ボクは死んでもラノベなんか書かないからな!

明里 灯
明里 灯

02濃厚オタク

公開日時: 2020年9月3日(木) 21:00
更新日時: 2021年8月13日(金) 17:35
文字数:4,000

 日曜日、俺とウメは山手線に乗って秋葉原に向かっていた。

 秋葉原はアニメ、ゲーム、機材、アイドル、あらゆるオタクにとっての聖地で、アニメやゲームのグッズ店、電化製品店、防犯グッズ店、模型専門店など、様々な店でひしめく場所だ。


 ウメはあまり興味がなさそうだが、何かしらのオタクであれば、歩いて回るだけでも楽しい街だろう。

 心地よく揺れる電車の中、俺は隣に座るウメの金髪に視線を移した。


 ウメはライトノベルに偏見を持っている。

 そもそも純文学以外をまともに読んだことがない上、女の子が肌を露出するような表紙に嫌悪感をにじませていた。


 今日だって嫌がるウメに条件つきで何とかついてきてもらった。

 パーカーのポケットに手を突っ込み、流れる景色を眺める姿は不機嫌そうだ。


 俺だって最初からライトノベルに偏見を持っていなかった訳ではないし、今でも度が過ぎて下品な作品や、テンプレ感が強すぎるものは触手が動かない。


 だが、偏見だけで読んでいない人たちには、声を大にして勧めたい作品がたくさんある。

 秀逸なストーリー展開だけでなく、熱いバトル要素、魅力的なキャラクターが登場し、数々のドラマに汗を握る王道もの。

 これは本当にライトノベルなのか、と思わせるほど、独自の空気感を持つ文芸よりの作品。

 驚くようなトリックの連続を楽しめるライト文芸シリーズ。

 ページをめくる指が止まらない熱い青春ものや、腹がよじれるくらい笑わせてくれるコメディ。

 時に笑い、時に泣き、時に驚かされ、不思議な場所や異国を旅できる。

 そういうライトノベルもたくさん存在するのだ。


 だが、今のウメの態度だと、ライトノベル作家としてちゃんとしたエンターテイメント作品が書けるかどうか怪しい。

 そもそもライトノベルの根底にある「オタク文化」に誤解があるフシがあるのだ。

 だからこそ、俺はウメにライトノベルを書いてもらう前に、ある人物と会ってもらい、オタク文化やライトノベルについて正しく知って欲しいと考えた。


「山手線は嫌いだ」


 隣に座っていたウメが唐突に呟く。


「何でです?」


「同じところを回り続けている。ずっとだ。滑稽だと思わないかい?」


「先生みたいですね」


 ハムスターのようにプクリと頬を膨らませたウメが地団太を踏む。


「毎度毎度、ボクを怒らせてキミはどうしたいんだい」


「違います。怒らせたいんじゃないです。同じところを回っているなんて……何だか小動物みたいでかわいいじゃないですか。先生=小動物=かわいい、です」


 ボンって音が聞こえそうなくらい赤くなったウメの横顔を盗み見て、俺は言葉を続けた。


「先生は超かわいいです。それこそ秋葉原に颯爽と現われるとマズいレベルに。だから、秋葉原の駅に着いたら私が用意しておいたこの服に着替えといてください」


 俺は用意しておいた紙袋をウメに手渡す。


「かわいいとか言われると照れるなぁ。いゃあ、どんな服を着ても滲み出てしまうよ? ボクの魅力がさぁ。こんな薄皮一枚まとったくらいで本当に大丈夫なのかな?」


 ウメはチョロい。

 さっきまで怒ってたのに、少し褒めただけで一瞬で上機嫌だ。


 この紙袋の中の衣装に着替えてもらうのは、今日、会う予定の人物が提示してきた「協力への最低条件」だった。

 なので、うまくウメを乗せられたことに安堵する。


「まもなく、あきはばらぁ。あきはばらぁ。ドア付近のお客さまはお気をつけください」


 クセの強いアナウンスが流れ、周囲の人たちが立ち上がった。

 どうやら目的の地に着いたらしい。

 俺は上機嫌に紙袋を抱えて歩くウメの背中を追うように立ち上がった。




「なんじゃコリゃぁあああああ!!」


 駅の改札で待っていると、着替えの終わったウメが恥ずかしそうに歩いて来た。


「おぉ!」


 思わず感嘆の息が漏れてしまう。


「先生! すっごく似合ってます! 先生の可愛さを封殺す為の衣装なのに、むしろ漏れ出て荒れ狂う先生の魅力が倍増しています!」


 俺が大げさに拍手で迎えた為か、それともウメの姿が目を引くのか、駅前を歩く秋葉原の住人たちの視線が集まる。


「何あれ、かわいい……中学生?」


「しっぽが動いてる!」


 口々に向けられる賛辞の声に、ウメは頬を赤らめながら抗議した。


「ね、ねねね、ね、猫の着ぐるみとか聞いてないぞ!」


 ウメの身体は上から下まで猫の着ぐるみに覆われていた。

 長いしっぽ、背中を這う虎柄の縞模様、フードについた柔らかそうな耳。


 ただでさえ美少女のウメがこんな格好をしたら、それこそ変なおじさんに声をかけられそうだ。

 ふむ、口を開けた時に覗く犬歯含めてパーフェクトなニャンコじゃないか。


「聞かれなかったから言わなかっただけです。大丈夫です。ちゃんとかわいいですから」


「かわいいのを殺す為に衣装を用意したんじゃなかったのか!」


 怒るウメは、しかし見た目猫の着ぐるみ姿なので迫力も何もあったものではない。


「まぁまぁ、せっかく着替えたんですし、あまり時間もないですからこのまま目的地に向かいましょう」


「ぐぬぬぅ……何だか騙された気分だよ、ボクは」


「騙すなんて滅相もない。微塵も騙していません」


 俺が歩き出すと、騙されたウメも斜め後ろをテクテクとついてきた。

 ウメは見慣れない町並みや人々に何度も驚きの声を漏らしていた。


 確かに秋葉原は特殊な街だ。

 普通の街では見かけないような人たちがたくさんいる。


 セーラー服を着たオッサン。

 夏だというのに、ロングコートに、穴あきグローブをはめた銀髪赤眼の暗殺者コスプレ。

 チラシを配るミニスカートのメイドさんたち。


 秋葉原はコスプレしていても不自然ではない街なので、ウメに対してそれほど奇異の目が集まらないのには安心した。

 かわいい、と評判になっているので「写真を撮らせてください」とか言い出す人は現れそうだが……。


 ラジオ会館を横切り、人ごみを掻き分け、俺とウメは目的の場所に向かった。

 薄暗く、少し湿った空気の細い路地。

 雑居ビルの二階に向かう小さな階段を登ったそこに「目的の場所」はあった。


 にゃんにゃん喫茶――。

 ピンクと薄い青色、それから白の三色でうまくまとめられたかわいい看板が出迎えてくれる、秋葉原老舗の「メイド喫茶」である。

 店外からも見えるアンティークな家具は、しっかりした造りで、安っぽい内装と料理で高い金をとるボッタクリ店とは一線を画した喫茶――らしい。

 俺もよく分からないが、先方から指定された店だ。


「本当にここに入るのか?」


 猫の着ぐるみを着たウメが、眉を落とし、心配そうな顔でこちらを見上げていた。

 気持ち、着ぐるみの耳も下がっているように見える。

 騙されて愛らしい姿になってしまったウメを見て、ついつい「ぷふッ」という変な笑いが出てしまう。


「おい、今キミはボクの姿を笑わなかったか?」


 半目のウメがジーっとこちらを見る。

 ――が、猫の着ぐるみ姿なのでやはり愛らしい。


「笑ってません。とりあえず時間もギリギリなので入りましょう」


「何故、肩が震えている? 笑いをかみ殺しているんだろ!」


 俺は不機嫌そうに腕を組むウメに弁解しつつ戸を押した。


「いらっしゃいませ、ご主人様! お嬢様!」


 三人のメイドに一斉に挨拶された為か、ウメがビクッとなって俺の後ろに隠れた。

 まさに小動物のような動きで、俺はまたも笑いそうになったが、怒られるので何とか我慢する。


 しかし、まぁ、確かにメイド服の女性が「ご主人様」とか言って笑顔で挨拶をする光景は圧倒されるな。

 ウメはお嬢様と言われて何か勘違いしているのか「楽にしたまえ」とメイドさんに声を掛けていた。


 自分が着ぐるみ姿というのを忘れているのだろうか。

 恥ずかしいから止めて欲しい。


 俺は恥ずかしさで染まった頬を隠すようにうつむきながら、メイド服の店員の案内に導かれるまま窓際の席についた。

 客は俺たちの他に二人だけだ。


 一人はいかにも秋葉原な感じのメガネ×バンダナ×恰幅の良い身体の人物。

 もう一人は迷彩服×バンダナ×眼帯のオッサンで、彫が深い顔に濃いヒゲ、体格も良いので本物の軍人のようだ。


 というか、バンダナ率高いな。

 秋葉原では流行ってるのか?


 迷彩服のおっさんはウメのことが気になるのか、チラチラと横目でこちらに視線を送っていた。

 ウメもウメでおっさんの見慣れない格好が気になるのか、目を丸くしてガン見していた。

 それにしても、まだ着いてないのかなぁ、と携帯を取り出そうとした瞬――。


「待たせたな」


「うわぁ!!」


 気づくと直ぐ隣に迷彩服のおっさんがナイスガイな笑顔で立っていた。


「び、びっくりするじゃないですか! あなた誰ですか?」


「蛇、とでも言っておこうか」


「蛇? もしかして……あなたが伏見編集長ですか?」


「え、ああ、そうです。伏見です」


 さっきの「蛇」って何だったんだ?

 というか開口一番「待たせたな」と言っていたけど、待っていたのは伏見さんの方がするぞ。


 様々な疑問を頭の中で反芻している内に、伏見さんは俺の隣に腰掛けていた。

 伏見さんは俺が所属する出版社――丸川出版社ライトノベル事業部の編集長だ。

 つまり、ライトノベル事業部転属後は俺の上司になる。


 今回、ウメがライトノベル作家に転向するにあたり、界隈事情に詳しい人を探した結果、文芸部の編集長から紹介されたのだ。

 文芸部編集長の後輩らしいので、四十代前半くらいだろうか。

 変わっている人とは聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかった。


 ……とはいえ編集長だ。

 いくら変人とはいえ、相当ありがたい人選なので、俺は腰を低くして「よろしくお願いします」と頭を下げた。


「ナァアアアアアイス! ナイスだよ、鈴木君。うん、うん。やっぱりウメ先生にはニャンニャンのコスプレが似合うと思ってたんだよなぁ」


 鈴木とは俺のことだ。

 よくある苗字なので、普段は下の名前「宗次郎」で呼ばれることが多い。


「だ、誰だね、この戦場が似合う男は?」


 ウメがソワソワと動揺を隠せない様子で聞いた。


「蛇です」


 だから蛇って何だよ。

 コードネーム? 何かのアニメかゲームの影響か?

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