いや、まぁ「これを見た反応」としては全くもって当然なんだけどね。
ウメはノートパソコンのモニタを見つめながら固まっていた。
「いやぁ、あはは、間違っちゃった……」
秋葉さんは「デュフフ」が出ないほど動揺していた。
「け、消すんだ! 今すぐこのコメントを消したまえ!」
猫の着ぐるみの毛が逆立って見えるほど焦ったウメが机を叩いて立ち上がる。
「もう無理だよ。俊三郎先生も返信のコメント残してるし」
伏見編集長は眉間にシワを寄せながらも冷静な声を漏らす。
「どんな返信なんですか?」
「私が読もう。……光ノ院先生、わざわざご挨拶ありがとうございます。俊三郎です。その勝負、受けて立ちましょう。勝負の内容は考えておきますね。不公平なものにならないよう気をつけるのでご安心ください。詳細が決まり次第、後日、当アカウントでお伝えします。しばしお待ちください……だそうだ」
ファンの書き込みも時間を追うごとに増えていた。
大きく分けると「光ノ院なんて知らないぞ、帰れ」みたいな批判――「何かの企画ですか? おもしろそうですね」といった興味津々な野次馬の二種類の反応に分かれていた。
「いやぁ、あはは。すごいラノベ作家デビューになっちゃったねぇ、宗次郎君。どうしようかね……」
「秋葉氏、これはどういうことなんだ! ボクが言ったことを一つも守ってないように見えるぞ?」
涙目のウメが秋葉さんをキッと睨みつける。
――が、愛くるしい猫の着ぐるみ姿なので全く恐くない。
「ああ、もっと睨んで! もっと罵って! ごぽぅ」
「秋葉先生、落ち着きなさい! 興奮している場合じゃないぞ!」
「す、すみません」
迷彩服姿の伏見編集長が一番まともな人に見えるとか、これ相当ヤバい状況だぞ。
「とりあえず、どうしますか……?」
「どうするもこうもない! だからボクはこんなところに来るのはイヤだったんだ! もう絶対にラノベは書かない! オタクも嫌いだ! みんな死んでしまぇええええ! うわぁああああああん!」
「あ! 先生!」
ウメはギャン泣きしたままメイド喫茶を出ていってしまった。
その日はウメが戻って来たところで解散することになった。
ウメは自分が着ぐみ姿だったのを忘れていたのだろう。
三十分ほど秋葉原を徘徊し、ちょっとした名物になってお客さんが「何かかわいい着ぐるみの子を見かけたんだけど……」と噂が広がり始めたころに、頬を染めながら帰って来た。
ウメが帰って来たと同時に解散したのだが、状況が状況なだけにウメの怒りが収まることはなかった。
その日の帰り道どころか、次の日に電話をかけても無視をされた。
ただ、A級戦犯の秋葉さんも責任は感じているらしく、次の休みの日に「最悪の出会いをやり直したい」という謎の電話が入った。
俺としてもどうするべきか悩んだ。
普通に考えれば、もう秋葉さんとウメを会わせたくはないだろう。
だが、俺の知識だけでは心もとないことは分かっていたし、現役ラノベ作家である秋葉さんの知識や協力は未だ魅力的なものだ。
それに――泣きながら懇願する秋葉さんの反省は痛いほど伝わってきたし、放っておくと責任のあまり死んでしまいそうな勢いだった。
最早、仲直りさせるしか道はないように思えた。
そこで俺はウメを説得することを前提とした上で、俺の家を集合場所にし、メイド喫茶で会ったメンバー全員でもう一度会うことにした。
俺だって変なオッサン二人を家に招きたくはなかったが、ウメのアパートに集合する訳にもいかない。
ファミレスとか公衆の面前で変なことにもなりたくなかったので、消去法でこの選択肢を選ばざるを得なかった。
ウメは最後まで「絶対に会わないからな!」の一点張りだったが、どうにかしなければならなかったので、泣く泣く谷崎潤一郎全集全三十巻の名前を挙げた。
「それなら……仕方がないな」
何とか手を打ってもらえたが、言うまでもなく大打撃である。
俺の本棚からコレクションがなくなる日は遠くないかもしれない。
あぁ、めまいが止まらない。
「本当に申し訳ございませんでしたぁあああああッ!」
その日の会議はまず、頭を丸めた秋葉さんのジャンピング土下座から始まった。
俺の部屋ベッドのバネを勝手に利用し、ピョンと飛び跳ねて地面を滑った秋葉さんは、勢いあまり壁に頭を打ち付けて一時失神していた。
ちなみにウチは高田馬場駅から徒歩十分程度のマンションだ。
キッチンは別だが、部屋は七畳しかないので四人もいると暑苦しくて仕方がない。
ウメは目覚めた秋葉さんに小さくため息をついた。
「はぁ、終わったことだしもう良いよ。ヒールでも何でも演じる。ライトノベルとやらでデビューすれば良いのだろ?」
あれだけライトノベルは書かないと声高々に宣言していたウメが、ライトノベル作家になることを認めた。
妙に聞き分けが良いのは何だか気持ち悪いが、もしかしたら「塩キャラメルの憂鬱」の売り上げが不調なことに若干の焦りを覚えているのかもしれない。
それと、ジャンピング土下座の時、秋葉さんの鞄の中から「塩キャラメルの憂鬱」が十冊ほどこぼれたのも、ウメの機嫌を良くした要因なのかもしれない。
「またせたな」
遅れて来た伏見編集長も絶好調だ。
今日も頭にバンダナを巻いた迷彩服姿だが、ここに来る途中で捕まらなかったのかと心配になる。
……というかこの人、同じセリフを言う為に毎度約束の時間に遅れて来る気だろうか。
ほぼピッタリの時間なので何も問題ないのだが、そのこだわりが百%自己満足で、何のセリフなのか誰も知らないことにそろそろ気づいて欲しい。
ウメ、伏見編集長、秋葉さん。
俺は全員が集まったのを見計らって口を開いた。
「えー、本日、みなさんに集まってもらったのは、ウメ先生……作家名『光ノ院先生』の名誉挽回の作戦を立てる為です。先週は色々あって知名度を得る代わりにたくさんのものを失いましたが、しっかり今後の為の作戦を立てましょう。まずはこちらを見てください」
俺がマウスを操作し、パソコンのモニタに表示させたのは俊三郎先生の作品が掲載されたページだった。
俊三郎先生はネットの投稿サイト――「小説家になれるのかもしれない」で作品を掲載して人気を得た作家で、プロになった今もいくつかの作品をネット上で連載し続けている。
その投稿サイトの日記記事に先週の騒動に関する俊三郎先生の見解が発表されているのだ。
この度、私、俊三郎は光ノ院鏡花先生のお話を受け「小説家になれるのかもしれない」の読者数勝負を執り行うことにいたしました。
ライトノベルを盛り上げる為、光ノ院先生が提案してくださった真剣勝負であり、私としてもせっかくの機会と捉え、勝負に乗らせていただく決意をいたしました。
期間は執筆期間を考慮し、約三か月後スタートで九月三週目の日曜日から五週間、更新は毎日一回で連載を行います。
なお、一週間ごとに累計のユニークアクセス数を発表し、最終的な総アクセス数で勝敗を決めます。
勝敗によるペナルティなどはありませんが、この光ノ院先生との勝負では、私も新作を書き下ろさせていただきますので、お祭りだと思って楽しんでもらえれば幸いです。
俊三郎
大人だ……。
あの後、俺が俊三郎先生にフォローのメールを送って間違いの書き込みだったことを伝えたのだが、快く許してくれた上に「なかったことにするのは勿体無いですよ。反響もあるみたいですし、勝負の中止に納得できない人も出てしまうでしょう。いっそのこと、このままお祭りにしちゃいませんか?」と提案までしてくれたのだ。
明らかな無礼をファンも楽しめるお祭りに昇華する。
さすが大御所の機転としか言いようがない。
もしかしたら負けず嫌いなだけかもしれないけれど。
「デュフ、王者の貫禄ってヤツだねぇ」
「どちらかと言えば犬はウメ先生ですよね。キャンキャン吼える弱い犬」
「宗次郎! 貴様は本当にボクの担当なのか! もっと敬え!」
「デュフフ、ウメたん仔犬……はぁはぁ」
「誰のせいでこうなったと思っているんだ!」
「先生、弱い犬はかわいいんですよ。チワワとか小さい身体なのに大きな 瞳や耳をしていてかわいいですよね。チワワ=かわいい=先生、です」
「……え、そうかな? かわいいかな?」
毎度のことながらチョロすぎて、彼女の人生が心配になる。
変なおじさんに連れて行かれなければ良いけど……。
「ラノベを書くんだったら、とりあえず既存の作品を読んだ方が良いだろう。私のチョイスで何冊か持って来たよ」
伏見編集長が参考になりそうなライトノベルをローテーブルに並べ、秋葉さんもバッグをまさぐる。
「デュフフ、僕も持って来たよぉ。俊三郎先生の代表作も持って来たから、ちゃんと読んで対戦相手を知った方が良いよ、こぽぉ」
「あぁ、それから、実はこのサイト、うちの丸川出版社が運営でね。この勝負で数字が良ければ書籍化も検討するよ」
俺とウメは目を輝かせた。
「ありがとうございます!」
「ふむ、書籍化も視野に入れてもらえるなら気合が入るな!」
ライトノベル編集部に転属したとしても、企画を練ってもらったり、プロットを作成してもらったり、仮に企画やプロットができたとしても、編集会議で挙げて了承を得たり――道のりは長い。
書籍化までは時間がかかると考えていた。
今回の勝負で書く作品がそのまま検討されるのであれば願ったりかなったりだ。
ウメも気合が充実しているのか、牛乳を飲み干していた。
それに、この迷彩服の中年と変態ラノベ作家、意外と頼りになる。
一番頼りないのは間違いなく編集担当の俺じゃないだろうか。
多少の危機感を覚えてしまう。
がんばろう。
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