ボクは死んでもラノベなんか書かないからな!

明里 灯
明里 灯

21カッコイイほふく前進

公開日時: 2020年9月19日(土) 21:00
更新日時: 2021年8月13日(金) 17:52
文字数:3,926

 俺は社長に呼ばれ、丸川出版五階にある社長室を訪れていた。

 恐らく、ウメと俊三郎先生のアクセス数勝負の件だ。

 覚悟はできている。

 俺は身だしなみを確認し、小さくノックした。


「はい」


 扉を開けると社長が椅子から立ち上がり、応接のソファに座った。


「キミも座りなさい」


 社長はいつも通り淡々とした無表情で感情が分からない。

 俺は促されるまま対面のソファに座った。


「負けたそうだが、数字は良かったらしいな。SNSで話題になっているのも見たよ。伏見編集長も出版を前向きに検討してくれるだろう」


「光ノ院先生が頑張った結果です。これなら利益面も十分期待できると思います」


「ふむ……だが、約束は約束だ。キミは彼女の担当を降りてもらう」


「はい」


 淡々と話していた社長の右眉が上がった。


「……やけに素直だな。キミらしくない」


 抵抗すると思われていたのだろうか。

 まぁ、これまでの行動を考えれば、そう思われても仕方ないけれど。


 俺だってウメの担当を外れたくない。

 でも、無理を通したのだから、ケジメはつけたい。

 それは譲れなかった。


「光ノ院先生が書き続けられるなら……それでいいです」


 社長は目を閉じると小さく息を吐いた。


「……そうか、分かった」


 社長にしては珍しく、感情がこめられた仕草に見えた。

 俺は担当を降りることになるが、それでもウメは作家を続けられる。


 その事実に感謝を述べようとした時――勢いよく扉が開いた。

 驚いて振り向く。


「うんうん、これはおもしろいなぁ。戦いを忘れて読みいってしまいそうだ。不良だった少年がよくここまで成長したものだよ」


 何が起こったのかよく分からない状況だ。

 俺は目の前の光景に目を疑った。


 何と迷彩服にバンダナ、眼帯姿の伏見編集長が、ほふく前進しながら登場していたのだ。

 頭のヘルメットには、短いアームが付けられていて、原稿が手放しで読めるようになっていた。

 ウメが俊三郎先生に負けた作品「元ヤン転生」だ。


「な、何やってるんですか!」


 反射的に突っ込んでしまった。

 伏見編集長は俺の反応を無視し、セリフを続ける。


「これさ、知ってる? 途中で全部書き直したそうじゃないか。それで大きく数字が伸びたみたいだね。ネット上の反応も悪くない。まだぺーぺーだし発展途上だが、間違いなく今後伸びてうちの看板作家になる器だよ」


 社長が目を見開いて、伏見編集長を見下ろす。


「何が言いたい?」


 恐ぇええ!

 この恐ろしい社長の前で、よくこんな「殺してください」と言わんばかりの自殺行為を披露できるものだ。

 迷彩服姿の伏見編集長は、ある意味最強の兵隊である。


「社長じゃないですか。奇遇ですね」


 何が奇遇だ。


「ていうか、独り言、聞こえちゃいました? ははは、いやぁ、この作者さん、今後推してくんですよね? いやあぁ、うちのラノベ部門は当分安泰だな、と思いまして。さすが社長です。先見の目は誰よりもありますね!」


「それで?」


「これ、書き直しのキッカケは宗次郎君……キミだよね?」


「……」


「宗次郎君が担当編集だったから彼女の力を最大限に引き出せた。私はそう思います。こりゃ、絶対に引きはがせないコンビですな、ハハハッ!」


 どれだけ強いんだこの人、と思ったが、伏見編集長の両腕は震えていた。

 そりゃそうだ。


 こんな恰好で社長室に入っただけでもヤバいのに、更に社長の決定に対する批判。

 このまま終わりのない休暇を宣告されてもおかしくないくらいだ。


「……」


 社長のブリザードな視線が十度近く室内の温度を落とした気がした。

 扉付近の床には、ほふく姿で前進した伏見編集長。

 この状況、一体どうなると考えていた矢先、驚きの事態は更に続いた。


「デュフフ。いやぁー、こりゃあ、ライバルの登場だなぁ」


 まさかのまさか、今度は秋葉さんがほふく前進で登場したのだ。

 しかも伏見編集長と同じく、ヘルメットを被り、アームで書類を読みながらの登場である。

 わざとらしすぎる。

 な、何やってるんだこの人たち!?


「まぁ、確かに荒削りだけど、今年の新人じゃ可能性は一番じゃないかなぁ。こぽぉ。で、近くで見てから分かるよ。ウメたんを支えた編集者の力は大きい。コスモパワーなりよ。二人はプリキュアなりよ! こぽぉ」


 秋葉さん、額が脂汗で光まくってる。

 あぁ、もうそのセリフを聞けば十分だ。


(秋葉さんのセリフはよく分からなかったけれど)


 二人が何をしに来たのか分かったよ。

 単純な自殺願望でここに来たんじゃない。


 俺を……助けに来てくれたんだ。

 負けそうになった途端、逃げ出したと思っていたのに。

 二人は見えないところで、ウメのことを、俺たちのことをずっと心配していたのだ。


「デュフ、ま、まさか社長、このコンビを引き裂く訳じゃないですよねぇ?」


 冷たい瞳どころじゃない。

 社長のブリザードな二つの目は、秋葉さんの双眸を真っ直ぐ射抜いている。


「お前たちはもうこの件に関わるな、と言っておいたはずだが?」


「え?」


 お前たちはもうこの件に関わるな――。


「まさか……だから途中から集計に来なくなって……」


 そこで伏見編集長が唇を噛む。


「いや、全てが社長の命令って訳じゃないよ。正直に言えば、勝負の件は諦めてた部分もあったかもね」


「デュッフ。でもねーこんなにおもしろい作品を読ませてもらっちゃ手助けせざるを得ないよね。業界の為に。これは残さないといけない物語だぷぅ」


 秋葉さんは小刻みに震えながらも、負けじと社長の瞳を見返していた。


 初めて――。

 震えるほどに――。

 この二人のおっさんをカッコイイと思ってしまった。

 普段は酒を飲んでバカ騒ぎをしているだけなのに。

 どうして、こんなにすごいことができてしまうんだ。



 永遠を思わせる沈黙の中、社長は大きく息を吸い込んだ。

 大きなため息が、小さな音を立てる。


「分かった。勝手にしろ。うちの看板を汚したり、大幅な赤字が続いたら承知しないからな」


「でも……今回の件の責任を取らないと……」


「そもそも、あの時のキミの回答は正しくなかった」


「あの時の回答?」


 どう責任を取るのか? の質問のことだろう。


「事態の責任を取るのは社を代表する私だ。そして、キミの進退の責任は伏見編集長にある。入院中は私が代理で判断を下したが、本来の責任者がキミは担当継続と言っているのだ。私は反対せんよ」


 まさかの言葉に衝撃が隠せない。

 社長は初めから俺に責任を取らせる気はなかったということか。


 じゃあ、俺の責任は何なのか……。

 社長が言いたいことがだんだんと見えてきた。


「問う。キミの、編集者の責任は何だ?」


 俺は顔を上げた。

 俺が思う「編集者の責任」は何か――その問いに答える。


「作家とおもしろいものを作り、数字を持ってくることです」


「分かっているじゃないか。さっさと仕事に戻りなさい」


 俺は社長に向かい、立ち上がって頭を下げた。


「……ありがとうございます!」


 ウメの喜ぶ顔が浮かんで、ニヤけそうになるのを必死に止める。

 社長も席を立ってデスクに向かった。

 ――が、何かを思い出したかのように、こちらに振り向いた。


「宗次郎君。この伏見という男は昔から知っているが、したたかな男だ」


「はぁ」


 いきなりどういうことだろうか。

 分からずに曖昧な返事になってしまう。


「さっき『勝負の件は諦めていた』などと言っていただろう?」


「そうですね……」


「だが、私が『関わるな』と言った時、顔を真っ赤にして突っかかってきたのだよ」


「あ、社長、それ言わないで欲しいんですけど! カッコ悪いから!」


 ほふく前進ポーズの伏見編集長が、急に立ち上がってびっくりした。


「それで一人で滑って転んで骨折したのだよ。ククク」


 社長が笑っていた。

 あの社長が、だ。


 それにしても、伏見編集長。

 カッコ悪いというか、むしろカッコよすぎるんだが。


「それから、宗次郎君。キミは三人目の作家を担当するんだったな。……しっかりやりたまえ」


 三人目の作家――ココアさんのことだ。

 何故か一拍置いての激励で気になったが、元気よく返答しておく。


「は、はい!」


 こうして俺はウメの担当を外されることもなく、更には三人目――ココアさんの担当編集に就任することになった。

 社長室を出た後、伏見編集長と秋葉さんが寄ってくる。


「キミの周りには美人作家が集まるね。何か秘訣はあるのかい? 後で教えてくれないかな?」


「ドゥフ……ボクは二次元にしか興味ないから他の先生はいいんだけれど、ウメタンは最早二次元だと思うんだよね。まあ会いたいなぁ、はぁはぁ。今度、お祝いの会をやらないかコポォ」


 ははは、ついさっきまではカッコ良かったのに、持って数分だよ。

 前言撤回したくなるから止めてくれー。



 編集部の席に戻ると、隣の小鳥先輩がこちらをチラっと見た。


「何かいいことでもあった?」


「そんなに顔に出てます?」


「つい最近までのしょぼくれた顔と比べれば、ね」


「う……ご心配おかけしました。すみません」


「ウメ先生のこと?」


「はい、担当を続けられそうです」


「良かったじゃない」


 小鳥先輩はこちらを向き、自分のことのように喜んでくれた。


「その……色々と気遣ってくださってありがとうございます」


「私は何もしていないわ。強いて言うなら、先輩として当然のことをしたまでよ」


「本当は勝って担当を続けたかったですが……」


「気を抜くとそうやってすぐしょぼくれる。丸川出版の看板、俊三郎先生に僅差負けでしょ? 大健闘よ。それに……闘いはこれからよ。俊三郎先生、表には一切見せないけど、実は超負けず嫌いだから。紙出版の数字で絶~対に意識してくるわよ」


「俊三郎先生を知ってるんですか?」


「一年前まで担当してたからね」


「業界、狭いっすね」


「同じレーベルの作家なんだから狭くて当然でしょ。今度お祝いしなきゃね」


「あの赤ちょうちんがいいです」


「この後輩君は! 一皮むけて甘え上手になりやがってー」

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