奴はフェルゾムだ。地獄の騎士だ。そんなことがあるはずがない。
城からの爆発音は、四方を囲んだすべての軍勢の耳に響いた。
次いで立ち上った黒煙。城の最上部から、青い空へとまっすぐに上る煙もまた、全ての将兵から見えた。生き残りのフェルゾムたちからも見えた。
その煙を見たフェルゾムたちが、突如として馬の首を軍勢に向けると、みな突っ込んでくる。それまでのように兵を攪乱するのではなく、無謀にも正面から戦いを挑む。
重装歩兵が盾と槍で防ぎ、弩と長弓が狙う。その攻撃をかいくぐり軍勢に突っ込むと、騎士たちは歩兵を蹴散らしなぎ倒し、騎士を見れば突進して斬りかかった。三国の騎士たちが次々と打ち取られ、兵士の死体がたちまちのうちに草原を埋め尽くす。
彼らの動きは傷を負っても変わらなかった。痛みを知らぬ者のように、何本もの矢を受け槍で付かれながらも縦横無尽に得物を振るい次々と兵を屠っていく。やっとの思いで取り囲み倒したかと思えば、最後の力で隊列に飛び込み、周囲を巻き添えに自爆した。
ソルヴィグの草原はまさに地獄の様相だった。
今や十名にも満たないフェルゾムの騎士に、万を超える寄せ手が蹂躙されている。足の踏み場もないほどに夥しい兵の骸が転がり、まだ息のある者は悲痛なうめき声を挙げる。
彼らの叫びが城を取り巻き、ねっとりとした赤い渦のように寄せ手の軍勢に絡みつく。
身体中に矢を突き立て槍で串刺しにされながらも、馬を駆り切りかかってくる血まみれの騎士たちは、まさに悪鬼そのものだった。
だが、やがてザクスールの騎兵が応援に加わり、その流れも終に変わった。さしものフェルゾムも、ザクスールが誇る騎馬弓兵の攻撃に一騎また一騎と動きを止める。落馬したフェルゾムを歩兵の長槍が襲う。
彼らは最期を悟ると次々に自爆した。
騎士の数が少なくなるごとに包囲網は大きくなり、兵士たちも近づかずに仕留められるようになっていく。
陽が傾き、城から立ち上る幾筋もの煙が赤い空を覆い始めたころ、最後の騎士が数本の矢を受け、がっくりと大地に膝をついた。オラードの兵士たちが、遠巻きにしたまま油断なく槍を構える。
その騎士は一番小柄だった。甲冑を付けた上からも細身であることが分かった。全身を覆う血の模様は、初めからついていたものか騎士の流すものなのか、すでに分からなくなっている。
騎士が剣を突き立て身を支えながら、左の籠手を取った。白く細い指が現れる。騎士には似つかわしくないしなやかな指だった。きれいな色の爪をしていた。そのまま手を冑と赤い面頬の間に差し入れると、兵士たちが思わず身をすくめる。だが、騎士はそのままがくりと首をうなだれ動かなくなった。剣の柄を握っていた右手が堕ちる。
その時、冑の中から一房の金髪が流れ落ち、赤い仮面にかかった。
兵士たちの血走った眼が釘付けとなる。辺りは静まり返っていた。最後のフェルゾムを仕留めたにもかかわらず、雄たけびも歓声もない。
戦場には不似合いなほどの静寂の中、騎士のやわらかな金髪だけが風に弄ばれている。
まさか、と兵たちは思った。あの華奢な体、細く白い手、長い金髪。いや髪を伸ばした男はいくらでもいる。だがあれは、まさか。
そんなはずはない。奴はフェルゾムだ。地獄の騎士だ。そんなことがあるはずがない。
だが、つい今しがたまで血気にはやっていた兵士たちは、我知らず動かぬ騎士へと少しずつにじり寄っていく。もっと近くで確かめたい。戦場でたぎり返った体内の血汐に、その衝動を抑えることができない。
じわじわと兵士の輪が縮む。正面の兵士が咽喉を鳴らしてつばを飲み込み、腕を伸ばす。
「おいっ、何をしている!」
その声に皆がぎょっとして立ちすくむ。
「ばかもの! 早く離れろ」
バレルトの副官のバーゼルだ。端正な顔は怒りで真っ赤になっている。兵士たちをにらみつけながら大股でやってくると、最前列の兵士の首筋を掴んで荒々しく引き戻した。皆バーゼルの剣幕におののき後ずさる。
バーゼルが声を荒げて周囲の兵も下がらせようとしたとき、彼の後ろでうずくまっていた騎士の身体が、跳んだ。
背後からバーゼルに飛びつき、羽交い絞めにする。周りの兵士が悲鳴とともに一斉に散る。
「き……貴様!」
後ろに捻じ曲げたバーゼルの顔がゆがむ。
赤い仮面の裏から、ふふふっと笑い声が聞こえた。フェルゾムの髪から、どこかで嗅いだ香りがしていた。引きはがそうともがくバーゼルが身体に回された手を掴む。その予想外に柔らかな感触に気づいたとき、仮面の奥でかちりと何かを噛む音が聞こえた。
背後からのすさまじい衝撃と痛み。一瞬にして赤く黒く周囲を覆う煙。
自分とフェルゾムの身体が細かな肉片や骨片となり、ない混ぜになって周辺に飛び散らばるその情景が、宙高く飛んだバーゼルの片目に映っていた。
「むぅ?」
本営でバレルトが唸った。最後のフェルゾムが自爆した煙が、彼方で立ち上っている。だが数名の兵士が巻き添えになったようだ。あれほど命じながら迂闊に近づくとは。これも奴らの呪われた力のなせる業か。
「他のフェルゾムの状況はどうだ?」
「おおむね片付いたようですが、人数の把握ができておりません」
「ザクスール陣営の状況を確認させろ。」
控えていた伝令たちが走り去る。と同時に、ドレモントが駆け込んできた。敬礼もそこそこにバレルトに言う。
「閣下、我が軍とスヴォルト軍のフェルゾムはすべて斃しました」
「ご苦労!」
バレルトが立ち上がり、ドレモンドの肩に手を回そうとしたが、彼の顔を見て止める。
「どうした?」
ドレモントが絞り出すように言う。
「……最後の爆発に、バーゼルが巻き込まれました」
バレルトの眉根に深いしわが寄る。クルランとリュージュが思わず顔を見合わせる。
「フェルゾムに近づいた兵を引きもどそうとしたとき、自爆されました」
「死んだのか?」
「はい」
バレルトは、しばらくの間黙り込んでいた。唇を真一文字に結び、眼が一点を見つめる。だがやがて、自身を納得させるように頷いた。
「長年そばに仕えてくれた、有能な男だった。だが今はその死を悲しむ時ではない。残りのフェルゾムを殲滅しろ。急げ」
バレルトは、元通り床几に腰を下ろすと目をつぶった。クリシアを失った。片腕であり、もっとも頼りにしていたバーゼルも失った。そして間もなくこの戦乱が終わる。この後に自分は何をすべきか。それを考えるには、しばしの時が必要に思えた。
――――――――――――――――――――
ササーンは、城へと馬を走らせている。
オラード、スヴォルトのフェルゾム全滅が報じられた頃、ザクスール軍も騎馬のフェルゾムを全員仕留めたところだった。
結局、ササーンの望んだ死骸は一つも手に入らず、彼らも最後はみな爆死して果てた。
城を取り巻いていた白煙にいまはどす黒い煙が混じり、時おり爆発音が聞こえてくる。まさに落城の様相を呈していた。城の内部へと侵攻した兵士たちが次々と脱出してくる。
西側の麓に着いたササーンは、馬を飛び降りると逃げてくる兵を避けながら坂を上り始めた。側近たちが後を追う。
「ササーン様、危険です。お戻りください!」
側近の叫びを無視してササーンは上った。城壁へとたどり着くと、止めようとする兵士たちの手を振りほどき、瓦礫を足掛かりによじ登る。
城壁内に入ると辺りを見回す。そこは二回の崩落でつぶされた城門から続く通路だった。足下には多くの兵士が埋もれているだろう。だが今はどうでもよい。何としてもフェルゾムを知るための手がかりが欲しい。そして数の合わない一人。まだ生き残りのフェルゾムがいるはずだ。
瓦礫を縫うようにして廓へ出ると、まだ残っていた兵たちに大声で叫ぶ。
「ザクスールのササーンだ。城内でフェルゾムを見たものはいるか?」
だが、それに応えるものはおらず、誰もが我先にと城外へ逃げ出していく。
彼は舌打ちし、先に進もうとした。後を追ってきた側近とザクスール兵がむりやり止める。
「ササーン様、これ以上は無理です」
きな臭い煙が周囲に漂い始めている。
「離せ! まだフェルゾムがいるはずだ。何としても捕えなければ!」
「フェルゾムはもうおりません」
「まだいるぞ! 探せ。」
必死に押しとどめる配下に抑えられ、あがきながらササーンが大声を出す。
「フェルゾム、出てこい!」
普段の冷静なササーンからは想像もできない必死の叫びだ。
「出てこい!」
何度も繰り返す。
そのまま彼が城外に連れ戻されようとした時、兵士の一人が叫んだ。
「ササーン様、あれを!」
一斉に振り返る。廓の奥の緩やかな石段の上に、一人の騎士が立っていた。長い一本角の冑。上半身に比して細身の足。そして全身を覆う赤黒い色。
つい今しがたまで、そこには誰もいなかった。何の気配も感じなかった。だが扉からもれてくる煙を背に、その騎士はたたずんでいた。
側近たちが剣を抜きササーンをかばう。兵士らが弩で騎士を狙う。
「待て」
ササーンが兵を制す。配下の手を振りほどき、石段の下にまで歩みを進める。彼はフェルゾムの騎士と対峙した。
「私は、ザクスールのアブール・モンド・ササーンだ」
彼が名乗る。だが騎士は動かない。城館の中の火の爆ぜる音が次第に大きくなっていく。側近たちが援護しようと近づき始めたとき、その声は聞こえた。
「ヴェナード国王立騎士団、団長ドルニア・ソロン・ベルグール」
それはフェルゾムの声だった。何か仕掛けをしているらしく、人の声音とはかけ離れた抑揚のない重苦しい声だ。全員の動きが止まる。彼らは、フェルゾムの騎士の声を聞いたのだ。
「お前に訊きたいことがある。投降しろ。命は守る」
だが、ササーンの言葉に騎士は言った。
「我々の使命はすでに終わった。フェルゾムはこの世から消える」
「では、逃げた三人は何だ? どこへ行った?」
「いずれわかる。だがその時は、すでに過去の我々ではないだろう」
「どういう意味だ?」
その問いに、騎士は答えなかった。そのまま、ササーンたちに背を向ける。
「待て!」
ササーンが叫ぶ。と、思わず兵士の一人が弩を放った。だが射抜いたと思った瞬間、騎士の体がぶれ、矢は騎士をすり抜けるように消えていった。
皆、信じられないものを見たように立ち尽くす。この距離であの矢をかわすとは常人の動きではない。
騎士が、仮面のままあざ笑うかのように後ろを見やると、炎が燃え盛る扉の奥へと姿を消す。ササーンが後を追おうとしたが無駄だった。今や扉の奥は火の海となり、側近と兵士が必死に彼を押しとどめる。城のどこかからまた爆発音が聞こえ、地鳴りのような振動が伝わってくる。あのフェルゾムも助かるまい。
これがササーンとフェルゾムの、そしてこの世で唯一の、人とフェルゾムの騎士との対話だった。
日没を迎え、三日目の戦闘は終焉を迎えた。城外で仕留めたフェルゾムは二十名。だが兵の損害も尋常ではない。
おびただしい数の死体が城の周りに溢れ、草原を埋め尽くしている。生き残った者も、あまりに人知を超えた戦に呆けたようにみな座り込んでいた。仲間の遺体の回収すらままならない。
やがて、バレルトをはじめ、三国の将兵全てが城の崩壊を見つめる時が来た。
夕闇に吹き上がる煙はますます色濃く、崩れた城のあちこちから上がる炎が巨大な城の影を浮かび上がらせている。もうなす術はない。炎と煙に驚いたか、彼方の森から誰も見たことがないほどの蝙蝠の群れが、空を埋めるように飛び立っていく。
本陣にササーンが馬を走らせてきた。下馬すると、クルランの前に跪き城内での出来事を報告する。すでに三騎のフェルゾムを逃がしたことは、エルタンが報告していた。
クルランの許可を得、バレルトの前に進み出ると、ササーンは拝礼の姿勢のままザクスールでのフェルゾムとの戦い、城内でのフェルゾムとの対話、そして三名の敵の逃亡を改めて伝え、最後に一言付け足した。
「フェルゾムを取り逃がしたことは、すべて私の責任であります」
だが、バレルトはゆっくりと頷いたまま、燃え落ちていく城を見ているだけだった。
ソルヴィグ城の陥落は、戦乱の終止符であると同時に、稀代の悪鬼集団フェルゾムの滅亡として周辺諸国に一気に広まり、最高司令官バレルトの名声は一躍高まった。
また、女ながらに騎兵として戦ったバレルト最愛の娘クリシアの行方不明、おそらくは戦死との報も、軍神としてあがめられることとなった男の悲劇の一幕として花を添え、その陰で三名のフェルゾムの逃亡にはあえて触れないことが暗黙の了解と映った。
それは、誰しもが早く戦乱の記憶を忘れ去り、新しい時代へと移り変わることを望んだ結果でもある。
オラードは、ヴェナード割譲と戦利分配の最優先権を得、戦功としてヴェナードの五分の二にあたる領土を統治することとなり、残りの領土はスヴォルト、ザクスールをはじめ、全てを周辺各国に移された。
これにより、三百年の歴史を紡いだヴェナード国はこの世から消えた。
結果的に三名のフェルゾムを逃がす形となったザクスールだが、同盟国全軍がフェルゾムの計略にはまったとの見方とバレルトの裁量により、単一国として責めを負うことはなく、スヴォルトとほぼ同様の分配を受けとっている。
だが、ササーンは目前でフェルゾムを取り逃がした自責の念から筆頭軍師としての職を辞すことを上申し、引き留めるザクスール王とクルランら最高幹部の言葉を固辞したうえ、逃げたフェルゾムの探索を行うため軍を離れ一人旅立った。
城の陥落から三月が過ぎた頃、戦乱の名残りも少しずつ消え始め、人々の心にもやっと安寧を感じる余裕が生まれつつある。
逃げたフェルゾムの噂も、今やどこにでもいる敗残兵や盗賊の類と同等のものとなり、かつての恐怖や忌みごととしての扱いは薄れ、人々はこれからの新しい日々を生き抜くことに目を向けるようになっている。
そして、割譲されオラードの一部となった旧ヴェナード領のうち三郡を統治する代官を任ぜられたバレルトの下に、ある朝、クリシア発見の報がもたらされた。
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