俺は担当続行の件を伝える為、ウメの好きな秋葉原名物「二次元の恋人」を土産に買い、いつものアパートに寄った。
錆びた階段は上る度に嫌な金属音を鳴らし、木製ドアのポストは相変わらずチラシが詰められたままだ。
「お疲れさまでーす」
突っ込まれたチラシを取りながら部屋に入ると、キッチンの先、六畳一間の中心で寝っ転がったウメが文庫本を読んでいた。
今日のウメはお気に入りの赤縁メガネをかけ、金髪をお団子にしている。
服装は白黒ボーダーのハーフパンツ、大きいサイズのTシャツのラフな格好だ。
よほど機嫌がいいのか、フンフン鼻歌を歌いながら、足でバタバタとリズムを刻んでいる。
「油断してますね」
「や、やあ。キミかい。ははは、今日も良い天気だね」
迷森堂の茶色いカバーが付けられているので、何を読んでいるのか分からない。
しかし、俺はウメの動揺ぶりから、その本が何なのか気づいた。
「そういえば、ドア開いてましたよ? 気をつけてください」
「あー、さっき自動販売機に行ったからだな! あひゃひゃひゃ」
動揺しすぎで目が泳ぎまくってるし、笑い方がおかしすぎる。
ウメはこちらからは見えないよう背中側で文庫本を棚に戻そうとしていた。
「もしかして、それってソードアンドプリティ?」
咄嗟のことでついつい敬語じゃなくなってしまう。
ちなみに、ソードアンドプリティは刊行から一年でアニメ化が決定した人気のライトノベルで俊三郎先生の代表作だ。
「いや、ぷりぷりプリティ☆キュートの方だ」
ぷりぷりプリティ☆キュートは同じく俊三郎先生の代表作で、これもソードアンドプリティに続いてアニメ化された作品だ。
「やっぱりラノベか。あれだけ叩いてたくせに、ラノベも読むようになったんだな」
「……ッ! ゆ、誘導尋問はズルいぞ!」
ウメは顔を赤く染め、口をとがらせながら抗議する。
握りこぶしを上下に振る仕草がとても可愛らしい。
「別に誘導尋問はしてない」
「……それで、今日はどうしたんだい?」
「いや、その……伏見編集長と秋葉さんが頑張ってくれて……ウメの担当続行できることになった」
「へ?」
「え?」
「は?」
「ほ?」
「……」
ウメはプイっと後ろを向いた。
「べ、別に嬉しくはないが、そうなったなら仕方がないな。引き続き頑張りたまえ」
「クク……」
分かりやすすぎるデレ隠しに、ついつい笑ってしまう。
「今笑ったか! 笑ったな! ホントに嬉しくなど! ないのだから! な!」
そういえば、あまりの嬉しさでついつい敬語を使うのを忘れていた。
俺は咳払いし「編集者鈴木宗次郎」を演じるつもりで口調を変えた。
「こうなったからには! 永遠に担当をやらせてもらいます。先生が嫌だと泣き叫んでも」
「ボクは泣き叫ばない!」
「泣き叫ぶ先生もかわいいです」
「!? ……もしかしたら、泣き叫ぶこともあるかもしれない!」
チョロさは健在らしい。
「次は紙媒体ですね。今回こそは俊三郎先生に勝ちましょう。目指すはアニメ化です!」
グッと拳を握って気合を入れると、ウメは目を細め、呆れた顔でため息を漏らした。
「なぁ、しかし、アレだな。せっかく前のように話してくれたと思ったら、キミはまた敬語に戻っちゃうのか」
休みの日ならまだしも、仕事の報告でタメ口はやはりよくないだろう。
ただでさえ色々と無理を言って担当させてもらっているのだから、ケジメはつけなければならない。
だから俺は満面の笑みで答える。
「仕事ですから」
そう答えた俺を見上げるウメは、少し寂しそうな顔をした。
――が、直ぐに首を振っていつものニヤケ面になる。
「まあ、いい。俊三郎に勝つのは難しい。何といっても三本アニメ化のラノベ界人気ナンバーワン作家だからな。何か戦略を……」
「新鋭作家が何を言ってるんです。正面突破しかないですよ!」
「何度言えば分かるんだ! 新鈍だ! ……って、あれ、新鋭で合ってるか」
――と、その時、スマートフォンが震えた。
葉月先生だ。
「出てもいいですか?」
ウメがうなづいて肯定したので、通話開始ボタンを押して耳に当てる。
葉月先生の凛とした口調、透き通る声が耳を撫でる。
「宗次郎さん、ハム太郎の小説、読みましたよ」
開口一番のセリフで、いつもと少し様子が違うことに気づく。
声のトーンはいつも通りに聞こえるが、少し興奮しているのだろう。
だからこそ、俺は抑えられないニヤケ面のまま提案してみる。
「葉月先生、今、本人がいますよ。伝えたいことがあるならスピーカーにしましょうか?」
「え、あ、ごほん。そうなんですね、ちょうど良かったです。では是非……。って何故二人は一緒にいるのですか? まさかご自宅ではないでしょうね?」
スピーカーに切り替えた途端、ウメがドヤ顔で言い放った。
「フフフ、ボクの自宅だッ!」
ウメ、そこは言わない方が良いのではないだろうか。
電話越しの葉月先生にまで伝わりそうなドヤ顔が痛々しい。
一体、何を競っているのか……。
「ぐぬぬ……。私だってまだ一度も……。まぁ、あなたはちびっこハムスターですからね。担当と作家の関係以上の出来事など起こらないでしょう。せいぜいペットと飼い主の関係です。エサやりくらい問題ありません」
「ちびっこと言ったか! ボクはこう見えてもッ!」
「小学生ですよね」
葉月先生の鋭い返しがウメの髪の毛を逆立てる。
「違うぅううッ! ムキーッ!」
やっぱり仲悪いな。
二人を会話させたのは間違いだったか?
俺が頭を掻いてため息をつこうとしたところで、葉月先生が声音を変えた。
「ウェブで公開された作品、読みましたよ」
「……ふ、ふぅん。そうか」
「まさかの1アクセス数負けでしたね」
「それを言う為に電話してきたのかッ!」
「……相手はあの俊三郎先生です。大健闘と認めざるを得ない結果ですよ。でも、それ以上に伝えたいことがあります」
「何だ、もったいぶって」
口をとがらせて拗ね始めるウメに葉月先生は何を言いたいのだろうか?
言うかどうか迷っているのか、それとも決めてはいるものの言い出しにくいのか。
少しの間の後、咳払いして言った。
「……素直に、おもしろかったです。デビュー作を彷彿とさせるおもしろさでした。私はあのデビュー作で新しくも共感できる不思議な価値観と出会いました。それ故に、二作目、三作目と回を重ねる度に光を失っていく様を心配していました。でも、安心しました」
何を言われるのかと身構えていたウメの表情が綻んでいく。
葉月先生は少し恥ずかしそうなトーンを言葉に乗せて続けた。
「やはり、私にとってあなたは目標であり、ライバルです。その……作品でも負けませんから」
「ふん、望むところだ」
それだけ告げて、葉月先生の通話は切れた。
作品でもってことは作品以外の戦いもあるのだろうか。
それって何だ?
――というか、あれ?
葉月先生、ウメの本を読んでいる雰囲気だったけど、話の内容からするに全作品読んでいたぞ。
もしかして重度のファンなんじゃ……。
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