放課後ゆうやけ隊

-さよならのあった時代で-
マオっぺ
マオっぺ

十没目 ぶってごめんね。①

公開日時: 2021年9月6日(月) 21:02
更新日時: 2021年9月10日(金) 18:54
文字数:3,330

「茉莉ちゃん。ごめん、この前。私…あんな事言っちゃって。本当に、ごめん」

 

 私じゃ言えないから、緑ちゃんに頼んだ。時津川の土手。橋の下で待っててって。考えても考えても、私はどうしたいのか分からなかった。色々な事が中途半端だったから。


 でも、お姉さんが勇気づけてくれた。何はともあれ、会ってみないと分からない。会ってみたら、もしかしたら問題が浮き彫りになるかもしれない。一縷の希望を持って、私は覚悟を決めた。

 

 お姉さんから貰った勇気をギュウッと握って、その握った拳を口元に押し当てる。大丈夫。勇気、勇気。色々怖いけど、私が始めた事なんだもの。どうなろうと、行かなきゃ。

 

 はしゃぐ子供達の声。お腹を鳴らすカレーの匂い。どこかのセカイからやってきた生暖かい風。時津川に流れる水は、あの日のようにキラキラ光を集めていた。小石だらけの河原に、二つの大きな影。片方は正面を向いてて、もう片方は下を向いていた。

 

「だから…えと…その、仲直りしてほしい、なんて…」

 

ごくりと唾を飲み込む。

 

「だめ、かな…」

 

 指をもじもじ遊ばせて、ちらっと茉莉ちゃんを見る。茉莉ちゃんはしばらく黙っていた。黙って、地面の石を睨みつけていた。


 ゆっくり、顔をあげて、強い眼差しを私に向ける茉莉ちゃん。能天気な私は、茉莉ちゃんの口に「お願い、開いて」って祈ってた。だから、カッと目の方が大きく見開いた事に気付かなかった。だって…皆に、私の方を誘ってやってっていう子だったもん。もしかしたら、いやきっと、って勝手に思っちゃうでしょ。うまくいくって。きっと許してくれるって。




 

パァン。





 

 あの時と同じ。でも、あの時よりもっと強かった。女の子でも、本気を出せばこんなにも痛いんだ。男の子って、どれだけ強いんだろう。右のほっぺ。真っ赤になってると思う。ぶたれた所を押さえて、俯いて涙を堪える。じんじんして、とっても痛かった。やっと茉莉ちゃんが口を開けた。

 

「…これが、今のあたしの気持ちだよ。ずいぶん、楽しかったみたいね。あたしは友達じゃなかったんだ。さすがだね、人殺し」

 

 許してくれる、なんて甘ったれてた私が馬鹿だった。あぁ、そっか。誰だって逆の事されたら、ぶちはしないけど、絶対こんな風に怒るよね。喉の奥まで、いろんな言葉がのぼってくる。グルグル口の中で出口を探して這い回る。毒がまわってるみたいに、胸が気持ち悪くなる。血液の流れがはっきり分かる。

 

「絶交。本当、どの口が言ってんの。人の気持ちって、わかる?おまえ」

 

胸ぐらを掴まれた。言えない。何も言えない。その通りだ。出来た事は、潤う目を、茉莉ちゃんに向けるだけだった。

 

「なんだよ。いいなよ」

 

狩人の目。すくむ私。胸ぐらの手を顎にまで引っ張られて、ドッドッと加速する心音。

 

「あっ。あ、あぁっ…いや、」

 

 だめ。口を塞がないと、泣いちゃう。絶対。言葉を出したら、私が泣いちゃう。また、あの時みたいに、こっちが被害者面する事になる。最後の最後まで、卑怯者になっちゃう。私は歯を食いしばって、茉莉ちゃんをぼやける目で見た。伝わらなくていい。ただ、ごめんねって想いを込めながら。


 そんな私を見て、茉莉ちゃんはとうとう呆れた。私を強く跳ね除けて、くるっと後ろを向いた。嫌われる、勇気。その勇気が、私を左右する。茉莉ちゃんに会ってみた。会ってみた。でも…ダメだ、私には、ない。そんなもの…ここまでの勇気だけの、臆病者だ。ごめん、お姉さん。また人の想いを無駄にしちゃったよ。

 

 そう思った矢先。茉莉ちゃんはそのまま帰るかと思ってたのに、ピタッと止まって、しばらく佇んだ。嫌な予感がした。私は肩を縮こめて、怖じ怖じとした。茉莉ちゃんは、動かなかった。かと思ったら、わなわな震え始めた。刹那、ガッと私の懐に飛び込んで、

 

ばっしーん。

 

 世界が反転した。ぐわんと星空が見えた。めちゃくちゃ痛かった。どっすんと尻餅をついて、何が起こったのか全く分からず、怯えた。小鹿のよう。内股で、地面に座っていた。

 

ぼろ。じわ。じわぁ。ぼろぼろ。

 

「ひっ…ひっ…ひぐっ」

 

 お腹がビクン、ビクンと波打つ。ガチガチと歯が震える。一気に視界が悪くなる。ほっぺがなまあったかくなる。そして、

 

「うあっ…あっ…あう」

 

ぶわっ、

 

「うぁぁ〜んっ!!」

 

 二発目。まさかの二発目。おんなじ所に。顔に火山が出来た。面白いくらいに、真っ赤なビンタのスタンプ。おたふく風邪みたいにほっぺが腫れる。蜂に刺されたような耐えがたい激痛。私は大泣きした。びぇ。滝のように溢れる涙を地面にこぼしながら、地面に手をついて嗚咽した。


痛い。痛い痛い痛い痛い。お母さん。お父さん。痛いよぅ。

 

 そんな私を嘲笑うかのように、茉莉ちゃんが近付いてきた。咄嗟に腕を顔の前でクロスして、防御体制を取る。その女の子は私の目線まで屈んだ。怯える私の顔を覗き込む。鷹のような目。そしたらイシシって、悪魔みたいに笑って、

 

「左も、ぶっちゃう?」

 

 茉莉ちゃんが、素早く手を出した。短い悲鳴を出して、ビクッと後ろにのけぞって、柱にぶつかる。両手をびたんと大の字に柱に張り付けて、鼻水の垂れる情けない顔で震えおののいた。

 

「やっ…や、やっ、やだぁぁっ!いやぁぁ!ぶたないでぇ!痛いの、やだよぅ。来ないでぇ、許してぇ。意地悪やべてぇ」




 

 茉莉ちゃんがわざとらしく、えい、と前に一歩出てきたから、私は断末魔の叫びを上げた。蛇に睨まれたカエル。左のほっぺを両手で守って、エイリアンに追い詰められたみたいに、膝を地面についてぐしょぐしょの顔で命乞いをした。

 

ぶたないで。ぶたないで。

 

大洪水だとか涙の水たまりが出来たとかそんな可愛いものじゃない。もう、体そのものが液体になってるみたいに怖かった。そんなビクビク震える私をよそに、


「…ぷ」


 風船が割れた。すっごく意地の悪い顔で、お腹を抱えて笑った悪魔。空中いっぱいに響く高笑いをしながら、くるっと背を向けて、バンバン太ももを叩いて可笑しがっていた。

 

「ひゃっひゃっひゃ!」

 

 清々しいまでの抱腹絶倒。完全に戦意喪失していた私は、涙で濡れたしょっぱいTシャツの襟を咥えたまま、ぐずりぐずりと泣き崩れた。

 

「あー、せいせいした。これで、仲直り。こんな泣き虫が、人なんて殺せるわけないじゃない。安心した。…ごめん、ちょっぴり強かった」

 

 ちょっとじゃないよ。全然ちょっとじゃないよ。声にならない掠れた声をあげながら、私は茉莉ちゃんに両方のほっぺをさすられた。





 

 カシュッ。きんきんに冷えたソーダ水を、茉莉ちゃんらしくもない。私の分も買ってくれて、プルタブまで開けてくれた。飲む前に、茉莉ちゃんに二発もぶたれたほっぺに押し当てる。ジュウウ〜ッ、と、私のほっぺが鉄板焼きみたいに音を立てた。恨めしそうに茉莉ちゃんを睨む。

 

 私、炭酸水ってニガテなんだけど。散々泣いたせいで、喉も渇いてたみたい。涙がでるくらい辛くて、でも癖になるほど、ごくごくと喉の奥に流し込んでしまう。こんなに美味しいものが嫌いだったなんて。

 

「もちろん、最初はあんたの言葉、信じた。かなり引いた。毎日毎日考えて、あたしまで鬱になった。でも、今日でわかった」

 

茉莉ちゃんが切り出した。

 

「わかったって…」

 

「あたしだもん。あんたが話そうとしてた相手って。そりゃ、ブン殴られる事覚悟で来るよね。そこまでして人を気にかける奴が、人を殺したとは思えない」

 

「…」

 

「だから、聞かせて。なんで、そう言ったの。それは知りたい。仲直りするんだったら」

 

「…」

 

カァ、カァ。

 

 私は歩いて、茉莉ちゃんの横を通りすぎて、川を覗いた。水面に映る私の顔。ぷっくり腫れたほっぺ。不機嫌そうな顔。でも、茉莉ちゃんにぶたれた事で不機嫌そうなんじゃない。もどかしさに不満な顔だ。誰にも言えなかったもどかしさ。子供に戻りたかったもどかしさ。誰かに許して欲しかった…もどかしさ。


 嫌われる勇気。あぁ、嫌われる勇気。大きく息を吸って、ふぅ。私は人に聞かせるわけでもなく、同情を求めるようにでもなく…自分に聞かせるように、重い口をぱかっと開いた。初めて。茉莉ちゃんがそこにいるのを忘れるくらいに。あとあと、ただ私は自分の中だけで回想してたんじゃないかって思うくらい、心の言葉を一字一句間違えないで外に出していた。


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