俺たちの村は一晩で全滅した。年よりも女も赤ん坊も、家畜や犬まで、すべて殺された。
その日の夕刻、城を包囲した軍勢の兵士たちは、見張りの当番兵を残し、夕餉を終え思い思いの時を過ごしていた。
星空には三日月が輝き、その赤々とした光を背景に真っ暗な影となった城に変化はなく、無人の廃墟のように静まり返っている。
バレルト候到着の報はすでに広まっていた。だが、明日にも戦が始まるであろうその前夜にしては、あまりにも静かだった。
城の中にいるのがあの悪鬼たちで、そして奴らを滅ぼすのが自分たちだとわかっている寄せ手の兵士たちの中にさえ、この決まりきった勝ち戦の流れに飲み込まれ、これから起こる戦いが奇妙にも他人事のように思える者がいた。
後衛の陣では、赤ら顔の若い突撃兵が焚火の傍で遠くそびえる城を眺めていた。
目の前ではぜる炎は暖かで心地よい。城との間には前衛の重装歩兵隊が陣取り、まだ距離がある。もし闇に乗じて敵が撃って出てきても自分らが参戦するには間があり、その分気持ちにも余裕がある。しかもこの一団は、突入時の尖兵として訓練された選りすぐりの兵士たちだ。軽く動きやすい甲冑に、弩や手弓も支給され、攻城のための特別な演習も行っている。
兵士の誰もが、自分こそがあの悪鬼を仕留める列に加わりたいと、静かな気迫をみなぎらせこの地へとやってきていた。
若者はおもむろに横を向くと、隣で火にあたっていた年上の兵士に声をかけた。
「あんた、奴らをみたことあるのかい?」
城にむかって顎をしゃくりながら訊く。
問われた年かさの男は、ゆっくりと若い兵士に顔を向けた。焚火に照らし出された右目のわきに古い矢傷があり、少し半眼となっている。一息おいて答えた。
「いいや、ない。奴らを見たときは死ぬ時だ。今まで奴らの姿を見て、生きている者はいない」
「ふうん……じゃ、あんたもどんな姿か知らないわけだ。そんな奴らをどうやって探す?」
若いがゆえの物おじしない訊き方をする。年かさの男が答えた。
「見たことはない。が、見ればわかる。そのはずだ」
「なんだよ、それ?」
「俺たちと同じ格好のはずがない。だから見たらすぐわかる。人じゃないんだからな」
若い兵士は黙り込んだ。周りにいる者たちも、それとなく二人の会話に注目している。奴らがどんな姿をしているのか。それは、今ここにいる兵士のほぼすべてに共通する、この期に及んでの唯一の謎だった。
「お前はどこまで聞かされている? フェルゾムのことを」
訊ね返す男に、兵士が肩をすくめる。
「聞かされたことなんか、みんな同じだろ。地獄の騎士だの鬼神だの」
首をすくめると、歌うように言葉を継ぐ。
「真っ赤な鎧に真っ赤な冑。頭には大きな角。ひひーんと鳴かない馬に乗って、霧の中から現れる。人を見つけりゃ、大斧で真っ二つ。やつらはその血を飲んで肉を喰らう……でもこんなおとぎ話みたいな噂じゃわからない。本当はどんな姿をしてるんだ?」
年かさの兵士は黙って若い兵士の顔を見ている。その話が真実でなければいいがな。そんな顔をしていた。
「あるぞ、見たこと」
不意に聞こえたしわがれ声に、二人の兵士が振り返る。
焚火の灯りがやっと届くほどの場所に、しわの深い、白いひげの老兵がいた。左ほほに火傷の痕が走っている。突撃兵としてはいささか年を取りすぎにも見えるが、使い込んだ様子の手弓を抱え、身体つきは屈強な歴戦の勇者を思わせた。
「あるのか?」
若い兵士が聞き返す。
「ある。だいぶ昔だが」
「どこで見たんだ?それに……奴らを見たのに、あんたは生き残ったのか」
老兵はしばらく黙ったまま城を見ていたが、やがて口を開いた。
「見たのは、俺の村だ。奴らに襲われて今はもうない」
周りの兵士もみな老兵を見ている。
「今まで誰にも喋ったことはなかったが、やっとここまで来た。聞かせてやろう」
老兵はそう言うと、誰を見るでもなくただ焚火の炎を目の中に映しながら話し始めた。
――俺のいた村は、ヴェナードとの国境に近かった。
質の良い弓柄や矢柄の産地でな、弓矢づくりではオラード一とも言われて、国成軍にも毎年大量に納めていた。
俺たちは、子供のころから弓矢が遊び道具だった。早いうちから狩りにも出た。大人になるとほとんどの男が弓兵として戦地に出た。俺もそうだ。
俺たちはどこに行っても重宝された。弓には長けているし、俺たちの使う矢はよく飛ぶからな。先陣切って突撃もせんから他の兵士より死傷する割合も低い。負け戦にさえならなければ、それなりに褒美ももらって家に帰れた。戦がないときには弓矢を作り、作物を育て、狩りをして肉も食える。村は豊かだったさ。
俺の息子も、育ってからは俺について戦に出るようになった。二人でヴェナードの奴らとも戦った。
そのうちに息子にも嫁が来て翌年に子供ができた。男の子でな、名前はアスリーと付けた。俺が付けたんだ。二年ほど経って女の子も生まれた。この子はエルダと付けた。おれのおふくろの名前だ。
老兵の言葉が、次第に自身が昔へと却って行くように聞こえ始める。
――あの年も目立った戦はなくてな、俺たちはほとんどを村で過ごしていたんだ。もうそろそろ畑も収穫の時期だった。
アスリーは七歳で、俺が弓の手ほどきをした。俺の孫だ。すじが良かった。
村のしきたりでな、男の子は七歳になったら日を選んで狩りに連れていくんだ。そして、その初めての狩りで必ず獲物を取らなきゃならん。取れれば男として村中に認められ、その晩は村中が祝いで大賑わいだ。だがもし取れなかったら、その先何につけても半人前の名がついて回る。だから男の子のいる家は大変だ。しかも俺の家は俺も息子も弓では村一番と言われていた。しくじりは許されん。何日も前からけもの道を追い、山鳥のねぐらを探し、いつ山に入れば獲物に出会えるかを念入りに調べた。
やっと日を決めて、息子が狩りに連れて行くと言ったら、アスリーは大喜びだった。
老兵の眼が、若い兵士の顔を見る。周りはみな黙っている。再び口を開いた。
「そんなときにな、奴らが来たんだ」
――――――――――――――――――――
老兵の声が、染み透るように周囲へと響く。
――あの日は、おかしな日だったんだ。前の日の風向きから見てそれほど荒れるはずはなかったんだが、日暮れ前から雲が出てな、一雨来そうな気配だった。
アスリーの狩りは翌日だった。俺たちは村はずれの林で最後の稽古をしていたが、空模様が怪しいんで早めに引き上げた。もしあくる日も雨だったら、せっかく選んだ日を変えねばならん。そんなことを思って歩いていると、後ろから馬の足音が聞こえた。国成軍の伝令だった。街道をまっしぐらにやってきて、俺たちの前をあっという間に過ぎて行った。何かあったな、すぐにそう思ったさ。
アスリーを急かして家に帰ると、村中大騒ぎだった。ヴェナードの奴らとの戦が始まっていた。しかも村からほんの二、三日の距離で敵兵を見かけたという。徴兵の要請が出ていた。俺も息子も出兵しなければならない。よりにもよってこんな日に、と思ったさ。アスリーもがっかりした。
そのうちに雨が降り出してな、あくる日の出兵に備えて、宵のうちには村がほとんど寝静まっていた。
俺は、アスリーとの約束が果たせなくなったんで、なかなか寝付けなかった。出兵前で気が立っていたせいもある。うとうとしかけたところで、何かの音で目が覚めた。外で何か聞こえた気がしたんだ。耳を澄ますと誰かが動いているようだった。しかも一人二人ではない。
俺は急いで息子を起こした。そのまま外へ出ようかとも思ったが、嫌な予感がした。だから灯りはつけずに、板戸を少しだけずらして覗いてみた。
外は雨から濃い霧に変わっていて、良くは見えなかったが馬に乗った騎士たちのようだった。大勢いるが声はまるで聞こえない。暗くて分からなかったが、オラードの兵とは思えなかった。
俺たちはそっと家族を起こして回ると、裏口に回らせた。俺が弓と剣を手に取ったとき、奴らが襲ってきたんだ。
聞いている皆の目の前に、その晩の光景が現れるように思えてくる。
――いきなり長槍で板戸が突き破られた。窓から穂先が突っ込んできて、家族が悲鳴を挙げた。外からもあちこちで悲鳴が聞こえた。槍が引っ込んだあと、壊れた窓から村中に火矢が射かけられているのが見えた。俺たちの頭の上からも矢の音が聞こえた。敵に間違いない。だが、なぜ俺たちの村が襲われるのか分からなかった。
表の扉が壊されそうになって、とにかく逃げようと思った。息子を急かして裏口から外に出た。そこに……
老兵が言葉を切った。誰に語っているのでもない。自分自身で記憶を手繰り、引き寄せたその記憶につぶされるかのように表情がゆがむ。
――そこに、奴がいたんだ。
初めは、誰かがいることにも気づかなかった。奴らは用意周到だった。家に火をかけ、表から派手に攻めて裏口から逃げ出す俺たちを待ち構えていた。
息子が奴に気づいたが、近すぎて弓も使えない。剣を抜こうとした息子をあいつがばかでかい斧で……一撃だった。
女房と息子の嫁が悲鳴を挙げて、エルダを抱いたままのその嫁もあいつが。嫁が倒れて、エルダの頭が地面に転がっていった。
女房がアスリーを家の中に押し戻したが、その背中にあいつが斧を打ち込んだ。
俺は、目の前で何が起きているのか分からなかった。おかしな話だ。
俺は戦場で散々戦った。弓で何十人と殺してきた。それなのに、自分の家族が死ぬことなんか、これっぽっちも考えたことがなかった。俺と息子はたまに戦に出て、褒美をもらって帰る。そしてまた家族と一緒に暮らす。それがずっと続くと思ってた。自分の家族が襲われることなど思いつきもしなかった。
俺は弓も剣も持っているのに、何もできなかった。アスリーと一緒に家の中に戻されて、その後をあいつがゆっくりと入ってきた。
あちこちで家の燃える音がして、炎であいつの姿が少しだけ見えた。
大きかった。冑の両側に曲がった角があったが、顔は見えなかった。甲冑は、何か不思議な模様だった。白いような赤いような、おかしな模様が体中に入っていた。俺は殺されると思った。もう逃げ場はなかった。そのとき、手に持った弓がいきなりもぎ取られたんだ。
アスリーだった。
孫が俺の弓を取り、矢をつがえてあいつを狙った。だが、俺の弓ではあの子には大きすぎる。引き絞る途中で根負けしてな、矢はあいつから外れて飛んで行った。アスリーも二の矢はつげなかった。震えながら騎士を見ていた。
あいつがゆっくり近づいてきた。俺はやめてくれ、と叫んだ。いや、そう思うんだが正直分からん。手を伸ばしてアスリーを引き寄せることも、俺があいつの前に立って身代わりになることもできたはずなのに、なぜかそうはならなかった。だから、本当は何もできず、声一つ上げられず、ただ見ていただけだったんじゃないのか、そうも思う。
俺が覚えているのは、あいつがアスリーの顔を見下ろして、それから斧のきっさきで、あの子を、突いた。それだけだ。アスリーが倒れて、俺はその場にへたり込んだ。体が動かなかった。
そのあとのことは、俺にもよく分からん。あいつはふいに何かに気づいたように、辺りを見回した。家の中は、俺と息子が仕留めた獲物の皮や角であふれかえっていた。あいつは床に落ちた俺の弓も見た。そして、俺の顔も見たはずだ。俺も騎士を見ていた。殺されると思って、口もきけなかった。
だが、あいつは俺には近寄らず、床にかがみこむとアスリーの身体の傍に片手を置いた。何かをまさぐるような動きをしたあと、その手を自分の左肩に付けた。俺は見ていた。あいつの手が離れた後に、アスリーの血でできた手形がつくのを。
それからあいつは立ち上がると、俺を残したまま家を出て行った。
どのくらい俺がそこにいたのかは覚えてない。家中に火が回り、熱さでやっと我に返って、アスリーの身体を抱きかかえて外に出た。女房の身体も引きずり出した。エルダの、エルダのあたまは、どろのなかにころがっていたが、どうしてもさわれなくてな、どろみずからひきあげてやるまでにずいぶんとくろうした。
家が燃え落ちる頃には、奴らは誰一人残っていなかった。
明け方にやっと国成軍がやってきた。俺たちの村は一晩で全滅した。年よりも女も赤ん坊も、家畜や犬まで、すべて殺された。家も畑も、村中何から何まで焼け落ちていた。
俺は家族の死体の前でずっと泣いていた。一人だけ生き残って初めは疑われたが、顔見知りの兵士のおかげで疑いは晴れた。
村から奪われたものは何もない。ただ、作り終えた弓も矢も、代々受け継いできた道具も鍛冶場も全部燃やされて、作り手はみんな死んだ。あの弓矢は、俺が今持っているこれが最後だ。
そう語る老兵の周りだけ、時が止まったようだった。
聞いている誰もが、身じろぎひとつできない。みな老兵の話を、何かこことはそぐわぬもの、どこかで何かがねじれ、間違ってしまったもののように聞いていた。
心地よい焚火の火に当たり、六万の軍勢が今必勝の戦いを始めようとしている。我々は確実に勝ち、長かったこの戦乱は終わる。この物語に間違いは一点もない。でありながら、まるでそれがすべて夢だとでも告げられているような、そんな気持ちになるのはなぜだろう。俺たちはなぜここで、この老兵からこんな話を聞いているのだろう。それがとても不思議な、あってはならないおかしなことのように思えて仕方なかった。
老兵も、皆のその思いが体に染み入ったように黙っていたが、やがて自分の話に終止符を打つかのように口を開いた。
――俺も、それまで戦場で惨いことはよく見てきた。家族には話さなかったが、仲間が平民を殺し、財産を根こそぎ奪い、泣きわめく女を寄って集って襲うところも見た。俺はやらなかったが、といって止めもしなかった。それぐらいの分け前がなければ、命なんぞ懸けてはおれん。負けたやつらはどんな目に合っても文句は言えん。勝つことで手に入れるものがあり、負けたことで失うものがある。それが戦だ。
だが、あの時から考えが変わったな。
俺は、人は何かのために戦をしているんだと思ってた。生きていくために、金を稼いでいい暮らしをするために、家族を養うために、何でもいいが、そんな理由や目的があると思ってた。そのために命がけで戦っているのだと思ってた。
だが奴らは違った。
あれは、自分のため、仲間のため、国のため、そんな何かのために殺しているのではない。そんな奴らではない。あいつらはただ殺すことだけが目的なんだ。何かを手に入れることも失うこともなく、延々とただ殺す。それだけだ。
老兵の話が終わっても、しばらくは誰も口を利かなかった
「それで……あんたは家族の仇をとるためにここにきたのか?」
やっとの思いで、若い兵士が老兵に訊く。老兵はちらと男に眼をやった。
「俺にもよくわからん。一人であいつらに敵うわけもないしな。ただ、あれから俺は剣の腕を磨いた。もしあいつを、あの二本角の騎士を見つけたら、たった一太刀でいい、奴の体に傷をつけてやりたい」
若い兵士が続けて言いかけようとした時、草を踏む足音が聞こえた。皆がぎょっとして振り向く。
「貴様たち、もう寝ろ!」
分隊長だ。ほっと誰かが息を吐く。
「明日は出陣だぞ。俺たちの部隊が先鋒だ。誰でもいい。奴らを討ち取って一番手柄を立てろ!」
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