放課後ゆうやけ隊

-さよならのあった時代で-
マオっぺ
マオっぺ

五没目 行かないよ。行かない。①

公開日時: 2021年8月29日(日) 17:33
文字数:4,742

「夏美、学校はどうだ」

 

 朝から頭を働かせないといけない会話が始まるのなら、長い爪を切る前に割ってしまった卵の、黄身と白身の混ざったヘタクソ目玉焼きに文句を言ってほしかった。


 きっと私が窓の外をそわそわ、ちらちら見ていたから。そんなにも学校に行きたくないのか、って察したのかな。そんなんじゃないのに。口を大きくあんぐり開けて、こんがり焼けたトーストの、幾層もの小人の窓をかしゅっと割ろうとした時に、そんな言葉がお父さんから出た。

 

 メガネの奥には、疲れた目をなんとか開かせて、私に心配かけまいと気を遣ってくれてる優しいまなざし。10円はげがだんだん気になり始めてる、白髪の混ざったガサガサの髪。猫のように丸まった背中。私の作った料理をいつも、どんなに疲れていても美味しいって言って食べてくれる。休日には、一層私に気を遣ってくれて、どこかに連れていってくれようとする。

 

 そう、私の大好きな、お父さんです。


 大きく開けた口を閉じて、口に入れようとしたトーストをゆっくりお皿に戻す。代わりに、マグを無理に口に近づけて、ココアに映る私を見つめた。首をこくん、と、下げて、

 

「別に…楽しいよ」


 お父さんは私の瞳の奥を覗くように、鋭い、探偵みたいな目で、私の真意を確かめようとしてきた。新聞を広げて読んでる傍ら、私の動作や間だとかをしっかり見ていた。新聞をばさぁと閉じて、私の方をゆっくり向く。

 

「夏美。本当にすまないな。父さんは、これしか言えない」

 

 コト。お父さんの眼を曇らせたコーヒーが、丁寧に机の上に置かれる。お父さんが、寂しく、私の目を見つめてそう言い放った。眉を八の字にして、娘の私にそう謝るのだ。私はううん、と首を振って、

 

「何言ってるのお父さん。私、こう見えてもね、友達作るの得意なんだよ?私は何も問題ないよ」

 

 お父さんが、垂れ下がった眉を上げて、そうか、それなら良かったと、さっきよりも元気になってくれた。

 

「そうだな。そうだ。夏美はお母さん似だしな。お前は優しいから、いつも皆が寄ってくる。その優しさを大切にするんだぞ、夏美」

 

 お父さんは時計を見て、いけない遅れる、と、慌てて立ち上がった。鏡の前にまだ温かいコーヒーを置いて、結局それを忘れて私が後で片付けた、とはいとも容易く予想できた。忙しそうに、カチャカチャとベルトを締めるお父さん。

 

 手さげの四角く平べったい革鞄を手に持って、わたわたと玄関に向かって靴を履く。靴べらも使わないで、足をコンコン。大人ってあんな中身のない鞄持っていって仕事できるのかなって思った。ランドセルの方がよっぽど重いよ。あの慌ただしさは、私には絶対似てない。


 玄関を開けて、扉を抑える暇も無くお父さんはカッパを着て出ていった。ブロロ。すぐにオートバイの音が遠ざかっていく。マンホールには気を付けて、って、聞こえてないか。


 テレビをつけて、ブイーッと掃除機を動かす。しばらく黒い画面が続いた後に、爽やかな感じのお兄さんアナウンサーが画面に映り込む。たくさんの丸を指差して、深刻そうに訴えかけていた。


 連絡網って回した事ある?私は掃除機の音がうるさくて、プルルルルって電話が鳴ったことに気が付かなかった。連絡網って、次の人に繋がらなかったら、その次の人に電話するんだよね。つまり、連絡網に出忘れた人って30分後とかしか、知る方法が無いってワケ。

 

 無駄に広い我が家。掃除機をかけるだけで軽く30分近くはかかった。こんな大きな家を借りるのなら、マンションの一室でも借りればいいのに。そう思いながら、掃除機のフィルターをカチャっと外して、ゴミを捨てる。

 

時計を見て、7:15。


 私はどたどた2階に行くと、ランドセルをよいしょと勉強椅子から下ろして、予定帳を開いて持ち物を確認した。だって絶対休みになると思ってたもん。

窓がカタカタ揺れてるから、今日はもうナシでいいじゃん。なんなら、雨だって降ってるよ。暴風警報は出なくても、せめて大雨洪水警報!でろでろ、出ろ!あと10分もないよ。ほら、早く雨量も風速も測り直してよ!イライラする!

 

結局私が最後に見たのは注意報のままだったから、渋々とため息をついて家を出た。ガチャ、ザァァ。


本当にこれ、注意報?


 傘立てに伸ばした手を引っ込めて、私は玄関を閉めると、壁にかけてあるポンチョ風の合羽をぐいと掴んだ。







 

 雨の日の、全然人の気配がしなくて、明かりもついていない下駄箱は、なんとも背中を冷んやりさせるのだろう。後ろを見たら、髪の長い女の人が睨んでいるかもしれない。そんな事を思わせるぐらい、曇天に佇む下駄箱は物恐ろしげな雰囲気を醸し出していた。

 

 ぽたり、ぽたぽた。私の合羽から、ようやく落ち着いた雫が垂れ落ちる。床をゆっくりと濡らしていって、私もぼーっとするものだから、だんだんと私の水たまりが出来てくる。


 結局来ちゃった。学校。あーあ、今日は、一日中家で漫画や雑誌を読んで…ゆっくり過ごすつもりだったのに。

 

「あ、バカが来た」

 

 そんな気分が落ち込んでる私に、また私をイラッとさせる言葉が飛んできた。ちょうどそこを通りかかったような感じで、体の向きはそのままに、顔だけこちらに向けてる女の子。私は大きなため息をついて、その子…マツリちゃんを見た。

 

「久しぶり。全く、朝からうるさいなぁ。なんでそんなに噛み付くの。それに私、バカじゃないし」

 

「バカだよ、バーカ。警報出てたのに」

 

そう言い捨てると、マツリちゃんは私のすぐ横を通り過ぎて、窓に手をつけて外の様子を見た。しばらくの間。

 

えっ、え、えええ!?

 

最初の「え」できょとんとして、次の「え」で一歩体を前にして、最後の「えええ」で残念と嘆きの顔になった。一気に一日分の疲れが出てきて、地面がいきなり落とし穴になったような気がした。頭をぐらんと揺らして、はぁーって、ミヤコちゃんもびっくりするぐらいの長いため息を出した。

 

「だから誰とも会わなかったんだ…なに、もー!最悪!来なくて良かったじゃん!」

 

「察せなかったの?普通周り見て気づくでしょ」


まぁた嫌味。

 

「ふん、それじゃあマツリちゃんもバカじゃん。気づけなかったくせに。ばーか」

 

「あたしは1番に来ないと気がすまないの。その時点じゃ注意報だったし」

 

 そう言って、相変わらず我が道を行く感じで、マツリちゃんは言葉が終わる前にズカズカと歩き始めた。なによ、それ。早速、気分が悪くなった。やっぱ、気のせいだったんだ。あの子は極端に気まぐれなだけだ。きっと。噂で聞いただけだったけど、人に避けられたり。


 その通りだと思った。だってそうじゃん、あんな自分勝手に、遠慮もしなければ、すぐ嫌味ばっかで。誰にだって嫌われる。






 

「…ですから、お迎えに来れる人が家にいる生徒には電話を貸します。この後、職員室まで来てください。それ以外の子は、警報が解除されるまで体育館で待機です」

 

どーしてこうなるの。


 結局、大雨洪水警報が出ていたらしくて、授業は中止。帰れる人はお迎えを呼んで、帰れない人は待ってろなんて、冗談じゃないよ。意外にも、学校に来ちゃった子は、合わせて50人程度だった。低学年の子達はキャッキャと状況を楽しんで落ち着きが無くて、高学年の子達はだるそうな感じで、体育座りをおのおの崩して座っていた。

 

「あーちょっと、台風ではしゃぎたい気持ちは分かるけど、みんな、静かに。静かに」

 

 先生の声も聞かないで、子供達はみんなそれぞれの話題を楽しんでいた。それで、それぞれの子が喋りながら、職員室に向かおうと立ち上がり始めた時だった。


「座れ!」


 と、体育館内に耳をも貫く怒号が響いた。瞬間、うわ、って、危なく言っちゃいそうになった。おしゃべりをしていた子達が、心臓が外に飛び出たように、肩をすくめて、お手本みたいな体育座りをしていった。

 

 口を常にへの字の形にして、大きな体をそれ以上に見せようとする鳩胸。何千回怒ったの、って聞きたくなるほど幾層にも連なる眉間のシワ。あとは火薬だけ持ってこい、って状態の攻城砲。その叫び声の主…忘れもしない、あの嫌味臭そうでめんどくさい、この前の怒髪天だった。

 

「整列しろ!これ、早くせい!!」

 

 マツリちゃんが私の後ろに隠れるようにして私を前に押し出したから、私はずるいって小声で言った。けれどそう揉めてるうちにターゲットにされそうだったから、私はすぐにその場に座った。しぃんと、雨の音だけが際立つ体育館に早変わり。


 生徒を牽引しようとした先生達が、顔を見合わせて、そっと静かに扉を閉める。かちゃあん、と、牢獄みたいな音がした。

 

「全く落ち着きが無い!特にそこのお前達!ベラベラベラベラ喋って、先生達が困ってるじゃろがい!人の話を聞くときはしっかり聞けい!」

 

すいません、って、前の男の子達が素直に頭を下げた。私もつられて、頭を下げてしまった。

 

「それと!」

 

 ドキッ。その声で私の心臓がバクバク加速して、すくめた肩の筋肉が凍ったように動かなくなった。口の端と端を直線に結んで、ちょっとの間呼吸を止めた。

 

「この前、随分ふざけた生徒がいてのぉ。放課後の6年5組の教室に許可なく入った挙句、入るなと書いてある女子トイレに逃げ込んでトイレを壊したムスメがいてのぉ!」

 

 ドキドキドキ。台風が過ぎた後の全校集会まで待てない怒髪天がゆっくり、全員の顔を疑うように整列した生徒の周りをじっとりと歩いていく。私は目を不自然にキョロキョロさせて、体育座りの腕で顔を隠していた。カンカン山が近付いてきて、私の周りをやけに行き来するものだから、私の目の前で立ち止まるんじゃないかってヒヤヒヤしていた。


「6年生の教室」「女子」。


怒髪天の目線はそれはそれは高学年の私達に向いていた。実際、歩く範囲が異様に狭かった。

 

「全くけしからん、もしもこの中にやった人間がおるのなら、今すぐ名乗りでろの!」

 

 怒髪天がねっとり歩き回ったあと、再び整列している生徒達の先頭に来て、喝を入れるような感じで怒鳴った。みんなも目配せしてたから、私は目が増えて不安になった。誰も、誰も見てなかったよね?

 

「あんた、ねぇあんたってば」

 

そんな緊迫した状況で、マツリちゃんが小声で私をつついて来た。ドキッと心臓が跳ねる。まさか…見てた?そのまま無視しようと思ったけど、あんまりにも回数が多いから、私は顔だけ後ろに向けて、マツリちゃんに小声で用件を聞いた。

 

「なに、なに」

 

「脇の下、穴空いてるよ。ぽっかり」

 

「え、ウソ。本当?」

 

 私は左腕をコンパスのように90度に開いて、マツリちゃんがツンツンつついた所を覗き込んだ。やられた。というか、この状況でやるかフツー。あっ、て、恐怖を含んだ短い悲鳴をあげた時だった。

 

「なに、お前だったのか!!ムスメ!いい度胸じゃの!」

 

 そう。その動作をするが為に、自然と手を上げてしまっていたのだ。瞬間、世界が真っ白になって、月の遥か彼方まで私の心臓が飛んでいってしまった。悔しそうな感じでキッとマツリちゃんを睨んで、けど怒髪天が来てるから、すぐに目線を戻した。

 

「ち、違います!ごめんなさい!いや違わないけど…あ、ち、ちがいます!この子が!この子がぁ!」

 

「なぁにふざけとんじゃあ!ワシは本気で言っとるんじゃぞ!大人をおちょくるのもいい加減にせい!名前はなんじゃお前!」

 

 ぷふふって、後ろで体育座りをしながら、顔を両膝のお皿にうずめるマツリちゃん。そんなマツリちゃんを睨みつけながら、泣きそうな顔で、全身を使って私は弁明しようとした。まぁ、やったのは私なんだけど。


 烈火の如く私に怒りを向ける怒髪天。みんなに注目される恥ずかしさと、マツリちゃんへの憎悪と、怒髪天に対する恐怖で私はもう錯乱状態だった。穴があったら新幹線の速さでずぼっと通り抜けたかった。

 

もう、絶対許さない!

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