生きる価値とともに、私の死にも一片の価値もすでにない。だから私は死ねない。そして、人として生きることもできない。
クリシアの鼓動が早くなる。
何をされるにしろ、下手な抵抗は無謀だ。本能がそう告げている。ゆっくりと立ち上がったが両腕は胸から下ろせなかった。男の顔もまともに見られない。だが何があっても即座に対応できるように、目はしっかりと開けていた。
男は、しばらくの間クリシアを見ていた。光の無い眼が上下に移動する。
「横たわって脚を開け」
クリシアの息が止まる。今ようやく、男たちが何をしたかが分かった。
彼らは改めて頭目への供物とするために、汚れたこの身体を洗ったのか。私はこれからまたこの男に犯される。その前に手下が散々弄んだこの身体を清めたのか。
例えようのない悔しみが浮かぶ。彼女は男の顔を見た。心のうちは恐怖に支配されていた。だが、顔では男を睨みつけた。
男は無言でいる。クリシアは立ったままだ。
この男の言いなりにはならない。なりたくない。全身をこわばらせながらも、自分にまだわずかながらの気骨が残っていることを示したかった。
「わ、わたしは……そんなことは、しない……これ以上、お前の言うとおりにはならない!」
虚勢でしかないことは、彼女自身が十二分に知っている。だが、これ以上自分を貶めることはできなかった。いっそ一思いに殺されてしまえ。理性が残っているうちに命を落とす方が、まだましだ。身体を震わせながら、それでも覚悟を決める。
突如、頭目が背を向け、戸口へと戻っていった。予想外のことに彼女が虚を突かれる。
何をする気だ。
だが、男はそこで立ち止まると腰から短剣を抜いた。戸口に掲げられた松明にかざす。訳が分からず見つめるクリシアの前で、男は刃を炎に突っ込んだまま動かない。
静まり返った牢内で、ちりちりと音を立てる松明と短剣。じっと見ていた彼女の頭に不吉な思いが過ぎる。
やがて、男がクリシアに目を向けた。短剣を火から下ろすと再び歩み寄ってくる。
彼女は咽喉の奥から呻くような悲鳴を漏らし、思わず逃げた。鎖が音を立てて延びる。裸体を隠すことも忘れ、狂ったように鎖を掴んで引き抜こうとする。男が迫る。首枷を掴むとすさまじい力で彼女を一気に引き据えた。もがく彼女に馬乗りになると、両手を難なく抑え込む。感情の無い眼が見下ろしている。
彼女の目の前には、火で焙られた短剣があった。
「い、いやぁっ……お願いっ!」
叫びと共に飛んだ唾しぶきが、刃の上で蒸発する。涙をこぼす眼に男の姿がぼやける。
「ごめんなさいっ!……もう……もう、」
逆らわないからっ、その叫びより早く何の前触れもなく、剣が顔に押しあてられる。
左頬から煙が上がり、クリシアの全身が硬直する。
人のものとは思えない絶叫が響いた。
男が彼女から降りる。クリシアは叫びながら堅い地面をのたうち廻った。
嫌な臭いに、どくどくと途方もない痛みが頬に走る。手を当てようとするが怖くて触れない。涙と涎を垂れ流し家畜のような呻き声を挙げ続ける姿を、男はただ見下ろしている。
やがて、無造作な声が聞こえた。
「股を開け」
恐怖と痛みに震えながら、ゆっくりと眼を男に向ける。
もう何もできない。少しでも抗えば、もっと酷い目に遭わされる。彼女は絞り出すように泣き喘ぎながら、のろのろと這いつくばり、仰向けになった。
激痛に顔を歪めつつ、観念して両脚を開く。
「自分で持て」
それが何を意味しているのか分かる。この男は私を心の底から屈服させた。自分から受け入れるように。
彼女は歯を食いしばり、両脚を跳ね上げると膝の裏に手を回した。
力づくで犯されるのではない。私自身がこの男を迎え入れる。しかもご丁寧に手下の手で禊までさせられて。
この期に及んで、まだこれほど残酷な仕打ちが残っていたか。
男が下半身を露わにする。密生した陰毛から太くそそり立った男根が見えた。耐え切れずに眼を閉じる。男が圧し掛かってきた。股間に強い圧迫感と引き裂かれるような重い痛みが走る。呻くと、またも頬に激痛が走った。
男が容赦なく腰を動かす。地面とこすれる背中もたまらなく痛かった。屈辱と苦痛に喘ぐ彼女に男の声が聞こえる。
「手を放したら、右も焼く」
クリシアは、男が果てるまでそのままの姿勢でじっと耐えていた。
――――――――――――――――――――
彼女は石の天井を仰ぎ見ながら、すべてを諦めていた。
あの後で、またも手下の男たちがやってきた。あの頭目はある意味平等だ。自分が食った獲物は、そのおこぼれを分け隔てなく配下に分け与える。それを手下はこぞって貪り食う。
私は娼婦でも淫売でもない。彼女たちには目的がある。生きるために男たちの相手をし、身体を売る。その金で日々の糧を得る。それはある意味正当な商いだ。だが私は売ってさえいない。男たちのなすがままだ。奴隷だ。いや家畜だ。
だから私はもう死ねない。
こうなってやっと分かった。人は人としての尊厳を守るために戦う。そして時には自ら死を選ぶ。だが守るべき尊厳すら失った者は、死ぬことすらできない。その者の死には意味がないからだ。
いままで、どんな戦場でも平気だった。死ぬこともあると覚悟をしていた。それは、生きるため、守るための誇りと、自らの価値を認める自負を持っていたから。そのためなら、どんなに無残な死に様でも怖くないと信じていたから。
だが、それはただの思い上がりだった。私は弱く惨めなただの卑怯者だった。殺されたくない一心で、敵兵どもの言いなりになった。必死に戦った部下たちの全てを裏切った。生きる価値とともに、私の死にも一片の価値もすでにない。だから私は死ねない。そして、人として生きることもできない。
クリシアはそれを悟った。
水すらままならない牢の中で、彼女は焼かれた頬を尿で濯ぎ、落ちていた服の切れ端で覆った。しばらくすると傷は膿んで高熱が出た。起き上がることすらできない。だが、それでも男たちは、やってきては彼女を責め苛んだ。
食餌は日に一度、わずかばかりの麦粥が与えられたが、彼女は食べることを拒絶した。飢え死にしてもよいと思った。もはやそれしか抵抗の術はない。だがそれがまたもや男たちの不興を買い、散々殴られた末に無理やり口に粥をねじ込まれた。それからは何をするにも言いなりだった。
糞尿も垂れ流しの地下牢には悪臭が立ち込め、蠅や蚊が飛び回る。彼女の髪にも恥毛にも、男達から移った虱がたかっている。地面や壁には大小さまざまな無数の蟲が蠢いていた。日が落ちた真っ暗闇で眠れば、いつ耳や鼻の穴、あるいは尻や秘部から潜り込まれるとも限らない。彼女は暗闇では眠らずに毎晩じっと耐えていた。天窓からわずかに陽が差し始めるとやっとまどろむ。
数日後、頬の様子を診ようと痛みに耐えつつ触れると、妙な感触があった。手を見ると血膿とともに数匹の蛆が張り付いている。だが、すでに気味が悪いと感じる気力すら失せていた。
全てを諦め自死をする勇気も潰えたことを見て取った男たちは、慰み者である限りは彼女を生かしておくことに決めたらしい。彼らが欲するあらゆる欲求に応えれば、無事でいられると彼女は理解した。裏を返せば、少しでも拒めば容赦のない苦痛をあたえられるということだ。それだけが頭にあった。
彼女は、男たちの言うがままあらゆる痴態に応じ、彼らのすべての欲望を満たすことのみを考え、己の肉体を投げ出し与えた。そしてそれが続けば続くほど、彼女の心は救い出せない深淵へと沈み込んでいった。
私は死んではいない。だが、生きてもいない。
クリシアの牢獄での日々は、それからずっとそのままだった。
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