メルロドスの杖

―血を纏う騎士―
うろはしめ
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第四章 闇と光

第二十二話 ファジーナにて

公開日時: 2021年2月18日(木) 11:20
文字数:6,113

あくまで穏やかに、自らは表に立たず、危ういことは他人にやらせる。これが貴族として生き抜いていく鉄則だな。

 オラードをはじめとする周辺諸国に割譲された旧ヴェナード領は、それぞれ隣接する諸国がそのまま領土を拡大したというに等しい。

 

 おおまかに北をスヴォルト、南をザクスール、そして西から中心部までをオラードが占め、その最西端は西海へと面している。エイテゴやルクルドなど領土に接していない周辺の連合諸国には、それぞれに見合う分の莫大な賠償金が支払われた。

 

 ヴェナードを支配していた王族、貴族、その他の特権階級は、ほとんどが大戦を終結させた三国に送られ、生命と引き換えに自由を奪われたまま暮らしている。

 もちろん、一国の支配層だった彼らの暮らしは、以前から見ればはるかにつましいながらも、なお平民とは比べるべくもないほどのものであったが、どの国においても居住地とされた堅牢な城から外へは一歩も出られず、常に行動を見張られていた。

 

 オラードの北方、ファジーナには旧ヴェナードにおいて内政に関わっていた貴族の数名が送られていた。

 統治を任されているのはオラードの名門貴族ケイロンズ家。

 代々国政にも関わっており、当代の主のグラードゥスト・ケイロンズは、スヴォルトをはじめとする北方諸国との外交においては特使を任されることもある、若年より周囲に一目置かれ、領主となった後も着実に権力を伸ばしつつある人物だった。

 

 ケイロンズは、自分の監視下に送り込まれたヴェナード貴族のうち、アトロビスという元大臣と意気投合し、暇ができては城館の部屋を訪ね、ヴェナードでの日々の話を聞く代わりに、内密で格別の待遇をしていた。

 幽閉される戦犯者と、片やそれを監視する立場の領主だが、貴族同士は生きる世界が同じであるため、時として親近感が生まれることもある。


 その日も、ケイロンズは高級な酒と菓子を手土産にアトロビスを訪ね、本来は禁じられている外郭への外出に共をし、戸外に誂えさせた食卓で初老の元大臣が話す異国の文化、風習や日々の暮らしの逸話に耳を傾けていた。

 

 話に一段落がついた折に、ケイロンズが思い出したように言う。

「そういえば、バレルト候から、また干拓工事の嘆願書が出たとか」

「ほお、そうですか……」

「ジラーム郡の東の沼地とのことです。新たな関所もいくつか設けるようですが、どのような場所かご存知ですか?」

 アトロビスが、記憶を引き寄せるようにしながら頷く。

「おお、良い場所に目を付けましたな。あそこは我らの代にも干拓の話が出ておりました。あの沼地が干拓できれば、東西の行き来がずっと楽になりますぞ。田畑が作れれば、かなりの民の入植もできましょうな」

「流民の定住地とするつもりの様です。ことが成されれば税も増える。バレルト候の手柄がまた一つ増えそうですな」

 

 ケイロンズにも腹の内はある。彼にとってみれば、成り上がりのバレルトだけがオラードの名家を次々と越えていくのが苦々しく、また不安でもあった。

 バレルトの権力は日増しに強くなっていく。国政の中心に入るのを少しでも阻もうと、貴族たちは結託してオラードにおけるバレルト家の領地をモルトナから拡大させぬよう王宮の重鎮や大臣一派に根回ししたが、王家の代官として旧ヴェナード領に赴任したバレルトが、いつかは自分たちをも脅かす存在となる予見はあった。

 名家を世襲しただけの譜代貴族たちは、自分の力で立身出世をし領地を広げるという術を知らず、その裏返しとして新興勢力に対する怯えや不満が日々膨らんでいく。


 今、オラードの貴族、旧家にとってバレルトの動向は今後の自分たちの行く末にも関わる重大な関心事だった。

 そのため、皆さまざまな手を駆使して彼の躍進に歯止めをかけられるような材料がないかを探す。だが目下のところ、バレルトの政策は次々と功を奏し、彼を阻止する手立ては見つかっていない。

 

「ケイロンズ卿も、とかく心労が絶えませんな」

 会話の途切れた中、アトロビスが思わせぶりな口を利く。


 この男にしても、彼が何故ことあるごとにバレルトの話題を持ち出すかの真意は分かっている。

 アトロビスにとっても、バレルトはヴェナードの滅亡と自分たち支配層を罪人へと貶めた中心人物であり、逆恨みではあるが彼に良い印象を持ってはいない。そして今自分を監督しているケイロンズに取り入れば、日々の生活をより上向かせることもできる。

「バレルト候についてのお話はいつも面白い。またお聞かせください」

 アトロビスが、ケイロンズの眼を覗き込むようにして言った。

 

「あの大臣もしたたか者だな。何度となく足を運んだが、どこまでを知って話しているのかが今ひとつわからん」

 帰りの馬車の中で、ケイロンズは側近のフィオレントを相手に愚痴をこぼしていた。


「元は一国の大臣です。そう簡単に足許は見せないでしょう」

 フィオレントが返す。ケイロンズが世襲したときから彼の側に仕える、いわば懐刀だ。


「バレルトの干拓の件は、時を稼ぐように大臣どもに手配せねばならん。また金が要るな」

 ヴェナードとの戦を終結させ、平定候という新たな爵位とともに王家直轄の代官となったバレルトだったが、現在の職務は旧ヴェナード領をオラードの一領土とするための下ごしらえでもあり、自身にすべての統治権を与えられたわけではない。

 彼の施策のうち大掛かりなものは必ず本国に報告の上、最後はオラード国王が決済をする。そのため、彼の出世を快く思わぬ貴族たちは、その途中でいろいろと邪魔もできる立場にあった。


「デヴァン地方の徴税がやや遅れております。早急に資金が必要であれば、他の方々にも募られるべきかと思いますが」

 フィオレントがいう他の方々とは、今までにもバレルトの脚を引っ張ろうと画策してきたオラードの貴族たちだ。ケイロンズもそれは分かっており、嘆息しながら頷く。

「大戦の資金繰りには我々も十分協力したというに、バレルトのみが恩恵に預かるとは、まったくもって腑に落ちん話だ」

 

 割譲されたヴェナード領のうち、実際に領土を分け与えられたのは、バレルトをはじめほとんどが実際に戦った軍門の者ばかりだった。

 国に留まり支援にあたった貴族たちには、供出した軍事資金の額に見合った報奨金の分配があったが、ヴェナードという一国が滅びたあの大戦で、戦後に莫大な利益を得たのは、オラード国王とその側近以外にはバレルトら本の一握りの軍人のみで、こと貴族にとっては戦前も戦後も大きな違いはない。

 それは、永い歴史において時に君主や王族に反旗を翻すことすらあった貴族たちに、必要以上の力を付けさせることを嫌った国王の采配だったが、上昇志向の一際強いケイロンズなどにとっては強い不満の元ともなっていた。


――――――――――――――――――――

 

 馬車が居城へと戻ると、出迎えた侍従長のデンセンが彼にそっと耳打ちした。頷いたケイロンズがフィオレントに囁く。

「オームが来ているそうだ」


 客間に入ると、やがて侍従に伴われ一人の貴族が入ってきた。

 背はケイロンズとほぼ同じ。鉤鼻に良く動く眼、細い顎。そこそこの美男ではあるが、ケイロンズより十近くも年下でありながら、血筋からかすでに額が禿げ上がり始めている。


「お帰りなさいませ、ケイロンズ卿。お留守に失礼しております」

 慇懃無礼な態度でこれ見よがしに一礼する。

 隣郡であるクゼーロの領主の息子で、典型的な貴族の若総領だ。今年、年老いた父から家督を譲り受けたが、あまり有能ではないともっぱらの噂で、それにはケイロンズも以前から気づいていた。


「オーム殿。お待たせして恐縮です」

 ケイロンズも返礼し、相手に椅子をすすめる。侍従は二人に蜂蜜入りの葡萄酒を出すと下がっていった。フィオレントも客に気遣い、控えの間に姿を消す。


「何か、お急ぎのご用でしたか?」

「ああいえ、郡境まで巡視に来ましたもので、お顔を拝見したいと思いまして……」

 わずかに頬を引きつらせつつ、勿体付けた調子で言う。

 

 またか、とケイロンズは心のうちで呟いた。


 オームの居城から郡境までは四半日ほど。そこからこの城までは半日かかる。何の用もなく会いに来ることなぞなかろうが、と言ってもこの男の用件というのも、いつもたいしたものではない。

「何か、耳寄りな話でもありましたか?」

 表だって無下にすることもできず、ケイロンズが尋ねる。

「はは、そのようなものがあれば私も嬉しいのですが……」


 自分から会いに来ておきながら、用件を素直に話そうともしない。この誰をも信用しないような態度と物言いが、周囲を不快にさせるということに気づかぬのか否か。隣の部屋のフィオレントも、聞き耳を立てながらまたも呆れていることだろう。


「オーム殿、今日は遠出でいささか疲れておりまして……」

 そう言いかけたケイロンズに、客は大仰に周囲を気にするような風体で身を乗り出し、やっと口にした。

「……バレルトの干拓の件はご存じですか?」

 ケイロンズの顔を上目づかいで訊いてくる。

「ああ、その件なら私もうかがいました」

「ケイロンズ卿はどう思われます?」

 

 やれやれ、この男はいつもこうだ。自分も古くからオラードに仕える貴族の跡継ぎであるというのに、相も変わらず小心者というか、人の顔色を窺ってばかりで少々鬱陶しい。

 このような話もわざわざ来訪するようなことではなく、むしろ貴族同士がバレルトの件で頻繁に会っているなど、国王の耳に入ればまた立場が悪くなるというのに、その自覚がない。あまり親しくしたくない人物だが、相手は寄らば大樹の陰で、ケイロンズはこの男の眼に適ってしまったらしく、ことあるごとに会いにくる。だが馬車の中での話通り、干拓の件を遅らせるにはこういった男の助けも必要だな、と我慢をすることにした。

 とはいえ初めから手の内をさらけ出す必要もない。

 

「干拓の地としては、なかなかの目の付け所のようですな。流民の入植も見越してということで、オラードにとっては先行きの増税にもつながる。良いことと思いますが」

 ケイロンズは、にっこりと微笑んで言った。

 オームのこめかみが、神経質そうに痙攣する。


「確かにその通りですが……これでは、またもやバレルトの財が増えます。ますます我らへの物言いが傲慢になっていくやも知れません」

「確かにそうかもしれませんが、干拓が終わり植民が始まるのは一、二年も先。バレルト候もそれまでには山あり谷ありでしょう。そう慌てずに」

 なだめつつ葡萄酒を勧める。オームがお義理にすするその様子を、ケイロンズは静かに窺った。南方には、頭に羽毛のない猛禽がいると聞く。動物の死骸を貪るらしいが、まさにこの男のような面構えだろう。

 

 バレルトが今後も向き合う山や谷とは、果たしてどのようなものか。内心では頭を巡らせつつ、ケイロンズが表向きだけは噛んで含めるように言う。

「バレルト候の領地は旧ヴェナード領の三郡。いまはまだ、彼の地で統治に余念がない時期でしょう。我々は我々で、国王との強い絆を作ろうではありませんか」

「しかし、昨年の治水の折にも、かなり難儀をいたしましたし……」

 不満げなオームに、ケイロンズが思いついたように言った。

「そういえば、フォルネーリ大臣の領地は春先の長雨で作付けが遅れ、今年の徴税にいささか不安があるとか。些少ながら義捐金を送らせていただこうかと考えております」

「はあ……」

「ですが、私一人では工面にも限りがあるので、良い方法はないかと思案しておりました。もしオーム殿にもご協力いただければ、大臣もさぞお喜びになると思いますが」 

 フォルネーリとは、王家に代々仕える大臣の一人で直轄領地の管理をしており、王宮での発言権も有する外戚の名家だった。地位は高いがケイロンズから見てやはり大した器ではなく、利用しやすい人物だ。


 オームは、ケイロンズの話がどこを向いているのかを理解した。自身の領地も徴税には不安があるが、ここで断るわけにはいかない。

「それは、ぜひとも……」

「これはありがたい。では私からもオーム殿のご配慮を大臣に伝えましょう。先ほどの件も、吟味していただけるかと思います」


 あくまで穏やかに、自らは表に立たず、危ういことは他人にやらせる。これが貴族として生き抜いていく鉄則だな。それに比べてこの男の蒙昧さは呆れるほどだ。とはいえ、こういう輩に限っていざとなると突拍子もないことをやらかすのもまた事実。付かず離れず、使えそうなところは利用させてもらうのが一番だ。と冷ややかにオームを見つめながら、ケイロンズの心は次に誰から金を出させるかに移っていた。

 

「ときにケイロンズ卿、バレルトの娘がモルトナの叔父の許に居ると耳に挟みましたが」


 オームの言葉に、ケイロンズの心が立ち還る。

 あの娘か。

 一時はバレルトの醜聞につながるかと貴族たちが手ぐすね引いていたが、親許で隠遁しているとの報告に、もう使える素材ではないと皆が捨て置いた件だ。もちろん何かがあれば即座に報せが入るよう手配はしているが、今の彼にとってたいした価値はない。


「そうでしたな。何かございましたか?」

「いや、特には……ですが、あのような噂の立った娘。どのような暮らしぶりかと思いまして」

 勿体ぶった様子のオームに、またバレルトの近辺を引っ掻き回そうとでもいう肚かと勘繰ってみる。だが貴族同士であっても、お互いに余計な物言いは禁物だ。しかも、今さらあの娘に手出ししたところで、バレルトの不興を買えばこそ、大きな利点はなかろう。

 ケイロンズもそれ以上の深入りは控えた。

 

 客が帰るとすぐにフィオレントを呼ぶ。オームからの資金調達について指示を与えた後、いまでは習慣ともなった問いをする。

「バレルトの動向について、他に報告はないか?」

「特に目立った変化はないようです」

「硝石についてはどうだ?」

「特にありません」

 フィオレントが首を横に振る。


 ソルヴィグで、フェルゾムがなぜあれほどの火薬を使えたのかは未だに謎だった。あれ以来、諸国の主だった領主たちは、火薬の原料である硝石の発掘地域を特定しようと、できる限り極秘に、かつ先を争うように手を広げ躍起になって探していたが、めぼしい報せはまだない。

 小さく頷いたケイロンズは、フィオレントが立ち去らないので顔を上げた。

「他に何かあるのか?」


「バレルトの娘の件での報告です」


 彼の眼が部下の顔で止まる。

 日に同じ者の話題が二回も出るとは、これは何かの兆しか。


「新たに小作人を一人置いたとのことですが、娘自らが目を掛けたようです。マーカスという名の男です」

「ふむ……それで?」

「今のところはそれだけです」

 常であれば、たかが小作人一人に興味までは及ばない。だが、部下のその言い方にケイロンズは却って関心を示した。今の報告をもう一度考える。余人とも会わず、滅多に表に出てこなくなったという女が自ら目をかけた男とは、この先何かに使える代物だろうか。

「分かった。進展があればまた報告しろ」

 

 フィオレントが退室すると、ケイロンズは葡萄酒を一口含んだ。口の中でころがしながらゆっくりと飲み下す。

 バレルトをヴェナード領に封じ込めたものの、権力を奪うにはまだ決め手に欠く。しばらくは糸のほころびを探すことに専念せねばならないな。


 そんなことを考えながら飲む葡萄酒には、渋味ばかりが感じられた。

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