自分がそれまで命がけで守ってきたもの、男の中に混じり、長い間どんな目に遭おうとも堪えてきたもの、それらの全てが彼女の中で壊れ、崩れ、流れて消えて行った。
頭目が近づいてきた。クリシアが身体を引く。恐れているのでない。最期の最期まで、敵との間合いを取りたいだけだ。だが首枷の鎖は四、五歩程度の長さしかない。
壁際に追い詰められた彼女の眼の前に男が立つ。
どうする。引きずって服を剥ぎ取るか。寄って集って手籠めにするか。
だが私は最期まで抗うぞ。お前たちに何をされようと、クリシア・アルフ・バレルトとして、名誉にかけて戦うぞ。
眼つきに力がこもる。
男は、自分を睨みつけるクリシアの眼をじっと覗き込んでいる。瞳孔が開きっぱなしになったような暗い眼に、自分の顔が映っているのをクリシアは見た。
男がクリシアの首枷の鎖を掴む。
と、いきなり彼女の両脚を蹴り払った。あっと思った瞬間に引き倒され、固い岩の地面に激しく体をぶつける。痛みに顔がゆがむ。
男は、そのままゆっくりと鎖を持ち上げていった。
手足の自由が利かず体を起こせない。首枷が咽喉に食い込んでくる。それにつられて首を上げるが、男は手を緩めようともせず、クリシアの首を吊る格好で引きずり上げていく。息が詰まり、彼女の額に汗が噴き出す。
おかしい。このまま殺すのか。せっかく女が手に入ったのに、敵将の娘を人質にしたというのに、もう殺すのか。何もしないのか。
彼女の頭の片隅には、どんな辱めを受けようとも、その間は命だけはあるはずという矛盾した思いがあった。
人は、最後の最後まで自尊心を求める。他人よりも生き存える、他者が自分に何かを求める。それが理不尽で残虐で、決して受け入れられないものだったとしても、自分に向けられる欲求、欲望とは、すなわちその者の価値であり、それこそが生きる拠り所ともなる。そして、自分の終焉は自分で決めるという人生最後の自負。
この男たちにとって自分が女としてはどう映るのか。欲望の対象として高ければ高いほど、それは女としての魅力に富んでいるということになる。男たちが私の身体を気に入ったら、私の女としての誇りは保たれる。
考えてはいけない、決して心に浮かべてはいけないことだが、部下がすべて殺されながら、私一人が生け捕られたのは、女としての、敵将の娘としての価値を認めたからだろう。部下たちよりも、私を重く見たからだろう。
それは彼女の心に浮かんだ身勝手で醜悪で、あれだけ強く結びついていた部下たちをすべて裏切る思いだ。
だが人間である限り、どうしても打ち消すことのできない情動でもあった。それさえあれば、自分は潔く死ねる。男たちが私に手を出したら、拒むことができないと悟ったとき、舌でも噛んで死んでやろう。彼女はそう思っていた。
それが、今のクリシアにとって、たった一つだけ残った自らの尊厳、誇りともいえるものだった。
だが、何の前触れもなく男は鎖を引き上げ、私を縊り殺そうとしている。なぜ殺す。女になぞ永らく触れてはいないのだろう。それなのになぜ私は殺される。
私が欲しくはないのか。私には、お前たちのような人間にとってさえ、女としての魅力や価値すらないのか。
クリシアが激しく身悶える。枷でつながれた手足を不様にばたつかせる。手足の指の先までが硬直し震え始める。死ぬ。そう感じた。だがそれは、彼女がつい今しがたまで思い描き、覚悟を決めていた死とはまるで違うものだった。こちらの意志も感情も、存在そのものをすべて否定した、理不尽で一片の情けもない一方的な暴力。
この男たちにとって、自分は女として、いや捕えられた奴隷としての価値すら持っていない、塵芥のようなものでしかないのか。
彼女は目を剥き、猿轡の中の舌が固まった。男たちから下卑た笑い声が聞こえる。奴らが縊られる私を見ている。醜態を晒す女を見ている。周囲が暗くなっていく。
嫌だ。こんな死に様は嫌だ。そう思った瞬間、首枷が緩んだ。
男が腕をおろし、彼女はどっと地面に落とされた。乱暴に猿轡が外される。
息ができる。壊れた笛のような音を立てて、思い切り息を吸い込み、むせ返った。解き放たれた。
そう思ったとき、またもや鎖がゆっくりと引き上げられた。
首枷がじわじわと食い込み再び息が詰まる。彼女が声にならない悲鳴を挙げた。もはや人の声ではない。獣の叫びだ。手足を必死に動かし、支えになる物を求める。だが体は半分宙に浮き、舌を限界まで突き出した彼女は、今度こそ死ぬと思った。また身体が落とされた。必死で息を吸い込む。吸い込んだ息を吐こうとしたとき、男がまた鎖を引き絞った。
「やめ……」
て、と叫ぼうとし、声も息とともに詰まった。
命じたのではない。懇願だ。涙の溢れる眼が充血し、普段の倍にも剥きだされる。鼻汁と唾液が顎を伝っている。
もう、もう止めてくれ。気を失う寸前でまたも鎖は緩められた。
地下牢の堅い地面に這いつくばり、むせ返りながら、つぶれかけた声で彼女は言った。
「頼む……やめてくれ」
男が無言で襟元を掴みあげる。クリシアはぼんやりとした視界の中に男の顔を見た。何もわからなくなり、朦朧とする意識の中でただ口にする。
「もうやめ……お願い」
これまでのクリシアではない、ただの女の声になっていた。
男が平手でクリシアの頬を殴る。容赦のない力だった。眩暈がする。繰り返し殴る。口の中に血の味が広がる。男が鳩尾に拳を入れる。息が止まり、苦痛に顔をゆがめる。縊り殺すのをやめ、今度は殴り殺す気か。
男が背後を振り向く。申し合わせたように、部下の一人が何かを持って近づいてくる。焚き火の残りのような燃えさしだ。細い松明と言ったほうが良いだろう。先端ではまだ火がはぜている。男が受け取る。
クリシアの痛む身体に改めて緊張が走る。何をする。自由にならない身体で身構えようとしたとき、男が何の躊躇もなく松明を目の前に突き出した。
ひっ、と呻き本能的に顔を引く。だが男は執拗に松明を突き出してくる。彼女は慌てて逃げ惑った。
頭はふらつき、身体中が痛み、軋み、倒れそうだった。だがそれにも増して火で焼かれることは怖ろしかった。
炎が頬に触れ、髪の焦げる臭いがする。熱い。彼女は堪らず悲鳴を挙げた。
男が松明でクリシアの脚元を払う。足枷をはめたまま飛び跳ねるように逃げ、転ぶ。男は執拗に松明を振り回して彼女をいたぶった。何度も何度も。
身悶えながら滑稽な踊りを踊る道化のようなその姿に、背後の男たちが腹を抱えて笑う。
だが彼女は、男たちなどお構いなしで、死に物狂いで男が押し当ててくる炎から逃げた。鎖が伸び切り追い詰められる。男が松明を振り回す。熱気が顔にかかる。
クリシアは泣き出した。
彼女の中で、熱さと怖さと恥ずかしさと惨めさと、それら全てがない交ぜになり、涙が止めどもなく滴り落ちた。
男が無表情のまま、彼女の腹に松明を押し当てる。クリシアがひときわ大きな悲鳴を挙げた。服が燃える。身体が燃える。大慌てで身をよじり、壁に腹を押し当て必死で火を消そうとした。だが消えない。
男を突きのけるように地べたに転がり、這いつくばる。喚きながら腹を擦り付けると、かろうじて火が消えた。
男たちの笑い声が耳に響く。
彼女は突っ伏したまま顔を上げられなかった。
今まで、これほど無惨な姿を他人に見せたことはない。自分がそれまで命がけで守ってきたもの、男の中に混じり、長い間どんな目に遭おうとも堪えてきたもの、それらの全てが彼女の中で壊れ、崩れ、流れて消えて行った。
どんなに歯を食いしばっても、口からは嗚咽が漏れる。
突然首枷の鎖が引き上げられる。再び咽喉を詰まらせ、もがきながら彼女は無理やり立たされた。
男が腰から短剣を抜く。彼女の目の前で躍らせた。弄ぶように刃を顔中に這わせる。筋の通った鼻の下に刃を当てた。そぎ落とされるかもしれない。恐怖で動けない。
ゆっくりと唇に押し当ててくる。刃を避けようとクリシアが口を開けると、そのまま侵入してきた。
短剣が舌を弄ぶ。口の中をずたずたに切り裂かれる姿を想像し、息が詰まる。唇から溢れた涎が顎を伝う。声一つ上げられない。
男がやっと短剣を抜く。服の首元に突き立てるとぎりぎりと引き絞りながら切り裂き始めた。クリシアはされるがままだ。もし抵抗の気配でも見せようものなら次は何をされるか、それが恐ろしくて動けなかった。
焦げた胴着と下着の前が切り開かれ、下穿きの止め紐が切られて地面に堕ちる。男が切り裂いた服の襟元を掴むと一気にずり下ろす。牢内に男たちの嬌声が挙がる。
盛り上がった乳房に、恐怖と緊張で乳頭は大きく勃起している。
引き締まった腹、そして彼女の性格を反映したかのように逞しく繁茂した恥毛まで、すべてを男たちの眼に晒している。
羞恥に身体が震える。
眼を固く閉じ顔をそむけていた彼女は、喉元に短剣の刃を感じて思わず目を開けた。
刃はゆっくりと下がっていく。胸の上で固く敏感になった乳頭に、冷たい感触を感じた。男が指でつまみ上げる。
クリシアが苦痛で顔をゆがめた。その乳頭の根元に男が刃を当てる。
「やめ……て」
切り落とされる恐怖に、彼女は叫ぼうとした。だが声は、潰れかけた咽喉に引っ掛かりかすれている。
男が乳頭から指を離すと、彼女の髪を掴み顔を寄せた。むっとする体臭が息を塞ぐ。
クリシアの眼を覗き込んだまま、剣先を彼女の体に沿って滑らせる。腹から股へと引っ掻くように下りて行く。
そのまま股の間へ、彼女の秘部へと剣は向かってきた。クリシアが震える身体で股を開く。秘部に触れる冷たい刃の感触を感じた。下手に動けば切られてしまう。無理やり爪先立ちになる。
無表情な男の顔は、何を考えているのか、この先何をするのか全く分からない。
もし短剣を突き入れられたら。彼女は何もできなかった。ただ男の冷酷な目に、彼女の身体の芯に今までにはなかった感情がむくむくと湧き上がってきた。
怖い。この男は何をする気か分からない。
怖くてたまらない。
眼の奥から、またも熱い涙が浸み出してくる。
足がすくみ背筋にぞわぞわと悪寒が走った。不意に猛烈な尿意が襲ってきた。本能で両脚を閉じ合わせようとするが剣が邪魔でできない。我慢を続けるが、股間に力が入らず、わずかでも気を抜けば漏らしてしまいそうになる。
彼女は苦しさのあまり身をよじらせた。こんな奴らの前で、そんな生き恥は晒せない。だが頭の中は、排尿したい衝動と我慢しなければという理性と、秘部に触れた剣の恐怖とで狂い出しそうだった。
男は瞬きもせず彼女の眼を覗き込んだまま、短剣をゆっくりと動かしている。股間に感じる冷たい刃の動きに、何度も力が抜けそうになる。
クリシアは身悶え続けた。苦悩に顔がゆがむ。ついに限界を感じた。堪え切れない。太股がぶるぶると震えだす。息を荒げ、流れる涙も鼻汁もお構いなしに、懇願するような眼で男を見上げる。
最後の力を振り絞りやっと言葉を吐いた。
「お、お願い……助けて」
男がゆっくりと剣を引く。途端に全身から力が抜けた。あ、だめ、もう、だめだ。頭の中からすべてが薄れていく。
クリシアは、緩んだ股の間から勢いよく小便を迸らせながら、立ったまま気を失った。
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どこかで女の声がする。何かを必死で訴えているような、泣き叫んでいるような、悲痛で耳障りな声だ。遠く微かに、だが外ではなく自分の内から漏れてくるような、耳を塞いでも消えないようなものに思えた。
今度は男の声がした。抑揚のない人を突き放すような重い声だ。
落ち着け。心を鎮めろ。お前はまだ闘える。
そう聞こえた。不思議と素直に受け入れられる。
そうか、私はまだ闘えるのか。クリシアは安心して、また眠るように気が遠くなっていった。
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