いつまでも黙っている私に痺れを切らして、お姉さんは空を仰ぎ見た。
「じゃあ、聞いちゃおっかな。今、君はどんな気分なの?」
「どんな?どんな。とっても、嫌な気分。遊びたいけど、遊べない…」
「それはどうして?」
「どうしてって…えと…と、友達を置いてきちゃったから?」
「ふぅん。喧嘩、かな。どうして友達を置いてきちゃったの?」
「酷い事というか、突き放しちゃう事というか。本当の事、言っちゃったから。えと…私の本性、秘密…みたいな事?わかんない。だから仲悪く…なっちゃったと思う」
「なるほど。友達をね。…まぁ、わざと傷付けたって訳ではなさそうだね。どうして言っちゃったの?」
「え。えと…どうして?どうして。どうしてだろう。なんか、成り行きで言っちゃった。しつこかったし、馴れ馴れしかったから」
「その子が初めてかな。君の事、話しちゃったの」
「うん。初めて。何で言っちゃったんだろ。我慢してたのに」
「ほうほう。でもでもー、君は気にしてる。しつこくて、馴れ馴れしいのに。それに、その友達を、君の悪口で突き放さなかったのは何で?」
私は苦虫を噛み潰したような顔をした。ん?って視線が忙しなくなった。なんで?そうだ、なんで?茉莉ちゃんはガサツだから嫌いとか…色々、言いようはあったけれど。○○だから茉莉ちゃんが嫌なんだよ、とは、言わなかったよね、私。お姉さんは笑って、考えこむ私の顔をぐいっと持ち上げた。
「さぁ、どうした。おまんじゅう娘」
私のほっぺを両手でぐにぐにと触るお姉さん。とっても優しそうな顔をして、それなのに意地悪そうに笑う。私は自分の矛盾に困惑した。
「え…わか、わかんない。な、なんで…なんで?」
お姉さんは私のほっぺをさんざんこねた後、また笑いながらすっと立ち上がった。お姉さんを見上げた。逆光が眩しかった。遠くでは、アキラくん達がバク転してこけたり、ジャンプしたりして、皆笑ったり転がったりしていた。とっても楽しそうだった。
「うふふ。さぁ、わからないな。じゃあ、もう一回、突き放してごらん。そしたら、わかるかも」
「突き放すって…わ、悪口言えって事?お姉さん、よくわからないよ」
「さぁ〜。君にはこういう言い方じゃ伝わらないか。んー…そうだね。じゃあ」
私はプレゼントをねだる子供みたいに、お姉さんに詰め寄った。お姉さんはそんな私を見て、またプって笑って、私の肩に手を置いた。
「いまその子に、会いたい?会いたくない?」
「え…その…」
「二択だよ。どっち?」
「会いたいし…会いたくないよ…」
「じゃあ、一度会ってごらん。この思いのまま、君はこの夏休みを過ごしちゃうよ。ほら、今は皆と遊んできな。いつまでも同じ気持ち、嫌でしょ。とりあえず会うって決めたなら、それでいいんだよ」
「でも、私…」
そんないつまでももじもじしてる私を見かねて、お姉さんはやれやれって感じで、腰のポーチに手をやった。お姉さんが、握った拳を私に差し出す。私は両手をくっつけて前に出した。絵の具で塗ったの、って思うくらい、わざとらしいオレンジ色だった。おもちゃみたいにきっかりした扇の形。
夕焼け空みたいにグラデーションが入っていて艶やかで…あったかい。見たことのない、綺麗な貝殻だった。私の小さな手のひらを、お姉さんの大きな手がギュッと握ってくれる。
「この中に…勇気が、入ってる。嫌われる、勇気。でも、決して後悔をしない勇気。そのまんま別れちゃうのが、どれだけ辛いか。だから…ちゃんと、行くんだよ」
お姉さんはそう言って、私の背中をぽんっと叩いた。そうすると、本当に不思議。みるみる力が湧いてくるような気がして、ぱぁっとした気持ちになった。
「うん…うん、うん!お姉さん、ありがとう!私、会ってみるよ!本当にありがとう!」
お姉さんは、にっこり笑って、私に手を振ってくれていた。誰だかは知らない。分からない。だけれど、ずうっと、私が行くまで…懐かしむように、優しく見守ってくれていた。
そっか。そうだ、お姉さんの言う通りだ。私、もう一度茉莉ちゃんに会わなきゃ。結局どうすればいいかは分からないけど、会ってみなきゃどうすることもできない。だから今は、
遊ばなきゃ!
「おいこら夏美、遅えぞ!ほら、早くこいよ!」
「ごめん!待たせた!」
「って、夏美、あんたスク水じゃん!ださ!」
「行くぞ行くぞ!まずおいらからだ!右にステップぅ、左にジャンプ、そのまま回って左にバク転っ…」
「おい!最初からできてねぇぞー!お前バカヤロウ!代われ!ってあぁ!?わかんねぇ!」
「ばっかでー!明も、出来てないじゃん!じゃあ私から!続いて、奏太、夏美ね!さぁ、やるぞー!」
堤防のすぐ近くに、砂色になって全く見分けが付かない、錆びれた潜水服の頭が埋まっていた。その潜水服のガラスの場所を拭いてみると、消えかけている矢印が書いてあった。それに従って、指定された位置に立ってから、手紙を開いて宝探し。
「さ!夏美の番だよ!いっくよ、せーのっ」
「右にステップ左にジャンプっ、三回まわって左にばくてんっ、一歩進んで前周り、後ろにすっ飛びずっこけろーっ!」
ぼっふんどっすん。何回も失敗して、何回も転がって、何回もやり直して。最初はみんな動作をゆっくり一つずつやってたけど、途中から手拍子のリズムゲームになっちゃって。ハイハイハイハイってテンポ良く手を叩いて、何回も笑った。
こんなに、転ぶのが楽しかったのは初めてだった。顔も、髪も、手も足も、みんな砂だらけ。でも、少しも気にならなかった。さいごのずっこけの動作が積み重なるうちに、だんだん皆が砂の違和感に気付いてきた。そこだけ音が違った。私達は手で砂を何回も掻き分けながら、砂浜に埋まったメッセージボトルを見つけた。
そのあとも、海水浴を楽しんだ。地図に書いてある所に行こう、ってなって、まずは海面から1mくらいの堤防。みんな真剣になって海中に目を凝らして、波の揺めきに目を慣らす。
「あっ!いた、そこだよ!そこ!」
「えっ?どこ?」
「そこだってば!ほら、動いてるよ!」
奏太くんが海中を指差す。トットコトットコ、と、テトラポッドの隙間を縫って黒い何かが進んでいた。テトラポッドの色に似ているからよく分からなかったけど、よーく目を凝らすと、白いハサミが動いた。
「うわー。こんな浅瀬にいるんだ」
「イシガニだな。あれ、美味いんだぞ」
「で、でも…どうやって獲るの?」
「もちろん、タモだよ。アキラ、タモは…?」
「だっしゃっしゃ。わりぃ、忘れちまった」
会話のテンポが一気に崩れて、はぁー!?と、アキラくんを振り向く一同。
「えーっ!!もう、あんたに任せたあたしがバカだった!」
アキラくんが、だっしゃっしゃと誤魔化し、皆からもの凄いほどのブーイングを買う。私も、道具が無いならしょうがないかって思った時だった。
「んー、じゃあ、今あるもので仕掛け作るか」
「うん、それがいいと思う…」
えっ、と、びっくりした。やっぱり、私は…トカイで甘やかされた、機転が効かない子だった。ソータ君達は、道具が無いからで諦めなかった。
海に潜る友彦くん。砂浜を探しにいくミドリちゃん。竹藪に入っていくアキラくん。まず、持ってきたナイフで、竹の節に穴を開けていく。次に、海底で拾った釣り糸のダマ。それを分解して、縄跳びのように一本一本を二つ折りにして、その穴に通してゆく。
そうすると、海に入れる方の竹の先に、泡立て器のようなものができる。泡立て器のすぐ近くに、魚の切り身を縛り付ける。それを海に入れると、初めは蟹は逃げてしまった。だけど、少し時間が経つと…ニオイに惹かれて、あちらこちらから大きな蟹が出てきた。みんなが四つん這いで水中を覗く。
蟹が、ハサミを伸ばしながら、棒の上に乗る。すると。
「キャッチィ!!奏太、網!網!おい早くしろ!奏太ァーッ!!」
「だから、ないんだよ!えと、踏んで、踏んで!」
「あー!逃げるってば!ちょっ、誰か踏んでよ!」
「おりゃあ!」
蟹が餌に夢中になって、その棒の上に乗る。ゆらゆら揺れる無数の糸が蟹に絡みつく。そこで手元の糸を思いっきり引くと、海中の泡立て器が一気に棒の中に入っていく。その間にいる蟹はグエッ、たくさんの糸が締まって、逃げられなくなる。
勢いよく海中から引き揚げて、それを堤防の上に放り投げる。蟹は一生懸命海に逃げようとするから、可哀想だけど逃げないように上から踏む。皆の発想に驚かされた私。私って、とっても頭が固いんだなって驚いた。
シャキーン。
「おぉ…おおぉ〜」
海の中から引き上げられ、雑に地面に落とされ、上から踏まれていても、両手を大きく開いて私達を威嚇する、バルタン星人。私は新しい玩具を見た子供みたいに、目をキラキラさせて、その生きている蟹を触ろうとした。
「バカッ!夏美、何やってんだ!」
勢いよく、友彦くんが私の手を弾いた。
「馬鹿だねー、夏美。危ないよ、こいつ竿の先っぽくらい、平気で切断しちゃうんだから。こう見えて、力強いよ」
「全くバッカヤロウ。こいつ、網ねぇ時はこうやって踏んづけて捕まえないといけねぇ。つえぇんだぞ」
「何を。元はと言えば、あんたのせいなのに」
ブクブクブクブク。バケツに入れてなお、私を威嚇してるような独り言。恐る恐る私は、落ちてた枝でその黒い岩をツンツンつついてみた。
ガシッ。
枝をきっちりハサミで掴んで、ミシミシと音を鳴らす。ほんとだった。つんつん、つんつんともっと突ついてみる。この蟹、すごく強い。
「ちょっと夏美、あんまイジめない。弱っちゃうでしょ」
「はーい」
蟹で遊べなくなって、私はちょっといじけた。と、ふと目線を逸らすと、岩と岩の隙間…手の届きそうな位置になんだか紫っぽい、トゲトゲした奴がいた。みんなが蟹取りに夢中だったから、私も四つん這いになってじっと見てみた。見たことある。というか食べた事ある。
ウニだ!ムラサキウニ!食べられるやつ!私がウニの場所を見つけられたんだと思うと、なんだか興奮した。浅瀬にいたから、私はさっき蟹に使ってた短い棒を手にして、じゃぶっと海に入った。ちょっと短いかなって思ったけど、大丈夫かって思った。
皆喜ぶかも、ていう気持ちが先に行ってたから。逃げるわけでもないのに、ゆっくり近付いて、そ〜っと手を伸ばして、
「だめーーーー!!!ばかー!!!」
緑ちゃんにドーン。ざぶーん。ゲホゲホ、まさに塩っ辛い。鼻にツーン、目にジーン。あぁ、そうだ、海水って塩含んでるんだ。今更なくらい私は五感で実感した。これが自然のしょっぱさ。誰に気を遣う訳でもない、大雑把でありのままの味。
「もー!夏美、不用意に海の生き物に手を出さない!これ、ガンガゼ!毒持ってんの!」
「うげ、ゲホ。え、でも、私、棒使おうとしてた…」
あはは、と笑う友彦くん。
「夏美ぃ、駄目だよ。んー、こいつ、影が出来ると敵だと思ってトゲ伸ばすんだよ。おいらも一回それでやられて、体半分痺れたもん」
ええ。そんな恐ろしいのが、二種類も。こんな浅瀬に。私は途端に怖くなって、海からざばっと上がった。本当に新しい事だらけだったから、はしゃいでただけだもん。注意されて、ちょっと落ち込んでいた。地図を確認した緑ちゃん達が海に潜ってく。
私も潜りたかったけど、たいして泳げないし。しばらくすると、緑ちゃん達が本当のウニを取ってきてくれた。可哀想だったけど、石でガンガン叩いてトゲを削ぎ落として。アキラくんが、裏っ返したウニを、家の鍵でほじくる。
海藻を含んだフンはおえってなったけど、それを掻き分けていくと、お寿司屋さんで見る、あの照り輝くラクダ色が見えた。鍵に乗っけたそのプリプリな身を、食べてみろってアキラくんに勧められる。ちょっとフンっぽいのも混じってて、少し抵抗があったけど、意を決してパクッと食べてみると…
甘い。極上の卵の黄身が、極小の粒の一つ一つに閉じ込められているような…それでいてプリンのような食感。海そのものの味が閉じ込められてて、余韻の残る忘れ難い味。初めてのウニだった。
取った蟹は、あれだけ粘ったのにも関わらず、たった5匹。可哀想だったし、逃がそうって言ったんだけど、もったいない、皆で食べようよって言って。地図で柚子って書いてある場所に行くと、無人販売所があった。たくさんの緑色の柚子。蟹を食べる付け合わせって言って、お金を入れて持って帰った。
近くにあった水道でささっと蟹を洗って、鍋に入れてソータくんの持ってきたカセットコンロにかける。蓋をした鍋の中からカチャリカチャリって蟹が蠢いていて、すごく可哀想だったけど、茹であがれば話は別。真っ赤な塩茹で。ハサミの所をほじくり返して、パクリ。
「すご!プリプリ!甘い!」
「だっしゃっしゃ。これが、美味いんだよ。トカイじゃぜってぇ食ぇねえぜ!」
「蟹味噌はもっと美味しいんだから。どう、夏美、来て良かったでしょ」
「うん!皆、本当にありがとう!」
びっくり仰天。タラバガニとかズワイガニほどじゃないけど。身が引き締まってて、弾力が本当に凄くて、何より甘くて、その新鮮さは天下一品だった。涙が出るくらい、美味しかった。もぐもぐ噛み締めて、舌で転がしながら、その美味しさを隅から隅まで味わった。あの味は、今でも思い出しても、舌鼓を打つ。口中に涎が広がるくらい。
そのあとは、その近くのツルをかき分けた所にあった無人の海水温泉に水着で入った。もちろん無料。そこで、アキラくんに泳ぎ方も教えてもらえた。モノには出来なかったけど。
そんなこんなで、私は久しぶりに夏休みを実感した。遊んで疲れて。あんまりにも疲れたものだから、水着の上から服を着て、そのまま帰った。
ぐがぁぁ、ぐごぉぉ。
電車に乗るなり、アキラくん達は寝てしまった。私も眠くなってたけど、寝過ごしちゃった経験がつい最近あったから、頑張って目を開けていた。
「ぼ、僕が起きてるから。夏美さんは寝ていいよ」
がくん、と落としそうになった顔を持ち上げて、声のしたほうに顔を向ける。ソータくん。すごく眠そうな目を擦って、なんとか意識を保っていた。
「あ、ソータくん。ご、ごめんね。気を遣わせちゃって」
「大丈夫。僕なんかより、夏美さんの方が、とっても気を遣ってると思うよ。今日、なかなか来なかったの…茉莉さんと、何かあったんでしょ?」
意外な言葉。私は顔を上げた。
「えっ?どうして知ってるの」
「その…夏美さんが気を遣うからってみんなが口止めしたけど、内緒だよ」
小声で、口に手を当ててごにょごにょと話すソータくん。
「実は、茉莉さんが夏美さんを誘ってやって、って」
「茉莉ちゃんが…?」
「うん。ご、ごめん。最初に言えば良かったかな」
初めは耳を疑った。けれど、茉莉ちゃんは…そういう事をする人ってこの前分かったから。
「そっか…そう、なんだ。ううん、嬉しいよ。ありがとう、奏太くん。でも、なんで教えてくれたの?」
「僕、いつまでもイジイジしてて弱っちくて…自信もないから、海藻みたいに軟弱って言われて…カイソータって呼ばれてるんだ」
少し間を開ける奏太くん。
「でも、あの台風の日。夏美さんに教えられて…茉莉さんの思いも分かって。そうなんだって思って。だから、今度は僕の番だって思って。夏美さんがああ言ってくれなかったら、ずっと茉莉さんを誤解していたから…」
「そっか。そう…なんだ。本当にありがとう、奏太くん」
帰りの電車。人生で初めてだった。なんだか安心して完全に寝ちゃって、駅を一つ過ぎちゃったのは。奏太くんも結局寝ちゃってた。皆で、なんで誰も起きなかったんだ、起こせよってお互いに文句言って、一つの石を蹴ってパスしながら、夕焼けに帰っていった。
夏が好きになってきた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!