「この企画は……うぅ……」
俺はウメの企画書に目を通していた。
多くの編集部では「プロット提出」が定着しているらしいが、うちは少し違っていてもう一段階前の提出物がある。
企画こそ命、というポリシーのもと、企画書の提出を義務づけているのだ。
企画会議でゴーが出ない限りプロットにも入れないのだが――。
そもそも、今回のウメの企画は俊三郎先生との個人的なバトルだ。
出版物ではないので、会議に通す必要はないんだけど……。
企画から握りたいという意図があるのかもしれない。
ちなみに、ウメはパワーポイントどころか、テキスト系のソフトも使いこなせない。
なので、色鉛筆で色づけされたイラスト入りのわいらしい手書き企画書だ。
「しかし……これは……うぅ……」
何度、目を通しても恥ずかしい。
ウメの企画書は「俺にとって」恥ずかしい内容だった。
でも、先日、小鳥先輩に言われた言葉を思い出す。
作家にとって、恥ずかしいこと、怒ったことなど、自分自身の過去の出来事の中でも「感情が大きく動いたこと」を題材にするのも手の一つ。
けど、これは作家であるウメが恥ずかしいというか、俺が恥ずかしい。
「不良が異世界転生で魔法の勉強に目覚める……」
主人公はケンカでは負け知らずの不良。
だが、モンスターには勝てるはずがなく、異世界転生したら負け続け。
屈辱的なことに金髪幼女に助けられ、プライドをへし折りながら魔法学校で魔法を勉強し、少しずつ強くなっていく物語だ。
「俺とウメのことじゃん……」
俺の中学、高校時代が、ケンカに明け暮れる不良だった。
そんな俺はある日、報復で集団に襲われ、ボロボロになった。
何とか逃げ延びた俺を気づかってくれたのがウメだった。
ウメは当時、中学生で――病弱だったこともあり、あまり外に出ることができなかった。
そんな彼女が大事にしていたのが「本」だった。
「この本を持っていくといい。キミが思っているよりも、本の世界は素晴らしい」
白いワンピースに身を包んだ金髪の少女。
それはまるで天使のようで。
そんな彼女が両手いっぱいの本を持ってきてくれた。
そういえば、当時、渡された一冊の中に三島由紀夫の「金閣寺」があった。
今思えば、初心者にどえらいチョイスをしたものである。
俺は企画書を読み終えた後、少し悩んだ。
これだけは止めてくれ、と言うべきか迷った。
だってそうだろう。
ウメはとことん俺をモデルにするはずだ。
昔はワルだった、なんて暗黒史でしかないし、そんな姿がネットで公開されるとなれば――。
想像するだけで吐き気が止まらなくなる。
悩んだものの、おもしろくなりそうなので仕方がない。
ウメが作家として生き残る為――。
そう言い聞かせ、さっそくウメに「企画オッケー」のメールを送った。
念の為、書籍化のボーダーラインを伏見編集長にも確認しておいた。
アクセス数、ブックマーク数、コメント数などの「数字」関連だけでなく、コメントの内容やネット上での反響など……総合的に判断するので明確な基準はないとのことだった。
「ただ、もともと俊三郎先生の作品のアクセス数は相当な数だからね。それを超えて勝ったなら書籍化はほぼ確定だろうね」
――とのことだった。
不安もあるものの、期待に胸が高鳴る。
そんなこんなで二か月が経ち、勝負は一か月後に迫っていた。
その頃には何故か俺の家が痛メンの集合場所として定着していた。
ちなみに痛メンとは俺とウメと伏見編集長と秋葉さんの四人のことだ。
何だかんだ俺自信も痛メンの自覚があるからな。
八畳の狭い部屋にも関わらず、それぞれ自分のノートパソコンを持って来て、それぞれの仕事に打ち込んでいる。
二人の厚意には俺もウメも感謝しているが、部屋の面積も消費するし、何よりおっさんが二人いると空気が淀んでいる気がする。
話し合いは別として、作業は各々の家でやって欲しい。
「帰ってくれませんか?」
――とストレートにお願いしてみたが「グフフ、またまたぁ。おもしろくない冗談を言うでござるなぁ。そんなこと言って、拙者の力が欲しいくせに。こぽぉ」とウインクされるだけだった。
いやあ、あはは。全くもって冗談じゃないんですけどね!
俺は心の中で盛大に愚痴りつつ、しかし、現実では何も言わずに作業に戻ったのだが……席を外している間、モニタに驚くべき数字が映し出されていた。
何事か理解できず、一瞬、固まってしまう。
「せ、先生! これ……! これを見てください!」
「むぅ、どうしたのかね。ボクは今、読むのに忙しいから後にしてくれないか」
「こ、これだけは先に見ておいてください!」
俺はベッドの上のノートパソコンをウメの方向に向けた。
ウメは煩わしそうにモニタへ視線を移す。
「!」
「ど、どういうことだいこれは?」
ウメが動揺するのも無理はない。
「光ノ院鏡花」のSNSアカウントのフォロワー数が、いつの間にか「五万」になっていたのだ。
純文学作家として活動していた頃のフォロワー数は三万だった。
まさか数週間でここまでフォロワー数が倍近くまで伸びるものなのだろうか。
俺の驚きの声に伏見編集長と秋葉さんも立ち上がり、ベッドの上に置いたノートパソコンを覗き込む。
「デュフ、失礼だけどウメタンってこんなに人気あったの?」
「ないです」
「即答とは失礼だな! それでもキミはボクの担当なのか?」
ウメが眉根を寄せて抗議の声を上げる中、伏見編集長が冷静な声を漏らす。
「うーん、これは炎上効果だろうね」
「炎上効果?」
「SNSのコミュニティで俊三郎先生に宣戦布告したからね。光ノ院先生がどんな小説を書く人なんだろうって……気になったライトノベルファンは少なくないってことだよ。まとめサイトなんかでも取り上げられてたし」
「なんだ……純粋なファンではない人もいるのだな」
「でも、これは喜ばしいことだよ。それだけこの対決が注目されてるってことだ。ライトノベル作家としての光ノ院先生が注目されるキッカケになる可能性は十分あるってことさ。後は読者を納得させられるだけのクオリティの作品を出せれば……このマイナスの流れをプラスに転換できるかもしれないよ」
「むぅ、ボクとしても手を抜く気はない。心地よいプレッシャーだ」
ウメがモニタに並ぶフォロワー数を睨む。
「どちらにせよ後がなかったですからね。チャンスを得たと思って頑張りましょう!」
「フン、宗次郎は他人事だと思って……」
「他人事じゃないですよ。仮に先生が仕事を失えば会社は大事な作家を一人失いますからね。状況が状況なだけに、責任を取ってクビなんてこともあるかもしれません」
あぁ、何だろう。
言ってて気持ちが沈んできた。
「フン! この期に及んでボクの心配より責任やお金の心配か! キミなんて担当に指名するべきではなかったね。この守銭奴!」
「坂口安吾と谷崎潤一郎の全集を取り戻す為にはお金が必要なんですよ。お金が」
俺が右手の人差し指と親指で作った輪を見たウメは、呆れたように目を細めると、机に戻って原稿に鉛筆を走らせた。
秋葉さんは自分の作品を読み返しているらしく、ガリガリお腹を掻きながらモニタを見つめていた。
伏見編集長は密林で買い物をしているらしく、画面には色々なサイズと色のバンダナの写真がサムネイルで並んでいた。
やることないなら帰れば良いのに。
「伏見編集長は何で秋葉さんを担当されているんですか? 作品の発行部数、調べさせていただいたのですが、ぶっちゃけ人気……ないんですよね。秋葉さんの作品」
「ブバァ!」
視界の隅にコーラを噴く秋葉さんが見えた。
「人んちで何コーラ噴いてるんですか!」
「人気ないってドヒクない? 事実でござるがさぁ。事実でもドヒィよぉ」
動揺しているのか、言葉遣いが少しおかしい。
「そうだね。秋葉君の作品は確かに人気がない」
「編集長ぉ、認めるんだぁ……コポォ」
「じゃあ宗次郎君、聞くけど、君は最初から人気が出るような作家だけを担当したいのかい? 当然、携わる作品は全部ヒットさせるくらいの気持ちでは取り組んで欲しい。でも、売れそうな作品ばかりを引っ張ってきて売るのが君のしたいことなのかい? それなら投稿サイトですでに数字を出している作家だけを引っ張ってくればいい」
「それは……」
「……気づいたみたいだね。そういうことだよ」
「え、どゆこと? どゆこと?」
何故か事情を呑み込めていない当事者――秋葉さんは、不安げに伏見編集長に尋ねるが、伏見編集長は苦笑いを返すだけである。
「ちょっとぉ! 教えてよぉ! クポォ!」
伏見編集長が言っていることは分かる。
自分がウメにこれだけ肩入れしているのは、幼馴染だからではない。
デビュー作以外で大きなヒットを飛ばせていないが、俺はウメの作品が好きで、何かキッカケがあればヒットすると信じている。
もっと多くの人に読んでもらいたいんだ。
俺はノートパソコンへ向き直った。
いよいよ来月、ライトノベル作家「光ノ院鏡花」がデビューする。
普通に本を出版する訳ではなく、WEB上の公開で、しかもいきなり大御所作家との対決から始まる訳だが、伏見編集長が言うようにこれはピンチでありチャンスでもある。
文豪の全集二セットの代金、秋葉原への出張代、メイド喫茶での食事代、経費で落ちるのは打ち合わせの食事代くらいか。
新人には痛すぎる出費の連続だ。
ここで勝利をもぎ取り、同時にお金ももぎ取らないでどうする。
時は金なりと言うが、冷静に考えればケースバイケースであって、今はどちらかと言えばお金が欲しい。
というより、どちらも欲しい。
ウメ、気合を入れてくれよな。
俺も気合を入れるからさ。
……という意味を込めた視線と爽やかな笑顔をパソコンのモニタと睨めっこするかわいい大先生に送ったのだが、返って来たのは今にも「ウゲェ」という声が漏れそうなしかめっ面だった。
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