葉月先生は仕事っぷりからも几帳面さがうかがえる。
同じ言い回しの連続使用は可能な限り避けるし、誤字脱字も少ない。
企画やキャラクターの完成度だけでなく、細部までこだわっているのが伝わってくる。
俺は読み返した葉月先生の原稿をデスクに置いて電話を取った。
ちなみに「会って話す」ばかりが打ち合わせではない。
時にはスラックなどの外部ツールを使った音声・文字チャット、電話、メールなど。
ケースバイケースでツールを使い分けてコミュニケーションする。
うちの会社は平均年齢が低い分、他の出版社に比べて新しいツールには特に敏感だと思う。
今日の葉月先生との打ち合わせは電話だ。
「葉月先生、お疲れ様です」
「お疲れ様です。本当はお会いしたかったのですが……」
葉月先生は必ず対面での打ち合わせを希望する。
可能な限り応えたいけれど、状況によっては難しいこともある。
やはり人間対人間のやり取りなので、できれば表情や仕草を見てコミュニケーションしたいのは、作家も編集者も同じなのだ。
編集者と作家の「すれ違い」や「誤解」の話はよく聞く。
担当者作家が増えればリソース的に難しくなるので、今はなるべく要望に応えたい。
打ち合わせは順調に進み、話が終わりそうになった頃。
思い出したかのように葉月先生が語気を強めた。
「そういえば! 余談ではあるのですが、この前勧めていただいた脚本の技術書……SAVE THE CATの法則……とても勉強になりました。自分の創作をふかん視点で見られるようになった気分です。企画段階でどう詰めればいいのかヒントを掴めました」
「よかったです! 映画脚本について書かれた本ですが、小説にも応用できる内容だったので……お勧めする前に読み返したのですが、大事なことを再確認できました」
そこから五分、十分ほど、お勧めした本の内容について語り合った。
「……それにしても、葉月先生はすごいですね」
「何がですか?」
「お勧めした本を読まれる方って実は少ないので」
「そうなんですか! 読まなければこの本の素晴らしさには気づけないのに。勿体ないです」
葉月先生は良い意味で貪欲だ。
新人賞を獲っても慢心せず、勉強をし続けるし、自分からお勧めの本や技術書も聞いてくる。
その真剣さに触れていると、こちらも真剣で応えたいと思わされる。
葉月先生の対応が終わったら次はウメだ。
プロットに目を通し、読者目線での意見を書き込んで送り返す。
キーボードのエンターキーを押して顔を上げると、外はすでに真っ暗だった。
「宗次郎君~」
振り返ると小島先輩が小さく手を振って笑っていた。
今日もスーツのパンツスタイルで、スマートフォーマルな格好だ。
パリッとしたシャツがしっかりしている小鳥先輩らしい。
「せっかくだから、この後一杯どう?」
くいっとお酒を飲むジェスチャー。
小鳥先輩がやると、何故か渋い赤ちょうちんのお店が思い浮かぶ。
「いいですね」
というやり取りを見ていた伏見編集長が立ち上がる。
「そういえば、宗次郎君の歓迎会をやってないな。近いうちにやるか。来週にでも」
「いいですね~そうしましょう」
小鳥先輩が弾けるように笑い、手を叩いて賛成する。
「おーい、目黒っち、久々に酒飲めるぞ」
伏見編集長が呼んで立ち止まったのは、いかにも酒豪そうな口ヒゲの生えたイケオジ風の編集者だ。
まだ転属されたばかりなので話したことはないが、そういう先輩方とも話せると思うと今から楽しみになってくる。
「あー、俺は今氷室先生相手してっからさ。肝臓が死にそうで」
目黒さんは眉を寄せ、お腹をさすりながら言った。
「それは残念だ」
「残念って誰が行かないって言った?」
「今の反応で行くのかよ」
「死んでも行くんだよ」
そう言って二人でガハハと笑った。
「宗次郎君だっけ? ま、当日話せたら話そうな」
「は、はい!」
目黒さんは「えーと、俺、何してたんだっけ?」と頭を掻きながら編集部を出ていった。
伏見編集長がこちらに向き直る。
「という訳で、店は考えとくよ。楽しみにしてて」
「ありがとうございます!」
「でも、今日は二人で行ってきますからね」
小島先輩は伏見編集長に釘を刺すと、さっさと帰り支度をして「一階のロビーで待ってるから」とフロアを出ていった。
俺も追いかけるように急いで帰り支度をする。
会社を出て直ぐ、飯田橋駅の裏通り。
小島先輩が紹介してくれたのは、イメージしていた通り、赤ちょうちんのお店だった。
小島先輩、見た目はおっとりしていて真面目そうだけど、たまにおじさん臭い雰囲気や趣味が垣間見えるんだよな。
親父さんの影響だろうか?
のれんをくぐると、焼き鳥のいいにおいが漂ってきた。
促されるまま、カウンターの端に座り、その隣に小鳥先輩が座った。
「大将、瓶ビール!」
「あいよ! おっと小鳥ちゃん、彼氏かい?」
「そうですよ~」
「違いますよ!」
「ははは、ま、後輩だよな」
「何、その彼氏な訳ないかって反応!」
常連だ。
常連感が半端ない。
置かれたビール瓶はキンキンに冷えて汗を流していた。
お互いが相手のグラスにビールを注ぎ、カチンと音を鳴らして乾杯。
「やっぱ一杯目はビールですね」
という小並感を、小島先輩の「カァアアアッ!」といううなり声が打ち消す。
いやいや、マジでオッサンすぎるだろ。
いい意味でとっつきやすい先輩だ。
――というかすでに顔が赤いんだけれど……大丈夫なのだろうか。
「私……お酒は好きなんだけどさ……実はかなり弱くて。今日はこの一杯にしておくから。あ、でも宗次郎君は遠慮しないでね。今日はおごりだからガンガン飲みなさい!」
「ありがとうございます!」
「元気があってよろしい。ところで……」
「はい」
「思い悩んでいるのかい、青年?」
「……気づかれてます?」
「ま、顔を見てればね。ウメ先生の件かな?」
「そうですね」
「ライトノベル転向でいきなり俊三郎先生と勝負することになっちゃったもんね」
「力になれてるのかな……って」
「企画、おもしろいんでしょ?」
「おもしろいです!」
「じゃ、信じなよ」
「もちろん信じてますけど……相手が相手なだけに……。それにラノベは初めてですし。絶対勝ってほしいから……何でもやりたいんですけど、から回ってる部分もある気がしますし、全部が正解なのか分からなくて」
「そりゃ、私たち中堅編集者だって全ての行動が正解なのかは分からないわよ。ベテラン編集者だって分かってないかも」
「そうなんですか?」
「これは絶対に売れると思っていても、売れないこともあるし」
「……そうなんですね」
「まだ編集者なりたてだから心配も大きいとは思う。でも……慣れすぎて全く心配しないよりはマシかな」
「慣れる……ですか?」
「独自のおもしろさを引き出すとかどうでもいい。売れ線を抑えてある程度売れてくれて、ちゃんと給料もらえればいい。言い方は悪いけれど、そういう編集者もゼロではないと思うわ」
「俺は……そうなりたくないです」
「うん。じゃ、後は結果を出すことね」
「結果……」
「あなたにとって、ウメ先生や葉月先生が特別ならなおさら。……結果が出ない状況が続けば、作家さんは自信を失うし、編集部も投資を諦める。私たちはプロだからね。頑張りました。でもダメでした。では続けられない」
「……」
「そんな顔、作家さんの前でしちゃダメだぞ」
頬が赤く染まった小鳥先輩にデコピンされる。
「不安は分かるけれど、やれることをやるしかないわ」
「もしそれでもダメだったら……」
「そうならないように全力を尽くす! 思い悩んで全力出せなかったら後悔するわよ……」
最後の言葉は実感が込められているように感じた。
小鳥先輩も後悔したことや、記憶に残り続ける失敗があるのかもしれない。
「もう一つ……聞いてもいいですか?」
「いいわよ、もう一個だけね」
「小鳥先輩が編集者として大事にしてることって何ですか?」
「そうね……作家さんってやりたいことがそれぞれあると思うの。一番大事にしているもの。それを編集者が潰したらいけないとは考えているわね」
「作家性ってやつですか?」
小鳥先輩は静かに頷いた。
「それこそが尊いものだと思うの。だって、もしそこまで口出しできる権利があるなら、私たちが書けば良いじゃない」
「そうですね……」
「作家性って誰もが持ってると思うんだ。だって、人間ってたくさんいるけど、同じ人って誰一人としていない訳じゃない? その独自のものが作家性。それを見つけて、引き出して、膨らませられるかどうかが編集者の腕の見せ所だと思うの」
「勉強になります!」
「はい、じゃあ仕事の話はここまで! ねぇねぇ、宗次郎君ってさ……」
その後は「彼女いるの?」とか「好きな小説の話」とかで盛り上がった。
逆に「彼氏いるんですか?」と聞いたら過去最高に痛いデコピン記録が更新されてしまった。
買い物して帰るという小島先輩とは駅前で別れた。
俺は改札を抜け、駅のホームで電車を待ちながら考える。
自分では気づいてなかったけれど、心配ごとや考えごとで眉間にシワが寄っていることが多かったのかもしれない。
それを心配した小鳥先輩が飲みに誘ってくれたのだ。
お酒、弱いくせに……。
「ありがたいな……」
小さく呟いた。
ほろ酔いで火照った肌を、気持ち良い風が撫でる。
今日は月が綺麗だ。
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