仮に俊三郎先生に勝ったとしても、作家としての道は閉ざされる。
先ほどの出来事をウメにどう伝えればいいのか。
抜け殻のように席に戻った俺は、一時茫然としていた。
目を覚まさせてくれたのは、営業担当小杉さんの野太い声だった。
「宗次郎く~ん!」
小杉さんは同期の男性社員で、俺の作品は全て営業担当してもらうことになっている。
全て、とは言っても二人だけれど……。
走ってきたのだろうか、額の汗をハンカチで拭っている。
運動部だったらしく、後頭部を刈り上げた短い黒髪がゴツい身体に似合っている。
しかも、この見た目で年間三百冊は本を読んでいる豪傑。
相当なギャップだ。
「……重版ッ! 重版だ! 葉月先生の『放課後のプチ魔王狩り』が重版するよ!」
「本当ですかッ!」
俺は立ち上がって差し出された紙を確認した。
好調な売れ行きだ。
このままいけば確かに重版間違いなしだ。
「初版一万部で様子見だったけど、今回で三万部。このペースなら五万はいけるかもしれないね」
十冊出して一冊重版するかどうか……なので、五万部いけば大きい。
「内容がいいのは当然として、この前のツイートのバズりも大きかったかもね」
「葉月先生のツイート、共感できる内容が多いですからね。内容もポジティブでマメですし。いい宣伝になっていると思います」
「僕ら営業も負けてられないな。五万部、いや十万部目指して頑張ろう。そうそう、二巻はどう?」
「ゲラを確認して問題なかったので印刷所にOK出しておきました」
「そりゃ楽しみだね。じゃ、俺は仕事戻るよ。先生にはよろしく伝えておいて」
「了解です!」
スポーツマン特有のカラッとした笑顔を咲かせた小杉さんは、自分の仕事場に戻っていった。
僅か数十秒で職場の雰囲気を変えるのだから、営業って本当にすごい。
というか、この場合、小杉さんがすごいのだろうけれど。
それにしても、さすが葉月先生だ。
本人にも早速伝えないと――と、席に戻り、先ほど開いていたメーラーの宛先「光ノ院鏡花」という文字を見てもう一つの現実を思い出す。
肩を落とさずにはいられない。
俺とウメも重版が目標なんだよな……。
今のライトノベル作家デビュー自体が危うい状態では、夢のまた夢の話だけれど……。
「喜んだり、落ち込んだり、忙しいわね」
隣の小鳥先輩が眼鏡をくいっと持ち上げてこちらを見ていた。
まるで捨てられた子犬を見る憐憫の目だ。
「葉月先生の重版は嬉しいですが、ウメの状況が悪いので複雑な気持ちです」
「編集者って一度に複数人の担当作家を持つからね。ずっとそんな感じよ。嬉しいことも、悲しいことも……良くも悪くも編集者ってエモーショナルな職業よね」
小鳥先輩が仕事に戻った直後、デスクの上に置いておいたスマートフォンが震えていた。
葉月先生だ。
ウメのことや重版のことで頭と感情がよく分からない状態だが、ここで気持ちを切り替えないでどうする。
俺はプロの編集者だ。
三度ほどそう言い聞かせて通話ボタンを押した。
「はい、宗次郎です。葉月先生! お疲れ様です!」
「宗次郎さん、お疲れ様です。今日は……そのテンションが高いですね。いえ、私としては嬉しいですが」
無理をして不自然になってしまった。
俺はスマートフォンを遠ざけ、小さく深呼吸してから通話に戻った。
「すみません、つい今さっき営業から報告があって一巻が再重版したのでつい」
「そうでしたか、宗次郎さんのお陰様ですよ」
「一巻はまだ担当になっていなかったので私は何もしていませんよ。でも……多くの人に読んで欲しい作品なので嬉しいです」
「二巻はもっと売れますよ。何といっても宗次郎さんが担当してくださったのですから」
基本的には一巻読んだ人しか買わないので、二巻の売り上げが一巻を上回ることはない。
――と返すのも無粋だ。本人も分かっているはずなのでスルーしておく。
「葉月先生……前々から気になっていることがあるのですが……聞いてもいいでしょうか?」
「興味を持ってくださっているのですね、好きな異性のタイプからスリーサイズでも何でも聞いてください!」
スマートフォン越しに鼻息が聞こえてくる。
この人はどこまで本気でどこまで冗談なのか……。
「その……何故、私に担当してもらいたいって思ったのでしょうか?」
社長からの通告があって自信を失っていたのかもしれない。
つい口にしてしまっていた。
「パーティの時、一目ぼれしたからです。……というのは冗談ですが」
「冗談ですか」
「いえ、ある意味で冗談ではないのですが……。真剣に答えると『別の理由』があります」
「別の理由?」
「切っ掛けは忘年会のパーティでした。宗次郎さんがネットで読んでおもしろかったと熱弁されていた作品……。実は私の作品なんです」
「そうだったんですか……」
確か、葉月先生の作風と似ていたから話題に挙げたんだ。
「そして、私が一番大事にしていた物語のテーマについて熱く語られていたんです」
「そうでしたね」
あの時は少し酔っていたし、改めて指摘されると少し恥ずかしい。
「この人であれば、私の書きたいものを尊重してくださると感じたのです。実際、宗次郎さんと話をして、担当になってもらって……その予感は確信に変わりました」
「でも、それは他の編集者でもできることじゃ……」
「そんなことないですよ。実は私、他の賞を獲って別のレーベルからデビューした経験があるんです」
「話には聞いています」
「でも、デビュー作以降は書きたいものを書かせてもらえませんでした。今流行っているジャンルのコピーでいい。博打に出るより安定した結果が欲しい。さすがにそこまで口にされませんでしたが、そう感じる対応でした」
「そうだったんですか……」
「商業でやるなら割り切りも必要かもしれません。でも、核になる部分……テーマだけは折れたくないのです。だってそうじゃないですか。それがなくなったら……私が書く必要なんてないんです。だから、それこそ筆を折ろうかとも考えました」
ヒットした作家でも苦労はしている。
頭では理解しているけれど、実際に話を聞くとその出来事にリアルな重さを感じられた。
出版社、編集者と一口に言ってもスタンスは様々だ。
人間同士なので合う合わないもあるだろう。
特にテーマの部分は難しい。
プロの編集者や作家でも「そんなものはいらない」と言う人もいれば、おもしろさの核としてとても大切にする人もいる。
そもそも「テーマとは何なのか?」の部分で食い違いがあることも多い。
「宗次郎さんは私の意図を汲んだ上で『じゃあ、どうすればもっとテーマが明確になるか』考えて、議論してくださいましたよね。何気ないことだったかもしれませんが、私にとっては嬉しかったんです。書いても良いんだと背中を押していただいた気がして……」
「私は葉月先生の作品が好きで……その好きなところを伸ばして多くの人に刺さって欲しいんです」
「そういうところですよ、私が宗次郎さんと一緒にモノづくりをしたいと思ったのは。きっと、あのハム太郎も……」
そこまで言いかけて葉月先生は話題を変えた。
最初は何故、ウメの話題を……とも思ったが、直ぐに分かった。
きっと――ウメも信頼してくれている、そう伝えたかったのかもしれない。
葉月先生はウメと俊三郎先生との対決の結果もチェックしているだろう。
分が悪いことも知っている。
俺が悩んでいることもお見通しの上で、励ましてくれたのだ。
作家に励ましてもらうなんて、編集者として恥ずかしいことのような気もするけれど……。
でも、元気をもらえた。
俺は何で編集者になったのか。
初心を思い出せた。
俺はウメの作品のファンだ。
もっと多くの人に届けたい。
その為だったら何でもやってやる!
俺は顔を上げ、立ち上がった。
改めて社長に会いに行く為に。
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