メルロドスの杖

―血を纏う騎士―
うろはしめ
うろはしめ

第三十五話 大戦の始まり

公開日時: 2021年4月15日(木) 21:00
文字数:5,782

元を質せばあの大戦の発端は、ヴェナードの興国歴で二百七十六年、今から三十年近く昔、カリフィス一世の父、ブラトス二世の治世に遡る。

「ほう。下りましたか。干拓の承認が」

 ケイロンズの話に対するアトロビスの第一声だ。

 

「はい。オラードにとっては大変有意義なことです」

「オラードにとっては……ほほ、ケイロンズ卿にとってはいかがでしょうな?」

 その言葉に、ケイロンズが笑う。

 

「もちろん、国の富めることは我々にとっても喜ばしいことです。ただ、ヴェナード領の話では、我々には良くも悪くもさして影響はありません」

 手元の葡萄酒を口に含む。 

 干拓の許しが下りたうえは、バレルトは今までの遅れを取り戻すためにも躍起となってことを進めるだろう。ヴェナードの件で他に何か策を講じられることはないか、改めてアトロビスに探りを入れに来てみたが、相変わらずこの老人は手の内を見せない。


 涼しい顔で酒食を摂る元大臣を見ていると、ケイロンズの心にもふつふつと苛立ちが湧き立ってきた。

「いかがですか。自国の様変わりについてのご感想は?」

 わずかに毒を含んだ笑みと言葉で問う。

 お前はその場に居られなかったがな。暗にそう告げていた。だが、したたかな老人もやすやすと誘いには乗ってこない。

「ほほ……年寄りの出番はもうないということでしょう。若い方同士、どのように攻めて行かれるのか、見ものですな」

 ケイロンズがアトロビスの顔を見つめる。

 そうは言っても、このまま城館で余生を送るというのも味気なかろう。誘いがあれば乗っても良いぞ、とケイロンズが心の中で駆け引きを繰り出す。

 

 沈黙が、その言葉を代弁するかのようにアトロビスに伝わったのかも知れない。

 老人が、中庭の明るい日差しに揺れる草花を見やりながら、おもむろに口を開いた。

「時に、あの逃げた悪鬼どもはどうなりましたかの?」

「悪鬼とは、フェルゾムのことですか?」

「そうそう、そういう名でしたな」

 

 自国が作った悪名高い騎士団を、さも他人事のように語る。

「お仕えになっていた王朝に直轄の騎士団を悪鬼とは……余人が聞けば眉をひそめるお言葉ですな」

「これは心外な。私はあんな者どもを騎士なぞとは認めておりませんぞ」

 アトロビスが、ケイロンズの言葉に珍しく反応する。それが彼の頭に光を宿した。何に役立つかは分からぬが、この年寄りの数少ない腹の内だ。

 何気ない風を装いつつ問う。

「実は、我々は戦のことを噂でしか聞いておりませぬ故、フェルゾムと言う者どものこともよく知らぬのです。よろしければお聞かせいただけませんか?」

「ほほう、なるほど」

 下手に出られるとつい慢心するのが貴族の弱みだ。アトロビスも、自分たちとはあまりにも住処が懸け離れていたフェルゾムごときであれば、話しても損にならぬと思ったらしい。遠くを見つめるような眼で、思い出すようにしゃべり始めた。


「そもそも、あのフェルゾンという男自身、得体の知れぬ薄気味の悪い輩でしたな」 

 アトロビスがフェルゾンと初めて出逢ったのは、十年以上も昔、先の大戦が勃発して十五年が経った頃だった。


 元を質せばあの大戦の発端は、ヴェナードの興国歴で二百七十六年、今から三十年近く昔、カリフィス一世の父、ブラトス二世の治世に遡る。

 

 ヴェナードの国の西端は、ザクスールとともに、諸国が西海と呼ぶ大洋に面していた。両国とも海沿いには古くからいくつもの港湾都市が栄え、遠く海を隔てた西方諸国との貿易が盛んだった。

 スヴォルトの西方も西海には面していたが、北方のため交易の季節が限られる。そのため、西海と直接面していないオラードやその他の国々は、海を渡った西方諸国からの品々を、主にヴェナードとザクスールを経て入手していた。また、時には諸国が両国の許しを得て、直接自国の交易使節を二つの国の港から西方に派遣することもあった。

 こうして入手する西方諸国の品々には、もちろんヴェナード、ザクスール両国が税をかけていたが、それは暗黙の了解として永い間均衡を保っていた。

 だがその年、ヴェナード王朝、すなわちブラトス二世は、この税率を年ごとに変えると宣告した。

 

 ヴェナードは、国土面積は大国の中でも最大だったが、代々の王家は統治力が弱く、また貴族国家の常で私利私欲に走る領主も少なからずおり、内政が不安定だった。農地や牧畜の統制も領主任せで、地方領主同士のいがみ合いや領地を争う内戦も幾度となく起こっており、徴税にも様々な利権が絡み、嘘か誠か分からぬ報告が罷り通る。

 王家にとって思うままにならない徴税の埋め合わせに、交易の税を引き上げて工面する苦肉の策だったが、オラードをはじめ西海に面していない諸国にとっては極めて不誠実な政策と映った。

 とはいえ、ヴェナードにしか入ってこない品もあり、しばらくは状況を見ることも含め承諾していた諸国だったが、あるときオラードの東方に位置する二つの小国エイテゴとルクルドの合併交易使節が、ヴェナード国の通過中に賊に襲われるという事件が起き、様相が変わる。

 運んでいた荷は略奪され、使節の役人、護衛兵、人夫とも皆殺しにされたが、この中にエイテゴの大臣の親族がいたため、重大な国家間の問題となってしまった。

 

 エイテゴとルクルドはヴェナードに対し、速やかに賊を捕えて引き渡すこと、そして税を払っている限り一定額の賠償をせよと迫ったが、ヴェナードは事件の追及はともかく賠償については承諾しなかった。兵を連れている以上、外敵から身を守る責めは自国にあるべき、と言うのがヴェナードの主張である。だが、他国通過の際の摩擦を最小限に抑えるため、これらの施設の護衛は微々たる人数で形式的なものというのが慣例となっていた。

 荷に対する物品税とは別に通行税も徴収する以上、ヴェナードにも治安の上で責めがあるはず、というのがエイテゴとルクルドの主張だったが、この申し入れには裏がある。

 実は使節を襲ったのは賊ではなく、財政のひっ迫している地元の領主もしくはヴェナード王朝そのものではないかという疑念だ。

 これはヴェナードの内情を知る諸国の間でまことしやかに噂されていた話で、真相は藪の中だが、賊の取り締まりも領主任せで本腰を入れないヴェナード王家自体に対する不信感は高まった。

 二国は改めて抗議する一方、小国のみでは不利と感じて、交易では同じ立場にあるオラードに仲裁を求めた。国家間の問題がオラードにも飛び火したことになる。

 そこに、今度はオラードとザクスールが直接関わる事件が起きてしまった。ヴェナード小作農の大量の離村と越境がそれだ。

 

 ヴェナードの政策や重税を嫌い、農地を捨てて他国に逃げる難民はそれまでにもしばしばいたが、その年は凶作だった上に領主からの徴税も厳しくなる一方で、オラードとザクスールに隣接した各地で農民の流出が頻発し、ことに二つの国ともに接しているヴェナードのボルト郡からは、両国に対して一気に二つの村がまるまる逃げ出してしまった。

 ボルト郡はヴェナード王家の外戚に当たる領主が治めており、ヴェナードから両国に対して農民の返還が申し込まれたが、オラードは先の使節団の件で対立しているエイテゴとルクルドを支持し、結果、逃げ込んだ農民の捜索と返還をする換わりに、曖昧になっている使節団の事件を相互取引で解決するよう申し入れた。

 オラードにしても、今後自国の派遣使節の警護にも関する見過ごせない問題だったためだ。

 

 一方、ザクスールははなはだ厄介な立場に立たされた。西はヴェナード、中央をオラード、そして東はエイテゴとルクルド双方ともに面しており、ヴェナードとは海上交易の上では競合相手、他の三国とは交易上の行き来がある。

 兎角ヴェナードとは小競り合いもしていたため三国に与したいが、出方を誤るとヴェナードとの間に本格的な争いが生じてしまう。

 そのため、ザクスール王朝は流民の返還を承諾する旨の返答はしたが、見つけ出すには相応の日数がかかると言い逃れ、のらりくらりと四国間の情勢を見守ることにした。

 

 そんなある日、ボルト郡との国境で、予ねて険悪だったオラードの守備隊とボルトの領主が抱える騎兵隊との間に争乱が起きる。

 双方ともに挑発したのは相手方だと主張したが、多数の死者が出たため、先のいくつかの事件の解決は両国ともに譲れなくなり、ついには武力衝突も辞さずという状況へと発展した。


 そして、ヴェナードより紛争中の三国との交易の中止、国交拒否の布告と共に、国境への軍備増強がされたことで、本格的に戦闘状態へと突入してしまう。

 これが、以降二十四年間にも渡る大戦と、ヴェナードの国がこの世から姿を消すこととなった物語の発端である。

 

 オラードはエイテゴ、ルクルドと戦時同盟を結び、他の小国も加わった連合軍が作られた。ザクスールは表向き中立を保ちつつ、今後の状況次第では参戦も視野に入れた。ヴェナード、オラード双方ともに、あまりにも大国、強大になれば、そのうち火の粉は自国にも及ぶことが懸念されたためだ。

 だが、ザクスールも好んで他国のもめ事に首を突っ込むほど愚かではない。そのため、しばらくは傍観を決め込み、大きな行動は自粛しつつ、先行きどちらに着くかを冷静に検討していた。

 流民を返還してヴェナードに付けば、勝利の暁には北上する形でオラードと周辺諸国が手に入り、一方、連合側に付けば、西海に臨む領土を手にし、海上交易が独占できる見込みがある。

 戦線が拡大するうちにヴェナード、オラードという二大国家が相互に疲弊してくれれば、その後も自国に有利に進むと、ザクスール王朝は堅実な政策を取り、容易にはどちらにもなびかなかった。

 

 開戦当初の数年間は双方の睨み合いが続き、ヴェナード側も連合国側も有事に備えての富国に努めた。大戦とはいえ、侵略戦争ではなく国家間の反目から始まったため、どの国も積極的に敵地に攻め込むことには二の足を踏む。誰もが深入りすることは入念に避けていたため、実際には各地での小競り合いが途切れ途切れに行われるのみで、つまるところ、戦局としては国境近辺での睨み合いが続き、いたずらに年数ばかりが重なった。

 この間、ヴェナードは北方のスヴォルトに同盟を申し入れると同時に、密かにオラードを越え、東方のいくつかの小国家にも内通し、オラードを西と東から挟撃する策を立てたが、かねてからの交易の件のくすぶりが邪魔をしてうまく行かなかった。

 

 スヴォルトも中立を保ちつつ行方を見守っていた。だが、北に位置し気候の厳しい国土であるスヴォルトにしても、南下する領土は咽喉から手が出るほどに欲しい。先々どちらかに与して領土の拡大を狙うのは必定で、オラードもヴェナードもことあるごとに参戦を促してくる。

 この時、オラードの特使としてスヴォルトとの交渉に当たっていたのがケイロンズ家だ。

 

 そして開戦から丁度十年、苦しくなる一方の国家財政に焦ったブラトス王は、周囲の反対を押し切りオラード領への侵攻を計画する。


 この侵攻作戦は、大戦始まって以来の大規模な戦闘となったが、一年近くの激戦の末にヴェナード軍の敗退に終わった。しかも連合側は、この一件からヴェナードとの全面的な対決、敵国侵攻へと備えを進めることとなる。

 ブラトス王は、またも無用な災いを引き寄せてしまった。

 

 ここにきて、大国の腹が決まる。

 まずザクスールが動いた。選択を決めたのは、陸地よりも海上の利権により将来性がある、と進言した当時のシャラフ教寺院だった。ヴェナードで同胞がしばしば弾圧されることを憂いていた寺院が、ここぞとばかりに報復に出たということだ。ザクスール王朝は、連合側に加わることを決める。

 そしてその一年後、スヴォルトもついに連合側に就くことを決めた。これにもまた、西海の海上利権が絡んでいる。

 ヴェナードに着いて戦勝国となった際も、おそらくオラード領の東側にしか手を伸ばすことはできない。より気候の穏やかな領地を持つことはできるが、逆に海上の利権はヴェナードがほぼ独占することになる。

 この時代、限られた領土から海を渡り異国の地との交易へと、どの国家も視点の変換を考えており、その意味では、ヴェナードは周辺諸国から狙われやすい国土を、わざわざ攻める口実を与えただけとなった。

 

 三方を敵に囲まれたヴェナードのブラトス二世は、窮地に立たされる。西海を渡り貿易先の諸国にも同盟を打診したが、東方の国々の諍いに海を渡り手を出すほどお人好しな国があるはずもない。どこも交易国として形ばかりの手助けをするだけだ。

 ブラトスもヴェナードの王家として、また貴族の自負心も災いして、負けを認めるということは決してすまいと意固地になっている。だが、先の戦いに敗退した後、内実は国境の防備で手いっぱいの状況だった。

 

 それからさらに二年、戦の行く末は未だ予想がつかず、和睦の落としどころさえ掴めぬまま、国王ブラトス二世が病により崩御する。

 世嗣のカリフィス一世は、大戦勃発の翌年に王家がやっと授かった嫡男で当年十一歳。しかも長年の血縁婚姻の例に漏れず、生まれながらに健康は優れず、気性、素質ともに王の器ではなかった。ただちに即位したが、無論のこと政なぞできない。大臣たちが後見となって評議会が執政することとし、カリフィスは傀儡の王となった。

 

 大臣たちは終戦を望み和睦を考えたが、策については二派に分かれた。

 今の戦況で和睦を持ち出せば、連合側はそれに付け入り必ずや不平等な条件を迫ってくる。幸いなことに守備に徹すれば軍はまだいささか持ちこたえることができ、連合側も正面切っての侵攻には躊躇している。このまま膠着状態を維持すれば、連合側、特に小国は長引く戦に音を上げ始めるだろう。

 連合側でも終戦を望む声が高まるまで時期を見るべきという者と、すでに疲弊し始めている国内の状況を鑑み、軍を挙げて再度大規模な攻勢に出たうえで一度の勝ちを収め、その上で和睦を持ち出すべきという短期決戦派がいた。

 どちらも一長一短である。

 国の疲弊を抑えるならば短期決戦に越したことはない。だがもし負ければ、連合側がそれに乗じて侵攻してくることは明らかだ。それはすなわちヴェナードの亡国を意味する。

 大臣たちは思案に思案を重ねたが、いつまでも平行線のまま答えは出ず、戦は国境を挟んでの睨み合いと、ごくまれに起こる小競り合いのまま、またも膠着状態に入った。

 

 そんなとき、王朝の重鎮たちの前に現れたのがアヴリード・フェルゾンである。

 カリフィス王の即位から三年が過ぎた頃だった。

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