ツクツクボーシ…ツクツクボーシ…ツクキーヨ、ツクキーヨ、ツクキーヨ、ツクキーヨ…
「ジィィ〜ッ、でしょ」
ツクツクボーシ。
読みが外れた。セミにまで。はぁ、って、でっかいため息をついて、ごろんとセミと反対の方に背を向ける。もっとも、四方八方だから反対の方なんて知らないけどね。扇風機を強にして、首振り。だらぁんと体を地平線にして、ハエも止まってしまいそう。なんだか汗ばっかでぐしょぐしょで。
ぺたぺた気持ち悪いから、お風呂に入りたい。でも動きたくない。暑いから。お皿洗い終わった後のハンドクリームも塗るの忘れた。髪はぐしゃぐしゃ。髪留めだってどこに置いたか忘れた。
はぁ。未来永劫、一度もぶらさげられないであろう私のラジオ体操カード。30日行けば、図書カードが貰える。夏休みに入ってから、1週間経ったっけ。まぁ、どうでもいいのだけれど。夏休みの宿題のチェックリストをぐでんと開く。
書き取りは終わった。計算ドリルはまだ途中。自由研究は…あぁ、面倒くさいな。クーラー付けちゃおうかなぁ。でも、私一人だし。なんとなくもったいないし。あぁ、溶けるみたいに暑い。
そうだ、アイス、食べたい。あのアイス。あの、2本に折れる、棒のアイス。あれ食べたい。あたりの付いたソーダアイスの2倍は味が薄い。5本集めても、たまごアイスの味にも追いつかない。なんなら、凍らせたゼリーより美味しくない。
それなのに。何故か、思い出しちゃう味。2本なのに10円っていう、得した気分。氷みたいなものだから、食べると他のどのアイスよりキーンってなる。なかなか溶けないから、食べるのに時間がかかるけど、その分楽しむ時間がある。容器に入ってるから、直接体を冷やすモノにもなる。10円の夢の宝石箱なんだ。あのアイスは。
空は海みたいに、真っ青だ。清々しいくらいの、快晴。飛行機雲が、ロードに見えるほど。入道雲の中にお城があるんじゃないかって思わせるくらいの、幻想的な空。
ちりーん。
生まれ変わるなら、ありきたりすぎて鼻で笑われる程に、鳥になりたい。ミミズとかイモムシなんてまっぴらゴメンだけど、精米機の前で一服してるニンゲンに近付けば、いつでもご飯を食べれる。媚びさえ売れば飼ってさえも。
あぁ、あの空に溶けてゆきたい。あの青い空の一部になって、セカイの風に乗ってゆきたい。どこのだれも知らないような、青く漂う海の孤島にただ一人、綺麗な貝殻を探して1日が終わるような生活をしたい。
ピンポーン。
はぁ、もー。
私を現実に戻さないでよ。全く、印鑑印鑑。
「いよっ。夏美」
目をパチパチさせて、私は開けた玄関をそっと、全く無意識に閉めようとした。待て待て待て、って突っ込まれて、みんなが笑う。別にボケた訳じゃなかったけど。アキラくん、友彦くん、ソータくん、ミドリちゃん。みんなが私の家に来てくれた。相変わらず、状況の把握が出来ない私。
「ど。どーして」
えぇーっ、と、半ば呆れ気味になるミドリちゃん。
「えー?前、誘ったじゃん!なのに夏美、いつまでも連絡くれないから。こっちだよ!どーしては!」
前に出てきて、だっしゃっしゃと私の頭を叩くアキラくん。
「バッキャロウ、さっさと行くぞコノヤロー」
「行く?え、どこに?」
「海!電車使ってくからなぁ、夏美ぃ」
ニンマリ友彦くん。
「ご、ごめんね夏美さん。連絡しようと思ったんだけど、最近元気無さそうだったから」
おどおどソータくん。
「ほら、はやく、はやく」
急かす皆。
「は、はやくって。えと、えー。ちょ、ちょっと待ってて。お父さんに電話しなきゃ。あがってて」
茉莉ちゃんとの「一件」があって、落ち込んでた私だったけど。
急かされたのと、何よりみんなが私の為に来てくれたってのが嬉しくて、嬉しくて。地面がなくなったように。空中散歩の一歩目みたいに。陰鬱だった気分がパァッと一気に晴れて、私の足取りは軽くなったと同時に…走りかけた足を止めた。
「あ…茉莉ちゃんは?」
「はー?あんな奴、どーでもいいじゃん。てか、いいじゃない、また今度遊べば」
「そうだぞぉ夏美ぃ。茉莉なんかどーせいつでも暇だよ」
「俺ぁ面白いから茉莉OKだけどなぁ。って、いーから夏美、早くしろよ。電車行っちまうぞ」
「そ、そうだね、ごめん。待ってて!」
茉莉ちゃんが忙しいわけないし(多分)、というかどう考えたって私のあの一言のせいで来ないだけだと思う。罪悪感みたいな負い目はそりゃあ感じたけど、たくさんたくさんたくさん色々な事ばっか考えてた時に他の友達に誘われたから、私の足はワガママになった。
だって…だって。友達と夏休みに出かけるなんて、ものすごく久しぶりなんだもん。毎日我慢ばっかだったんだもん。それに…私卑怯だから。友達がいきなり来たからーって、お父さんにも何の負い目もなく電話できるもん。
もちろん、出掛けるギリギリまで、茉莉ちゃんの事を考えていた。あぁ、あんな事、心の奥底なんて言わなければ良かった。私のバカ。
茉莉ちゃんもいれば、もっと…もっと…
突き放しちゃった。馴れ馴れしかった。何故か、ミドリちゃん達とは遊べるのに。茉莉ちゃんとは衝突が多い。
あれ、
もっと…なんだ?
もっと…
もっと?
「おい!UNOって言ってねぇぞ!はいアウト!お椅子に正座〜」
「正座正座〜」
「言ったってぇ!なぁソータ、言ったよな!」
「言ってない…」
「くっそぉ!じゃあ、じゃあ!夏美ぃは!?」
「言って…ない!」
「あっはは。はい!ちゃんとやる!座れ座れ〜」
「んー、お前マジ覚えとけよぉ、こんちくしょう」
お父さんに恐る恐る電話した。行っていいかって。そしたら、お父さんはお金を持って行きなさいって、優しく言ってくれた。駅でお弁当を買って、初めて友達と、電車で旅行。ここから1時間ぐらいかかるらしいから、ミドリちゃんがUNOをやろうって。
電車の中は、相変わらず。あの時と一緒で、がらんがらんだった。アキラくんと友彦くんが、つり革で懸垂をしても、誰も気に留める事のない静寂。すごく気になるけど。いつも、出来立ての温かいご飯なのに。作り置きの冷たいご飯がこんなに美味しいなんて。あぁ、誰かに作ってもらったご飯食べるの、久しぶりだな。
「へぇ。じゃあ夏美さん、来年は行っちゃうんだ…そっか。折角来てくれたのにね」
「おいおいマジかよ。なんだよ、でも、また戻ってくるよな?」
「こら。そこは夏美にも分かんないんだから」
何かの話で、私は来年にトカイへ帰る事を伝えなきゃいけなくなった。そういえばだけど、来年で帰ることは…ミドリちゃんにしか言ってなかったんだった。そしたら皆、一回は残念がって…けれど、楽しそうに、帰ってこいよ、とか、もっと遊ぼう、とか言ってくれた。
だから嬉しくて、
「そ、その、ごめん、こういう事言うべきじゃないかもなんだけど。誘ってくれて、ありがとう。私、こういうのはじめてだから…遊べる友達も…いなかったし。本当に、ありがとう」
言ってしまった。
「…」
「…」
黙る皆。目配せする皆。目を逸らす皆。
っぷ。
どわっはっはっは。
「おまえ、バッカヤロウ〜!そういう事、言うんじゃねえよ、だっしゃっしゃ」
「そうだよー!もう、気まずくさせないでよ、バカッ」
ミドリちゃんとアキラくんが同時に、私の頭と背中をパンっと叩く。皆が笑って、私を見てくる。恥ずかしかったから、私もえへへ、って、頬をポリポリ掻いて、目を逸らす。
ぎんぎらと輝く太陽。流れてゆく美しい景色。ほどよくゆれる電車。友達。談笑。楽しい。楽しいな。でもやっぱ…ほんの少し…嫌な気分。
着いた先の海は、海らしくない海だった。まず、人がいない。砂浜はあるけど、目の行き渡る範囲で途切れちゃってる。すぐ側は崖が出し、周りに家らしい家は殆どなかった。
いわゆる、入り江のような場所だった。申し訳程度の、腰ぐらいの高さの防波堤。その先は小さな砂浜になっていた。一応駐車場はあるけれど、止まれても6台ぐらいの狭さだった。でも、とっても綺麗な海。ゴミも無いし、静かだし、「びーち」のような大雑把さも無い。地元の人のみぞ知る秘境って感じの海だった。
「夏美、遊ぶぞ!はやく着替えてこいよ!俺らはもう行くからな!行くぜ、奏太、トモちゃん!」
「ゆっくりでいーよー、夏美。ちょっ、待ってよ友彦」
海にはもう何年も来てなかった。だから、遊び方を完全に忘れていた。6年生だし、水のかけ合いとか、鬼ごっこはちょっと幼稚?ええと。何すればいいんだろ。
更衣場なんてなかった。だから、小さい駐車場の端っこの、ツルの垂れ下がるところで水着に着替えてた。水着と言っても、恥ずかしい。ミドリちゃんはフリフリのついた可愛いやつだったのに、私は学校のスクール水着。だって持ってないんだもん。まず、海で、遊ばないし。せめてゴーグルだけでも首からぶら下げて、少しでも「おしゃれ」に見せようとする。
茉莉ちゃん。あぁ、私は何て事をしてしまったのだろう。茉莉ちゃんがいなければ、今の私はいなかっただろうに。誰とも仲良く出来なかった私が、ここまで誰かと仲良くできてる。また私の頭にはマイナスの思考が生まれた。
遠くで、みんなが遊んでる。砂浜の端にある、ちょっと高い堤防から、アキラくん達が飛び込もうとしてる。そんな光景を見て、私はそっちに行こうと走り出して…やっぱりやめた。代わりに、砂地に体育座りをした。
茉莉ちゃんを置いてこんなに浮かれていいの。自分だけ。というより、何で私はミドリちゃん達とは遊べてるんだろう?いきなり来てくれた成り行きだから?何で茉莉ちゃんにだけ冷たくしちゃったんだろう?
見ていた。見ようとしていた。私の意識はとうに空の向こうへと行っていた。言うならば、空の向こうの、忘れ去られた、誰かにだ。私、誰なんだろう。私、どうしたいんだろう。どこに行けばいいんだろう。どうやって遊べばいいんだろう。なんか、もう分かんない。こいつ。すっかり落胆喪心。
「君は、遊ばないの?」
透き通るような声。ふわっとした聞き方。まさに美人さん。パレオの似合うスラッと伸びた長い足。ぺたんこな私と違って、大きくて綺麗な胸元。カンカン帽を華奢な指で抑えて、その女の人は私を覗きこむように姿勢を低くしていた。びっくりして、私はしばらくの間、固まっていた。
「見たカンジ、いじめられてるって訳でも無さそうだけど…なんだか、つまらなさそうだね。そんな、おまんじゅうみたいに、体丸めて」
腰に手を当てて、ミドリちゃん達を一瞥した後に、お姉さんは私を見た。その動作の一つ一つが輝いて見えて…スクール水着が裸同然に思えてきて、死ぬほど恥ずかしかった。
「うん…」
小さなため息をつく。そんな私の隣にお姉さんが腰を下ろす。
「あはは。話してごらん。楽になるかもよ」
向こう側で、アキラくんとソータくんが、浮き輪をつけたままぶつかり合って、お相撲ごっこをしていた。どうかしてたと思う。でも、生まれて初めての葛藤に、私はどうすればいいか分からなくなっていた。いつもなら、結局は自己解決できる。私の事は私が1番分かってるから。なのに、茉莉ちゃんに会ってから…いろんな事があって、訳がわからなくなっていた。
「…私、私の事が、全然わかんない」
お姉さんは黙って聞いていた。私は続けた。
「なんか、たくさんの事があって、一言で言えない。何をしたいのかわかんない。別人みたい」
体育座りした足を、ぶらんと投げた。
「なるほどね。笑っちゃいそうだったけど、笑っちゃいけないみたい。ずいぶんと目が死んじゃってる」
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