メルロドスの杖

―血を纏う騎士―
うろはしめ
うろはしめ

第三十七話 其は疫病の如く

公開日時: 2021年4月29日(木) 21:00
文字数:5,341

いつからか、誰言うことなく彼らは「フェルゾム」と呼ばれた。創設者フェルゾンの名の、古語での複数形だ。

奇しくもそれは、ヴェナードの古い伝説に現れる冥界の門番と同じ名だった。不吉な名だった。

 王立騎士団が初めて参戦したのは、それから半年後の国境沿いの戦だった。参戦に当たり、騎士団はカリフィス一世と評議会の重鎮たちに謁見した。

 

 生まれたばかりの騎士団は総勢十四人。

 だが、彼らはあの演兵場でのいでたちとは違い、純白の織物に包まれた甲冑を身に付け、まさにヴェナード王立騎士団と評するにふさわしい姿で王に拝礼した。

 

 ほれぼれするような眼で彼らを見、満面に笑みを湛える年若い王に、大臣たちも何も言えなかったが、たかが十数名の騎士が参戦したところで自分らの政に何の影響があるかと、内心では安堵する一面もあった。

 彼らはフェルゾンと共に前線に向かい、そして数日後、オラードの尖兵の一団をいとも容易く殲滅した。

 だが大臣たちは、その後不思議な報告を聞く。

 

 戦場での彼らの姿を見たものがいない。

 確かにそこにはいた。だが誰も姿を見ておらぬ。フェルゾンからの報告のみだ。大臣たちはフェルゾンを問い質したが、彼は不敵に笑いながら答えた。

「騎士団の働きはご報告申し上げました。初陣は完璧な勝利でございますな」

「だが、どのように戦ったかが分からぬ」

「些末なことは必要ございますまい。彼らは役目を果たした。それだけです」

「王立の騎士団ぞ。どこでどのように戦ったかは我らとて知る必要がある」

 だが、フェルゾンは取り合わない。


「無敵の兵団には、風評も必要です。噂が噂を呼び、それが実態以上の力となる。王立騎士団も王家と同様、その風評と共に存在してこそ周囲の畏怖の象徴となりますぞ」

 つまり、どこに投じるかは報告しても実際の動きはフェルゾン意外に知らぬ、という訳だ。そして、戦場でかの騎士たちがどのような行いをしているか、それも誰一人知る者がいない。

 大臣たちはフェルゾンに詳細な報告を挙げるよう迫ったが、彼は自分の戦略はすでに評議会も了承済み、と最後の一線は譲らなかった。

 

「そのうち、おかしな噂が立ちはじめてな」

アトロビスがぽつりと言った。


「ヴェナードの王立騎士団に出逢った者は皆死ぬ、という」

 

 それは、戦場での風評としては追い風ともなった。

 ヴェナードが誇る天下無敵の騎士団。彼らにはいかなる国の兵も歯が立たない。だがそこには、騎士の働きというよりも、まるで疫病の如く、近寄る者は見境なく皆死に至らしめるような、不穏な気が感じられた。

 そしてとうとう、彼らの恐れていた事態が起きる。

 

 あるとき、国境近くのオラード兵の駐屯地が一夜にして全滅した。二百名あまりの将兵とともに彼らの従卒、下働きの女らも含め、一個の駐屯地が根こそぎ壊滅した。しかも軍馬から糧食用に飼っていた家畜に至るまで、何から何まで全てが皆殺しにされるという、常の戦法とは思えないありさまだった。

 ヴェナードの大臣は、これが王立騎士団の行為だと早速気づいた。確かにフェルゾンから出撃の報告が来ている。

 だが兵士はともかく、なぜ軍馬や家畜までを屠殺する必要がある。

 

 彼らはフェルゾンと連絡を取ろうと思ったが、その時には彼も騎士団と行動を共にしており、どこに居るか明確には分からなかった。王都ネルタに設けた形ばかりの営地なぞには誰一人おらず、彼らは常に戦場を駆け巡っている。

 そして前線からの第二報、第三報が届くにつれ、彼らの行いが徐々に明らかになってきた。

 王立騎士団は、ヴェナードが隣接する三国との国境に位置する拠点を蹂躙し始めている。しかも城塞や営兵地の軍兵のみならず、兵糧や武器を調達していた周囲の町村までもが悉く彼らの餌食となり、あの駐屯地と同様、後には生きたものが皆無となる地が広がりつつある。

 

 大臣たちは不安になった。行き過ぎた行いは、今後の講和の妨げにもなりかねない。ようやく王の命として、有無を言わせずフェルゾンを王宮に呼び寄せたとき、彼は三人の騎士を伴って現れた。

 

 王宮の玉座の前で重臣たちに囲まれても、フェルゾンはいつもの人の喰えぬ顔つきのままだ。その後ろで三人の騎士は甲冑の上から永い外套で全身を覆っている。

「フェルゾン卿、陛下の御前だ。その者たちの外衣を取らせよ」

 頷くフェルゾンに、三人が外套を脱ぎ落とす。

 

「な……なんだ、そやつらは!」

 大臣たちが彼らの姿に驚愕する。

 

 純白だった鎧は、皆ところどころが赤黒く染まっている。薄気味の悪いその色は、明らかに血の色だ。

 しかも何か細工がしてあるものか、時を経ながら色変わりもせず、まるでつい今しがた返り血を浴びたばかりのように生々しい。

 

「これが王立の騎士団か!」

 大臣たちが罵声を浴びせたその時、カリフィス王の声が響いた。

「フェルゾン、その者たちの甲冑のそれは、敵の血汐か?」

 大臣たちが沈黙し王を振り返る。王の顔は輝いているように見えた。

「御意。この者たちの陛下に殉ずる覚悟を御見せするべく、無礼ながらこのような姿にて拝謁いたしました」

 フェルゾンが恭しく頭を下げる。

 

 カリフィス王が玉座から立ち上ると、ぎらつく眼を騎士たちに向けた。

「見事ぞ。敵の血汐を身に纏うとは大した趣向だ。これならば見たものは皆肝をつぶすであろうな」

 居並ぶ大臣たちを尻目に、王が口元に笑みを浮かべ騎士たちを見る。フェルゾンが追い打ちをかけた。

「畏れながら陛下、肝をつぶすだけではございません。陛下の騎士に遭った敵は、すべからく皆その命を失うこととなりましょう」


 王が甲高い声で笑った。

 

――――――――――――――――――――


 やがて我らは、王立騎士団をもてあまし始めた。


 何しろ、カリフィス王自身が、戦場からもたらせられる血なまぐさい報告に嬉々としてお悦びになる。その一因は我らにもあった。永く陛下を王宮のみに住まわせたが故に、外の世界を知らずに育ったせいか、殊更に刺激を望まれるような性が芽生えてしまったようだった。

 ともあれ、カリフィス王は王立騎士団とフェルゾンを自由にさせることを改めてお許しになり、誰も彼らを命に従わせることができぬこととなった。なまじ上申なぞすれば、王の不興を買う恐れがあった。傀儡の王とはいえ、君主に疎まれてはやはり何かと困る。

 そのうち、大臣の誰もが彼奴等には関わりたくなくなった。

 

 ヴェナード王立騎士団。だがいつからか、誰言うことなく彼らは「フェルゾム」と呼ばれた。創設者フェルゾンの名の、古語での複数形だ。

 奇しくもそれは、ヴェナードの古い伝説に現れる冥界の門番と同じ名だった。不吉な名だった。


 国境周辺には忌まわしく怖ろしい風説が流れ、それはたちまちのうちに諸国全土へと広まっていった。

 

 ―夕暮れ時、不意に濃い霧が立ち込めたら気を付けろ。やがてその霧の中から、嘶かぬ馬に乗った騎士の群れが現れる。血まみれの甲冑に身を包み、音もなく忍び寄るその姿は、まさに地獄から来た悪鬼そのものだ。

 そして彼らを見たものは悉く死ぬ。誰一人助かる者はいない。彼らは死人の血を飲み、肉を貪る。

 

 殺戮のための殺戮。破壊のための破壊。兵のみならず支配者から民心に至るまで、悉くに恐怖を植え付けることを目的とする、という王立騎士団の行いに、大臣たちは心の内でこそ反対したものの、あの頃カリフィス王を諫めることは誰にもできなかった。

 古の民族、部族間の争いならばいざ知らず、戦に関わらぬ民草まで意味もなく皆殺しとは、騎士が聞いて呆れる。

 今の世に、恐怖による統治なぞうまく行くはずはない。

 

 だが、カリフィス王は上機嫌だった。王は人が変わった。十七歳になったばかりでありながら、後宮には幾人もの妾室を侍らせ、前にもまして政なぞ一向に気にせぬにようになった。もとより凡庸ではあったが、さして気難しい御児ではなかったはずが、だんだんと気性も激しくなっていく。それも王家の近親婚の繰り返しが招いた血の所以かもしれん。

 王は、自分の権勢が王立騎士団によってあまねく知れ渡ることにのみ執着した。それを受けるかのごとく、フェルゾムたちの行いは恐怖の物語となって広まっていく。王宮には日増しに不穏な気が漂うようになった。

 それも皆フェルゾンが仕組んだことと、陰では誰もが噂した。

 

「フェルゾン卿は、確か暗殺されたとか」

 ケイロンズが尋ねる。

「然様。最期まで謎に包まれた男でしたな」

 

 王立騎士団の結成から五年、フェルゾンは、ある日戦場で切り刻まれた遺体となって発見された。誰が手を下したかは分からず、真相は今もって闇の中だ。

 大臣たちは一様に安堵したが、後任は選出されず、それ以来王立騎士団は前にもまして御しにくくなった。

 今や王宮へはきわめて簡略化された戦の報告と、必要な物品の要求のみとなり、実際に彼らがどこで何をしているのか、それは誰にも把握できぬままに時が経った。彼らの要求をはねのけ王都への帰投を命ずることも協議されたが、殺されたフェルゾンのことを思うと、それも躊躇された。なまじおかしな手出しをすると、次は自分らに災いが及ぶかもしれない。

 

 短期決戦派の閣僚を中心に、王立騎士団の解体を交渉の柱に、今こそ和睦の時期と唱える者もいたが、すでに時遅く、フェルゾムは諸国の全て、いや彼らを生み出したヴェナードの将兵すらからも忌み嫌われ疎まれる存在となっていた。そして、ヴェナードはフェルゾムの悪評と共に、連合国からいつ侵攻されるやもしれぬという窮地に立たされる。

 

 彼らは余りにも強すぎた。

 戦では駆け引きも重要だ。ことに大国同士ともなれば、どこかで幕引きの頃合いを模索し終戦にまで導かねば、国自体が疲弊し共倒れともなりかねない。そのためには戦でのそれなりの均衡も必要であり、それこそが王立騎士団に求められていたはずだった。だが、フェルゾンが死に、誰も御することのできぬフェルゾムの存在はその均衡を崩し始め、和平交渉の機会そのものまでを失わせてしまった。

 フェルゾムに襲われた国々では彼らをこの世から抹殺すること自体が悲願となり始め、終には、兵力とともに結束までも高めた連合国が、彼らの排除と共にヴェナードへの大々的な侵攻を始める。

 そして、彼らは最期に王宮からも見捨てられ、ソルヴィグで滅んだ。逃亡した三名の騎士を残して。

 結局、ヴェナードの救世主となるはずだったフェルゾムのために、ヴェナードの国はこの世から姿を消した。

 

 アトロビスの永い昔語りに、陽も傾きかけている。薄暗くなり始めた中庭で、ケイロンズが黙って元大臣の横顔を見つめる。


 老いた男は、眼をケイロンズに向けると締めくくるように言った。

「ひとたび軍が動けば、何が起こるかは領主にさえ分からん。戦場での兵の命なぞ余りにも薄い。民草の命はそれ以下だ。草とは所詮踏みにじられる者。彼らは己を守る城壁が破られれば悉く男は殺され、女は辱められ、子供は奴隷と化す。それが運命だ。でありながら、なぜフェルゾムだけがあの忌まわしい名を欲しいままにしたか、貴殿にお分かりになるか?」

 ケイロンズが、先を促すように小首をかしげる。

 

「奴らには、殺したとてそれで手に入れるものが無いからだ。奴らは何かのために敵を襲い、虐殺していたわけではない。領土、富、名声、信仰……我らの欲するものとは悉く無縁。まして大義も栄誉も報酬もない。行き会うものをすべて根絶やしにすることこそが、奴らの目的だった。それは人と呼ばれる者の行いではない。奴らはこの世に居てはならぬものだった」

 

 城の中庭は薄闇と静寂に包まれていた。顔に陰を湛えたアトロビスが最後に付け加える。

「何の理由も持たずただ人を殺す輩の前では、敵も味方も、権力者も民草もちがいはない。出逢った全ての者がすべからく餌食となる。この世の道理や慈悲は通じない。だからこそフェルゾムは、恐怖の伝説となった」

 

 その夜、居城に帰ったケイロンズは、昼間に聞いたフェルゾムのことを思い返していた。

 霧の中から現れる地獄の騎士。何年も昔、戦場からの報告に初めて彼らの話があがった折には、つい吹き出してしまった。戦というこの世で何にもまして生々しい地に居りながら、兵士たちがそんな子どもじみたおとぎ話を真しやかに語り恐れるなぞ、なんと他愛のないことか。しかも、その姿を間近に見た者が誰も居らぬという。それならばどんな姿、いでたちかすら知れぬではないか。

 やはり軍人なぞ力のみで知恵の浅い輩の集団よ、と嘲笑ったものだが、やがて戦場から一歩離れたオラードの村々までもが襲われ始め、虐殺者がいることだけは紛れもない事実となってくると、笑っているだけではすまなくなった。

 そして、彼らがどんな者たちであったかが分かった今、各国の権力者が少しでも己の利を増やさんと、逃げた三人を追い、ソルヴィグの地から持ち帰った品々を調べ、フェルゾムとは何者であったのかを究明しようとしている。


 六万の軍勢を翻弄したという二十六人。

 並はずれた膂力に弩の矢さえもかわすという尋常ではない素早さ。どれほどの傷を負っても死なないという身体。そして大量の火薬。

 もし彼らの秘密の一遍でも手に入れることができれば、この世の勢力図自体が変わる。

 

 自分はその勢力図のどこに居るのか。もし余人が先にフェルゾムの秘密にたどり着いたら、その立場はどう変わるのか。大国の貴族、重鎮たちは、何よりもそれを恐れている。ケイロンズも例外ではなかった。


 平和な時代であっても、人の欲に根差した争いの火種はいつも消えることがない。

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