その日、俺はウメに誘われて秋葉原に来ていた。
オタク文化の研究と称してのおでかけらしいが、恥ずかしそうにお願いするウメの声を聞いた瞬間、笑みがこぼれるのを止められなかった。
何故なら、今までライトノベルやオタク文化をこき下ろしていたウメが、研究の為とはいえ、自ら「秋葉原に行きたい」と言い出したのだ。
喜ばずにはいられない変化だ。
繰り返すが、現在、俺とウメは大御所先生との喧嘩騒動に巻き込まれている。
これはウメのライトノベル作家デビューに勢いをつけるチャンスであるが、おもしろくないものを上げて大敗退すればピンチに転ずる。
ウメの作家人生、そして、俺の編集者人生を考えれば、ウメがやる気を出してくれるのは心強いのだ。
俺は秋葉原駅の改札口に切符を挿入した後、人ごみを避けて真夏の太陽に目を細めた。
「今年も暑いな!」
ウメが言う通りだ。
汗でTシャツが肌にはりつくのが気持ち悪い。
「早く冷房が効いたところに行きましょう!」
快晴の秋葉原は今日も活気に満ちていて、人気アニメのキャラクターのコスプレしている人や、チラシを配るアイドルの卵、客寄せのメイド喫茶の店員で賑わっていた。
秋葉原のスタンダードと言えるメイド喫茶はこの前十分堪能したので、今日は秋葉原の中でも特殊な場所を回ることになっていた。
西洋・東洋問わず、ゲームに出て来るような武器が取り揃えられている「武器屋」や、ガチャポン好きにはたまらない「秋葉原ガチャポン会館」それから一般店には売られていない「同人ゲーム」なんかを専門的に売っている店が今回の主なターゲットだ。
秋葉原は機材オタクもターゲットにしている為、パソコンパーツを販売している店も多く、ウメはそれら店外に並べられた、何に使うのか全く分からない部品や、旧型の携帯電話やスマートフォンが詰められた段ボールを興味深そうに眺め、時折立ち止まった。
今日のウメは黒い短パンに薄手で大き目の赤いシャツ。
大きな丸首からは蛍光色に近いタンクトップのヒモが覗いている。
髪も後ろで一つに結んでいるので、ちょっと少年っぽい。
ボーイッシュというか、虫を捕りに来た感じだ。
かわいいけど。
「宗次郎、また失礼なことを考えているだろう?」
ギクッとしてしまった。
目も泳いでしまったかもしれない。
何とか話題を逸らす。
「そういえば、小説はどうです?」
「もう詰めの状況だ。そろそろ送るからチェックは頼むよ」
話題逸らし成功。
ウメがチョロくてよかった。
とはいえ、小説の進行が気になっていたのは確かだ。
勝負スタートまで残り一か月。
多少の余裕を持って連載開始できそうで胸を撫でおろす。
「分かりました」
作家の執筆スピードは結構マチマチで、なかには年に一本しか書けない人もいる。
逆に三日で一本書きあげる作家もいる。
平均で言えば全行程で三か月から四か月程度。
今回の勝負で用意された時間「三か月」は結構ギリギリなのだ。
ウメは筆が速いと知っているものの、気分や題材にもよるので少し心配していた。
今日はアニメイト秋葉原店、ゲーマーズ本店、メッセサンオー本店等の有名店も回るタイトなスケジュールなので、俺は時間を見てウメの背中を押す。
ウメは不満そうにこちらを一瞥してから歩き出す。
そんな感じのやり取りを何度か繰り返したころ。
「あら? 鏡花じゃな~い」
隣を歩くウメが見知らぬ女性に声をかけらた。
その女性の印象を一言で言うなれば、大人の魅力が詰まった女性。
見た目小学生のウメとは正反対で、女性にしては高めの身長、ウェーブ掛かった長い黒髪、豊かな二つの丘が、自然と周囲の男の視線を集める。
格好はシンプルに白いワンピースだが、遠目でも分かるスタイルの良さや華のある煌びやかな雰囲気、存在感はモデルやテレビの中の女優の放つそれに近い。
イヤリングやネックレスなどのアクセサリーもセンスよくまとめられていて、ほどよい香水が鼻孔をくすぐる。
一言で言うと、目が覚めるほどのゴージャズ美人だ。
「おぉ! ココアじゃないか! 奇遇だな!」
「鏡花もアキバとか来るんだね。……っていうか、その男の子はもしかして彼氏?」
ココアと呼ばれた女性が俺の方を見る。
「か、彼氏じゃない! 仕事仲間だ!」
「編集担当の鈴木宗次郎です」
「担当? 鏡花の編集ってこと? 若いわね」
ココアと言われた女性は、驚いた表情で俺の顔を覗き込んで来た。
ふわり、とバニラ系の香りがする。
――というか顔が近いです。
「はぁ、まぁ……新卒なので。まだまだ駆け出しの新人です」
状況が分からず、ついていけていない俺に、ウメが説明を始める。
「この女性はココアさんだ。最近、プロ作家が集まる掲示板のオフ会で仲良くなったのだよ」
人見知りの俺からすると「オフ会」なんて催しは異次元だ。
ウメのやつ、意外と大胆なところがあるよな。
「ココアです。よろしくね」
ココアさんはパーフェクトと言わざるを得ない笑顔で挨拶した。
近くの童貞が三人ほど死んだかもしれない。
「よ、よろしくお願いします」
「へぇ、本当に若い担当ねぇ」
「はは……」
ココアさんも十分若く、まだ二十代だとは思う。
もしかして三十代なのだろうか?
女性の年齢は分かりにくい。
「そうだ、私も担当してよ」
「え? ココアさんの……担当ですか?」
「ちょうど今の担当が変わっちゃうらしいのよ~」
「いいんですか?」
俺は小学生時から一向に成長しないウメの姿ばかり間近で見てきたせいか、お姉さんタイプの女性に弱い。
ココアさんの担当とかマジ鼻血モンの大歓迎だ。
というか、うちの出版社の作家なのか。
俺はココアさんの提案に胸をときめかせて、その場に契約書があったら何枚でもサインする気持ちで目を輝かせた。
……が、背中に思いっきり鋭い視線が降り注ぐのを感じ、顔が引きつる。
振り向かずとも分かる視線ってすごくない?
「実は担当作家だけで手一杯でして……」
まだライトノベル編集部に異動したばかりで、ウメと葉月先生しか担当いないけど。
手一杯なのは事実だ。
けど、本当はココアさんの作品に興味があった。
「とはいえ、ココアさんの小説、一度は読んでみたいと……」
俺の返答に、ウメの怒りの声が食い気味に被さる。
「ボクの担当がおろそかにならないのなら、キミがどこに行ったって全く構わないよ。大人の女性の色香に惑わされて、サハラ砂漠の中央でもナイル川の川底でもどこでも行くが良い!」
「鏡花先生が行っちゃダメとのことなので、担当は無理みたいです」
「いつボクが行っちゃダメだなんて言った! どこでも行けと言ってるだろッ!」
ウメが眉を寄せ、拳を固めて地団太を踏む。
漫画やアニメ並みに分かりやすい反応である。
「へぇ~、二人とも本当に仲良いのね~。ますます担当して欲しくなっちゃった」
ココアさんはニヤニヤ顔のまま目を細めると、取り出した手帳の一ページにペンを走らせ、そのページをちぎった。
「私は結構本気だから、いつでも連絡してね」
「何故、そんなに興味を……」
「だって、鏡花の担当でしょ? そりゃ興味あるわよ」
説明になってない、と思いつつも、それ以上尋ねることはできなかった。
何故なら、ココアさんの手が俺の両手を包み込んだのだ。
何かと思って手を開くと、メモ紙が忍ばされていた。
ドキドキが止まらない。
紙を受け取っている際、横目にウメの顔が見えたのだが、鬼の形相で少し焦る。
嵐のように現われたココアさんが「それじゃあ、またね~」と嵐のように去った後、ウメは足を鳴らして俺の前を歩いた。
「どうした! 今日は色々回らないと行けないんだぞ! 突っ立ってないで早く来たまえ!」
「はいはい、了解です」
これは相当機嫌悪いな。
いくらウメがチョロいとは言っても、この機嫌は簡単には直らないだろう。
どうすれば機嫌を直せるか、俺は色々な策を思案しながら歩みを再開した。
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