「三人とも、ちょっと待ってくれたまえ。そもそもライトノベルというものが何なのかボクに説明してくれないか?」
「そっか、まずそこからだな。それじゃあネットで調べてみよう」
ネットで「ライトノベルとは」と検索をかけると、いくつかヒットした。
「なになに、ライトノベルは、小説の分類分けの一つであるが、それぞれの作品で特徴が多様であるため、全体の定義づけが難しい。ライトノベルは主に中高生や若年層向けに軽妙な文体でストーリーが描かれており、表紙がアニメ絵の美少女など特徴的なものが多い。またその読者層は近年三十代後半にまで広がり始めている」
「定義づけが難しい……? どういうことだ?」
首を傾げるウメの疑問に答えたのは伏見編集長だ。
「ライトノベルは今も進化している。色々な形に変化していってるんだ」
「じゃあ、どう理解すればいいのだ?」
「そうだね。定義づけが難しい言葉は、その言葉を作った人たちの想いを汲み取るのが大事だと思うよ」
このメンバーの中で一番ふざけた格好をしているが、編集長らしい真面目な返答だ。
「言葉を作った人たちの想い?」
ウメが首を傾げ、怪訝な顔で尋ねる。
「そう。ライトノベルって言葉を作った人たちの想いだ」
ライトノベルという言葉を作った人たちの想い――。
そう改めて問われてみると直ぐに答えは出てこない。
まだライトノベルという言葉がなかった時代に思いを馳せる。
伏見編集長が言葉を続けた。
「きっと若い人たちに本はおもしろいよ、読んでみなよって想いをこめて作ったんじゃないかな。読書に対して難しそう、ハードルが高そうだって偏見を持っている人たちに対してもそうだよ。だから、挿絵を入れたり、キャッチーでアニメチックなイラストを表紙にして、敷居を低くする努力をしたんだ。そういう想いが込められているものがライトノベル。私はそう考えているよ」
「ふむ。本はおもしろいよ……か」
「何冊か読めば雰囲気が掴めると思うよ。そうだな。ちなみに見た目はこんな感じだよ」
伏見編集長が持って来たライトノベルのいくつかを広げて見せてくれた。
「ほぅ、ライトノベルの表紙というものは何度か見たことがあるが、やっぱり鮮やなものが多いな。人物紹介のページだけでなく、挿絵まであるのか」
ウメが興味深そうにページをめくる。
「まぁ、人物紹介をしてない作品もあるし、構成や内容は作品によって結構自由だと思ってもらって大丈夫だよ」
「そうなのか! うぅむ、アイディア次第では色々できそうだな。こっちもライトノベルなのか?」
「あ、そっちは……」
伏見編集長の鞄からはみ出たのは、露出度の高い女子のイラストが前面に押し出されたライトノベルだった。
ピンク色のハートが飛び交い、刺激的なキャッチが並んでいる。
「ライトノベルという言葉を作った人たちの……想い……」
ジト目のウメから視線を逸らした伏見編集長が頭を掻く。
「いやぁ、あはは。想いは広がるもんだねぇ。色々なニーズに応える為、多岐にわたる進化をだね……」
「どゅふ。苦しげな言い訳乙。こういうドストレートに欲求に突き刺さる作品が輝けるのも、ライトノベルの良いところなりよ! こぽぉ」
その後はオススメのアニメや漫画を紹介し合った。
主には伏見編集長と秋葉さんだが、さすが二人とも編集者と作家である。
説明がうまいので、オススメが挙がる度に「読んでみたい」と思わされた。
ウメの表情も満更ではなく、意外と興味深そうに話を聞いていた。
これまでライトノベルを毛嫌いしていたが、どうやら食わず嫌いだったのかもしれない。
ただのプロ根性なのかもしれないけれど、興味を示されないよりは全然マシだ。
それからアッという間に二時間が経過。
一区切りがつき、和解も済んだので、その日の会議は終了することになった。
SNSアカウントの管理は俺がやることにして、ウメは執筆に専念、何か分からないことがあれば伏見編集長に聞いて良いことになり、秋葉さんもSNSで宣伝してくれることになった。
というか、過ちを犯した秋葉さんが全面協力するのはともかく、伏見編集長は自身の仕事とか大丈夫なのかと心配になったが「これも編集長の仕事。ライトノベルは初めての経験だろうし、協力するよ」と胸を叩いてくれた。
本当に編集長に仕事なのかどうかは怪しいけれど、何とも心強い言葉だ。
二人が帰った後、ウメは何を思ったのかベランダに出て景色を眺めていた。
うちは二階だが、隣家がさら地なので見晴らしは悪くない。
たそがれているつもりなのだろうが、洗濯籠をひっくり返して上に乗っているので、その後姿はあまりサマにならない。
俺は隣に立って二階から見渡せる町並みに目を細めた。
「今回のラノベ作家の転向の話、よく受けてくれましたね」
「新作があの数字ではな……。いずれボクは小説家を続けられなくなるんだろ?」
「……そうはならないですよ」
「へ? ならないのか?」
「私がそうはさせません。先生が諦めない限りは」
「は、恥ずかしいことを言うな!」
「担当者ですから。たまに恥ずかしいことも言います」
「そういうものなのか……?」
「そういうものなのです」
「宗次郎。ボクは純文学が好きだ。芥川の『蜜柑』は読んだかね?」
「昔、貸していただいたものにありました」
「序盤の誤解、不和、窮屈感はモノクロの印象を強く残し、だからこそ、それらが晴れたシーンはまるで物語に色がついたように感じる。文章が文章の枠を飛び越えてくるのだよ。あの快感はずっと忘れられない」
夕陽の赤を受けた横顔は、嬉々と言葉を続ける。
「トロッコは何とも言えぬ、しかし、どこか共感できる感情を湧きあがらせてくれた。あれはきっと遠い昔の郷愁だ」
「太宰は?」
「自らの血肉を流し、書く命がけの作家だ。自らの弱さを覗き込み、向き合うことが大事だと教えてくれた。人間はみな同じなのだな。弱さや恥部は共感できる」
「三島由紀夫は?」
「実は『潮騒』が好きでね。ただの恋愛物語とは言い切れない美しい余韻と体験がある。秘密は無駄のない文体と細かい情景描写にあるのだろうか?」
「一番好きなのは、坂口安吾ですよね?」
「そうだ。中でも『桜の森の満開の下』や『夜長姫と耳男』といった芝居がかったものが好きでね。とても静かで、もろくて、でも神聖な空気と狂気を感じる。その強固で魅惑的な世界観、独特な文体は何度もまねたものだよ。でもね、彼の本懐はそこではない。芸術とは何なのか。彼のエゴを叩きつけてくれる。新しい価値観との出会いは、魂をゆさぶる感動だ」
「……」
ウメのやつ、やっぱり本が好きなんだな。
編集者といえば、華やかな職業に見えるかもしれない。
でも――俺が感じてきたのは「無力さ」だ。
これまで大きな仕事といえば、もともと人気がある作家さんの担当を引き継ぐくらいだった。
新人発掘は時間がかかる上に難しい。
少なくとも俺は一人たりともヒット作家に育て上げられたことなんてない。
まだ入社一年のぺーぺーかもしれないけれど――気持ちは誰にも負けないつもりだった。
どうにか作家の力になりたい。
自然に拳に力が入る。
「俺……じゃなくて、私の今の目標は重版出来です。先生と一緒に重版したいんです。たくさんの人に読んでもらいたい本ですから……。だから……私は編集者になりました。それは純文学でも、ライトノベルでも変わらない……はずです」
つい昔からの癖で「俺」と言ってしまった。
いくら幼馴染とはいえ、仕事中は敬語。
それはウメの担当をさせてもらえている俺なりのケジメだった。
「宗次郎。ボクはね、まだライトノベルやオタク文化のことを詳しく知らない。けれど、文章を書くのは好きだし、誰かに何かを伝えたいって気持ちは抑えられない。もう少し、がんばってみるよ。せっかく仲間……のようなものもできたんだからね」
仲間――。
先ほどまで部屋にいた伏見編集長と秋葉さんの顔が思い浮かぶ。
オッサンばっかりだけど頼りになる人たちだ。
思い出すとちょっと笑っちゃうけど。
「大丈夫です。ウメ先生はかわいいですから」
「ボクがかわいいことは……今の話に関係ないだろう」
「……ですね」
言いながら、ウメは犬歯を出して笑った。
その顔が本当に可愛かったものだから、俺もつられて笑ってしまった。
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