「すみません、どうもうちの子が…」
「はっはっは!いえいえ、ホントごめんなさいねェ!ウチのバカ娘が!これっ、挨拶くらいせぇ、バカッ」
「痛い、殴らないでよバカオヤジ」
なんで。どーしてこーなる。全くわけがわからない。残り少ない夏休み、せっかく宿題も終わったから、ゆっくり過ごそうと思ってたのに。しかめっ面を茉莉ちゃんに向ける。口笛吹いて、気付かないフリ茉莉ちゃん。
「しかし、わざわざうちの娘が行く必要は。二人でこちらの家に泊まっても。日暮さんに迷惑がかかりますし」
「それがどうもこいつが…飽くまで『交換』したいみたいでねぇ。ウチは全く構いませんが、日向さん、このバカに何か言ってやってください」
「いえいえ。むしろ、いつもうちの夏美が茉莉くんの話ばかりするものですから。本当、日暮さんちのおかげです」
「ほらー、夏美のお父さんも良いって。お願い。ねっ!夏美もしたいって言ってたよね!」
何を勝手に。
「はぁ?私は…痛ッ!?」
茉莉ちゃんが、素早く私の靴を踏んで、そのままギュウウっ。私が足を踏まれて痛がってる間に、話が進んでしまった。
「茉莉、本当、日向さんちに迷惑かかってんのよ?ウチに夏美ちゃんを呼べばいいじゃない」
「やだ!交換!」
私と、自分のお父さんに見せる顔、違うのかな。あんな、気が強くて絡みづらそうな学校の茉莉ちゃんと打って変わって、私の目の前にいる茉莉ちゃんは…驚くほどに、子供だった。
「このバカは。まぁ、日向さん。昨日電話して、決まっちまった事ですから何とも言えませんが…こいつが我儘言ったら、遠慮なくビシッとやっちゃって下さいねぇ」
「いえいえ、こちらの方こそ!すみません、では、よろしくお願いします。日暮さん」
「こちらこそ!じゃ、えーと…夏美!行くか!」
「夏美ちゃん、ウチの子に付き合ってもらってごめんねぇ。何でも言っていいからねぇ」
この空気で、「そんなの知らない」なんて言えなかった。私は、茉莉ちゃんを一瞬睨んで、すぐに茉莉ちゃんのお父さんとお母さんに挨拶をした。
「えと…ご、ごめんなさい、私も我儘言っちゃって」
「なにが我儘なもんか!俺ぁ娘が欲しかったんだよ!」
「ちょっと!なにそれ!いいよ、じゃああたし夏美のお父さんの事パパって言うし!バカオヤジー!」
ぼふ。自分の父親のお腹に、軽く一発入れる茉莉ちゃん。
「えーと、じゃあ、茉莉…くん?行こうか」
「うん!パパ!バカオヤジ、べーだっ」
二回目だけど。二回目だけど。何で、どーして、何でだって、って私は大混乱も大混乱。茉莉ちゃんのお父さんに手を引かれるまま。茉莉ちゃんの車の後部座席に座る事になった。茉莉ちゃんと仲直りして、数日後。ある日、寝坊しちゃって、急いでどたどた一階に降りていったら…珍しい。
お父さんが、朝ごはんなんか作ってた。ごめん、でも珍しいね、って私が言った束の間、私はちょっと怒られた。普通そういうのはお父さんに言ってから、また相手のご両親の確認を取ってからだぞって、怒られた。ポカンとして、何の話って聞いちゃった。そしたら、1週間、お盆休みの間、私と茉莉ちゃんちで「娘交換」。
訳わからない、って、お父さんに向かって。でも、すぐに気付いた。茉莉ちゃんだ。茉莉ちゃん。当たり前だけど、寝起きの私はそんな当たり前であろう事を何回も確認してしまった。あの子がやったんだって。本当に意味が分からなかったけど、30分後に茉莉ちゃんのご両親が来るって言われたから、考える暇もなく…私は歯ブラシだのドライヤーだの髪留めだの…「旅行」の支度をした。
それで茉莉ちゃんちの車に乗せてもらって、現在。バックミラーに映る茉莉ちゃんのお父さん。セニングカットでトップは手櫛。野球部の顧問みたいな感じの筋肉質。お父さんというより…オヤジさん?時折驚いた顔で私に振り向く茉莉ちゃんのお母さんは、まさに対極的って感じの上品そうなお母さん。前上りのサイドから揺れるイヤリングが、真夏の太陽を存分に浴びていた。
「なんでぇ、夏美!おまえはウチのバカと違って、えれぇ謙虚じゃねえか!なァ母さん、うちはどこで間違ったんだかな」
「結婚からかしら。って、お父さんったら、夏美ちゃん困ってるじゃない。ごめんねぇウチはうるさくて…」
「と、とんでもないです。本当、我が儘言ってごめんなさい。私、何でもしますから。えと」
「かーっ!だってよ母さん!いいんだよ、俺の事ぁお父さん、で。一度くらい、娘にそう言われたかったもんだ。あぁ、じゃあ早速、酌でもしてもらおうかね!そうだ、母さん、今日はまだ開けてない蔵の奴あっただろ。あれ開けよう」
「もう、本当バカなんだから。ごめんね夏美ちゃん。私の事はお母さんでもママでもいいからねぇ。うちのお父さん、デリカシーないから。困ったらいつでも言ってね」
「そ、そんな。私の方こそ、よろしくお願いします」
なんだかものすごくややこしい事になってきた。私は、おべっかは得意だけれど、基本的に人との付き合いはとっても苦手だ。ましてや、友達の両親なんて…間が持たない。笑っていながら、心では茉莉ちゃんを…憎むとか疎むとかそんな重いものじゃないけど、まぁそんな感じの事を思っていた。
何で、こんな事したんだろって。私にお母さんがいないから?だとしたら、大きなお世話だよ、茉莉ちゃん。こんなんで、私の心なんて動かないし。
「夏美ちゃん、今日はどこで食べたい?」
「へっ?え、え…あ、んと…い、いえ。あるもので十分です。ご、ごめんなさい」
「大丈夫だよ、気なんか遣ってねェよ!もともと、外で食べる予定だったのさ!そうだ母さん、あそこ、どうだ。あの海の場所」
「シマミね。お刺身が美味しいのよ。夏美ちゃん遠慮なんかしないで。いつも茉莉が夏美ちゃんの話ばっかするものだから、どんな子って思ってたのだけれど…そんな遠慮ばっかじゃ、疲れちゃうわよ。子供のうちは遠慮すると、大損よ。いいのよ、もっと楽にして。寝てきなさい」
「ご、ごめんなさい。ありがとうございます」
やっぱすごいな、大人って。全部バレちゃうんだ。そう言われて、前のめりになった背中をぽふっと、柔らかい座席に着けた。いつの頃からか、乗らなくなった後ろの席。左来てないよとか、注意役も案内役もしなくていい後ろの席。こんなに気楽だったんだ。
うと、うと。さっき起きたばっかなのに。ゆらゆら揺れるゆりかごに、私は優しく包まれて、甘やかされて、あやされて…いいなぁ。きっと、こんな感じだったんだ。
「夏美のパパ、先言っとくよ。あたしワガママだから、許してね」
夏美のパパ。前も会ったことがあるけど、普段着の夏美のパパは、なんだか作家みたいな感じのパパだった。
「それは全く構わないさ。けれど、いいのかい?うちに来てもたいして面白くないと思うよ。どこか行きたいところとかは」
「あるよ!夏美のパパ、こっち来て、まだなんでしょ!ここ、水族館が有名なんだよー。あと、喉渇いた!」
夏美のパパは、運転に集中しているから、こっちを見なかったけれど、夏美みたいな笑い方でふふっ、て左のウインカーを出した。
「あれ、なんでこっちって分かったの?」
「ん?あぁ、昔…この近くに居た時があってね。20年も前になるのかなぁ」
「ふーん…あ!危ない!ここ一時停止!」
「お、おっと…すまない。ありがとう。ハハ、ごめんな。どうも運転は苦手でね…いや、夏美に頼りすぎていたのかな」
「あたしは大丈夫だよ。というか、パパ、ごめんね。あたしのワガママに付き合ってもらっちゃって」
「いやいや。むしろこうなってくれて嬉しいよ。夏美はこういう機会でもないと全く遊ばない子になってしまったからね。君にはとっても感謝しているさ」
その、全く遊ばなくなってしまった原因を知らなさそうに、夏美のパパは…知ったように、話していた。あたしは、窓の方へと視線をずらした。夏美、話せてないんだ。お母さんの事。そして…パパも、本当の夏美の事知らないんだ。
あたし、言わなきゃ。
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