メルロドスの杖

―血を纏う騎士―
うろはしめ
うろはしめ

第三話 攻城戦

公開日時: 2020年12月26日(土) 22:38
更新日時: 2021年2月6日(土) 22:52
文字数:4,232

二十六対六万。

 青々とした草原に穏やかな風が吹く。

 身じろぎ一つせず、六万の軍勢がただ目の前の岩山と城を見ている。

 彼方から野太い太鼓の三連打が聞こえた。一拍おいてまた三連打。それが続く。兵士たちの眼に、みな一様の光が宿った。

 出陣だ。

 

 要所要所に配置された伝令が手に持った旗を差し上げる。青と白に染め分けられた旗。

 攻撃の第一陣は、正面に陣取ったオラード軍だ。赤ら顔の若い兵士が、ふっと不敵な笑みを浮かべ周囲を見る。軍団のすべての兵士が、勇気を奮い立たせるように武器を振り上げ、雄たけびを挙げた。若い兵士も同じように弩を振り上げ叫び声を挙げる。年かさの兵士の、白いひげの老兵の声が、それに混じる。

 オラードの雄たけびに応えるように、周りのザクスール、スヴォルトの軍勢からも声の嵐が吹く。六万の軍勢が挙げる勝利への叫びが、丘と城を飲み込んでいく。

 

 ひときわ大きく太鼓の音が響いた。長く伸びる角笛の音が続く。オラード軍の中から最先鋒となる重装歩兵の一団が、全身を覆うほどの盾と長槍を構え、行進体制に入る。隊長の右手があがると、ゆっくりと進み始めた。規則正しい太鼓の音が後ろから追ってくる。


 城の麓は急な岩肌で上ることが困難だ。部隊は、伝令の旗が指し示す左手の方向、城の西側へ回り込むと、城門へと続くただ一本の坂道の手前まで進んだ。背後の太鼓の音が小刻みになびくよう連打され、大きな一音で止む。止まれの合図。最前列が盾を地に下ろすと、槍を構えて防御体制に入る。

 やがて、部隊の後方から一騎の馬が駆けてきた。軍使だ。いかに悪鬼の連中とはいえ、ヴェナードの騎士団と呼ばれる以上、最低限の礼儀と戦場における作法は守らなければならない。問答無用に攻撃をしたとあっては、名将の誉れ高い司令官の名が廃る。

 

 軍使は、兵士たちの合間を縫うように部隊を越え坂道を駆け上がっていった。

 屈強な体躯で馬を駆るのは、バーゼルと共にバレルトの副官を務めるドレモント。城の目の前に全身を晒し、降伏を勧告する役目。交渉が決裂すれば、いとも簡単に返り討ちに会いかねない、戦場で最も危険な役目を長年担ってきた歴戦の勇士だ。


 ドレモントが、坂をのぼりつめ単身城門へと近づく。敵がその気になればあっさりと射抜かれる距離だ。ドレモントは城門の手前で馬を降りると、手に持った書簡を広げ大声で城へ呼びかけた。


「ヴェナード国軍、王立騎士団の騎士諸輩に敬意を表し、ここに通告するものである。貴殿らの仕えたヴェナード公国第十九代国王カリフィス一世は、わがオラード、ザクスール、スヴォルト三国の勧告を受け入れ、退位と王制及び軍政の廃止、全軍団の解散に同意された。ここに任を解かれた貴殿らに対し、武装を解除の上、速やかに城を明け渡し、三国の軍門に下るべくヴェナード国王の名において下知されたことを通告する」

 

 城には何も起こらない。包囲した軍勢も静まり返っていた。穏やかな風の流れとともに、ゆっくりと時が過ぎていく。その風に乗ったドレモントの声だけが、麓の兵たちの耳にまで届く。

「国王の命に従い城を明け渡すならば、本日正昼の刻までに城門を開き、城内の者は全員武具を外したうえで城外へと参じられるべし」

 ドレモントの話は、軍使として最も危険な佳境へと入った。

「なお、定刻までにこの勧告に従わざる場合、わが三国軍は武力をもってこの城の攻略を行うものとし、その後の貴殿らの身の保証は一切できぬものとする。三国軍総司令官、オラード国、オリガロ・ムルグ・バレルト」

 

 ドレモント自身、これがいかにくだらぬ茶番であるかを知っている。

 フェルゾムが城を明け渡したとしても、彼らを待っているのは確実な死でしかない。降伏しても助命されるはずもないことはすでに察しているはず。とすれば徹底抗戦の上、隙をついて逃げる以外に生き残る道はない。この勧告自体、彼らにとってはばかげた皮肉にしか聞こえないだろう。


 ドレモントの額から一筋の汗が流れる。この距離で弩を打てばまず外すものはいない。どこに当たっても即死することは間違いないが、作法通り勧告後に五十を数えなければ、動くことはできない。降伏勧告をする軍使にとって、まさに自分の死刑の時を待つ囚人の心持ちだった。しかも、相手はあのフェルゾムだ。常識の通用しない悪鬼、ただ人の形をしているだけのもの、人智を超えた魔物。だが、それでも彼はぬかりなく城の動きを目で探った。城の動きを間近で見られるのもまた軍使のみだ。

 

 軍議でも出たとおり、この城は戦闘用としては防御の構造がまるでない。城壁には狭間もなく、石落としの張り出し歩廊もない。遠目でみたとおり、近づいてもまるで巨大な岩石のようだった。そして静かだった。まるで誰もいないかのように。


 五十を数え終わったドレモントは、用心深く城に目を合わせたまま馬に乗った。最後まで気は抜けない。安心させておいて矢を射てくることもある。ここでは自分が三国の代表だ。威厳を保ちつつゆっくりと城を後にし、坂道を下って行く。

 背後の城はやはり静まりかえっていた。

 

「大役ご苦労」

 本陣に戻ったドレモントをバレルトが労う。

「恐れ入ります」

「間近で見て、城はいかがであった?」

「やはり誰一人いないかのように静まっております。気配がありません。おそらく、攻撃しても城からの応戦はないでしょう」

「投降すると思うか?」

 バレルトが、とうに答えの分かっている質問をする。ドレモントは、主への礼儀として一瞬考えるそぶりをしたうえで答えた。

「あり得ません。自分には待つことすら無駄と思えます」

 バレルトはその言葉に、笑顔で応えた。

「その通りだな。だが、今は定刻まで待とう。王者の戦いとはそういうものだ」


――――――――――――――――――――


 あとわずかで戦が始まろうとする城を、軍幕の傍らからササーンが眺めている。昨日の軍議を思い起こしていた。


 バレルトから城内の人数がたった二十六名だと聞かされた時、司令官と将軍たちはまさに勝利を確信し喜び勇んだ。だがササーンは、逆に何とも言い難い胸騒ぎを覚えた。これでは、無敵を誇るフェルゾムといえども到底勝ち目はない。では奴らはどんな手を打ってくるか。人外の魔物といわれる彼らの考えは、この期に及んでも掴めない。

 しかも城に攻め入ったとして、あの巨大な城からどうやってその人数を探し出せばよいのか。城内に入れば大部隊といえども寸断され、少人数での探索となる。狭い通路や室内で奴らと出会えばたちまち餌食だ。

 ササーンは、時がかかっても城郭自体を少しずつ着実に占拠し、敵を追い立てながら攻略する案を勧めた。ムートルも賛同した。だが常識はずれの敵の少なさに、司令官と将軍たちは時をかけることに躊躇した。六万の大軍がたった二十六人に日数を費やしたとしたら、後々どんな不名誉な風評が流れるか分からない。


 常勝機運のバレルト候にしてみれば、多少の犠牲を払ってでもここで一気に決着をつけたいだろう。しかも日数をかけることは、城内の連中に防備の時を与えることともなる。それは理解できる。結局、投石による城の破壊も接城土塁を築き攻城塔で攻める案も却下され、城門を突破して城内を占拠する方法に決まった。


 二十六対六万。


 城攻めには少なくとも守備隊の五倍から十倍の兵力が要るといわれるが、そんな算術など何の役にも立たない数だ。だがこれに、フェルゾムどもの武力、今までの風評からくる兵士たちの恐れ、委縮、士気の低下、何よりあの城が奴らの根城であり、内部にどんな仕掛けがあるかが分からない状況を掛け合わせると、どんな結果が出るのか。

 我々の勝利は間違いない。だがそれと引き換えに失うものがどれほどの大きさとなるのか、それがササーンにも未だ計りかねている。

 

 背後から静かに草を踏む音が聞こえた。振り返ったササーンに、ムートルが軽く会釈をすると、同じように城と攻城兵の一団を眺める。


「我々としては、第二、第三の策を講じておくべきかと思いますが」

 ササーンの胸中を見抜いている。いや、ムートルも同じ思いというべきか。

 ササーンは異国の軍師であるムートルに、一目置きつつもどこか弟子のような親近感を覚えていた。

「おそらく城門はさして時もかけずに突破できるはず。ですが、城内に侵入した兵が血気にはやって攻め込めば、それこそ敵の思うつぼとなります」

 ササーンが、城を見据えたまま口を開いた。 

「進言はした」


 オラード国軍にはこれといった軍師がいない。バレルト自身が知略に長けた指揮官のため、側近の将軍たちと協議して作戦を立ててきた。そのため、同盟国という立場の自分たちとは違う腹をもつと、こちらの言葉なぞ聞く耳を持たない節がある。それは、このヴェナード侵攻の半ばから垣間見えていたことでもあった。

「兵士も無駄に命を捨てることはすまいと思うが、一度動かせば策なぞとはまた違う流れとなることもあるのが戦場の常。あるいは、我々の危惧とは違う結果となることもあろう」

 

 ササーンのこの言葉が、何をどこまで言おうとしているのかムートルにも計りかねたが、バレルト自身がフェルゾムの殲滅に誰よりこだわっていることを彼も知っていた。そして連戦連勝の王者であるが故に、フェルゾムを恐れようとしないことも。

 奴らも所詮は人間であり、戦って倒すことのできるものとして知らしめたい。この大戦に終止符を打った功労者である上に、フェルゾムを殲滅させた者として名を残せば、バレルトの名声は飛躍的に高まる。


 ヴェナード国の割譲において、すでにオラードが最も有利な立場にあるが、手中に収めた領土の統治として、今まで一軍人だったバレルトが選ばれることも十分にあり得る。大身の貴族にも匹敵するほどの権力と富だろう。その名声のために、あえて回りくどい方法はとらず短期決戦を決めたことも分かっている。

 確かに、いたずらに風評に惑わされ、必要以上に敵に恐れをなすことは避けねばならない。

 だが今回も果たしてそれでよいのか。未だ実態の分からないフェルゾムという者たちをどのように扱うべきか、ここがササーンにもムートルにも、強硬に自分らの立案を押し通せないもどかしさの元凶だった。

 

「まずは、この初手での落城を祈るのみだな。仮に手間取ったとしても、それが奴らの戦いぶりを知る手掛かりにはなるはずだ」

 ササーンはそう言い残してその場を去った。


 いずれにせよ攻撃の第一陣はオラード兵だ。バレルトの軍勢が多少犠牲になろうとも、こちらに不利なことはない。

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