すべての生きとし生けるものを殺戮し蹂躙し、根絶やしとすることだけを目的として結成された、人とは思えない者どもの籠る地
その城は、深い森に覆われた中にあった。
人々の歴史が刻まれる遙か遠く、永遠ともいえる時をかけて創られた巨大な木々が、見渡す限りの天と地を覆っている。緑に湿った梢は累々と連なり、陽の届かない地表には苔生した太い根張りが幾重にも重なり絡みあう。
暗く重く静かに、外界の干渉を一切拒むかの如く、圧倒的な力強さで森は広がっていた。
迂闊に分け入れば二度と抜け出せないであろうその大森林に、ひっそりと穿たれた暗い道。いつ終わるとも知れぬその道を、終わりなく続く兵士の群れは粛々と進んだ。
冷たく淀んだ気に全身を包まれながら、すでに盾と槍の重みは苦と労となり、甲冑の下はじっとりと汗ばみ、鼻を衝く緑と泥の臭いにむせ返る咳声が幾度となく響く。汗と垢の練り合わさった肌に、大小の羽虫が絶え間なく纏わりつく。
太い根張りに脚を取られぬよう気を払い、彼らはただ黙々と歩く。先へ進まぬ限り出口はない。
だがその先に何が待ち受けているのか。それは誰にも分からなかった。
やがて、隊列の先がにわかに騒がしくなった。皆が足を止め、冑の陰から除きこむように目を凝らす。ほら穴のような道に蠢く兵士たちの群れを掻き分け、伝令の騎馬が駆けてくる。
兵士たちの頭が次々と揺れ泳ぎ、全ての眼が馬を追う。ざわめきが膨らみ、波のようにうねりながら後方へ後方へと伝わっていく。
森が終わったのだ。
安堵と共に生気を取り戻した兵士たちは、また歩き始めた。進むごとに皆の緊張が高まっていく。森の先にあるもの。自分らを待ち構えているもの。彼らの中で、今度はその影がじわじわと大きくなっていく。そして、それは呆れるほど唐突に彼らの前に現れた。
そこは、ぽっかりと開け放たれた広大な緑の大地だった。
一点の雲もなく、穏やかに降り注ぐ陽光。心地よく流れる風に、緩やかに波打つ碧い草原。つい今しがたまで頭上を覆っていた暗い梢の群れが、夢の中ででもあったかのような長閑な光景。
そして、その彼方に立つ険しく小高い岩の丘。麓の青々とした広い草原からやがて無数の巨岩が立ち並びはじめ、徐々に傾斜はきつくなり、終には森とは対称に一本の草木もなくごつごつとした岩肌でできた異形ともいえる丘へと変わる。その頂に、やはり周囲を一切拒絶するかのように城はそびえ立っていた。
ソルヴィグ城。
外からは巨大な岩の塊としか見えないそれを、兵士たちはそう呼んだ。
所々わずかに人の手が加えられた痕跡と、麓からただ一本延びるつづら折りの先にある城門。かろうじて人造の建築物とわかるその城こそ、目指す敵の本拠だった。
このヴェナードの国が、大戦の最中に創り上げた王立騎士団。
通称フェルゾム。
敵地を破壊し、そこに住まうすべての生きとし生けるものを殺戮し蹂躙し、根絶やしとすることだけを目的として結成された、人とは思えない者どもの籠る地。
その根城を目指し、巣穴から這い出る蟻の群れの様に、兵士たちは森林から止めどなく流れ出る。今こそこの永い戦いに終止符を打つ時とばかり、そしてその証ともいうべきこの地に集うことを誇りに思うかの如く、その後も軍勢は日夜増え続けた。
そして、その城を攻める準備は終に完了した。
麓に広がり丘を包囲した軍勢は、三国合わせて約六万。
各国が誇る騎士団が揃い、長槍と大盾で武装した重装歩兵、俊敏な突撃兵、正確無比な弩弓隊に長弓隊、熟練した工兵隊といった、この日のための選りすぐりの将兵たちは、みな持ち場に布陣している。投石器や破城槌車、その他の攻城兵器もすべて組立てを終えた。
今では、森も包囲した軍勢にその木々を執拗に切り倒され、初めて目にした時のあの畏怖の念も、血気に逸る兵士たちからは一様に消えている。
城は完全に包囲され、中にいるものは決して逃れられない。たとえそれが、長年にわたり悪鬼と恐れられてきた者ども、このヴェナードの国が大戦で培ったあまりにもおぞましい歴史、周辺諸国のすべての民が兵士が、貴族が統治者が、怒りと恐怖と、この世にあってはならない災いとして、その滅亡を何より望んだ者どもだったとしても。
彼らはもうすぐその存在を消す。いや、何としても消し去らねばならない。それは、城を取り巻いた誰もが心に抱く切実な願いだった。
だが、目の前の大地を埋め尽くす軍勢に包囲されたその城は、己を滅ぼす強固な意志を持った兵士たちの海原を、まるで意に介さぬように変わらずそびえ立っている。
城を攻める準備は完了した。
あとはいつ攻めるか、どこから攻めるか、誰が攻めるか、その号令が下るだけだった。
草原いっぱいに布陣を終えた兵士たちには、今日も命令あるまで持ち場で休めの指示が出ている。陣を敷いて五日。どうやらこの大戦に終止符を打つ一大絵巻として、三国同盟がこの城をいかに攻め滅ぼすかの協議には、もうしばらく時がかかるらしい。
もちろん、城と対峙した兵士たちは気を抜くことができない。いつ攻撃があるともわからない。今まで、あの悪鬼どもの考えることはことごとく人の常識を超えていた。この紛うことなき勝ち戦の状況でも、何が起こるとも知れない。
だが、後方の本陣にいる三国の指揮官・軍師たちには、城からの反撃はまずあり得ないことと思えた。そのため、包囲が完了してからしばらく経つが、まだ攻撃の命は下していない。
そして、それにはもう一つの理由がある。三国の一つ、オラード国の最高司令官バレルトがまだ到着していないためだ。
バレルトはこの大戦における第一の立役者であり、ヴェナード国侵攻後に連戦連勝を重ね、ついに現カリフィス王に降伏を迫るため、王都ネルタに入った。そしてカリフィス王は全面降伏を受け入れ、王族と支配層の保身を条件に、王制の廃止、ヴェナード国の解体と、オラード、ザクスール、スヴォルト三国への割譲、そして大戦によって被害を受けた周囲の国々に対する莫大な賠償金を支払うことを承諾した。
それが七日前のことである。
ここにヴェナード国はその歴史に幕を下ろした。王族と支配層は三国それぞれに送られ、命と引き換えに自由を奪われた生涯を過ごすだろう。国は周辺諸国に割譲され、新しい支配がはじまる。
そして、三国がさらに出した絶対に拒否を許さない条件が、二十四年間にも渡ったこの大戦で生まれた血の歴史、悪名高いフェルゾムの解体と騎士全員の処刑だった。
王と国と軍のすべてが降伏したヴェナードにおいて、フェルゾムだけは降伏を許されなかった。彼らは国と王とに裏切られ、長年秘密とされてきたその本拠地までを敵に知らされ、今や六万の軍勢に包囲されて、自分たちの死を待つのみとなっている。
ヴェナード降伏の後、バレルトはフェルゾム討伐の軍勢を一足先に出発させ、自分はカリフィス王その他支配層の処分に関わっていた。そして三日前にネルタを発ったとの知らせが届いている。自らの目でフェルゾムの滅亡を見届けるため、じきに到着するはずだ。それまで軍は動かせない。
本陣に集った指揮官・軍師たちは、この大戦のまさに主役の到着を、今や遅しと待っている。
にわかに陣幕の外が騒がしくなった。大勢の人馬の喧騒が近づいてくる。伝令が戸口に現れ、報告する。
「オラード国のバレルト閣下が到着されました」
床几に腰かけていたザクスール軍司令官のクルランと、スヴォルト軍のリュージュが立ち上がる。
やがてバレルト本人が、側近を連れて陣幕へと入ってきた。
五十を前にしてなお血気盛ん。思慮深さと鋭さを併せ持った眼光、きれいに整えられた口髭と顎鬚。いかにも大軍の指揮を任されるといった風貌の彼が、二人の顔をみるなり破顔していう。
「クルラン候、リュージュ候、お待たせした」
「お待ちしておりました。バレルト候」
クルランが笑って返す。リュージュが続けた。
「バレルト候がお見えにならなければ、この戦は始まりませんからな」
三人が声を合わせて笑う。
「遠路で咽喉も乾いておりましょう。まずは一息ついてください」
リュージュが側近に葡萄酒の手配を言いつける。ほどなくして陣幕内全員の杯に酒が注がれると、クルランが杯を差し上げていった。
「バレルト候、カリフィス王とヴェナード国の降伏、そしてこの永きにわたる大戦の終了、おめでとうございます」
リュージュと居並ぶ指揮官たちも、杯を差し上げると祝いの言葉を唱和した。バレルトが応える。
「確かにめでたい。これはそなたたちとともに祝うことだ。三国同盟があったればこそ、この大戦に勝てた。こちらからも礼を言わせてもらいたい。さぁ、今こそこの大戦に終止符を打つ。その前祝いだ!」
諸侯と指揮官たちは、祝いの酒を一気に飲み干した。
一息ついて、バレルトが言う。
「さて、挨拶はこのくらいにして、さっそく城攻めについて話しあおう」
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軍議用の卓に地図が広げられると、クルランの許可を得て、ザクスールの軍師ササーンが状況を説明する。黒髪に黒い髭。ザクスール人の典型といった風貌の、諸国にも名の知れ渡った知恵者だ。
「城は天然岩をもとに掘り進みながら造られたものです。目下のところ内部の様子はわかりかねますが、おそらく内部も相当入り組んでいると思われます……」
幹部たちが彼の声に聞き入る。
城は切出し石ではなく天然の岩石で造られているため、投石器を使っても壊すには時がかかると見えた。東から南、西に至る面にはわずかに城壁が見られ、最頂部は空に向けて空いているようだが、麓から岩の連なるこの丘では攻城塔は近づけず、城壁に攻城梯子をかけるのも容易ではない。
「ここからの投石の弾道を算じてみましたが、通常の重さの石弾では、城壁を超えて城の内部にまで届かせることはできません。難攻不落の要害といえます」
ササーンが言葉を切り、念のためといった様子でバレルトの顔を窺う。総司令官が黙って聞いていることを確認すると続けた。
「立て籠もる兵力は少数と聞いておりますが、フェルゾムの本拠ともなれば油断は禁物です。攻撃力もさることながら、城内へと攻め入った際の彼らの応戦体制がいかようなものであるか、それに城自体にも仕掛けが施してあるとも考えられるため、数を頼みとした力技では、こちらの損害も増すことは間違いありません」
改めてバレルトの顔をみると、締めくくる様に言う。
「大事を取るならば、正面、つまり南側と城門のある西側の麓から城壁直下までを接城土塁でならし、その上に攻城塔を建て、城壁の突破と城門からの侵入とを並行するのがよろしいかと思われます」
クルランが言葉を添える。
「攻城塔の組み立ては終わっておりますが、あの城壁を超えるには高さが足りません。そのため、新たに塔を載せる台座を作らせております。接城土塁については後五日ほどで城壁直下まで進められるとの報告です」
対面にいたリュージュが言葉をはさむ。
「それにしても変わった城ですな。あの城壁にも狭間はおろか、張り出し歩廊も胸壁もない。寄せ手に対してどんな防御の手段をとるつもりでいるのか?」
バレルトの顔を見ながら、進言する。
「相手はフェルゾム。しかも追い詰められたまさに袋のねずみ……。我々の考えつかぬことをしてくるでしょう。包囲したとはいえ、念には念を入れるべきかと」
ササーンがリュージュに一礼していった。
「リュージュ閣下の説はごもっともです。思うに、あの城がこの広大な森により隠されていたこと、それに城の形状から、外敵に対する装備を備えた戦闘用の城砦ではなく、フェルゾムたちの生活の場なのではないかと思われます。つまり、堅固には作ってあるが、もともと戦いを想定されていないものかと」
「つまり、あれも見たままのただの壁だと?」
「はい。そもそも敵は少数。しかもあの城壁の形状からして寄せ手にそのまま応戦を仕掛けてくるとは考えにくい。むしろ城内におびき寄せ、部隊を寸断して各個に攻撃を仕掛けるつもりでしょう。相手はフェルゾム。狭い城内で相対すれば、兵士は怯えます。そして、こちらが攻めあぐねて戦いが長引き、隙ができたところで夜間にでも脱出するつもりと考えます」
すると、リュージュの傍にいたスヴォルトの軍師ムートルが発言した。
「残念ながら敵の人数、装備についての仔細が分からぬことが気がかりです。連中の動きがつかめないままでは、作戦を立てても末端の兵士たちがフェルゾムに恐れをなし戦力も半減します。中の様子の一端でもわかれば、兵士の士気も上がり、勢いに乗じて攻略するということも可能ですが」
それぞれの話を吟味するように聞いていたバレルトが、かすかにいたずらっ子のような表情を見せつつ口を開いた。
「それについては、諸君に朗報がある」
居並ぶ者の視線を一手に集め、彼が後ろに立つ副官のバーゼルを振り向く。端正な顔立ちの青年武官で、数年来バレルトに付き従う忠実な部下だ。心得た様子で主に一本の書簡を手渡す。
バレルトはもったいぶるように開くと、ゆっくりと一同を見まわした。
「ネルタでの王族、貴族の処分と並行して、フェルゾムについての調べも行っていた。だが、ネルタの連中ですら奴らのことはほとんど知らん。いや、知りたくないのだ。王族なぞというものは、いつでも自らの手は汚さん。嫌な仕事はすべて他人任せだ。が、我々はついにフェルゾムの詳細な情報を手に入れた」
居並ぶ全員から、思わずおおっという感嘆が漏れる。
バレルトが続けた。
「皆も知っての通り、奴らの生みの親、アヴリード・フェルゾンは四年前に没しておる。その後、ネルタにはフェルゾムの戦歴と、その後の戦いに必要な武具、装備、糧食などの依頼だけが届いていたらしい。そもそもフェルゾムに直接会った者が一人もおらん。完全に独立して動いておったのだな。しかも奴らは従者、兵卒、小者などを一切持たず、自分らだけですべてを賄っていたようだ。つまり、今もあの城には奴ら以外に誰もおらんということになる」
思いもかけない報せに、一同がどよめく。
「なんと! では、あの巨大な城に、ほんのわずかな騎士だけしかいないということですか?」
リュージュが聞き返す。
「さよう。今までの目撃談からも、騎士の数は多くて四、五十名と思っておったが、この書簡によるともっと少ない。その上、フェルゾンが死んだ四年前からは補充もなく、人数は変わっておらん」
バレルトはここで言葉を切り、一同を見まわした。誰もがこの後に続く彼の言葉を待っている。そう確信してから続けた。
「そして、もっとも近い日付の書簡から、あの城にいる人数もわかった」
クルランが耐え切れずに訊く。
「いったい何名です?」
バレルトは、クルランを見ると、勝利を確信した笑みとともに言った。
「これによれば、あの城にいる敵は二十六名だけだ」
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