ボクは死んでもラノベなんか書かないからな!

明里 灯
明里 灯

19過去と今

公開日時: 2020年9月18日(金) 21:00
更新日時: 2021年8月13日(金) 17:49
文字数:4,074

 俺がウメの編集担当になると決まったその日に封じた気持ち。

 ウメの作品が不特定多数の大勢に読まれることになり、捨てなければならないと考えていた気持ち。


 その判断がそもそもの間違いだった。

 まだ経験の浅い俺たちは、難しく考える必要なんてなかったのだ。


 もっと単純に考えれば、早い段階でこの事実に気づけたのかもしれない。

 勿論、今俺が考えていることが正しいかどうかは分からない。


 それでも、俺は――。

 ウメに伝えたいこと、伝えなければならないことがあった。


「先生! 開いてください! いるんですよね!?」


 アパートの前で、俺はドアを叩きながら叫んだ。

 年季の入ったドアなので、少し叩いただけで壊れそうな雰囲気がする。

 しばらくして、薄いドアの向こう側からウメの声が響く。


「ボクは今忙しい! 今週、来週の更新に作家人生の全てが懸っているんだ。今度にしてくれ!」


 担当者として頼りないと思われているのか。

 それとも別の理由があるのか。


 ウメは顔すら出してくれなかった。

 それでも、俺は心に決めたことを、一刻も早く面と向かってウメに伝えなければならない。

 俺はどうしようか迷いつつも、泣く泣く決断を下した。


「太宰治全集を差し上げます!」


「だ、太宰……。いや、もう買収などされないぞ!」


「そ、それじゃあ、三島由紀夫全集も!」


「三島由紀夫……だと? 違う! 買収はされないと言ってるだろう!」


「先生が好きな泉鏡花全集もつけます! うちにある本、全部持って行ってください!」


 ウメの返答はなかった。

 このまま終わってしまうのだろうか。


 俺の拳が力なく木造のドアを叩く。

 悔しかった。


 ウメが一番辛い時に力になることすらできない。

 このまま何もできないまま終わってしまうのだろうか。


「……何かあったのかい?」


 古びたドアが耳障りな音を立てながら少しだけ開き、心配そうな表情のウメが顔を出した。

 ドアを開けてくれたことに、俺は安堵のため息を漏らす。


 勿論、これで終わりではない。

 これからだ。


「大切な……話がある」


 俺は呼吸を整え、ウメの部屋に入った。

 俺が今やらなければならないこと。

 それは「俺自身の気持ち」を伝えるということだ。


 編集担当としてではなく、宗次郎として、ウメの幼馴染としての素直な気持ちを。

 そうでなければ、この事実は伝わらない……。


 ウメはコップ並々の牛乳を容易すると、俺に差し出して、机を挟んだ向こう側に座った。

 俺はその牛乳に口を付けた後、鼻から空気を吸い込んで気持ちを落ち着けた。


「ウメ……」


「ん?」


 俺の視線に何かを感じたのか、ウメは真剣な眼差しで俺を見返す。

 チョコレート色の綺麗な瞳が、俺の顔を覗きこむ。

 俺は一度言葉を区切って小さく息を吸い込むと、続きの言葉を紡いだ。


「……好きだ……」


 ウメは俺の言葉を聞きながら何故か固まると、口をあわあわと動かし始めた。

 耳まで真っ赤だ。

 よく分からない状況だが、俺は言葉の続きを口にする。


「……ウメの書く物語が……好きだ!」


 何故かこの瞬間、強烈なボディーブローをいただきました。

 秋葉さん曰く、この業界ではご褒美だそうです。

 ありがとうございます。


「そ、それが何なんだ。今更どうしろと言うんだ!? まさかそれを伝える為だけにここに来たんじゃないだろうね」


 デビュー作とそれ以外の作品の決定的な違い。

 それは「読者が誰なのか」という視点に立って考えてみれば、簡単に紐解けることだった。

 思い返せば、遠い夏の日、俺とウメは「偶然」がきっかけとなって出会った。



 学ランに袖を通し、高校に通っていたあの頃。

 俺は不良だった。

 今となっては恥ずかしい事実だが、周囲に反発して、髪を染め、学校のトイレでタバコを吸って、酒を飲んで、喧嘩もした。


 年が離れた姉は家を出ていたし、親は夜遅くまで仕事していた。

 帰っても口を聞くことはなかった。


 以前は「良い高校、良い大学に入らないと人生の負け組になるぞ」と厳しく言いつけられ、塾に通わされていたが、デキが良いとは言えない成績が続き、しかも高校初日を髪染めてデビュー。


 最初は口論も絶えなかったが、姉が世間体の良い会社に就職したのを切っ掛けに、何も言われなくなった。

 地元でも評判が悪く、偏差値も低い高校に入学。

 「負け組」のレッテルを貼られた俺は、彼らにとって興味の対象ではなくなったのだ。


 いや、そんなことはなかったのだが、俺はそう思い込んでしまったのだ。

 最初は悪い先輩に誘われ、麻雀をやったり、廃墟でたむろってタバコを吸ったり。

 後はズルズルと、叱られ、注目され、怖がられる。

 それは俺にとって唯一、大人たちに存在を認められる行為だった。


 俺はずっと、勘違いしていた。

 誰にも愛されていないと。

 だから、悪い方面であったとしても、誰かに存在を認めてもらいたかったんだ……。


 何もなかったから……。

 何も積み上げてこなかったから……。




 ウメと出会ったのは、俺が高校ニ年生の時。

 俺は喧嘩に盛大に負けた。


 「復讐」の名目のもと、多勢に囲まれ、エモノまで使われた。

 最後はぼろ雑巾のようにボロボロにされながら逃げた。


 折れた骨が痛むのを抑え、塀を上り、屋根を伝って逃げ、行きついたのは、白い家の庭だった。

 そこで気を失い、気付くと見知らぬ部屋の床で寝かされていた。


 目を覚ますと、白いレースのカーテンが揺れていた。

 その下に、金色の髪の少女が座っていた。

 手元には本。


 風が吹いて、金色の髪とレースのカーテンがなびき、本のページがめくれた。

 ぱちくりと大きな――チョコレート色の視線が、俺の視線とぶつかる。


 叫ばれる、そう思って俺は身構えたが、少女は何も言わなかった。

 それどころか、パタリと閉じた本を差し出してきた。

 小さくて、真っ白で、細い手だった。


「おもしろいから読んでみるといい」


 そう言って、緑色の表紙の本を差し出してくれたのが、当時十五歳のウメだった。

 男みたいなしゃべり方だが、透き通るような声がアンバランスで、ギャップに胸中がざわついた。


「お前、髪が金色なんだな……」


 初めて見るハーフに、俺はそんな言葉しか出てこなかった。


「それはお前も同じだろう。しかし、クク。プリンのようだ。自分で染めたのか?」


 最初は感謝の言葉すら伝えず、そんな他愛もない会話だった。

 ちなみにウメの実家は金持ちだ。

 うちは集合住宅だったので、モダンで大きな家に、内心で少しびびっていた。


「礼はする……」


 当時の俺は漫画の不良に憧れていたので「義理」に敏感だった。

 ウメはそんな俺に対し、穏やかに微笑んだ。


「それでは、また遊びに来てくれないか?」


「遊びに……? 俺が? この家に?」


「ほぅ、さっきのは口先だけだったか。礼はするのではなかったか?」


 むくれる彼女を見て、不覚にも「かわいい」と思わされた。


「分かったよ。……本も返さないといけないし」


 初めて会った日、交わした言葉はそれだけだった。

 むしろ、出会った当初はお互い無口だった。


 その後、約束を果たす為、何度か彼女の家を訪れた。

 親に見つかるといけないと、いつも庭から入った。

 だが、遊びに行っても、二人で一緒に本を読むだけ。


 彼女は病気がちで学校に行けないと言っていた。

 だから、途中からは学校の話をせがまれた。


 彼女は病弱で一日中部屋の中にいた為か、それともフランス人とのハーフという血筋から来る色素の薄さからか。

 まるで生まれてこのかた一度も太陽の光を浴びたことがないかのように肌が白かった。


 金髪の髪はキラキラと光り、チョコレート色の瞳は大きく、長い睫に縁取られ、まるで童話の中のお姫様。

 そんな少女がぶっきらぼうながらも「また来たまえ」とか流暢な日本語を話ながら色々な本を差し出すのだ。

 興味を示すなと言う方が難しかった。


 そして、差し出された本の内容がまた、当時の俺には衝撃的だった。

 ウメ自身、本ばかり読んで過ごしていたということもあって相当な読書量だったのだろう。


 その数多と読んで来た本の中でも「お勧め」として選ばれた本は、まさに選び抜かれた先鋭。

 時間を忘れさせるくらいおもしろかった。


 不思議な雰囲気を持った童話、ヘルマン・ヘッセのメルヘェンに始まり、穏やかな田園風景と美しい描写の後、驚きの結末が用意されたアンドレ・ジッドの田園交響楽。


 怪しげな雰囲気がページを捲る指を止めさせない坂口安吾の夜長姫と耳男、桜の森の満開の下や、最後のシーンで色鮮やかな光景が広がり、心震わせる芥川龍之介の蜜柑。


 今思えば、分かりやすく、短いものから、徐々に難しく複雑なものへ、俺の興味が長続きするよう、よく考えて選ばれた小説のラインナップだった。


 いつの間にか、俺はウメの家に足を運ぶのが日課になっていた。

 ただ一緒に本を読むだけなのに、学校の話をするだけなのに、心地よかった。

 居場所ができた気がした。


 それ以上のドラマなんて何もない。

 ただただ平和な毎日が過ぎた。


 季節が変わり、学年も変わろうとしていた。

 いつの間にか、自分のやっていることがくだらないことだと思うようになった。


 それはウメがいてくれたから気づいたことなのかもしれない。

 ただ、そこにいるだけで――彼女が微笑みかけてくれるだけで――気にかけてくれただけで――。


 俺は救われたんだ。


「何だ? また本の催促か? 宗次郎はホント……クク。本なしでは生きれない身体になってしまったな」


「お前の思惑通りだろ?」


「そうだがな。フンッ!」


 俺はウメの思惑通り、本を愛し、本がなければ生きていけない人間になってしまっていた。

 その後は用もないのにウメの家に遊びに行き、本の感想を伝えたり、他におもしろい本がないか催促した。


 学年が三年に繰り上がろうとする頃、俺は髪を黒に染め直し、行きたい大学に向けて勉強をするようになっていた。

 親や先生は、そりゃ驚いた。


「文学部……お前、文学に興味なんてあったのか?」


「はい、最近っすけど……」


 担任の先生は現国担当だったこともあり、嬉しそうだった。

 白髪交じりの短髪が印象的で、色黒の顔をしわくちゃにして笑っていた。

 俺はそこで初めて、先生の顔を知ったような気がした。


 だが、三年になる直前だったので「無駄な努力」と笑われることもあった。

 それでも、俺は過去にないくらい勉強した。

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