メルロドスの杖

―血を纏う騎士―
うろはしめ
うろはしめ

第十話 軍師と将軍

公開日時: 2021年1月11日(月) 11:15
更新日時: 2021年2月6日(土) 22:46
文字数:5,922

「クリシアが、敵を追ったまま行方知れずだそうだ」

 陣幕へと入ったササーンに、クルランが声をかける。

「ササーン、何か策は思いついたか?」


 周囲の視線を感じつつ、ササーンが首を横に振る。

「いえ、残念ながら未だ策と言えるものは浮かびません」

「そうか……」

 視線を落とすクルランに、だが彼は続けた。

「ですが、代わりにお願いがございます」

 ササーンが三人の司令官を同時に見ながら言う。


「明日、私を軍使として城内にお遣わしいただきたい」


「なんだと」

 幹部たちが顔を見合わせる。クルランがバレルトを横目で見ながら慌てて言った。

「ササーン、何を言っている。そんなことはできん」

 

 バレルトが鋭い眼をササーンに注ぐ。

「ササーン殿、よもやフェルゾムを助命したいなぞと言いだすのではあるまいな?」

「そうではありません。しかし、私はフェルゾムと対話がしてみたいのです」


 ササーンが改めて司令官たちを見ながら口を開く。

「閣下、彼らに自らが望むものなぞすでにありません。カリフィス王が廃位し、ヴェナードが滅んだ今、彼らはこの世に存在する意味自体を失ったのです。そして、この戦いですら彼らが好んで始めたものではありません。仕掛けたのはあくまで我々であり、彼らはそれを受けただけなのです」

 その言葉に、ドレモントが反論する。

「今さらそんな理屈は通じませんぞ。奴らは滅ぼされるべくして滅ぶのだ。すべて奴らがまいた種だ」

「それは分かっております。ですが、彼らもヴェナード軍の騎士団。国の命により動いていたことは事実です。だがすでにその国はない。自らの価値を失った戦士が最後に求めるものは何か、我々自身よくわかっているはず」


 バレルトがササーンの顔を見つめながら言う。

「死に場所か」


「はい。しかも、この世で最強と謳われた騎士団。その彼らが死に場所を求めたならば、この大軍団による包囲こそがうってつけと言えます」

 周囲がざわめく。ササーンが続けた。

「彼らは、我々をどこまで殺せるか、どこまで恐れおののかせることができるか、それを自分たちの命と引き換えに試しているに違いありません」

「だが、それにしてはたった一人ずつで挑んで来たり、ただでさえ少ない人数をさらに分けるなど、自ら不利な立場に追い込むようにも思えるが、なぜだ?」

 ザクスールの将軍エルタンが尋ねる。


 ササーンが少し遠くを見るような眼をした。

「それが、騎士としての彼らの矜持なのでしょう」

 

 幹部全員に届くように答える。

「彼らに我々の持つ騎士道の概念が通じるかはわかりませんが、彼らも最後は一人一人の誇りにおいて戦っているのです。周囲に頼らず、自身一人でどこまで戦えるか、言い換えれば一人でどれだけの敵を屠れるのか、それを試し競い合うために一人ずつ我々に挑戦しているに違いありません。と同時に、個でありながらフェルゾムとしての役割も果たしています」

「役割?」

「はい。まず初日の騎士の役割は兵士たちに恐怖を与えること。初めてあの禍々しい姿を眼にし、すさまじい戦闘力と、死んだあとですら周囲を道連れにするあの爆発で、我が軍の士気は著しく低下しました。城壁の騎士が撃ち出てこなかったのは、一人目のフェルゾムの独擅場とするため。たった一人で挑んできた敵に我らは翻弄され、今まで流れていたフェルゾムの噂が真実だったことを知りました」

「では、今日現れたフェルゾムは?」

「おそらく二つの目的です。一つは、昨日の騎士の念押しです。連日同じことが続けば我々のフェルゾムへの恐怖はより確実なものとなる。すでに兵士たちは、フェルゾムがまさしく人間離れした強さを持ち、近寄ればいつ自爆に巻き込まれるとも限らないと確信しています」

 ササーンの声が陣内に響く。

「二つ目は、あの西の城壁の崩落までの時を稼ぐこと。日中に崩落があったなら、我々は再び城内に攻め込むことも可能でした。が、日暮れ時では明日に延ばさざるを得ない。我々が夜間を不利とみて攻め込まないことは彼らも承知の上です。おそらく、彼ら自身も日中の戦闘を望んでいるはず」


「フェルゾムが城内での戦いを選んだ場合はどうする? 狭い城内では確実にこちらが不利だ」

 スヴォルト軍のハビロフが言った。その問いにムートルが答える。

「それならば、今日の崩落は起こさなくともよかったはず。その場で兵士の一団を撃退しても、自ら城を壊していては籠城が不利になるばかりです」

 ササーンが頷く。

「そのとおりです。あくまで城内で戦うならば、我々の侵入を待ち構えていればよい。にもかかわらず彼らの行動はそうではない。籠城は彼らの好むところではないということです」


「城を自らの手で壊したのも、それを含んでのことか?」

 バレルトが、理解し始めた面持ちで言った。


「はい。彼ら自身も短期決戦を望んだのです。長期の持久戦ともなれば、彼ら自身の体力、士気も低下します。そのために尖兵の一団を手中に収め、いわば人質を取った。そして自ら城壁を破壊し我々をおびき寄せ、同時に自分たちの強大な力を見せつけて我々に最大限の恐怖心を植え付けることに成功した」

 ササーンはそこで言葉を切ると、一息ついたのちに言った。

「いま彼らが求めているのは、フェルゾムの騎士として死ぬこと。それは今後幾世にも渡って語り継がれる、まさに悪鬼としての最期が遂げられる場でなければなりません」

 

 クルランがバレルトの顔を見る。

「フェルゾムを甘く見すぎましたな。少人数を逆手に取り、あくまでここからの脱出が目的と考えていましたが」

 リュージュが続ける。

「だが、もはや籠城はできん。明日こそ決戦と奴らも考えていることになる。しかも残った全員が死を賭して挑んでくるということか……」


 バレルトが笑みを浮かべた。

「それならば好都合だ。二日間の戦いで奴らの戦法は読めた。城内への深入りはせず、戦力の中心を外において迎え撃つことも可能だな」

 だが、ササーンはその言葉に表情を曇らせた。

「閣下、確かにどんなに足掻こうと、彼らがここで殲滅されるは必定。ですが、だからこそ恐ろしいのです。彼らの力を侮ることはできません。我らの被害を最小限に抑えるには、正面切っての攻撃は避けるべきです。改めて彼らを騎士として扱い投降を呼びかけることで、戦う以外の選択肢が生まれます。さすれば彼らの士気にも影響を与え、戦局の打開も可能かと」

 

 バレルトはしばらく無言だったが、やがてササーンの顔から視線を外さぬまま言った。

「フェルゾムが投降すれば確実に処刑だ。ササーン殿、この決定に異論がおありか?」


「このままでは被害が大きくなるばかりです。フェルゾムを討ち取っても、兵の損害が大きすぎては勝利とは呼べません」

 

 その言葉は、必要以上にバレルトを刺激したようだった。

 バレルトにとって、このヴェナード制圧を悪の権化ともいえるフェルゾムの撃滅で締めくくり、名実ともに戦功者の筆頭に立つことこそが望みであることは、ササーンにも分かっている。

 だが、フェルゾムとはいえ予想外の敵の数に、あまりにも勝ちを急ぎ過ぎた。自尊心のために、軍団全体を危険な道に至らせかねない。ササーンも引くに引けないところまで来ている。

「死を恐れぬ敵はやっかいです。何があるか分からぬまま明日の戦闘に入るのはすこぶる危険です」


 バレルトが周囲の全員を意識した口調で言う。

「ササーン殿、軍師として敵の心を読み取りたいという希望は分かる。だが目的を忘れてはいかんな。我々はここに、フェルゾムを退治しに来たのだ」


「閣下、彼らは罪人ではありません」


 ササーンの反論に、バレルトがこめかみをゆがませる。司令官への批判とも受け取れる発言に、他の幹部たちも困惑した表情を浮かべている。

 バレルトは視線を横にいるクルランに向けた。

「クルラン殿、貴殿の軍師はこのように言っておるが、ザクスール軍は戦闘には加わらずフェルゾムとの交渉をお考えか?」


 今度はササーンが顔をゆがませた。

 これには反論のしようがない。クルランが、精いっぱいに威勢を崩さず言葉を返す。

「いえ、バレルト候、ザクスールはフェルゾム殲滅に異論を唱えはしません」

 そしてササーンに顔を向ける。

「ササーン、フェルゾムの助命も城内への遣使も許すわけにはいかん。そもそも奴らに我らの言葉なぞ通じるはずがない。フェルゾムの処分もすでに三国同盟での決定事項だ」

「閣下、私は同盟の決定に異論を唱えているのではありません」

 クルランが嘆息して言う。これ以上話をさせては、三国同盟自体に溝ができてしまう。

「ササーン、わが軍の本営へ戻れ。エルタンと共に明日は陣頭指揮に立つのだ」

 

 ササーンはこの命令には逆らえず、視線を落とすと一礼して陣幕を出て行った。それを見送ったクルランがバレルトに会釈する。

 バレルトは締めくくるように全員に向かって言った。


「おのおの方、先ほどのササーン殿の言い分は分かった。フェルゾムの目論みについては、私も彼の説に賛同しよう。だが、奴らが何を考えようと力の差は歴然としておる。いかに尋常ならざる戦士といえど、戦場において己の意志、心のうちだけで勝てようか。否。勝敗を決するものは、兵力と備えと、そして多くの知恵を集めた臨機応変な戦略である。我らの勝利自体は、すでにゆるぎなく決定されたものだ」

 周囲の全員が頷き、バレルトに拝礼した。


――――――――――――――――――――

 

 その夜、自分の天幕にもどったバレルトは野営用の卓に積まれた軍務書類に目を通していた。

 もう終戦は目前だ。だが彼にはその後もヴェナードの処置に関する業務が山のように控えている。そして明日の城攻め。それが彼の今後を決める一つの節目となる。書類を見ながらも、心は別の場所を漂いがちだった。


 バレルトの耳に、外からくぐもった声が聞こえた。バーゼルが彼を呼んでいる。

「閣下、ペグワイの駐屯地より伝令が参っております。火急の知らせとのことで……閣下直々にお話ししたいと申していますが」

 バレルトの表情が変わる。

「かまわん。通せ」


 すぐに入ってきたのは兵卒ではなく、騎兵の小隊長だった。厳しい表情で敬礼する。最高司令官に相対する緊張だけではない。

「ペグワイ駐屯の騎兵団長ネルマー殿より、閣下にお伝えするべく書面をお持ちいたしました」

「……クリシアのことか?」

「はい、閣下」

 伝令が沈痛な顔で応える。

「かせ」

 奪い取るように書簡を手にしたバレルトは、燭台の灯りの下で読んだ。そう長い手紙ではない。だが、読み終えながらもなかなか顔を上げようとしない。

 やっとの思いで上を向くと遣いの兵を睨みつけ、押し殺したように声を絞り出す。


「行方知れず、だと?」


「はい……閣下」

 兵はそれきり目を伏せ黙っている。

 

 クリシアはバレルトの妾腹の娘で今年二十三歳。四歳で母を亡くした後はバレルトが引き取り育てている。小さなころは腹違いの兄二人にまとわりついてばかりいたが、その影響もあってか女ながらにいずれ軍人になりたいと言い出した。戦乱の時代でもあり、貴族の婦女子が武術をたしなむこともあったため、クリシアの願いにバレルトも半ば言い負かされるように騎兵隊に入隊させたが、女の身で長続きするはずもないと内心では高をくくっていた。

 ところが、予想に反してクリシアは騎士修行に一心不乱に打ち込み、天賦の才があったものか、男に混じって武術をこなすうち、剣術、馬術にと頭角を現しはじめる。しかも戦場には出さないようにとバレルトが行った根回しをかいくぐり、無理やり参戦した初陣で敵の騎兵分隊長を二人も討ち取るという大手柄をたてたため、バレルトもその実力と武勲を認めざるを得なくなった。


 本来であれば十代のうちにどこかの貴族に嫁入りさせるはずだったが、本人には全くその気がなく拒み続けた揚句、バレルトの許可も得ず北方の僻地ペグワイの駐屯地へと赴任してしまい、その後もたびたびヴェナードとの戦いに出陣している。そしてバレルトが手をこまねいているうちにも戦歴を重ね、今では一個の騎兵小隊を任される隊長にまでなっていた。


 そのクリシアが、五日前に小隊を率いて敵の敗残兵を追ったまま帰らず、未だ手掛かりがつかめないという。


「一隊まるまる行方が分からんとはどういうことだ?」

 バレルトの問いにも、伝令は答えられない。

 いつかはこんな時も来るかと覚悟はしていたつもりだったが、ヴェナードとの対戦が終結するというこの時の知らせに、バレルトはあまりの間の悪さに天をも呪う心地だった。

 静まり返った場に間が持たず、使いの騎兵が言葉を継ぐ。

「捜索は、続行しております」

 その間の抜けた響きに、最高司令官は一層腹が立ってきた。

「もう良い。下がれ」

 やっとの思いでそれだけを口にする。兵士は一礼して天幕を出て行った。

 

 クリシアと最後に会った日がいつのことか、もう正確には思い出せない。

 あの日も王都の公邸で会ったクリシアは国成軍の騎兵のいでたちで、母親の面影を残す赤朽葉色の髪も短く切り、居並ぶ将官たちの好奇の入り混じった目をものともせず、会話と言えばヴェナードとの戦況、駐屯地での生活、そして自分がいかに武術や馬術に情熱を注いでいるか、そんな話題がほとんどだった。


 母親の墓参りをすませるや、そそくさと駐屯地に戻っていったが、せめて一年に一、二度でも顔を見せるようにとの願いも果たされていない。

 自分の軍司令官という重責と多忙と、またクリシア自身の所在地という現実的な問題もあるが、それはまた男親が娘に託す想いと勝気な娘が親の束縛を嫌うという、相反する感情の表れでもある。あの殊更に女であることを否定しようとする素振りにしても、もし自分が軍の最高幹部という立場でなかったなら、もし母親が今も生きていたなら、あるいはクリシアも世間並みに女としての人生を歩んでいたのではないかという一抹の悔恨が湧きあがってくるのを、バレルトは抑えることができなかった。

 

「閣下……」

 天幕の外から声がかかる。バーゼルだ。彼はドレモントより若いが有能な人物で、バレルトの腹心ともいうべき存在だった。

「入れ」

 バーゼルが困惑した面持ちで入ってくる。ペグワイにクリシアがいることは、オラード軍ならば誰でも知っている。だがバーゼルも面と向かって訊くことはできなかった。それを察してバレルトが口を開く。

「クリシアが、敵を追ったまま行方知れずだそうだ」

 バーゼルの表情が変わる。

「いたし方ない。軍人である以上、避けられぬ道だ」


「……明日の件はいかがいたします?」

 バレルトが、副官に目を戻す。

「何も変わらん。クリシアの身に何が起こったとしても、それで今までの計画が変わることはない」

 バレルトは、伝令からの書面を折りたたむと、私文書を入れる文箱の中に収めた。


 その夜、彼の天幕の灯りはいつまでも点っていた。

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