは間違ってはいない。
だから、開いた口は言葉を発することはなかった。
認めたくなくても、この業界は突き詰めれば「結果が全て」と言わざるを得ない部分がある。
それ故に、俺とウメも窮地に立たされている。
一般論で言えば、助言を聞くなら「結果を出している作家」がいいに決まっている。
それでも――。
俺は秋葉さんの助言を聞きたかった。
理由は一つしかない。
普段おちゃらけてるし変人かもしれないけど、秋葉さんのデビュー作がおもしろかったからだ。
結果という観点から言っても続編が出せるほどには売れた作品だ。
あれだけの作品が書ける人の助言を聞いてみたい。
そう思うのは不自然なことだろうか?
でも、今の秋葉さんは――三年も企画が通らず、自信を失っていた。
恐らく俺が何を言っても耳を傾けてはくれないだろう。
だから何も言えず、唇を噛んでうつむいてしまった。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、秋葉さんのかすれた声だった。
「宗次郎くん、ボクはさ、最近……疑心暗鬼になることがあるんだ」
「疑心暗鬼、ですか?」
「最初のうちはネタも通りやすかったし、書籍が店頭に並んだ時は俺天才とか思っちゃってたよ。でもね、売れなきゃ担当の目も厳しくなる。仮に担当を納得させられたとしても、編集会議の目も厳しくなっている。最初はね、ボクは打たれ強いし何回倒れても大丈夫って思ってたんだ……」
「……」
「でもね、何度も何度も……何日も何日もボツ。コンビニのバイトしかやったことないし、小説以外に興味がないからさ……将来のこと……小説がダメだった時のことを考えると気が狂いそうになるよ」
きっと担当をしていた伏見編集長も辛かっただろう。
小説家を続けたくても続けられない。
それがどれほど苦しいことか……俺は小説家ではないので厳密には分からない。
それでも――今の悲痛な秋葉さんの面持ちや、足掻くウメの背中を思い返せば、いくらか想像はできた。
「……」
「周囲はさ……アニメ化やらコミカライズやら重版で浮かれていて……比べちゃって、ずっと嫌な未来ばかり想像してしまう。喜ぶより嫉妬が先にくる自分を嫌いになりそうになる。親のコネで就職できるかもしれないけど、歳を取り過ぎるとその話もなくなるかもしれない。俺、今年で三十四だよ? 今、ギリギリの瀬戸際なんだ……。自分には才能がないのかもしれないって疑い始めてる」
「……」
「それでも、誰かの為に頑張れって言うのかい?」
いつの間にか、いつものオタク口調は失われていた。
そんな秋葉さんに何か言えるはずもない。
俺は安アパートのドアが閉まるのを見届けるしかなかった。
秋葉さんの話を聞いていて、改めて表現の世界で生きていくことの難しさを知った。
歩んでいる足が止まりそうになった。
それでも――。
俺は葉月先生の言葉を思い出して――。
懸命に頑張るウメの背中を思い出して、顔を上げた。
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