ボクは死んでもラノベなんか書かないからな!

明里 灯
明里 灯

06葉月先生

公開日時: 2020年9月6日(日) 21:00
更新日時: 2021年9月10日(金) 22:57
文字数:5,433

 部署異動が決まったのは一ヶ月前だが、直前まで文芸編集部で作業を行っていた。

 その為、ライトノベル事業部を見るのは、席の引っ越しを行う今日が初めてだ。

 緊張せざるを得ない。


 俺はエレベーターに乗り込むと、段ボールとパソコンをキャリーカートに乗せ、ライトノベル編集部がある「三階」のボタンを押した。

 廊下を歩いてすぐ「ライトノベル編集部」と書かれたプレートを発見。

 編集部の様子は四階の文芸事業部と大きな違いはない。


 ただ、社員によっては机にキャラクターフィギュアを置いていたりして、さすがライトノベル編集部と関心させられた。

 席の位置は事前にメールで伝えられていたので、迷わずキャリーカートを走らせる。


 途中、奥のデスクに座っていた伏見編集長が俺に気づいて立ち上がった。

 迷彩服じゃなくて普通の私服だ。


 スーツのスラックスに襟付きの柔らかそうなシャツ。

 ネクタイはしていないスマートカジュアルという着こなしだ。


 普段、迷彩服でコスプレしているオジサンとは思えない普通の大人に見える。

 初対面がこの姿だったら完全に印象も違っていただろうな。


「宗次郎君、ライトノベル編集部へようこそ!」


「迷彩服じゃないんですね」


「ガチのは怒られたんだよねー」


 一応、試したのか。

 さすがオタクの鏡としか言いようがない。


「よろしくお願いします」


 隣の席に座る眼鏡の女性が立ち上がった。

 伏見編集長が、女性の隣に立って紹介してくれる。


「こちらは小鳥さん、宗次郎君の先輩で教育係だ」


「初めまして、小鳥です。分からないことがあったら何でも聞いてね」


 小鳥先輩は長い前髪と黒ぶちの眼鏡で顔が隠れているが、色白で目が大きい。

 黒髪ショートカットの小柄な女性だ。


 ライトノベル事業部の編集者は結構ラフな格好な人が多いが、編集長と小鳥先輩はスーツに近い。

 というか、文芸部は男ばかりだったので、少し緊張する。


「鈴木宗次郎です。よくある苗字なので、皆さんからは下の名前……宗次郎で呼ばれています。よろしくお願いします!」


「宗次郎君はまだ来たばかりだからな。鏡花先生ともう一人だけ担当してもらえればいいかな。慣れてきたら十人くらいは担当してもらうから覚悟しておきなさい」


「もう一人……ですか?」


「そう、うちで特別賞を受賞した葉月先生を担当してもらいたい。何でもキミをご指名らしい」


「葉月先生……去年の忘年会で会いました。女性の先生ですね」


「そうだ。その時に宗次郎君を気に入ったらしくてね。連絡先はメールで送ってある。よろしく頼むよ」


 葉月先生は昨年の新人賞で特別賞を受賞して作家になった。

 長い黒髪の女性で、清楚という言葉がよく似合う。

 どこかツンとしていて、最初は真面目な委員長タイプだと思っていた。


 ――が、実際に話してみると、そんな単純なカテゴリーで分類できる人物ではなかった。

 魅力的な人だとは思うけれど――何というか、俺に対する挙動が全面的におかしいのだ。


 作家は変わった人が多いと言うし、なんなら編集者だって変わり者が多いと聞く。

 ――が、俺はこれ以上変わった人を見たことがない。


 何が原因なのか考えてみたところ、一つだけ心当たりがある。

 思い返せば、俺が葉月先生の受賞作の感想を告げた時から挙動がおかしくなったのだ。


 俺の感想がよほどうれしかったのか、葉月先生は目に涙を溜めて喜んでいた。

 感じたことを伝えただけなのだが、葉月先生が大事にしていたことなのかもしれない。

 そういう感想を伝えられたのは、編集者としても、読者としてもうれしい。


 俺はパソコンのセッティングを終えると、さっそく葉月先生にメールを送った。

 驚くことに十分で返信が来た。


 どうやら俺が担当になったことを喜んでくれているらしい。

 さっそく打ち合わせをしたいとのことだった。


「葉月先生と打ち合わせか。楽しみだな。木曜日か金曜日の午後なら大丈夫かな」


 本を出すまでの流れを復習する。

 作家が企画やプロットを用意し、編集者が確認する。

 問題なければ編集部内の会議に提出し、会議でゴーサインが出たら執筆に入ってもらう。


 営業担当から「売りやすいタイトルにして欲しい」と要望があったり、発行部数を検討する会議で戦ったりと細かいやり取りはあるが、大まかにはそんな感じだ。

 そこらへんの流れは文芸もラノベも変わらないと聞いている。


 こう書けば簡単に感じるかもしれないが、企画書やプロットは簡単には通らない。

 特に出版社のカラーが強い場合、それ以外の方向性で提案しても通りにくい。


 例えば今であれば、異世界転生もの、妖怪もの、探偵もの、食レポもの、ほっこり人情系以外は難しい。

 この壁は異様に高く、作家にもよるが、単刀直入に言えばボツの嵐だ。

 この嵐に堪え兼ね、受賞したものの作家を辞めてしまう人も少なくないくらいだ。


 作家に書きたいものを書かせれば良いと思う人もいるかもしれないが、一冊の本を世に出すお金とリスクは大きい。

 イラストレーターへの報酬、営業や編集者の給料、デザイン料、印刷料、更に本屋の取り分や出版取次料、作家の印税まで見越して利益を出さなければならない。


 大きなお金が動く以上、勝算アリでなければ戦えないのだ。

 ただ、葉月先生の場合はルートが違う。

 昨年出版したデビュー作がヒットしたので、続刊を出すことになったのだ。


 企画書をすっとばしてプロットからスタートになるので、多少はお互いの精神衛生にいい。

 もちろん、ここでコケて「続刊は出せません」となるのは避けなければならないので、全力は尽くさなければならないが。


 ――転属して慌ただしいからか、アッと言う間に時は経つ。

 いつの間にか、葉月先生との打ち合わせがある日、木曜日の午後になっていた。


 俺は葉月先生が指定した新宿の喫茶店を訪れた。

 外との温度差で身体がやられそうだ。


 椅子に座ってアイスコーヒーをお願いする。

 葉月先生は忘年会で会ったときと同じく、長い黒髪に白い花のヘアピンを刺していた。




 白いゆったりめのシャツに紺のロングスカートは、落ち着いた様子の葉月先生に似合っている。

 化粧は薄いが、もともとメリハリのある顔立ちで、端的に言うと美人なので、周囲の男性が振り返るのも理解できる。


 背筋の伸びた凛とした佇まいには、目を逸らせなくなるほどの華がある。

 芸能人には詳しくないけれど、芸能人と言われても驚きはしない容姿とオーラだ。


 これほどの美人との会話となれば、普段の俺であれば緊張しただろう。

 だが、今はその感情を上書きするほどの緊張がある。


 何せ俺にとっては初めてのライトノベルの打ち合わせなのだ。

 どう切り出すか、は何度もシミュレーションしてきたことだが、気を抜くと一瞬で頭の中が真っ白になりそうだ。

 葉月先生の目を見て、まずはざっくりとした感想から入る。


「今回の原稿、とても良かったです」


 葉月先生は安心した様子で胸をなでおろす――かと思っていたが、微塵も表情が変わらなかった。

 さも「当たり前」といった様子だ。


 むむ、これが普通なのだろうか?

 初めてのライトノベルの打ち合わせなのでよく分からない。


 だが、こちらがたじろぐ訳にはいかない。

 細かい感想と指摘を伝えていく。


「テーマが明確なので、最終局面に向けた各シーンの構成が巧みですね。無駄がありません。ですが、今回、特筆すべきはキャラクターです。魔王のヘタれっぽさが一巻より強調されています。ヒロインの好意にまったく気づかないところ、良い意味でじれったいです。ここまでのじれったさは他作品では見れない売りになりそうです」


「ええ、そうでしょう。宗次郎さんがモデルですから」


「へ? あ……そうなんですね。あと、ヒロインのグイグイいく感じもいいですね。ヘタれ魔王が全然ヒロインの気持ちに気づかないどころか、真逆に勘違いするところもコメディとしておもしろいです」


「空想の世界だから許されるし、おもしろいのです。現実ではちゃんと気づいてもらいたいです」


「え……と、何故、怖い顔をされているのでしょうか?」


「何でもないです」


 葉月先生は紅茶に口をつけ、ぷいっと横を向いた。

 何に怒っているのかは分からないが「美少女は怒っていてもかわいいのだな」と内心で感心しながら感想を続ける。


「いけますよ、コレ。メールで送った改善点は全部バッチリです。細かい部分は後日メールしておきますね」


 喫茶店で目の前に座る美少女――葉月先生は二十四歳と言っていたので同世代だけど、そうは見えない。

 確かに落ち着いてはいるし、雰囲気は大人っぽいが、化粧が薄い為か、制服を着たら女子高生に見えるんじゃないかと思う。


 そんな彼女との対峙。

 ふと顔を上げると、眉根を寄せてこちらを見ていた。


 この表情は――あまりよくない兆候だ。

 昨年の忘年会でも見たけれど、この表情になると何を言い出すか分からない。


「バッチリですって?」


「え……えぇ」


 何故か勢いよく机を叩く葉月先生。

 バッチリだとマズいのだろうか?


「では、残りの時間はデートしましょう」


 頬を赤く染める葉月先生は、しかし、いつものように毅然としていて、こちらの目をまっすぐに見ている。

 一瞬、意味が分からずに目を丸くしてしまった。


「他の担当作家を見ないといけないので……今日はこれで」


「待ってください!」


 俺が席を立とうとしたら、その手を掴まれた。

 心臓に悪いのでいきなり触れないでほしい。


「キャラの成長感が少し弱いと思いませんか?」


「そうですか? 十分だと思いますよ」


「十分じゃないです! だからこれから十時間ほどみっちり話し合いましょう」


「十時間! あの……私はこれでいいと思いますけれど……」


「ダメです! そうだ、では余った時間はデートしましょうか」


「な、何故? デートなのでしょうか?」


「宗次郎さん、他に言うことはないのですか? 異性にデート誘われてるんですよ?」


「取材か何かですよね? こんなに綺麗でかわいい子が私なんかをデートに誘うとかありえないです」


「か、かわいい……」


 葉月先生の顔が真っ赤に染まっていた。

 少し視線が下がりはじめている気がする。


「どうかしましたか? 顔が赤いですよ。熱でもあるんじゃないですか? 今日は休まれた方が……」


「やっぱりあなたは鈍感ですね」


「何か言いましたか? 聞こえませんでした」


 葉月先生がキッと睨んでくる。

 怖い、怖い!


「どうせ……あの子のところに行くのでしょう」


「あの子? 鏡花先生ですか?」


「そうです」


 葉月先生はとても才能がある。

 うちでのデビュー作『放課後のプチ魔王狩り』は続刊が出せる水準で売れたし、近いうちに重版するのではないかという勢いだ。

 だが、何故か鏡花先生――つまり、ウメを毛嫌いしている。


 昨年の編集部主催忘年会で出会った二人は、とにかく常に喧嘩越しの会話しか交わしていなかった。

 突っかかる葉月先生を思い出す。


「鏡花先生、純文学ってお高く止まってるけど、私、おもしろいものを読んだことありません」


「それはキミの小さな脳みそが、純文学のスピードについていけていないからだ」


 ウメは葉月先生を見ず、大きなハムを平らげながら答えた。

 その余裕ぶった態度がカチンと来たのだろう。


「何ですって!」


 間に入って止める際、両サイドから水をぶっかけられたのはいい思い出だ。

 ――ん、いい思い出なのか?

 妄想を終えて前を向くと、葉月先生が眉間にしわを寄せていた。


「宗次郎さんはライトノベルの担当者ですよね。何故、純文学のあの子のことを気にするんですか?」


「鏡花先生はライトノベルに転向したんです」


「何ですって! それじゃあ、宗次郎さんは私とあのハム太郎も担当しているんですか?」


 ハム太郎って……ハム食べてたからか?

 それともあのハムスターの?

 確かに見た目は少し似てるけど。


「そ、そうですね……」


「私と鏡花先生、どっちが大事なんですか?」


 どういう質問だ。


「それは……二人とも担当作家として大事で……」


 つーか、質問が重くなってきた……。


「今、私のこと重いって思いましたね」


「思いました……じゃなくて、そんなことないです」


「デートにつき合ってください」


「な、何故でしょうか?」


「ラブコメを書く為です」


「それじゃあ、僕の友人を紹介……」


「宗次郎さんがいいんです」


「……分かりました、では、二巻が売れて三巻が出せることになったら……」


「今のスマホのアプリで録音しましたから」


「いつ録音し始めたんですか! 怖いですよ!」


「約束です」


「……はい」


 こうして、俺と葉月先生は三巻続行が決まったらデートすることになった。

 俺たちは喫茶店を出て駅前の広場で解散。

 葉月先生が見えなくなってから大きなため息をついた。


 好意を持ってくれているのはさすがに俺でも分かる。

 ノータイムで「好きだ」と連呼したくなるくらいかわいかった。

 かわいいのに綺麗とか反則じゃないだろうか。


 だが、ダメだ。

 ダメに決まっている。


 担当編集と作家の関係の一線を越えてはいけない。

 俺は彼女が書く魔王レベルで「鈍感な男」を演じないといけないのだ。

 少しでも分かった気になると、理性が吹っ飛んでしまいそうだ。


 彼女が諦めてくれるまで、こうしなければならないのだろうか……。

 つらい……つらすぎる。


 というか、ライトノベル事業部に転属になって初めての打ち合わせだったんだな。

 最初は緊張していたけれど、葉月先生のペースに乗せられて緊張なんて完全にどこかにいってしまったな。


 葉月先生のことばかり考えていたからか、ようやく周囲の様子が目に入ってきた。

 新宿の人ごみと喧噪があわただしく目の前を通り過ぎていく。


 顔を上げると、青い空に真夏の太陽がきらめていた。

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