「この、ぶたやろう!」
三才になるうちの娘が、スーパーのど真ん中で叫んだのである。
良識家の妻は、青ざめた顔でふらつく。
僕は、笑いだしたい衝動をこらえ、娘の口をふさいだ。
妻が僕の顔をにらみつけるが、決して僕が教えたことではないと首をふる。
きっと幼稚園である。
言ってはいけないことを言いたくなる年頃だ。
おバカな男子が、テレビか何かでおぼえてきたのを披露したのであろう。
それを娘がマネしたのだ。
よりによって近所のスーパーで。
幼稚園の男子と同じメンタリティを妻に疑われ、少し傷ついたがなんとか立ち直る。
「こんなところで、そんなこと言ったらだめだよ」
「じゃあ、どこならいいの?」
娘は三才とは思えないスピードで、聞き返してきた。
僕がまごまごしていると、意地悪い顔でのぞいてくる。
妻にそっくりだな……と思いながら、妻に助けを求めようと振り向いた。
だが妻はいない。
逃げたのだ。
おそろしい女。
まわりの常識ぶった大人が、針のような視線で僕を突き刺す。
もし妻子だけだったら、女子供には強いおっさんが説教を始めていたかもしれない。
だがここにいるのは、無力な僕と、ニヤつく娘だけだ。
「豚野郎って言葉は良くない言葉だよ。意味わかってる?」
娘がすかさず近くにいた小太りのおばさんを指さそうとしたので、必死に止めた。
我が娘ながら、恐ろしい。
攻撃力が高すぎる。
「よし。とりあえずガチャガチャをしに行こう」
娘が勝ち誇った顔で、いつものカプセルトイコーナーへと向かう。
その後を追いながら、これは悪手だったとすでに後悔していた。
きっと娘は、叫んだらガチャガチャしてくれると学んだに違いない。
「この、ぶたやろう!」
男の子の声が、先ほどまで僕たちがいた場所で響き渡った。
ふりかえると、男の子と、僕と同年代のうろたえる男が見えた。
「あ、ゆうじくん」
娘が言う。
ああ、きっとあの子が元凶だな。
手を振ろうとする娘を引き連れて、足早にその場から離れた。
あれを二重奏で叫ばれては目も当てられない。
そのあと素知らぬ顔の妻と合流し、少しは嫌味でも言おうかとした時……。
「この、ぶたやろう!」
また、遠くで叫んでいる女の子の声が聞こえた。
少しの間、流行りそうだな。
ニヤつく娘と手をつないで、足早にスーパーを後にした。
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