メルロドスの杖

―血を纏う騎士―
うろはしめ
うろはしめ

第十一話 フェルゾムの出撃

公開日時: 2021年1月16日(土) 13:43
更新日時: 2021年2月6日(土) 23:18
文字数:5,617

フェルゾムとはいったい何者であるのか。この地で何が行われ何が造られたのか。

 攻城戦三日目。


 今日を最後の決戦とすべく、包囲した軍勢は予定通りの態勢を整えた。

 昨日の軍議では、死に場所を求めるフェルゾムに対し、城外に誘い出す策をとることとなっている。三軍それぞれが精鋭の騎士団と騎兵部隊を前線に進め、フェルゾムとの対決を意思表示する。誘いに乗ってくれば、圧倒的な兵力によって彼らを包囲し殲滅する。


 三国軍の本陣ではバレルト、クルラン、リュージュの三軍司令が指揮を執り、ササーンとエルタンは北のザクスール本陣で、スヴォルト軍の軍団長ハビロフとムートルも自軍で指揮を執っている。

 オラードは軍団長とともにバレルトの副官バーゼルが前線に出る。フェルゾムの思惑と照らし合わせれば、この万全の布陣を見たうえで総力を挙げて挑んでくるに違いない。だが、城外に出てくればそれはすなわち彼らの死を意味する。どれほどの強敵であろうと、どれほどの策を弄そうと、わずか二十数名ではこの軍団には勝てない。

 それは包囲した三国軍も、そしてフェルゾムの騎士たちにも分かり切った答えだった。


 包囲軍もフェルゾムを誘い出すような行動は、あえてとらない。決戦を待ち望んでいるのはフェルゾム自身だ。こちらが布陣したまま動かなければ、それが彼らの自尊心をあおり、業を煮やして動きが出るはず。

 これは、昨日のササーンの一件を慮ったムートルの策案だったが、なまじ兵の損害を増やすよりは試す価値があると判断された。長時間の布陣では兵士の緊張や疲労も重なるため、一定の時間で後方部隊と入れ替え、常に最大限の防御力を維持する。


 フェルゾムが出撃して来るとしたら、城壁の崩れた西側だ。

 敵を認め次第、まず投石器による集中攻撃を行う。攻城塔と、急場拵えだが見張り台も数を増やした。弓隊が頭上からの攻撃で騎馬の足を止め、騎士団と騎兵隊が彼らを一騎ずつに分断し、歩兵隊が包囲する。

 この戦法であれば、いかに一騎当千のフェルゾムと言えども確実に仕留められるはずだ。この二日間の苦い戦いを覆そうと、本営から前線の兵士までが最後の戦いに臨んでいる。


 ササーンは、北のザクスール本陣でエルタンと共に待機していた。

 城の北側は他の方角よりも一段低くなっており、目の前には崖と呼んだほうがふさわしい岩山がそびえている。その上に立つ城には、外からの攻撃も中からの応戦もしづらく、そのためこの裏手に陣を張ったザクスールの役割は、三方からの攻撃に追い立てられたフェルゾムを待ち構えるためのものだ。だが、フェルゾム相手では何が起こるか分からない。二日間の攻城戦にはほとんど関与しなかったザクスール軍だが、この二日間で何が起きたかはすでに広まっており、今日の戦いに臨む兵士たちには、今までに見られなかった緊張感が漂っている。


 陽は中天に差し掛かっていた。


 包囲した三軍の兵士たちは防御の陣を敷いたまま動かない。時おり兵の様子を見回りにくる騎兵の馬の足音だけが、陣中に響く。


 三軍の司令官たちもみな無言だった。ここまでくれば我慢比べだ。城側にこちらの意図は伝わっているはず。無為に時を過ごし、明日以降に戦いを持ち越す理由は彼らにはない。

 バレルトは愛用の剣の柄を握りしめたまま動かない。脇でクルランが顎鬚をゆっくりと撫でる。リュージュが咳払いをした。

 まだ城に動きはない。


 初めにそれに気づいたのは、南側に配置された攻城塔の最上階にいる弓兵だった。


 岩山からわずかに除く城壁の下から、白い帯のような煙がたなびき始め、その煙の帯は、やがて岩山のあちこちにと次第に数が増えていった。弓兵が階下に報せ、すぐさま伝令が走る。同じものは城の東側、スヴォルト軍の対峙する岩肌にも現れた。


 寄せ手が見守る中、煙の帯は徐々に太く濃くなっていき、穏やかな風に乗って城壁にまとわりつくように広がり始める。

「めくらましか?」

 本陣の司令たちも緊張した。


 ついに始まったのだ。


 ソルヴィグの岩城全体が煙に覆われていく。あれに紛れてフェルゾムが出撃して来ることは明白だ。だがなぜ城の西側ではなく、南と東を覆い隠すのだ。

「西の城壁に動きはないか?」

 リュージュが伝令に尋ねる。だが動きはなかった。

「やつら、どこから出てくる気だ?」


 今や城全体に白煙による靄がかかり、包囲した軍勢から城を消し去るかのように視界が薄れていく。

 人の世から遠く離れた地の風景のように、兵士たちが白煙に覆われていく城を目にしていた時、その白煙を破って城から何かが飛んできた。

 弧を描いて飛んできたいくつものそれは、南側の軍団に次々と着弾すると同様に白煙を上げ始めた。大型の煙り弾だ。オラードの軍団が白い煙に包まれ、陣が崩れていく。この城の形状ではどこから飛んでくるのかすら分からない。


「投石は届くか?」

 リュージュが側近に尋ねる。投石器はほとんどを西側に集めている。東のスヴォルト軍には全く届かず、南のオラードに届くものも数台しかない。

「届くものからあの煙を狙って投石しろ! 届かぬものは位置を変えろ。急げ!」


 なぜ東と南に煙を立てるのかは分からない。だが、目くらましを張ったということは、彼らの出撃が間近なはず。後手に回るわけにはいかない。投弾された石が、次々と白煙の立つ城壁に打ち込まれる。眼下に広がるオラードの軍団も、にわかに慌ただしくなってきた。

「騎馬軍の主力を南に集めろ」

 バレルトが命令する。伝令が入り去った。前線の兵士たちが、煙り弾に土をかけて消そうとしながら陣を立て直している。


 その時だった。突然、南側城壁のふもとが轟然と爆発した。


 爆風で吹き飛ばされた岩山の破片が、煙に紛れ飛んでくる。爆発は二度、三度と立て続けに起こり、城壁に開いた亀裂からも白煙が立ち上る。

 ねばりつくような白煙が岩山を下り、オラードの歩兵部隊を飲み込み始めたとき、その靄を破って全身を血に染めた騎士たちが一斉に飛び出してきた。


「フェルゾムだ!」

 前衛の歩兵が、応戦するまもなく蹴散らされる。攻城塔の弓隊も煙にかすむ敵に的が絞れず射撃が阻まれた。フェルゾムたちが手当たり次第に兵や騎馬をなぎ倒す。


「彼奴ら、城壁を内側から吹き飛ばしおった!」

 クルランが叫ぶ。

「ドレモント、バーゼルの援護に行け。まずは敵の人数を探るのだ」

 バレルトが命じる。そこへスヴォルトからの伝令が駆け込んできた。

「リュージュ閣下、我が軍にもフェルゾムが攻め込みました!」

「うろたえるな。煙から遠ざかり、陣を立て直して応戦しろ」

 伝令が走り去る。オラード軍もフェルゾムを包囲しようと必死だ。西側から騎馬隊が援護に加わり、フェルゾムたちの退路を塞ぐ。その中を、白煙に紛れ兵士たちを次々と屠っていく血まみれの甲冑が駆け巡っていた。


――――――――――――――――――――


 北のザクスール軍にも、城を包むように流れてきた白煙が見えている。通常の煙とは違い、体にまとわりついて来るような重く冷たい心地にさせる煙だった。


 ササーンは、これがフェルゾムの噂に現れる霧の正体だと悟った。彼らは襲撃の前にこの白煙を流し、隠れ蓑として使う。少しずつフェルゾムの秘密が暴かれ始めている。

 やはり今日が彼らの滅亡の時となるのか。

 だがそう考えると、この地で初めて城を見たときとは違う、何とも名状しがたい心の渇きを覚える。彼らに同情するわけではない。だが、フェルゾムとはいったい何者であるのか。この地で何が行われ何が造られたのか。その問いに結論が出ぬままこの世からすべてが消え去ることを思うと、おかしなことに一抹の寂しさ、失望の念を感じることを禁じ得ない。


 城壁伝いに北側に流れてくる煙が次第に濃くなってくる。そろそろ動きがあるな。ササーンが思ったとき、今までにない爆発音が立て続けに響いた。エルタンが思わず唸り声をあげる。方角からして城の南から東側にかけてだ。おかしい。フェルゾムが出てくるならば西側しかないはず。ザクスール軍も西寄りに主力を配置している。いったい何があった。


 やがて、疾駆してくる伝令の馬が見えた。兵士が飛び下りざま、敬礼して言う。

「将軍、フェルゾムが城壁を破壊して出撃し、南と東の軍勢に攻め入りました!」

「城壁を自分たちで破ったのか!」

 内側から爆破して出撃とは、さすがに考えていなかったな。ササーンが一本取られた気になる。

「人数は?」

「二十を数えたとのことです」

 ほぼ全力だ。フェルゾムが正面突破を試みているのか。伝令が続ける。

「バレルト閣下より、至急援軍せよとのご命令です」


 ササーンはいぶかしんだ。

 正面突破なぞできるはずがない。何か企みがあるのか。だがもし事実なら、フェルゾム殲滅の場に我がザクスールが遅れをとることはできない。バレルトの命令とあれば一刻を争う。

 隣のエルタンに言う。

「フェルゾムの人数が足りません。騎馬の戦力は陣中にも残しましょう」

「だが、城内の戦いで死んだとも考えられる。この状況では騎兵たちも聞かぬだろう。騎馬軍を二手に分けオラードとスヴォルトに向かわせるぞ」

 騎兵の主力を二分し、エルタンが西側からオラードへ、ササーンが東側からスヴォルトへと向かう。

 念のため、東西からフェルゾムが逃げてくることを考え、歩兵部隊も西と東寄りを重点に陣を敷かせ、騎兵団が出撃する。


 ササーンの隊が城の東側へ回ると、至る所で白煙が立ち上り、その中を駆け巡るフェルゾムたちの姿が遠目に見えた。たった数騎にスヴォルトの歩兵は総崩れで、右往左往するばかりの兵士たちがいたるところで屠られていく。


 すぐさま騎兵をスヴォルト軍の右翼に参加させ、ササーンは側近とともに本陣に向かう。


 馬を走らせながらも戦場を観察すると、現在交戦中のフェルゾムは七名。二十名いたとすると十三名はオラード側に回ったのか。

 本陣につくと、敬礼もそこそこに、馬上で指揮を執るハビロフとムートルに問いかけた。

「将軍、状況をお教えください」

「岩城の基部が三ヵ所同時に爆発した。そこから白煙が上り、フェルゾムが出てきおった」

「すでに倒した敵はおりますか?」

 脇からムートルが答えた。

「いえ、城塞から十騎ほどが駆けおりると新たに煙弾を投げ、あの白煙に乗じて我が軍を攪乱しています。それに乗じて三騎が南側に駆け去りました。残りがあの七騎です」

「オラード側に駆け去ったのか?」

「はい、騎兵が追っております」


 その時、軍勢から大歓声が沸き起こった。三人が目を向けると、一騎のフェルゾムが数本の矢を受け今まさに落馬する。

「よし、やった!」

 ハビロフが叫ぶ。

 さしもの悪鬼もこの状況では遅かれ早かれ全滅だ。もっとも、その数十、数百倍の犠牲が出るだろうが。


 ササーンは逃げ去ったフェルゾムが気になった。

「オラード軍に攻め入ったフェルゾムの人数は?」

「向こうも十騎と報告がありましたが、めくらましの白煙を使うので定かではありません」

 と、そこに新たな歓声が聞こえた。また一人フェルゾムが落馬し、地面を転がっていく。

 彼らを包囲する輪も次第に狭まってきている。この大軍相手では、いかに策を弄しても明らかに自滅行為だ。

「奴らに近づかぬよう、重ねて命じろ!」

 ハビロフが後ろの側近に叫ぶ。あのフェルゾムも最後は自爆するに違いない。


「何とか、死体だけでも無傷で手に入れたいが……」

 ササーンがつぶやく。


 やがて、南に向かったフェルゾムを追った騎兵の報告が上がってきた。側近が怪訝な顔でハビロフに伝える。

「将軍、騎兵が逃げた敵を見失いました。またオラードからの報告によると、こちらと同様オラードからはこの東側に数騎が駆け去ったとのことですが、誰も目撃しておりません」

「どこで見失った?」

 驚くハビロフの脇でムートルが聞き返す。

「城の東南の角です。煙に巻かれてしまい、探しているとオラードからも同様にフェルゾムを追った騎兵に出会ったとのことです」


 三人が顔を見合わせる。

 見失うとはおかしい。そこに新たな伝令が駆けつけてくる。

「岩山の歩兵部隊より、フェルゾムが開けた穴から城内への侵入ができるとのことです。攻め込むご命令を待っております」

 脇から、ササーンが進言した。

「城内では敵が圧倒的に有利です。侵入はまずあのフェルゾムたちを仕留めてからでも遅くありません」

「だが、ほとんどが城外に出たはずだ。しかも三ヵ所から同時に攻め込めるならば、この機に乗じて城を占拠できる」

 ハビロフが城内に攻め込む命を下す。他国より一歩抜きん出れば、その後の論功行賞は間違いなく有利だ。勝利を目前にして、各々の駆け引きが顔を出す。


 ササーンはオラードの状況が気になった。スヴォルトに合流した自軍の統括を部下に任せ、オラードへと向かう。


 やがて、城の南側に広がるオラードの軍勢が見えてきた。こちらでも白煙に紛れてフェルゾムたちが駆け巡っている。ササーンは騎影を数えた。七騎しか見えない。状況から見て、仕留めたフェルゾムはいないはずだ。


 おかしい。馬を走らせつつ考える。なぜフェルゾムの人数が合わない。

 先ほどのハビロフの言葉。城壁に開いた穴。フェルゾムたちはそこから出撃した。もし煙に紛れまた城内に戻ったとしたら。

 ここまで来て、ササーンは自軍を離れたことを後悔した。やはり奴らには何か企みがある。


 そのとき、彼方から地鳴りのような轟音が聞こえた。ササーンが思わず馬を止める。


「なんだ、今の音は?」

 脇にいた側近と顔を見合わせる。明らかに爆発音だ。オラードの本陣から物見の馬が駆けていく。


 ササーンが胸騒ぎを覚える。

 今いるのは城の東南だ。ここから見える範囲に何もなければ、西か、あるいは自軍がいる北側で異変が起きたに違いない。馬を返したところに、ザクスールの騎馬伝令が駆け寄ってくる。

「軍師殿っ、北面の崖が崩落しました!」


「しまった!」

 伝令の言葉に、ササーンが叫ぶ。即座に振り向き側近に命令した。


「スヴォルトに行った軍勢を戻せ! こちらは囮だ。エルタン将軍にも至急帰投を要請しろ!」

 言うが早いか、彼は先陣を切って馬を走らせた。

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